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リアクション
第六章 愛ゆえの鞭、ですから。
「〜〜♪」
ふんふん、と鼻唄を口ずさみながら、清掃業者の恰好をした支倉 遥(はせくら・はるか)は、校内の廊下にモップ掛けをしていた。
廊下に引かれているのは、清掃用の液体ワックス。
ただし、ワックスの量は通常の清掃とは違って大盤振る舞いでたーっぷりだ。
ぶちまけたそれを、水切りモップで伸ばす。普通のモップとは違い、水切りモップを使うことによって通常よりワックスを厚めに残すことが可能なのである。
「溺れる者は藁をも掴むと言いますが」
モップ掛けの手を休めることなく、遥は歌うように呟いた。
「滑るものは手近なズボンとかスカートを降ろしちゃったりするんでしょうかね?」
その光景を想像して、ニヤリと笑う。
悪戯っ子の笑みだった。
ワックスの塗布が終わり、遥は空き教室に入った。ここからなら廊下の様子がよーく見える。
早く誰か引っかかりませんかねぇ、とのんびり待っていると、窓の外からコンコンとノック。外には、遥と同じように階段をワックス塗れにしてきた屋代 かげゆ(やしろ・かげゆ)が居た。ロープを伝って上の階から降りてきたのだろう。窓を開けて教室に入れてやる。
「首尾はどうでした?」
「上々。早く引っかからねぇかな」
「性格悪いですねぇ?」
「提案者にだけは言われたくねぇよ」
だって、と遥は笑みを浮かべた。
「障害がないと、燃えませんよね」
さて、どうしたものかとセルマ・アリス(せるま・ありす)は立ち止まって考えた。
考えた、というより現実逃避に近かったのかもしれない。
「ごく普通のスタンプラリー……だと思ってたんだけどな……」
苦々しく呟いた。セルマの背後、守られるような格好でいるミリィ・アメアラ(みりぃ・あめあら)は、「全然普通じゃなかったですよねー」とにこにこ笑いながら言っていた。
「笑いごとじゃなかっただろ……」
「ルーマ、目が痛い痛いだったもんねー?」
「うるさい。あーもう、学校入口では何事もなくスタンプ捺せたのに……なんで校内がこんなに危険なんだよ……」
煙幕や、催涙ガスが発生するトラップ地帯を抜け、そして階段を上ろうとして、ひっかかる前に気付いたこと。
この先の廊下も、上の階に上がる階段も、ワックス塗れだったのだ。そろりそろりと歩いていけば転ばずに済みそうだけど、と思ったところでミリィを見る。
「? なぁにルーマ」
「……ミリィは転びそうだよなー」
「??」
などとやりとりをしていると、
「そんなに悠長でいいのか?」
凛とした女性の声が響く。
振り返ると、名状しがたき獣とレイスを連れた鬼崎 朔(きざき・さく)が立っていた。
「トラップ地帯を無事に抜けたことは評価しよう」
「先輩があれを仕掛けたのか」
「蒼空学園で楽しい学校生活を送ってもらいたいからな。そのための先輩からの試練だ」
「なっ――」
どうして楽しい学園生活に罠がからんでくるんだっ!
抗議の声を上げる前に、
「そしてこれから最終試練が始まるぞ。存分に味わえ」
朔が、獣とレイスを放った。
後ろはワックス。それに、ミリィ。下がることはできない。
「くっ!」
やむなく薙刀を構えた。飛びかかってくる獣に対し、続けざまに武器を繰り出し攻撃。チェインスマイト。まだ取得して間もない技だけど、きちんと使えた。僅かな達成感と、倒れ行く獣に小さく拳を握る。
しかし続けざまにレイスが来ていて、反応が少しばかり遅れた。油断、とはこういうことを言うのか。一体倒して喜ぶべきではないと、認識する。
「ルーマ伏せてっ!」
ミリィの声に、さっと伏せる。瞬間、ミリィのトミーガンから機関銃のように弾丸が放たれた。レイスに向けて、正確に飛んでいく弾。レイスが怯む。そこに再び切りかかった。
「…………」
「……やった、か?」
獣もレイスも消え、しん、と静まり返る廊下にセルマの声が響く。
続いて、ぱちぱち、と拍手の音。見ると、朔が口元に笑みを浮かべて手を打っていた。
「おめでとう。心から君達のことを称えよう」
「……、あ――」
ありがとうございます、と言いかけて、けれど素直にその言葉がでてこない。
朔の笑みが、少し困ったようなものになる。
「これからの人生、君達にはたくさんの苦難が待っている。だが、君達にはそれを乗り越えてほしいと思っている。そのせいで、多少力技に出てしまったが――それをものともせずに乗り越えた。そんな君達が私の後輩であることを、嬉しく思う。
改めて。蒼空学園入学、おめでとう」
朔の気持ちを受けて。
今度こそ、礼を言えると、
「ありがとう、ございま」
「きゃぁっ!」
思ったのに。
ミリィが床のワックスに足を取られて、転びそうになり。
溺れる者は藁をもつかむ。滑るものは――ミリィが咄嗟に掴んだものは、セルマのズボン。
「……!!!」
ずるっ、とズボンが落ちて。
もちろん即座にミリィを抱き起こしズボンを元通り履き直したが――
「くまさんパンツ……」
「う……っ、うわぁあぁぁぁ!!」
朔に、パンツの柄を見られてしまった。
それはそれは、可愛らしいくまさん柄のパンツが。
ワックスの床もなんのそので、ミリィを抱えて全力疾走。
朔が、朔から見えなくなるところまでセルマは走った。
セルマが、ワックス被害も行き届かないほど遠くへ逃げて。
ミリィを床に下ろし、切れた息を整えていると、
「あらあら……泣きそうな顔をしてどうしたんですかぁ? どこか痛いのぉ?」
声をかけられた。顔を上げると、白衣の女性――藍乃 澪(あいの・みお)が、心配そうな表情でセルマを見ていた。
「疲れてるみたい〜。フローラぁ、飲み物持ってきてあげてぇ?」
「はぁいっ」
澪の後方に控えていたフローラ・スウィーニー(ふろーら・すうぃーにー)が、頼みごとを受けて踵を返す。
どこへ行くのだろう、とぼんやりその方向を見ていると、
「あっちには購買があるのぉ〜。先生たち、『学校入口』『校長室』『美術室』『音楽室』『食堂』『教室』『購買』を順繰り回ってたからぁ」
「ふえ。本当に、あちこち回ってたんですねぇ」
「そうなの〜。だってスタンプラリーは生徒さん主体のイベントですからぁ、先生は陰ながら応援すべきだなぁって〜」
「澪ねぇ! ジュース買ってきたよ」
「あ、フローラ、ありがとぉ〜。はいっ、どぉぞ〜?」
フローラからオレンジジュースと炭酸飲料の缶を受け取った澪が、セルマとミリィに缶を渡す。
「あ、ありがとうございます……」
息を切らしながらも礼を言って、ジュースを飲む。それでようやく、セルマは息をつくことができた。
「先生は……保健の先生ですか?」
「そぉですよ〜。どこかケガはしてなぁい?」
「ケガ……ミリィは?」
「ルーマが守ってくれたから、大丈夫ですよ」
「ケガがないのは良いことです。あまり無茶はされませんように」
釘を刺すように、フローラの声。
無茶……確かに、ワックスべったりの廊下を走るのは無茶だっただろう。変な力の入れ方をしたらしく、少しだけ足が痛かった。
「痛いのぉ?」
ケガはないと言ったのに、そして外傷でもないのに。澪にはわかったらしい。さすがは保健教諭と言ったところか。
「……少し」
「じゃあ、保健室行こうねぇ? 悪くしちゃったら、大変だから〜」
肩を組んで連れられて、向かう先は保健室。
澪の身体からふんわりいい香りがして、眩暈にも似たくらくらした気分に襲われた。
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