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リアクション
●中世ヨーロッパ 1
断続的に続いた百年戦争がようやく終結を迎えたころ。
青灰色の空の下、まだ周囲の山から流れてくる霧が完全に晴れきらないうちから城の訓練場では剣げきが響いていた。
「はっ! やあっ!」
朝露に濡れた草を蹴り、リリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)はきらきらと輝く水滴と汗を飛び散らせて果敢にも、通常の剣より少し細身で軽量に作られた己の剣をふるう。その正面にて対するカーライル伯エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は、
「うわ!」
向かってくる剣先を払い、すり流しながら後退の一手だった。
ぱっと手をついた柵を飛び越え、リリアとの間に柵をはさむ。
「逃げないでよエース! あなたからも来てくれなくちゃ、練習にならないじゃない」
「いや、そんなことを言われても…」
まいったな、と頭をかいていたとき。
「領主さま! リリアさん!」
と、背後から声をかけてくる者が現れた。
エースの従者のエオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)が、巻き込まれないよう十分距離を取った位置からほおに両手をあてて声を張っている。
「どうした? エオ。そんなに大声出さなくてもよく聞こえるぞ」
普段であればぶつかり合う剣と男たちの気合いで耳が痛くなるほどの場だが、今はまだリリアとエースしかいない。
エオリアはこほ、とごまかすように空咳をすると、今度は少し声を抑えて言った。
「メシエ・ヒューヴェリアル修道士さまの一行がお着きです」
「もう来たのか。ずい分早いな」
「……ヒューヴェリアル修道士?」
リリアが少し怪訝そうなつぶやきをもらす。
「ああ。言ってあっただろう? 小修道院のために院長を派遣してもらうと」
小修道院はフランスで戦って亡くなった父や兄たちのために新領主となったエースが司教から許可をとり、数年前着手したものだった。カーライル城内の一角に作られて、半月前に完成している。そして小修道院が完成間近なのを知って、修道士の派遣を要請したのが2カ月ほど前だ。
「ええ、聞いているわ。ただ……メシエ・ヒューヴェリアルって……騎士じゃなかった?」
9年ほど前、一度だけ訪れたことのある少年の姿をリリアは思い起こした。リリアの父やエースの父たちの隊に合流するべくやってきたノーサンバランド伯の隊のなかに彼がいたのをリリアははっきりと覚えている。
敗戦の色濃くなってきた6年前、フランス領を守る戦いに赴いた者たちのほとんどは帰還していた。今度は自国領をフランス軍から守らなくてはならない。残念ながらエースの父、前カーライル伯はその前に戦死し、2人の兄も戦傷が元で亡くなった。その報を受け、9年前まだ11歳で城に残されたエースが今では現カーライル伯爵となっている。そのため年に数回宮廷へも出仕するエースはリリアの知らない事情に通じていた。
「うん。彼は6年前に帰還して、そのあとすぐに修道士になったんだよ」
「どうして?」
「たしか、フランスに行っている間に城がハイランダーの襲撃にあって、そのとき奥さんが亡くなったらしい」
「そう」
「にしても、リリアよく覚えているなあ。俺とそう変わらない歳だったのに」
声が少し沈みがちになったリリアに気付かない様子で、エースは感心したように言う。
「そうかしら。ありがとう」
「とにかく、着いたとなるとこうしちゃいられないな。エオ、部屋の準備はできてるか?」
「ここへ来る前に手配済みですよ。城の者には到着したら広間へ通すように指示しています」
「それでいい」と、剣をしまって彼の方へ歩き出す。「じゃあそういうわけだから、リリア」
やった、助かった、という思いを隠さず、にっぱり笑って立ち去ろうとするエースに、リリアが言った。
「待ってエース。私も行くわ」
エースのあとについて広間へ入ると、もう修道士の一行は着いていた。
「待たせたな、ヒューヴェリアル」
厳粛なたたずまいを見せる彼らを一瞥し、エースは若い領主らしく活発な足取りで剣を手に彼の元へ向かう。メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)はゆっくりとフードを下ろすと頭を下げた。
その精悍な顔立ちに、リリアはかつてここで一度だけ目にした青年の面影を見た。9年の歳月はまだ十代半ばだった少年を青年へと変えていた。しなやかな鞭のような印象はそのままだが、まとった修道士の簡素な服の上からも彼が適度な筋肉におおわれた健康的な肉体の持ち主であることが分かる。修道士としての生活が彼を骨と皮の貧相な者にしてしまったのではないかと思っていたが、それはまとはずれだったようだ。
無表情の下でほっとしていると、エースとの話に集中しているとばかり思っていたメシエの視線が彼女の方を向いた。エースとの話に集中しているとばかり思ってちょっとじろじろ見すぎたか。
「こちらの方は?」
「ん? ああ、ジェイコブ・オーランソートを覚えているか? 父の側近の1人だった。彼の1人娘のリリア・オーランソートだよ」
軽く頭を下げたリリアの耳に、メシエの侮蔑の声が聞こえた。
「カーライル卿は女性を従者にしておられるのか」
「従者じゃないわ、騎士よ!」
敢然と頭を上げて噛みつくように即答したリリアに、フォローが間に合わなかったエースはあちゃーと顔に手をあてる。
「騎士? 女性が? どういうことです」
「えーと…」
「正式にはまだ騎士じゃないわ。でも必ず近いうちに騎士になるのよ!」
もちろんエースは認めていない。女騎士など存在しないからだ。彼女が男の服を着て剣を振り回せているのは兵隊長を務めるオーランソート家の者だということと、エースの幼なじみでエースが黙認しているからにすぎない。
しかしいつかきっとエースを説得して騎士になってみせる、と意気込んでいるリリアに、メシエは修道士らしからぬ、急速に冷めた視線を向けた。
「まるで蛮族ハイランダーの女傭兵どものようだ」
と。
「なんなのよ! あの失礼な男は!」
ガンガン、ガンガン。
自室へ戻る途中、何度もよみがえる場面に壁を叩いて憤懣の解消を図ったが、うまくいかなかった。
「僕は、彼の反応は当然だと思いますけどね」
「……あら。あなたいたの」
だれもいないとばかり思っていたのに。
肩越しにエオリアを振り返って、リリアは少しほおを赤らめる。
「ほら、奥さんがハイランダーに殺されたというじゃないですか。ハイランダーには女性の戦士がたくさんいますし。僕が聞いたところによると、ヒューヴェリアル修道士と奥さんは幼なじみでとても仲睦まじい夫婦だったそうです。といっても、結婚していたのは4年間で、そのうち3年間彼はフランスで戦っていたんですけど」
「そうなの…」
エオリアの話に、急速にリリアの怒りは冷めていった。フランスの領地を取られまいと戦ったが敗戦に喫し、戻ってみたら城が襲撃を受けて妻が亡くなっていた。その悲しみのあまり修道院に入ったのだと思うと、彼が気の毒でならなかった。
「そんなにも奥さんを愛していたのね…」
「ええ、かわいそうな人です。ですからリリアさん、彼らの歓迎兼カーライル小修道院院長就任祝賀パーティーを僕たちで立派にやり遂げて、彼を感心させましょう。なんといってもヒューヴェリアル修道士には、いい印象を持って帰途についていただかねばなりません。領主さまのためにも領民のためにも、大修道院長さまの覚えを良くしないと」
奮起するエオリアに、おや? となる。
「ヒューヴェリアル修道士が院長になるんじゃないの?」
「え?」と、今度はエオリアが驚く番だった。「話を聞いていなかったんですか? 彼は就任されるイグニチウス修道士を送り届けにきただけで、パーティーがすみ次第戻られる予定ですよ」
その言葉を聞いて、なぜかリリアの心はリリアにも分からない理由で沈んだ。
どうして? あんな失礼な男、さっさと出て行ってくれたらせいせいするじゃない――頭を振って、気持ちを立て直そうとする。そんな彼女に気づかず、エオリアは脇に抱えていたリストを差し出した。
「というわけで、リリアさん。ここにある品の調達をお願いします。僕は城内で客室の用意等を担当しますから」
「料理に使う食材……ハーブに広間を飾る花……燭台用ろうそく、移動型寝台……ええ、これくらいなら」
数ページに渡るリストに目を通して、さっそくだんどりを頭のなかで描いていく。
「これから招待客に出す書状を作成するんですが、ダンフリースにハイランダーを重用している貴族がいるんです。どこへ行くにも彼らを伴っていて……まったく頭が痛いですよ。また戦いが起こりそうなこの時期、スコットランドと事をかまえるわけにもいきません。ダンフリースはカーライルと近接しています。儀礼として彼を招かないわけにはいかないのに、ヒューヴェリアル修道士はハイランダーがお嫌いときています」
「彼も元はノーサンバランドの騎士でしょ。そのあたりは理解していると思うわ。それに、今は修道士なんだから騒ぎは起こさないはずよ」
「そうですね」
エオリアは笑顔で応じたが、彼が心中祈るような思いでいることにリリアは気付いていた。
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