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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第1話/全3話)

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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第1話/全3話)

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●まだまだ苦労話大会!

 それにしても皆、色んな苦労してんのねぇ――というのは師王 アスカ(しおう・あすか)の偽らざる感想だ。
 本日、アスカはアルセーネらにマホロバの奥地の風景について聞こうと思っていたのだが、そのタイミングはなさそうだ。まあそれならそれでいい。人々の苦労話を聞くのも、抽象画の参考にはなるだろう。
 那由他の話を聞きたい、とアスカは身を乗り出した。
「那由他ちゃんは……その、例の夢って思い出せないんだよね?」
「ええ……まったくといっていいほど……。悪い夢を見ていた、ってイメージはあるんだけど」
「でも、こういった夢の内容は人の深層心理に繋がってるから、思い出して今の自分自身の分析するのも楽になるものよぉ」
 どうかなあ、と首をかしげる那由他に、さらにアスカは言うのである。
「そんなあなたに、ここで秘密兵器〜♪ じゃじゃ〜ん、懐中時計〜!」
 取り出したのは、くすんだ金色の懐中時計だった。同じ色の鎖がついている。
「動きをよ〜く見てみて〜? そう、催眠術よぉ♪ え? 何でこんなことできるか、って??……内緒☆ 那由他ちゃんって純粋そうだから催眠の夢療法とか効きそうなのよねぇ」
 と言うアスカに、「待って待って」と那由他は言った。
「催眠術って私苦手なんだ……」
「まぁまぁ騙されたと思ってやってみてよ〜リラックスリラックス♪」
「信用しないわけじゃないんだけど……やっぱりごめん!」
 彼女は頭を下げるのである。
「私の記憶がほとんどない、っていうのはつまり、私にとっては思い出さないほうがいい夢なんだと思うの」
「……そうなの? でも、知りたいとは思わない?」
「そりゃあ、知りたいとまったく思わないわけではないけれど……でもどうしても、これだけは勘弁して……悪い予感がするから」
 やめておきたい、と那由他は強固に断るのだ。
 なんだ――アスカには残念な気持ちもあった。せっかく那由他の夢について聞き出せたとしたら、その夢の内容から抽象画のヒントが見つかるかもしれないと思っていたのだが。
 しかし無理強いはできないし、無理をしても那由他には催眠術はかからないだろう。
 とりあえずこのアイデアは引っ込めることにする。

「お、やってるやってる♪」
 琳 鳳明(りん・ほうめい)が、ひょいとカフェテラスに顔を出した。鳳明一人ではない、パートナーのセラフィーナ・メルファ(せらふぃーな・めるふぁ)も一緒だ。しかも鳳明は、今やすっかり親友のユマ・ユウヅキの手を引いている。なお三人とも私服だ。
「ちょっと蒼学に遊びに来ただけだったけど、苦労話大会があるって聞いては見逃せない……いや、聴き逃せないからね!」
 鳳明はユマに言った。
「苦労話って要はその人のそれまでの経験談だからさ、聞いてるだけでその人がそれまでどんな出来事に出会ったかとか、どう思って行動したかとかが判るんだ。ユマさんって、まだ他人と接する経験が足りない気がするから、この機会に色んな人の話を聞いて手っ取り早く経験値稼いじゃおうっ!」
「何事も経験……ですか?」
「わかってるじゃない。さぁさぁ、善は急げ!」
「あのあたりが空いていますよ」
 セラフィーナが誘導するかたちで、まるで連なる一連の花、鳳明・セラフィーナ・ユマの順で腰を下ろしたのである。
 しばらくは三人して話を聞いていたが、
「どうぞ」
 と夢悠から鳳明にマイクが手渡された。
「私?」
 鳳明は多少戸惑ったが、
「是非お聞きしたいです。私も」
 とユマに言われては断れない。それではお恥ずかしながら、と立ち上がって言った。
「えっと、シャンバラ教導団の琳鳳明だよ。よろしく」
 今日は話を聞くだけのつもりできたので、自分が話すことになるとは思っていなかった。なので多少緊張しつつ切り出した。
「私って教導団に入る前はお爺ちゃんと一緒に農家してたんだ。だからお爺ちゃんに恩貸し! って思い切って教導団に入ったはいいけど……もう何から何まで初体験で」
 スパルタ式で有名な教導団である。それはそれは厳しい日々が待ち受けていた。
「学もないからいきなり戦闘科で訓練だよっ? 一応拳法習ってたから体は鍛えてたけど……大変だったよ。20kgの装備背負って100km歩き通したり。上司や先輩から仕事押し付けられたり……」
 隣のセラフィーナがなにやらニヤリとしているので、彼女の片手を持ちあげて鳳明は続ける。
「彼女がパートナーのセラフィーナ、略してセラさん。あ、セラさんってば要領いいから事務方でも余計なお仕事避けてすぐ帰っちゃうんだよ!? 何で戦闘科の私が事務処理まで……」
 異議あり、とばかりにセラフィーナが合いの手を入れる。
「ふふ、それはただ単に鳳明が出された仕事を全て引き受けるのが悪いんですよ?」
「だって仕事が、捨てられた子犬みたいな目をしてこっちを見てるんだよー! いや、これは喩え話だけどさ、担当者が気の毒でつい……」
 話し始めるまでは、なにを言ったものだろうと思っていた鳳明なのに、一度口火を切るや言葉が止まらない。どうやら溜めに溜めていたものが湧き出したようだ。次から次へと思い出が飛び出してくる。もちろん『苦労話』という括りがあるから、どうしても辛い経験ばかりとなるのであるが、それを陰気にならずカラっと笑い話として話せるのは鳳明らしさだろう。何度もどっと会場を沸かせた。
 さてこのとき、
「あれは鳳明に……ユマ!?」
 彼女たちの姿に気づいて、凍り付いく姿があった。
 天御柱学院の制服姿、黄金色の瞳に黒い髪の青年、彼こそは柊 真司(ひいらぎ・しんじ)だ。
 ――この可能性はさすがに想定していなかった。
 不意打ちを受けた気分だ。
「くっ嵌められた……」
 真司は絶句してしまう。
 本日彼はそのパートナーリーラ・タイルヒュン(りーら・たいるひゅん)に、「とりあえず一緒に来なさい」と引っ張られるようにして外出を強要された。抗議するも問答無用といった感じで、蒼空学園まで連れてこられたのである。
「那由他の様子が変だっていうから、アルセーネたちと一緒に苦労話でもしあって元気づけるつもりなのよ」
 ようやくリーラは理由を明かしたが、それなら最初からそう言えば済むだけの話なのである。無理やり連れて来なくても真司は自分から行くつもりだったのだから。
 学食(カフェテリア)で苦労話大会みたいなものが開催されている、とキャッチしたのでリーラともども来てみれば、これだ。
「聞いてないぞ、リーラ!」
「そりゃあ秘密にしてたんだもの。ところで何か不都合でも? 鳳明がいると困る?」
「鳳明はいい。驚いたが、困ったわけではない」
「じゃあもしかして……」わかっているのにリーラはわざと、しらばっくれて言った。「ユマがいると困るわけ〜?」
「こ、困るなんて言ってないだろ! ただもう少し心の準備が……
「何よ小声でごちゃごちゃと。鳳明はね、『ユマに人と接するきっかけを作ろう』って、今日のことを私にもちかけてきたの。それが何か悪いのかしら〜?」
「悪いはずないだろ。鳳明の言うように、他人と接する経験が足りないユマが色んな人の話を聞いて手っ取り早く経験を積むのは俺も賛成だし……」
「何もっともらしいこと言ってるの〜? 素直に『ユマと会えて嬉しい』って言ったら?」
 弱点をつかれたかのように、真司はいくらか紅潮するも、もう問答は打ち切ることにしたようだ。彼はつかつかと歩み、ユマの隣に腰を下ろした。
「柊さん……」ユマも、真司が来ることは聞いていなかったようで目を丸くしていた。
「ご無沙汰している……」真司は軽く頭を下げた。
 かくて彼は小声で、ユマと挨拶を交わし合った。話者の鳳明を邪魔しないようにするため、自然、二人はお互いの息がかかるほどに顔を近づけ合っている。
 ユマは、いい香りがした。
 ほどなくして鳳明の話が、喝采を持って締めくくられたのである。
「え、次って私〜?」
 鳳明からマイクを受け取り、リーラは意外そうに言う。
「うん。偶然こうして柊真司さんとユマが出逢えた奇縁を祝して、ってことで」
「そうそう、偶然グーゼン」
 もちろん偶然なんてことはなく、鳳明の『偶然』は実に嘘っぽい響きがあったわけだが気にしない気にしない。
 所属と名を告げた上で、リーラはマイクをしっかりと握った。
「苦労話ね〜。私の場合は真司が堅物な所かしらね。だって私の日々の楽しみであるお酒を一日たったの500ml迄にしろとか言うのよ〜。酷いと思わない?」
 ユマのうなじをなんとなく眺めていた真司であるが、この発言には驚いて声を上げた。
「だってリーラ。お前制限しないと軽く10リットルは飲むだろう? お前に悪くするような肝臓なんてないかもしれないけど、日々の家計を考えろ」
 どっと会場が沸いた。リーラは「ふーん」と半目でニヤニヤ笑いをすると、
「はいっ! 次、真司の番。エントリーナンバー5255番、天御柱学院の柊真司にどうか盛大な拍手を〜」
 などと言ってマイクを彼に投げ渡した。
「な……俺か!?」
 こうなったら話すしかない。真司は覚悟を決めた。
「苦労話か……ウチには極度の方向オンチが居てな。ほぼ毎日迷子になっては迎えの呼び出しが来るんだ。最近さらに一人増えてな迎えに行くのも大変だ」
 言いながらなんとも落ち着かず、変な汗をいっぱいかいてしまう真司なのである。
 けれど救いがないわけではなかった。
 ユマがずっと、自分を見上げて話を聴いてくれているのだから。