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あなたが綴る物語

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あなたが綴る物語
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●中世ヨーロッパ 8

 カーライル滞在を終えたランカスター公女・ルカルカを乗せた船はブリストルを目指して南下していた。
 船を用いれば賊を警戒する必要がなく安全に、しかも陸路を行くであろう相手より先にウェストミンスターの宮廷へ戻ることができる、そうダリルが主張したからだ。
 海上の船に逃げ場はない。まさか襲撃などあるはずがないと、だれもが思っていた。
 優雅な船旅は、しかし横づけした小船から大胆不敵にも飛び移ってきた男の登場で終わりを告げる。
「どうした? 俺が来ないと思っていたか。それがきさまらの油断だぜ」
 顔に覚えはなかったが、その声、体つきはバルコニーでの賊に間違いなかった。カルキノスはあっけにとられている船上の男たちを見渡して豪胆に笑い、剣を抜く。
「ええい、ひるむな! 賊は1人だ!」
 近衛隊長の淵が鼓舞する声で、はっと正気に返った兵士十数人が向かっていった。すぐさま賊との間で噛み合う剣げきが起きる。
「公女はダリルとともに船内へ!」
「ええ…」
「そこにいたか! ランカスター公女!」
 きびすを返したルカルカのドレスがカルキノスの目を引いた。
「てめーらどきやがれ!!」
 咆哮とともに一閃し、兵士たちを雑魚とばかりに切り伏せた男はまっすぐ逃げるルカルカへと突進する。間に立つ淵もはじき飛ばした男とルカルカの間に障害はなく、足をすくいかける船の揺れもものともせず、またたく間に男はルカルカとの距離を詰めた。船内へ続くドアにようやくたどりつき、しがみつくようにドアノブを握り締めたルカルカだったが、間近に迫った男の気配にとっさに動けず硬直してしまう。足は縫いつけられたようにすくんで、その場から一歩も動こうとしなかった。
 剣は、力をため込むように脇に引きつけられている。
「その命もらったあーーッ!!」
「ルカ!」
 カルキノスの剣がまっすぐルカルカ目がけて突きこまれた。男はこういうことを生業としてきた者にふさわしく、その動作にも目にもためらいはない。死よりも、死ぬほどの痛みに恐怖して、ぎゅっと目をつぶった男とルカルカの間に飛び込むように、そのとき何かが上から降ってくる。それは、上の操舵席から甲板へ飛び降りたダリルだった。
 間髪入れず、剣はダリルの胸に深々と突き刺さる。それだけに終わらず、勢いに押されてダリルの体はルカルカへとぶつかった。
「……ルカ……無事、か…?」
 風船がしぼむような、力ない声。
「は……い…」
 何が起きたかも分からないまま、ルカルカはダリルの耳元でささやく。
「よかっ……た…」
 それが、ダリルの最期の言葉だった。
「ダリ……ル……兄……」
 涙がほおを伝った。
 こふっとルカルカはこみあげてくる熱い血にむせた。パッと口から朱を飛び散らせながら後方へよろめいたルカルカの足が甲板の何かにつまずいて落下防止の柵に当たる。しかしそれはぜい弱で、ダリルの重みも手伝って柵はあっさりへし折れて彼女の体ごと後ろへ倒れた。
「ルカっ!!」
 男の背中を割った淵が、男を海へ蹴り落としたあと急ぎルカルカへと手を伸ばす。が、一歩遅かった。淵の手は空を掴み、ルカルカはダリルを串刺しにした剣に同じく貫かれた状態で、海へと落ちていく。
 絶命したダリルの体を抱き締めたままに――――……。




 波間にゆらゆらと揺れる小船。そこに
「よっこらしょ、と」
 淵に背中を割られて海に蹴り落とされたカルキノスが這い上がった。
「やっぱ寒いな、この時期の水泳は」
 そうつぶやく姿は健康そのもの。濡れている以外はどこからも出血している様子はない。シャツを脱ぎ捨て用意済みのタオルで体を拭いていると、ぷふっと空気が漏れるような音がして大型の犬か何かが溺れているような水面をバシャバシャたたく音が聞こえてきた。
「ちょ、ちょっと。早く引き上げてよ、ドレスがお、重っ…」
「あーわりィわりィ」
 男に船上へと引き上げてもらったルカルカは、船底に手足をついてぜいぜいと荒い息を吐き出す。
「う、浮かび上がれず死ぬかと思ったっ」
「いやー女は大変だなあ」
 完璧他人事のセリフを吐いて、男はルカルカにタオルをかけた。そうされてもにらむのが精一杯でルカルカにはしばらくどうする体力もなかったが、そのうちやっと正常な呼吸を取り戻して、わずかに戻った力でタオルでごしごし拭き始める。
「船が戻ってくる様子はないな」
 ぽつっとつぶやいたのは、ルカルカと一緒に引き上げてもらったダリルだった。シャツの胸元に裂け目ができているが、カルキノスと同じくそこは打撲で赤くなっているだけで血は流れていない。
「あんたが予定通り舵に細工してたんならこの海域へ戻ってくるにはもう少し時間がかからぁな。けど安心してもいらんねえ。さっさと離脱するぞ」
 ルカルカが背中を向けているうちにざっと着替えを済ませたカルキノスは船の操舵に戻ろうとする。しかしその途中で思い出したように振り返り、まだへたり込んだままのルカルカへと近寄った。
「何っ?」
「忘れないうちにこれもらっとくぜ」
 ルカルカの胸元からちぎり取ったのはランカスターの紋章を象ったブローチだった。ルカルカを殺したことを証明するための物で、今度の偽装の成功報酬として与えると約束はしていたが、その乱暴さにルカルカは眉を寄せる。だがカルキノスの方はそんな彼女の感情など全く意に介さず、鼻歌まじりに小船を岸に向かって反転させた。
「あとは淵がうまくやってくれるかだが…」
「大丈夫よあの子なら。うまくみんなを誘導してくれるわ。大体あんな状態で落ちたルカたちが浮かぶわけないし。発見されないのはこのドレスが保証するわ」
 水を吸ってずっしり重くなったドレスを蹴って示す。ベチョベチョの布が気持ち悪かったが、男2人と違って彼らの前で脱いで着替えるわけにもいかず、我慢するしかなかった。岸には逃亡用の荷物一式と一緒に用意されているはずだ。
 ルカルカの死、ダリルの死。全てダリルの仕組んだことだった。
「ソールズベリー候にねらわれて、ルカがいつまでも無事でいられるとは思えない」
 父親の持つ力は息子であるダリルが一番よく知っている。公女の責務とはいえ、内心ではヘンリーに嫁ぎたくなかったルカルカは一も二もなく賛成した。そして居場所を突き止められたカルキノスもはじめはとまどい裏があるのではと勘繰ったが、両方から謝礼をせしめることができると考えて、最後には乗ることにしたのだった。
「俺ぁ金が入りゃあ何でもいいさ。政治なんかに興味ねえよ」
「ねえ。それでルカたち、どこへ行くの?」
 岸へ向かう小船のなか、無邪気にルカルカが問う。
「なんだ? あんたら行先も決めてなかったのか?」
 カルキノスはかなりあきれ顔でじろじろと2人を見る。着替えを終えたダリルは風から守るようにルカルカを抱き寄せ、腕で囲いながら答えた。
「フランスだ。もしものときを考えて、ここ数カ月私財をかなり移してある。まずはロレーヌ公国へ向かう。ルカの生存が知られたとしてもマーガレット王妃とつながりのあるフランス宮廷ならランカスター公女の亡命を悪いようにはしないだろう」
「抜かりはねえってわけだ」
「フランスかあ。1度行ってみたいと思ってたのよね! 楽しみ!」
 ダリルに全て任せていれば大丈夫。自由を手に入れたことをようやく実感できて、ルカルカは甘えるようにダリルの胸に頭をつけた。



*            *            *



「あ、よかった。アルスター伯爵のところのご兄妹、2人とも見つかったのね」
 後日、オープンカフェで新聞を広げたフレデリカは、2人がマン島で発見されたというその記事を見つけてうれしげに手を打った。
 もうひと月以上前になるが、あれはいたましい事故でフレデリカの記憶に新しかった。フレデリカが駆け落ちを手伝った理知もその船に乗っていたのだ。彼らの名前を行方不明者名簿から見つけたときは心臓が止まるかと思った。
 その船に乗れとフレデリカが指示したわけではなかったが、それでも責任を感じずにはいられなかった。ああしなければ理知は捕まってフランスに送還、愛し合う2人は引き離されていただろう。でも死なずにすんだはずだ。
「大丈夫ですよ」
 そう言って、彼女を支えてくれたのはフィリップだった。
「そんなに落ち込まないでください。きっと2人は助かっています。ただ事情が事情ですから名乗り出れないだけです。むしろこれは彼らにとって好都合でしょう。家族の者が彼らは死んだと思えば、追手はかかりません。
 それよりも僕はあなたが心配です」
 自分のせいだと落ち込んで不安定になったフレデリカを心配して、フィリップはできる限り彼女のそばについてくれるようになった。
 やさしいフィリップ。今もテーブルの向かい側でハーブティーを飲みながらほほ笑んでくれている。彼の場合、フレデリカが喜んでいるのがうれしいからだろうけれど、それが分かるほど彼と親しくなれたことがフレデリカはうれしかった。
「きっと、あの2人も彼らのように助かっているわ」
 確信を込めて言うフレデリカの前、フィリップはことりと音をたててカップを置いた。
「よかったですね。僕もうれしく思います。最後にあなたの笑顔が見えて」
「最後…?」
「ええ。ずい分長居をしてしまいましたが、そろそろ帰らなくてはなりません。どうやら僕が会おうとした相手はもうここにはいないようですし」
「そ、そう…」
 フィリップはここの者ではない。彼に帰る場所があるのは分かっていたはずだ。いつかはこんな日が来ると。
 それに、フレデリカの方にも彼を強く引きとめられない理由があった。両親が勝手に彼女の縁談話を進めていたのだ。それは貴族社会において不思議なことではない。貴族に自由結婚はなく、家のために嫁ぐのが当然。相手を結婚式当日まで名前も知らないということもよくある話だ。その点ではフレデリカはまだ恵まれていた。領地を接するとなりの領主で、既知の人物だった。とはいえ、とても好きになれない、外見と家柄をひけらかすだけの底の浅い男ということを知っているのを幸運と呼ぶかどうかは異議の入る余地があったが。
 しかし両親が彼との結婚を望む以上、フレデリカにはどうしようもなかった。
 他の男性と結婚する身でフィリップを引きとめられない。でも離れたくない。一緒にいたい。
 両親への忠誠心と愛する男性への想いの間で揺れ、苦しんで力なくうつむいたフレデリカを見て、フィリップはそっとテーブルの下で手を伸ばし、彼女の握り締められたこぶしをおおった。
「一緒に来られますか?」
「えっ?」
 不意打ちのような提案に、フレデリカはぱっと顔をあげた。
 今耳にしたことは本当だろうか? 見つめるフレデリカの目にまだとまどいとおそれがあるのを見て、力づけるように緩んだ手の中へ手をすべり込ませる。そして信じてほしいと言うように、彼女の手を握った。
「あなたがどんな反応をするか、賭けでした。あなたが僕と別れることを惜しんでくれていると……僕と同じ気持ちで離れたくないと思ってくれているのなら、僕はあなたをウェールズへ連れて行きたい」
「でも…」
「あなたの婚約者ですね」
 フレデリカのためらいを見抜いて、フィリップはさらりと言った。
「知って……いたのね…」
「ええ。あなたについては何もかも知っています。
 どうか僕を信じて。僕に任せていただけるのであれば、必ず僕がなんとかします。ご両親は決してこのことであなたをうらんだりはしません」
 フィリップはまだためらっている彼女を勇気づけるようにポケットから指輪を出すとそれをフレデリカの指へはめた。そこには白薔薇を象った細工がほどこされている。
 とまどうフレデリカの前、フィリップは誓いのように指に口づけた。
「あなたを愛しています。この地でこんな出会いがあるとは思ってもみませんでした。僕について来てくれるのであれば、大切にします。そしてあなたをきっとこの国の女王にしてみせましょう。マーチ伯の名にかけて」
 翌朝、フレデリカの屋敷の前に1台の馬車が横づけされた。それは地味で目立たないよう偽装されていたが、内部は豪華な造りで、マーチ伯の財力の高さを示すに十分なものだった。フレデリカの両親は突然のフィリップの申し出による驚きから抜け出せない、複雑な表情をしていたが、それでも彼と行くフレデリカを祝福し、見送った。
 現ヨーク公リチャードの後継者マーチ伯。このときはまだウェールズの辺境伯にすぎないが、のちのイングランド王その人である。



 このわずか数年後、ランカスターとヨークの間でイングランドの王座を争う政権戦争が勃発する。それぞれの紋章から赤薔薇と白薔薇の戦いと言われ、後世において薔薇戦争と呼ばれる、イギリス全土を巻き込む戦争へと発展した。
 ソールズベリーはランカスターを裏切ってヨーク側へとついた。ランカスターは一時は勝利を収めるもののまたたく間にヨークに巻き返されて、王座を奪われることになる。ランカスターについた者たちはほとんどが戦死か処刑され、ヘンリー王は死に、マーガレット王妃は幽閉された。
 戦争が起きる前、フランスへ亡命して戦禍を免れたランカスター公女がどうなったかは、だれも知らない……。