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リアクション
鏡の国の戦争 12
黒い大樹の近くは、中途半端に残っている建物と、地面の中に納まりきらない大樹の根で視界が悪く、さらに隆起した根によって地面にできた亀裂は、どこも底が見えないほどに深い。
攻め込むには難が多い地形だったが、ダエーヴァにとって守りやすいかといえばそういうことでもなかったらしく、防衛の展開はそこまで速くは無かった。出撃地点が幹の近くになる事ができた部隊は、かなり早い段階で幹に取り付く事ができていた。
セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)を含む部隊は、初期の状況はそういった比較的運のよかった部隊の一つだった。
出迎えにきた僅かなゴブリンの部隊を早々に片付け、部隊の行動は目標の大樹への攻撃に切り替わった。
「見た目ほど、頑丈ってわけじゃないな」
月崎 羽純(つきざき・はすみ)は、大樹は中までぎっしり詰まっているのではなく、内部には多くの空洞や、取り込んだ建物が比較的原型を留めたまま存在している事を突き止めた。
「中に空洞か、世界樹みたいね」
「じゃあ、これってダエーヴァの世界樹なの?」
遠野 歌菜(とおの・かな)が大樹に手を触れてみると、思っていたより冷たかった。
イルミンスールの生徒は世界樹の馴染み深い。自分で口にした疑問だったが、歌菜はこれはそういったものではないかもしれない、とすぐに感じ取った。似ているのは、大きさと見た目ぐらいだ。
「違うんじゃないか?」
「……うん、違うね」
セレンフィリティは二人の言葉を、ひとまず頭の隅に残しておいた。黒い大樹がどんなものなのか、は大事な問題だ。
攻撃を加えると、国連兵の持つロケットランチャーでも容易に外皮を破壊する事ができた。そうしてできた穴から、部隊は内部に突入した。大樹はあまりにも大きすぎるので、深い所にダメージを与えるのなら中に入らなければならないからだ。
中は取り込まれた建物と、利便性を全く感じさせない複雑怪奇な空洞のあり方によって、迷いやすく、またどこに繋がってない通路があるなどややこしい。
「身動きがとりづらいのは、どっちも一緒ね」
先導するセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は、黒い大樹中に居るゴブリンとのほとんどを、戦闘に発展させないまま切り抜けていった。気づかれないように眠せ、敵が通り過ぎるまで行き止まりでやり過ごした。
狭く複雑な大樹の内部では、数の多さを利用した戦いや動きは難しい。内部へ進みながら、羽純は途中途中に機晶爆弾を丁寧に設置した。セレンフィリティはサンプルとして大樹の一部を回収したり、内部構造の記録を行った。爆弾を設置しても、小さな刃物で傷を与えても、黒い大樹は特にこれといった反応を示す事はなく、セレアナも「意思のようなものは感じない」と確信できるものではないと付け加えつつ感想を述べた。
現状では、黒い大樹は植物に近い何か、といったところだろうか。葉は無いし、傷をつけても、切り取ったサンプルも水気はほとんどなく水を吸い上げている様子もない為、生物としての植物とは距離を置くが、意思表示も反応もしないが間違いなく生きているという意味では植物のようでもある。
「あっ」
気の抜けた声を零したのは、何かにぶつかって尻餅をついたセレアナではなく、ぶつかった相手だった。
「ごめんごめん、余所見してたから」
そういってザリスはセレアナに手を伸ばし、伸ばされた手を握り返されない事と、そもそも何でこんな場所に人が居るんだろう、という初歩的な疑問と、そういえばなんか敵襲とか騒いでたっけ、という記憶が彼の中で結びついた。
「わお、早いな。もうこんな所まで来てたんだ。さっすが」
一方のセレアナの混乱も、ザリスが事情を把握するのにかかった時間と同じぐらいの速さで落ち着いた。それどころか、先ほどの不可解な事実に疑問を持つぐらいの冷静さを取り戻した。
ザリスの接近に気づけなかったのは、御覧の通りに目の前の相手に危機感も何も無かったからだ。それはいい。問題は、セレアナがぶつかったのは、胸板でもなければ背中でもなく、左肩と腕だったからだ。そして、通路を曲がる前に確認した時は、当然何も居なかった。
このザリスという怪物が、超高速のサイドステップを普段の移動に取り入れているのでなければ、他の怪物や自分達のように通路に沿って移動するのではなく、大樹の壁を自由自在に通り過ぎる事ができるという事だ。
「君達は、お茶をしにきたわけではなさそうだし、遊んでいってくれるんだよね」
ザリスは背中に手を伸ばす。
「こっちよ」
「うん?」
声で注意をひきつけたセレアナは、光術で眩い光を放った。
光の中で、金属がぶつかような音や足音や銃声、そういったものが、一斉に合唱を始めた。それも、光が収まると嘘であったかのように静かになる。
「ひとつ、ふたつ、みっつ、三人か」
ザリスは残った人数を数える。残っていたのは、セレアナ、歌菜と羽純の三人だった。
「あら、行かなかったの?」
セレアナは場所が悪く逃走を果たすには無理があったので、仲間の撤退を支援したつもりだった。セレンフィリティは素直に意思を汲んで撤退したし、一緒の国連兵もそれに続いている。
「仲間を置き去りにして、爆弾のスイッチを押す役はちょっとな」
「一人より二人、二人より三人だよ!」
道を塞いで、果たして目の前のザリスに意味があるのか。その疑問を持てるのは、現状セレアナだけだった。情報の共有は大事だが、士気を下げかねない事をわざわざ言う必要もないのでセレアナは「そうね」と頷いた。
「もう一つ、有利なポイントがあるわ。私達はいくらでも暴れられるけど、あっちはこの中を傷つけるわけにはいかないもの」
三人の対し、ザリスは手にとった銃剣をすぐには構えず、一度マガジンを取り出し中身を確認し、先につけた刃物を閉め直すなど、敵を目の前にしているとは思えないのんびりさで準備を行っていた。
「背中を撃つのは慣れてないから、残ってくれる人が居てよかったよ。そっちも覚悟はできたみたいだし、そろそろやろっか?」
マリー・ランカスター(まりー・らんかすたー)と蘆屋 道満(あしや・どうまん)と、源 鉄心(みなもと・てっしん)とティー・ティー(てぃー・てぃー)とイコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)とスープ・ストーン(すーぷ・すとーん)達は、大樹に突き刺さるようにして取り込まれていたビルの窓から、大樹の中に侵入した。
取り込まれた建物は、水平に地面から剥ぎ取られるような丁寧な仕事はされておらず、斜めならまだいい方で、上下反転していたり、横になったりなど様々だ。
これにはダエーヴァ達も困っていたようで、少しでも使いやすくなるよう補修やドアの増設などの手入れのあとが見てとれる。手入れのあとは、見方によってはそこが使われているかいないかの判断の基準でもあった。
上下が反対になったマンションの廊下は水平に近く、扉の前には雑な作りだが階段が用意されて、何とか部屋に入る事ができそうだった。
間違いなく、使われている部屋だとマリーは判断した。
雑な階段は脆く、大人数が乗れる耐久力もスペースも無かったので、まず最初にマリーと道満が飛び込む事にした。それに、飛び込もうと思えばこれぐらいの高さなら何とかなる。
鍵はかかっておらず、内部からは足音がいくつか聞こえてきていた。何かが居るのは確かだ。
扉を壊しかねない勢いで一気に飛び込む。部屋の入り口付近にゴブリンが一体、奥にはテーブルに腰を降ろして、雑誌を眺める人間の男が一人。
「雑魚は任せましたよ」
「……フッ」
道満は弓を引かず、矢を手にしてゴブリンに肉薄すると、首筋に矢を突き立てた。声をあげる間もなく、ゴブリンは絶命する。
マリーは崩れ落ちるゴブリンの横をすり抜け、人間に向かって間合いを詰める。
人間はゴブリンが完全に倒れた頃にやっとマリーの方へ顔を向けた。
普通の人間の反応速度、いや、普通の人間よりも若干遅いだろうか。マリーから見れば、この人間が、南坂光太郎が、どのような立場であるのかはわからない。わからないが、ダエーヴァの本拠地で、ゴブリンが大した武装もせずに待機している相手が、どちら側の立場であるかなど判断するのは簡単だ。
「暴れなければ、痛いなんて思う暇はありませんぞ」
口に中に放り込んでいたブレスオブアイシクルによる凍てつく息を光太郎に向かって放った。光太郎は間の抜けた顔で見返しているだけだったが、隣の部屋から飛び出してきた白い獣が、光太郎を抱えて息の効果範囲から素早く回避した。
「ちっ」
白い獣、純白のワーウルフはあからさまな舌打ちすると、光太郎を抱えていた手を離した。けつから地面に落とされた光太郎は、「いっ」と零していた。
「護衛でありますか」
その割には、あまり大事に扱われてはいないようだ。
「であれば益々、そこの人間のお話を聞いておきたいでありますぞ」
ワーウルフは油断の無い目つきで、部屋を見回していた。このワーウルフ以外には、もうこの部屋に残っているダエーヴァの姿は無い。
「どうした、何があった?」
そうしているうちに、鉄心達も部屋に乗り込んでくる。
勝ち目は無い、そう判断したワーウルフは壁に向かって両の爪を振るった。紙でできていたかのように、壁が簡単に破れて隣の部屋と繋がった。
「俺の部屋が」
光太郎はそんな言葉を漏らす。そんな光太郎の首根っこを掴み、ワーウルフは穴を素早く潜って逃走しようとする。
「逃がしませんぞ!」
当然追おうとしたマリーは、足に引っ張られるような違和感を感じて動きを止めた。狭い部屋の中、マリーが動かなければあとが詰まってしまう。
見れば、地面から生えた手がマリーの足を掴んでいる。
凄い力の腕らしく、引っ張っても離してくれない。
「中にもう進入されちゃったから、もしかしたらと思ったんだけど―――あ、狭い」
ごつ、と何かがぶつかる音がして、僅かな沈黙。それから手が離されると、樹木で埋まっていた窓からひょっこり鎧の頭が出てきた。
「失敗失敗、さすがにその隙間じゃ手が限界だったよ」
樹木で埋まってるはずの窓を乗り越えるようにして現れたのは、司令級の一人ザリスである。改めてマリーの足元を見ると、床の一部が避けていて、そこを樹木が埋めていた。
「さっきの人間は、何だ?」
「僕のパートナーだよ。パートナーに何かあると、大変なんでしょ? いやぁ、ぎりぎり危なかったな。あの子もあとでちゃんと褒めてあげないと、そうだな、言葉を使えるようにして、あとはどこを強化してあげようか。ワーウルフってどこを強化したらパワーアップできるかな?」
「知るかよっ!」
鉄心はポイントシフトでザリスとの間合いを詰める。
その手には、武器形態でナイフとなっているスープ・ストーン。大きく間合いを離す事のできない狭い室内での取り回しで、ナイフに勝てるものは少ない。
「僕達はあまり資源を馬鹿使いできないから、相談したんだけどなぁ」
ぼやきながらも、ザリスは鉄心との超接近戦と渡り合う。空間が狭く限定されているせいで、周囲の味方も割り込む隙間が無い。
「電撃か、厄介だな。鎧も意味ないし」
ザリスは刃を手甲でそらすたびに、青い電光が走る。口では嫌がっているが、スープが纏っている電撃だけでは打点が足りない。鎧が、ザリス本体への電撃をいくらか奪っていってしまうのだ。
戦いながら、ザリスは片足で部屋の中央に陣取っていた大きなテーブルを蹴り上げた。当然鉄心に対して意味はなく、後ろのマリー達も回避して攻撃としての意味は全く無かった。
「人の戦いの基本は呼吸だ。どんな達人でも、呼吸無くしては戦えない。呼吸は、その人のリズムを教えてくれる」
鉄心の攻撃をなめるようにすり抜けて、ザリスの掌が鉄心の中心を捉える。一つ分の呼吸の間を持って、衝撃が走り鉄心は後ろに吹き飛んだ。
空中で体を捻り、鉄心は足から着地する。
思ったよりも、ダメージは少ない。
「……お前らは何者だ。滅びの先を約束されてでも居るのか?」
今の一撃は、壊そうと思えばもっと威力を込められたものだったが、ザリスはそれを間合いを、仕切りなおしのために利用した。それと同時に、この個体は確認されている武器を持っていないタイプであると確信した。
「むしろ僕の方が聞きたいよ。再生が約束された滅びを、どうしてそこまで嫌うんだい?」
「その再生とやらは……今の全部を壊すほどの価値があるのか?」
「あー、これは交渉じゃどうにもなりそうにないね。そだね、一応言わせてもらえば、今なんて無価値だよ。そして、再生した新しい世界だってやっぱり価値はないよ」
「それはお前の中だけの話だ!」
「その通りだ、反論の余地も無いね。さて、せっかくスペースを広く取ったんだ。後ろで見てるだけじゃ、つまらないよね?」
先ほど鉄心がしてみせたみたいに、ザリスはマリーとの間合いを一瞬で詰める。咄嗟に防御をするのが、マリーの精一杯だった。ガードの上からでも体の芯から痺れるような一撃は、軽々とマリーの体を持ち上げ、背中を壁に強打。壁には穴が空き、マリーはそのままログアウトした。マリーに僅かに視線を向けてしまった道満の腕を取り、一旦床に叩き付けたのちにマリーと同じ場所に向かって投げつけ、穴を一回り成長させる。
「あ、あー、うん、光太郎にはあとで新しい部屋を用意しよう、うん」
相変わらずザリスの口から漏れる言葉には、やる気や緊迫感は感じられない。だが、動きにはそんな怠惰な部分は見受けられない。
鉄心は僅かに相手の評価を修正した。ふざけているように見えるし、実際に言葉にはそういった意味合いも含まれているのだろうが、これは手加減ではなく、その状態で自身の最高のパフォーマンスを引き出せているのだ。
逆に考えれば、ザリスがこんな態度をとり続ける限り、そのパフォーマンスは一定に保たれているという事である。そしてその上限は、先ほどのやりとりで鉄心におおよその目星がついていた。
今のままやりあえば勝機は見えない。だが、僅かな間でもそれを上回れれば、そしてその間に必死の一撃を叩き込めれば―――勝機は十分にある。
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