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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア

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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア
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リアクション


●awaking

 ひとくちに千年というが、それは長い長い、それこそ、不老種族であっても飽くほどに長いと感じるほどの年月だ。
 千年、その期間でどれほどの事件や変動があったか、社会は姿を変容させたか、そのことをここで挙げるのは、本旨ではないゆえ避けておく。
 思った以上に変わったと同時に、思った以上に変わっていない……そうしたある意味矛盾したものが未来であると、書くにとどめておきたい。
 2024年から数えてほぼ千年後のある日の午後、早川 呼雪(はやかわ・こゆき)の瞼は、風に吹かれた綿毛のように震えた。
 そしてゆっくりと、開いたのである。
 ――清しい音を聞いた。
 それは呼雪が、まずはじめに思ったこと。
 夢だったのだろうか。
 周囲は寂滅として物音はない。強いて言えば空気が流れる、さあっという音がかすかに耳朶を撫でるだけだ。
 このとき呼雪の胸にあったのは、蝶に羽化せんとする蛹のような気分であった。
 新たな何かに出逢える予感。
 視界は真っ白だ。それはすぐに天蓋であるとわかった。
 手で押すと、音もなく天蓋は開いた。
 カーテンの隙間から、朝の光が射し込んでいる。
 すっと伸びをして、呼雪は寝台から滑り降りた。白い繭状のカプセルだ。
「どれくらい眠っていたんだろう」
 呼雪の身にふりかかったものは、呪いだろうか。
 それとも祝福か。
 その両方か。
 呼雪は吸血鬼化し、さらに魔力の花の苗床になったことで不老不死の身となった。しかしそれは、長い眠りと短い目覚めを繰り返す、夢と現世(うつしよ)を行き来するような不死であった。
 眠りは、長ければ十年近くなる。目覚めすなわち間欠期はせいぜい数週間から三ヶ月といったところで、この間は普通に暮らせるものの、ある日ふっと、糸が切れた操り人形のように眠りに落ちてしまう。そうすればそこから何年も目覚めることはないのだ。
 最短で半年ということが一度だけあったが、平均して六、七年は眠っていることが多い。最大で五十年近く寝ていたこともあったという。
 呼雪はいつしか伝説的存在になっていた。眠っている間は夢を見なければ一瞬にして過ぎ去ってしまうため、目覚めるたび浦島太郎状態となるが、なぜか世の異変を予知して目覚め、解決に助力することがしばしばあったのである。
 呼雪は立ち上がって窓のカーテンを開けた。
 見える風景はさほど変化がない。どうやら以前と同じで、タシガン空峡の小さな島での生活が続いているらしい。
 呼雪の認識では、ここは洋館の一室だ。といっても、巨木に包まれ一体化したような奇妙な洋館だが。
 昔は樹の下に家があったが、世界樹の苗木が成長したものに飲まれてしまい、いつしか樹と館の区別がなくなってしまったということである。
「おはよう、呼雪」
 ドアが音もなく開いて、神官服を着たヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)が入ってきた。以前呼雪が会ったとき、彼は主にネフェルティティ派の神官として活動していた。服装からして、その状況には変化がないらしい。
 ヘルは胸が詰まったかのように、しばし呼雪の姿を見つめていたが、
「もう十年だよ……」
 と囁くように言って、その体を抱きしめた。
「そうか、十年……」
 比較的長い眠りだったようだ。
 ごめん、と言うべきだろうか。
 それとも、待たせたね――?
 どう声をかけるべきか迷って、呼雪はただ、ヘルの背中に手を回した。
 ヘルの肩が震えていた。
 吸血鬼であろうと流れる時間の長さは同じだ。
 十年、決して短い時間ではなかっただろう。
 やがて身を離すと、ベッドサイドに腰掛けてヘルは、今回の十年について簡単に語った。やはり今でも、ヘルはフェルティティ派の神官を続けているということだ。彼女の意向を汲み、シャンバラや世界の自然保護のために尽力しているという。また、果樹園などを中心とした島の産業も管理しており、十年間で業績は倍以上になったと言って笑った。
 ヘルの立場はもはや、長老(容姿は若いままなので、この表現はなんとも奇妙だが)の域に達しており、彼の発言はときとして、ニュースとして報道されるほどだ。
 このように、ほぼ四六時中『公人』として行動することを強いられているものの、ヘルにはその役目を休む例外の期間がある。
 それは呼雪が目を覚ましたときだ。呼雪が覚醒している短い間だけは、ヘルは任を解かれ、呼雪と一緒に色々なところを旅している。
「今回は長かったからね、ずいぶん待ち遠しい思いをしたものさ。もう三年ほど前からずっと旅に出る準備はできてるし、行き先の目星も付けてるんだ」
「それは楽しみだ」
 呼雪からすれば、前の旅の記憶はつい昨日のことなのだが、それでも喜んでもらえることは嬉しく、また、新たな旅立ちは楽しみでもあった。
「あ、でも……」
 くすぐったいような表情をして呼雪は言った。
「お腹が空いたな」
 それを裏付けるかのように、呼雪のお腹は不服の声を洩らしたのである。
「おっと、ごめんごめん。先にご飯だね。すぐ用意するから」
 ふたりは身支度を終え、樹上のテラスに上がった。
 いい天気だ。吹く風は涼しく、細胞のひとつひとつにその清涼さがしみこんでくるように感じる。
「お帰りなさいませ」
 前回の目覚め、いや、前々回……もっともっと前のときと同じように、使用人たちが一斉に声を上げた。
 かしずく使用人の数は膨大で、そのほとんどが呼雪にとっては見覚えのない新顔だった。いずれも見目麗しい美少年ばかりなのは、きっとヘルの趣味なのだろう。
 このとき呼雪が述べる言葉は、ここ三百年ほど変わっていない。
「みんな、楽にしてよ。それに、楽しんで。パーティのようなものだと思ってくれればいいから」
 このとき太陽が一瞬陰った。
 大きな黒い皮革の翼が、呼雪の頭上を横切ったのである。
「あ、ご飯中だ〜。美味しそうだなぁ〜」
 その朗らかな声を聞いて、呼雪はたちまち笑顔になる。
 ファル・サラーム(ふぁる・さらーむ)、エルダードラゴン。
 かつての小さなドラゴニュートではない。小山のような成竜だ。精悍な顔つきで、開いた口には剣のような歯と牙が光っていた。
 ファルは長く、『女王の絶対なる盾の騎士』として忠勤に励んだが、やがてゴーレムに乗れないサイズにまで成長したころに退役を選んだ。それからはネフェルティティを奉る大きな神殿の側に住み、守護竜然としているという。
 普段は威厳のある口調で話すようになったそうだがが、呼雪やヘルの前では子ども時代の口調に戻るらしい。
「よく来たね! ファル!」
 ヘルは竜に手を振った。
「そしてようこそ! ネフェルティティちゃん!」
「ネフェルティティ様もいらして下さったのですか?」
 はっとなって呼雪は直立する。
 その通り、彼女は来ている。
 竜の背には、ネフェルティティ・シュヴァーラ(ねふぇるてぃてぃ・しゅう゛ぁーら)の姿があった。 ファルに導かれ、ネフェルティティはテラスに滑り降りた。
「お久しぶりです。といっても、前に会ったのはあなたにとって、ほんの数週間前のことでしょうか?」
 慈愛の微笑みをネフェルティティは浮かべていた。枯れた木ですら芽吹きそうなその笑み……!
「お元気そうでなによりです」
 呼雪は自然とひざまづき頭を垂れていた。しかし、
「よしましょう。そういった儀礼的なものは」
 ネフェルティティはみずから、手をさしのべて呼雪を立たせたのである。
 ネフェルティティはすでに退位し、シャンバラの自然を司る神に戻っていた。その後、目覚めるたびに彼女とは幾度もの交流をもち、(呼雪にとっては畏れ多いことながら)彼らは良き友人同士となっている。
 彼女は、ヘルから一報を受けて駆けつけたのだという。
「また旅行に出られるとうかがっております……今回はご一緒させてもらおうかと」
「そんな勿体ない……! でも、光栄です」
 呼雪の頬は熱くなった。このとき、
「そして、一緒に行きたいという者があとひとり」
 ネフェルティティは振り返り、一人の少女を差し招いたのである。
 それはファルが連れてきたもうひとりの人物。
ミライ!
 思わず呼雪は声を上げていた。
 創造主の核から救われ、呼雪の新しい、そして今のところ最後のパートナーとなったあのミライだ。
 ミライはネフェルティティの長衣の裾に隠れるようにして、はにかんだ様子で呼雪を見ている。
 契約したとき、少女は赤子の姿だった。
 不安も不足も感じずに、すやすやと眠る嬰児、それが呼雪の慈愛によって、これほどの姿へと成長を遂げたのである。
 といっても呼雪は数年ごとに短期間しか会えないため、ミライの養育はヘルが主に担当した。ミライの成長を見るのがこのところの呼雪の楽しみであった。
「ひどくゆっくりとした成長だったけどね、人間でいう六歳程度に育ったんで、この数年はネフェルティティちゃんとのところで預ってもらって、巫女の見習いのようなことをしているよ」
 ヘルはそう語って、ミライの背に手を添えた。
「さあ、呼雪に話してご覧。この十年、どうしていたか。何を学んだか……」
「うん……」
 ミライは呼雪を見上げた。
 そしておずおずと、緊張を隠さずに、それでいて清らかな声で語りはじめたのである。
 ――この声だったのか。
 呼雪は気がついた。
 夢の中で予感した、清しい音の正体を。