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【西暦2024年 8月1日 正午】 〜四州博物学の父〜
「エースさん、メシエさん、お昼の支度が出来ましたから、いらして下さい」
「ああ。有難うございます、鈴音さん。今行きます」
メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)は、自分達を呼びに来た女性に愛想よく返事を返すと、立ち上がり――エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が、あいも変わらず植物標本を試すすがめつしているのを見て、ため息を吐いた。
「ホラ!あなたも行くんですよ、エース」
「え?う、ウン。いや、あともうちょっとできりのいい所まで終わるから……」
「そんな事言って、この間も食事に来たのは2時間以上も経ってからだったでしょう!」
「こ、コラ!腕を引っ張るな!分かった、行くから!行くから引っ張るな!標本が壊れる!!」
『景継の災い』が収まった後、エースは、医者となるべく、一度シャンバラに帰った。
しかし空京大学で勉学に打ち込む間も、東野で出会った貴重な植物の事が、常に頭から離れなかった。
そして、晴れて獣医となった時、エースは島での研究を、ライフワークとする決心をした。
今度は植物だけではなく、動物を含む生態系全てが調査対象となる。
2年ぶりに目にした村は、エースとメシエの記憶にある光景と、全く変わっていなかった。
山深い村は、この2年の間に四州を襲った変革の嵐とも無縁だったようだ。
それは村人達も同様で、かつてエースが師事した村の老薬師作三(さくぞう)も、その孫娘の鈴音も、猟師の孫兵衛(まごべえ)も、以前と全く変わらぬ暮らしを送っていた。
変わった事と言えば、鈴音と孫兵衛が結婚して、孫兵衛が老薬師の家で暮らし始めたくらいだろうか。
エースは、村外れにある空き家を買い受けると、これに手を入れ、住居兼研究所とした。
定住するつもりは無いが、一年の大半をここで過ごすつもりだ。
また、イチイチ里まで降りてこなくても研究が出来るように、山の中に、猟師小屋を幾つも建てた。
家や猟師小屋の面倒は、
「――ここに、四州共和国連邦の成立を、宣言致します!」
早々と食事を済ませた孫兵衛と鈴音が、エースの持ち込んだパソコンを、食い入るように見つめている。
モニターには、今生中継されている、四州共和国連邦成立記念式典の様子が、映し出されていた。
ちなみにこの生中継が、四州で初めてのテレビ放送である。
この中継は、四州の人々に、自分達が変革への大きな一歩を踏み出し、国際社会の一員となった事を認識させる事を狙って放送されたモノだが、先日二人の代王がお忍びで訪れた寿々守村では、村人を驚かすのにも、大いに役立っていた。
「これで私達も、共和国の市民ですか……。なんか、実感が沸かないですね」
「だよなぁ」
地方にいる大半の市民が、鈴音や孫兵衛と同じ感想を抱いているのではないだろうかと、エースは思う。
四州の島民全てが変革を実感出来るようになるには、まだ何年もかかるだろう。
「別に、オレ達のやる事に、なんも変わりが出る訳でねぇ。さ、仕事の続きすっぞ」
「お、おお」
食事を終えた作三じいさんは、どっこらせ、と立ち上がると、孫兵衛を連れて表へ出て行く。
「ねぇ、エースさん。エースさんは、島を守った英雄として、今夜の晩餐会に招待されているんでしょう?どうして出席しないんですか?」
作三達の食器を片付けながら、鈴音が聞いた。
今夜、記念式典に出席した諸外国の要人達をもてなす為の晩餐会が開かれるのだが、その席に、エース達、『景継の災い』の鎮定に尽力した契約者達も、国家の英雄として招待されていた。
「どうしてって……。俺はただ、島の人達が平和に暮らせるようになればと思って戦った訳であって、別に英雄になりたかった訳じゃないしなぁ」
「エースさんは、慎み深いんですね」
「違いますよ、鈴音さん。エースはただ単に、そんな時間があるなら、その分研究をしたいだけなんです。ねぇ、エース?」
「ま、それもある」
「まぁ」
鈴音は、コロコロと笑った。
この後エースは、生涯かけて村の生態系を研究し続けた。
作三達からは植物や生薬の知識を、そして孫兵衛からは動物の知識を学び、その知識を更に研究で深めていった。
エースはそれらの成果を論文にまとめると共に、データベース化し、発表。そのほとんどが新種だった事から、大きな話題となった。
のち、エースの調査結果を元に新薬が幾つも開発され、多くの人の命を救う事になる。
こうしてエースの名は、四州の医学・薬学・博物学の父として、広く知られる事になるのである。
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