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リアクション
第五章 美術室と校長室に溢れる愛情(但し、鞭含む)。
「新入生のみなさん、こちらが美術室で〜す♪
美術室を案内するのは、わたし芦原 郁乃(あはら・いくの)です。よろしくっ!
決して新入生でも、中学生の飛び込みでもないですよぉ? ちっちゃいからってバカにしないでね!」
自己紹介と案内を兼ねて、郁乃が胸を張った。隣で秋月 桃花(あきづき・とうか)が「はじめまして、アシスタントの秋月桃花です。今後よろしくお願いいたします」と丁寧に頭を下げる。それに倣って、郁乃も一礼した。
「じゃあ、説明しますね!
美術室ではみなさんの生活の記録や思い出、その他もろもろを残すことができま〜す! たくさんの画家さんがいらっしゃるんですよぉ。
いろんな画風の方がいますから、いろいろ覗いてみるといいですよぉ」
様々なキャンバスに描かれた、少女、少年、あるいは成人した男女の姿。最近の絵を見ていくと、どうも水着姿が多く、男子新入生は目のやり場に困っているようだった。
他にも、楽しそうに笑っていたり、痛々しくも戦う姿だったり、様々なものがある。
どの絵柄が好きか、眺めていく新入生の背に、
「説明の補足をいたしますね」
桃花が声をかける。
「美術室ではいろいろな思い出や、今の自分の姿を残すことができるということは郁乃様の話の通りです。
ですが依頼する先生によって、完成までの製作期間や内容、価格が違いますので、その点については事前にご確認くださいね。
また、注文すると決めてから内容を用紙に記入するまでに時間がかかり過ぎると、注文ができなくなるのでその点もお気をつけください。しっかりとイメージを固めておくことが大事、ということですね。
美術室に寄ることは、必須事項ではございません。けれど、一度はご利用されることをお勧めします。思い出は宝物ですし、ね」
郁乃が桃花を見ると、桃花も郁乃を見ていた。目が合ったことと、お互いがお互いを見ていたことに照れくさそうに笑んだ後、
「じゃあ、説明は終わり! スタンプ捺すからみんな集まってー!」
スタンプを手にしようとして、
「あれ?」
判と朱肉がないことに気付いた。
「新入生のみんなー、スタンプはここだよー!」
あれ、あれ? と郁乃が困惑する中、ロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)の声が美術室に響き渡った。
声に反応して振り向く生徒の口からは、「ひっ」「きゃ……!」「うわぁ!」などと短く悲鳴が上がっている。中には、悲鳴すらも発せずに沈黙してしまう生徒まで居た。
スタンプを持っていたのは、エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)だ。ごくごく普通の、そう、多少目つきが悪くて悪人面をしているだけの、蒼空学園高等部所属生徒。
なのだが。
今日のエヴァルトはちょっと違う。
悪人面? 目つきが悪い? その通りだ。そこはいつもと同じだ。
何が違うかといえば、溢れだす気だ。
禍々しいなんてレベルではない。
「め、冥府の瘴気……?」
誰かがそう呟いた。「ほう」と、エヴァルトが感心したような声を上げ、笑った。悪役、という言葉しか似合わない、それはそれはワルい笑みだった。
「ご明答。さて、この瘴気に抗える新入生は何人いるかな?」
さらに後押しするように喉の奥でクツクツと笑い、スタンプの前に立ちはだかる。
「この先輩の威圧感に耐えて捺せた人には、イイコトあるかも?」
一方で、ロートラウトは天使のような笑みを浮かべていて、ああ、ある意味では飴と鞭だと、新入生は思ったという。
どうしてこうなった? と、茅薙 絢乃(かやなぎ・あやの)は頭の中で何度も自問自答を繰り返す。
「ええと、ええと……。寝坊して、急いで学校に行って、そのせいでケヴィンもウォレスも置いてきちゃって、だから私は一人でスタンプラリーに参加して……」
ぶつぶつと呟く。自身を落ちつけるための記憶の整理だ。
新入生ではなかったが、転入生としてスタンプラリーに参加した。参加者の証であるカードも持っている。お友達やお知り合い、もしかしたら運命の人にも会えるかも? とうきうき気分で始めた。
……まではよかったが、さすがに一人きりでは心細くなった。同時に浮かび上がった名案。
スタンプラリー参加者が全員完走を目指しているならば、チェックポイントで待っていればみんなの様子が見られるかもしれない、と。
思いついた時、絢乃は美術室の近くに居た。そしてできる限りのこと――ピッキングでドアを開け、隠れ身で己を隠し、さらにはトラッパーで小さな罠を仕掛けて――待機していた。
待機中には、
「俺は悪人面だし、新入生を怖がらせてはいかん。だからこれを作る」
と先輩が模型を組み立て始め、
「違うちがーう、腕はもっとこう、ガシャーンと変形するの!」
先輩のパートナーらしき女の子が、逐一プラモを手にして「ここが違う」「もっとこう!」と細かく指示を出していて。
ああ美術室ってこんなこともできるのかしら。え、できたかしら? と疑問に思ったりしていたら、また別の先輩方が入って来て、そして新入生もやって来て、説明を聞いて――いたら、最初に模型を作っていた先輩たちが、凶暴化したのだ。突然変異なのだ。絢乃にはそうとしか見えなかった。「ただスタンプを捺す係っていうのも癪だし……」という、先輩の声が聞こえたが、まさかそれだけの理由なのだろうか。わからない。
そして今、出るにも出られない、けれど逃げたくても逃げられないという、恐ろしい状態に居るのだった。余談だが、悲鳴はこらえたのではない。上げられなかっただけだ。失神しなかっただけ偉い、と自分を褒めてさえいる。いやいっそ失神した方が幸せだったのかもしれないと思いながら、
「たすけてぇー……」
小さく小さく、助けを求める。
だって今居る場所が、先輩――エヴァルトのほぼ真後ろにあたる場所で、それはそれは瘴気が恐ろしいことになっているのだ。
小刻みに震えていると、
「先輩方の愛の鞭、受けて立ちますのでメアド交換してください!」
美術室のドアが豪快に開いて、白銀 司がそう、大声で宣言していた。
「ほう……来い。メアドは考えてやらんこともない」
「ボクは構わないよー。おいでおいでー」
魔王と天使が、ニヤリ、ニコリ、と微笑んで。
司は一直線にスタンプまで進み――立ち止まる。進みたい、けれど進めない。足が竦んでいるのが、絢乃からよく見えた。
「その程度か?」
せせら笑うようなエヴァルトの声。いや本当、この先輩はどこの悪役かと思ってしまう。
「……っ、やってやんよー!」
挑発に、司が吠えた。止まっていた足が踏み出され、右手がスタンプに伸びる。
ぽん、と。
呆気なさすら感じるほどに、スタンプは捺されて。
「あれ?」
「え?」
ついでに絢乃も発見された。
「せ、セアトくん! こんなところに女の子が!」
「こんなトコとか言われても、俺はその先輩んトコに突っ込めるほど精神レベル高くねぇから無理。行けねー」
なんで見つかったのー、と戸惑うが、そりゃああれだけの緊張に晒されたらスキルの一つや二つ解けてしまうのだろうなと自己解釈しておいた。だとしたら、真後ろに潜む怪しい転入生をスルーしてくれたエヴァルトは、実はイイヒトなのではないかとも思う。
「あ、えーと。初めまして。私、転入生の茅薙絢乃。
よかったら、お友達になってくれない……かなぁ?」
そして、当初の目的通りに、声をかけるのだった。
*...***...*
笑い声や、驚きの声。時には悲鳴まで聞こえるなんて、外ではともかくさすがに学園内では珍しいことだった。
「……なんだ? 騒がしいな、今日は」
「新入生歓迎会でスタンプラリーをやっているそうよ」
斎藤 邦彦(さいとう・くにひこ)の呟きに、隣を歩いていたネル・マイヤーズ(ねる・まいやーず)が答える。
「ああ、なるほど。季節が過ぎていくのは早いね、まったく……」
がり、と頭を掻いて窓の外を見る。陽射しが強く、初夏のそれだ。少し前まで桜が咲いていたと思ったのに。
足音が聞こえて、窓の外にやっていた視線を廊下に戻す。と、同時に、
「あれ? 平日の午前中に公園でぼーっとしていたお兄さん……?」
「わたくしが思わず、駄目な大人と評してしまった人ですわ……」
シズルとレティーシアに言われて、『こんにちは』と言おうとして開いた口から「ぐっ」とくぐもった声が漏れた。
「シズルさん、知り合いですか?」
「レティーシア様! なんて失礼なことを……!」
灼那の疑問符混じりの声と、翔の慌てた声。それらに、「こんにちは。その辺をぶらぶらしていた一般生の斎藤です」自己紹介と、怒ってなさをアピールしておく。先輩としての気遣いだ。新人には親切にしておくべき、という社会人時代の考えが残っていたせいもある。
「私でよければ、今居る場所の説明でもしようか? つっても突然だから凝った紹介なんてできんがね」
「あら、駄目な大人に説明ができますの?」
「いやまぁ、否定はしないけどな。ずばずばと物事を真っ直ぐ言う娘さんだなぁ」
「仕事以外だと大抵だらけているからね。そういう目で見られるのは自業自得よ。
……まぁ、仕事の時はちゃんとしているから勘弁してあげて。想像つかないと思うけど」
ネルがフォローを入れる傍ら、それにしてもいつ見られていたのだろう、と邦彦は記憶を辿った。平日午前中に公園でぼーっとしていた? いつものことだから、わからない。わからないのなら考えるのを止めようと、この場所についての説明に移ることにした。
「さて。この場所……は、見ての通り校長室前の廊下だな。蒼空学園の中でも一番静かなんじゃないか? あと、他の階だと掃除のアラが目立つところもあるが、さすがに場所が場所だからかな、綺麗だ。
校長室は依頼を受けるためにも来るだろうし、頻繁に通う場所の近くが綺麗だと精神衛生上に良いかな。校長室のことは、今中に居る連中の方が詳しいだろ」
「ねぇ、ちょっと主観多すぎない?」
「こんな天気のいい日に真面目にするのもなぁ」
「天気とあなたの緩さは関係ないわよね」
ネルのツッコミも、のらりくらりと受け流し。
意外とわかりやすかったからだろうか、レティーシアが「ちょっとは出来る方ですのね」と認識を改めていた。それに対して、再び翔が「レティーシア様っ」と彼女の名前を呼んで、こちらに一礼してくる。
気にするなよ、とひらひらと片手を振って、そのまま指先を校長室に向けた。
「まぁ、ゆっくりしていきなよ。焦ることもないだろ?」
「そうさせてもらうわ。面白い案内をありがとう」
シズルが礼を言い、先導して校長室へと入室する。レティーシアと目が合って、軽く手を振ると、振り返された。
「なんだ、どこぞ貴族のお嬢さんだからって、手は振れるのな」
一人ごちるように呟いて、さて今日も公園へ行くかと邦彦は伸びをするのだった。
*...***...*
「まったく……いつの間に教職許可など取ったんですか……」
アシャンテ・グルームエッジ(あしゃんて・ぐるーむえっじ)が呆れたような声を出した。
その視線の矛先――ラズ・シュバイセン(らず・しゅばいせん)は、「いやぁ、はは」とお茶を濁すような曖昧な笑みを浮かべていて。
「でももう、環菜校長に許可ももらってるしね? これで晴れて科学技術教師になれたわけだよ」
「ですから。私はいつの間に、と言っているわけで――」
苦言を呈していた、その時。
校長室のドアが開く。
そこに居たのは、シズルとレティーシア、その後方に新入生がそれなりの人数と、在校生もそれなりに居て。
入室してきた新入生を見て、
「新入生のみなさん、ようこそ校長室へ。よろしければこちらをどうぞ」
人好きのする、柔和な笑みを浮かべた影野 陽太(かげの・ようた)が、自ら作って刷ってきたパンフレットをシズルたちに配って回った。
シズルが、興味深そうな顔でパンフレットを広げる。内容を読んでいるらしく、真剣な面持ちだ。
アシャンテも陽太が作ってきたパンフレットを見たが、新入生向けに作られたそれはとてもわかりやすく校長室に関する案内が書かれていて、それに加えて、
「それをもとに説明していきますね」
陽太が補足をしながら説明していくため、理解できない生徒はいないだろうと思われるほどのものになっていた。
「緊張する必要はないぞ、シズル」
少し身を固くしているシズルに、アシャンテは声をかける。シズルとは、空賊での一件からの知人である。アシャンテを見たシズルが、少し安心したような表情になる。やはり、校長室ともなれば多少緊張するのだろうな、と思って微笑んでやる。あまり笑うことには慣れていないが、上手く笑えたらしい。シズルも笑っていた。
緊張が解けたところを見計らって、陽太が口を開く。
「まず、校長室では様々な依頼を受けることができます。とはいえ、大きすぎる事件は校長室ではなく学校入口で受けることになっていますので、ご注意くださいね。
また、過ぎた事件の記録をまとめてくださる方が居まして、その記録の閲覧は誰にでもできます」
話を聞きながら、シズルがパンフレットをめくる。
と、気になる文面を見つけたらしく、「先輩」陽太に声をかけていた。
その文面は、
『先日、7月19日は校長先生の誕生日です。何かプレゼントを贈ってあげたら、とても喜ばれると思いますので、ぜひ御一考ください(この文章はご本人には内密でお願いします)』
陽太は「内密に」とでも言うように、人差し指を唇に持っていって苦笑にも似た表情をしていた。
「来年こそは、持ってきます」
シズルがそう目配せして、
「ありがとうございます。絶対、環菜会長喜びますよ」
陽太がそう返す。
アシャンテはプレゼントを用意しそこなってしまったわけだが、あんなに冷静で知的に見える御神楽 環菜が喜ぶ場面、を想像して、うまく想像できなくて、ああ、ならばなおさら見てみたい、と思い。
「私も次回は用意するように努める」
口に出していた。陽太が嬉しそうに微笑む。
本当に彼は、環菜が喜ぶことが好きだな、とこちらまで微笑ましい気分になったところで、
「じゃあ、来年こそは」
シズルが立ち去ろうとしていた。
その時、
「ちょっと待ちなさい」
今まで黙ってパソコンとにらめっこしていたいた環菜が口を開き、校長室から出ようとしていたシズルらは足を止める。
何を言われるのだろうか、と身構える、シズルたちが感じている緊張がこちらにも伝わってきていた。
そんな中、環菜は言葉の続きを発する。
「校長として、また生徒会長として――貴方達新入生を、歓迎するわ。楽しい学園生活を送りなさい」
「……はいっ、ありがとうございます!」
新入生らは環菜に一礼して。
「ちょっと怖そうに見えましたけれど、いい校長みたいですわね」
レティーシアがそう評したのに、こっそりアシャンテも頷くのだった。
「と、いうわけで自分もリミィ君も君たちと同じ新人だ。一緒に頑張って行こうね」
「I’m glad to meet you。皆様、これから宜しくお願い致します」
次に新入生が入ってきた時の対応は、ラズとシャルミエラ・ロビンス(しゃるみえら・ろびんす)が率先して行っていた。
ラズは新任の科学技術教師。その助教師として、シャルミエラも歓迎会で紹介はされていた。
アシャンテは「何を勝手に……」と呆れ返っていたけれど、実はひっそりと裏取引をしていた。もちろん、アシャンテには言っていない。
取引の内容。それは、ラズが教師として蒼空学園での立場をもらう代わりに、鏖殺寺院の技術研究者だったころの知識や技術、情報を提供すること。
まあいいでしょう、と環菜に言われ、教師という立場を得た。
だからなんだということもあるかもしれないけれど。
ラズとしては、アシャンテを近くで守り、支えたいと思っているから、同じ学校で、当り前のように一緒に居られることはとても大事なことだから。
新入生への説明が終わると。
「Sorry、マスター。相談なく教師になって、申し訳御座いません」
シャルミエラが、アシャンテに頭を下げていた。
「別に、いいですよ。どうせ二人とも、私のことを思っての行動なんでしょう?
そんな嬉しいことをどうして咎められると言うんです?」
そりゃ、戸惑いはしたけれど、と愚痴に似たことも零しながら。
けれど、アシャンテが照れくさそうな、嬉しそうな表情をしていたから。
これは良い結果なのですね、とシャルミエラは微笑む。
*...***...*
新入生と、教職免許のことについて環菜を訪ねてきたアシャンテらが校長室から居なくなって。
環菜と陽太のみが残された。
「陽太、ずっとここに居ても暇でしょう」
「いえ、俺は会長の傍に居ることが一番の幸せですから」
「……そう」
「はい。会長の御迷惑でなければ、ここに居させてください」
「騒がないのなら別に構わないわ」
環菜はお得意の株取引の最中なのだろう。パソコンから視線は外さなかったが、陽太はそれでも嬉しかった。
――今、会長がやっている取引が一段落したら、これを渡そう。
鞄の中に潜ませた、ルビーのペンダント。ルビーと銀の飾り鎖を材料に、徹夜で造り上げたそれ。
――これを受け取ってくれたら、会長は喜ぶかな。
他にも、ある。
火村 加夜が手縫いでルリタマアザミの刺繍を入れた、皮手袋。
それから、本郷 翔から、商売繁盛のお守り。
――ねぇ会長、こんな突然の俺の企画に、何人か乗ってくれたんですよ。会長の誕生日を、祝おうとしてくれたんですよ。
会長を慕う陽太としては、とても嬉しくて、また、とても誇らしくて。
早く渡せないかな。
早く会長の笑顔が見たいな。
そんな気持ちで、環菜を待っていた。
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