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◆第四章◆

 風船屋は、大浴場の露天風呂だけでなく、それぞれの部屋付きの風呂の設備も、かなり充実している。
 そのうちのひとつ、かなり広めの家族部屋の露天風呂に、浸かっているのは、月崎 羽純(つきざき・はすみ)遠野 歌菜(とおの・かな)
「紅葉の紅って、落ち着く色だね」
 夕暮れの空に映える紅葉を見上げた歌菜が、そのまま、どぎまぎと目を伏せる。
 上気せるほど長湯したわけでもないのに、心臓のドキドキが止まらない。
「ああ、紅葉も温泉も、いいものだな」
 羽純は、そう言いながら、歌菜の額を軽く小突いた。
「な……何、突然……?」
「コラ、夫婦になって数日とかじゃないのに、まだ照れるのか」
「……だって、ドキドキするんだもん、仕方ないでしょ?」
「仕方ない……か。仕方ないヤツ」
「わ……笑わないでよ……まだこんなにドキドキするのは、羽純くんのせいなんだからね!」
 ふたりで、のんびりまったり楽しむためにやってきた新婚夫婦の会話は、紅葉がさらに赤く染まってしまうほど熱く、甘い。
「ん? 歌菜、髪に、紅葉が付いてるぞ」
 歌菜の髪に舞い落ちた紅葉を取った羽純が、その一枚にに、軽く口づける。
「あ、あの……」
 また赤くなった歌菜を、羽純は、笑って抱き寄せた。


 その頃、ようやく完成した露天風呂の女湯では……、
「ねーさまったら、やっとお酒が飲める年齢になったからって、昼間っからお酒ばっかりのんでるんだもん。あんまり飲みすぎると酔っ払ってのぼせちゃうんだからね?」
 ようやく完成した露天風呂の女湯に、久世 沙幸(くぜ・さゆき)の声が響く。
「この時期しかできない贅沢を満喫していますのに、沙幸さんったら、野暮なことをおっしゃいますわね。わたくしは、この程度では酔っ払いません」
 そうは言っても、湯船に浮かべたお酒に手を伸ばす藍玉 美海(あいだま・みうみ)の頬は上気して、目は、とろんと溶けたよう。かわいい女の子が大好きな百合趣味お姉様にとって、女湯露天風呂は天国のような場所なのだろう。沙幸と出会ってからは、沢山の女の子をはべらせるようなことは無くなったらしいが……、
「まぁ、それに付き合って、一緒に温泉に入ってる私も私なんだけど、とにかく、ねーさまなんか放っておいて、私は私で、紅葉露天風呂を楽しむんだもん」
 見上げた空の青と、紅葉の赤のコントラストが素晴らしい。
「本当にきれいな景色だよね。それにほら、はらりと舞い落ちた椛の葉が、湯船に浮かんで……なんかとっても贅沢なお風呂に入ってる気分になっちゃうよね」
「この素敵な景色に免じて、今回は見逃して差し上げますわ」
 微笑む美海は、「景色に映える沙幸さんの白い素肌も、このまま頂いてしまいたいくらい素敵」などと思っているのだった。
「……って、ねーさま? さっきから、ボーっとこっちの方みて、どうしたの? のぼせちゃったなら、そろそろあがったほうがいいかな?」
「そうそう、のぼせないうちにあがって、散策に行こうよ」
 沙幸に話しかけたのは、地面につきそうなほど長いツインテールを、お団子にまとめた秋月 葵(あきづき・あおい)
「そういえば、モンスターが出没するとか聞いたし……ここは、魔法少女の出番だよね?」
「だめですよ、ここには、休養する為に来たのですから。魔法少女さんは、お休みです。モンスター退治は、他の方々に任せてのんびりしましょうね」
 と、パートナーのエレンディラ・ノイマン(えれんでぃら・のいまん)が、葵をたしなめる。
「言う事聞かない子には、もうキスはしてあげません」
 エレンディラに、プイと横を向かれてしまっては、言うことを聞くしかない。
「ええと……やっぱり、露天風呂を堪能するのもいいかな……最近は、百合園の白百合団班長としての活動や、ロイヤルガードの公務とか……魔法少女とか〜色々忙しかったもんね〜」
「のぼせたのなら、髪を洗ってあげましょう。湯上がりには、浴衣でのんびりして、冷たい飲み物を飲んで……卓球もいいですね」
「髪、ひとりじゃ乾かせないけど……」
「部屋にもどったら、梳いてあげますよ」
「仲の良いご姉妹ですね」
 朱濱 ゆうこ(あけはま・ゆうこ)の言葉に、ふたりは顔を見合わせ、くすぐったそうに笑い合った。
「あたしたち、姉妹じゃないよ」
「そうなんですか、ごめんなさい」
「いいえ、よくそう言われるんです」
 恋人同士の葵とエレンディラだが、傍から見ると、仲の良い姉妹にしか見えないのだ。
「聞けば、こちらに出るのは、悪人やどうしようもない人ではなく、動物系のモンスターばかりなのですよね。それならば、運悪く遭ってしまっても、対処できるだけの力はあると思いますし……」
「ええ、大丈夫ですよ」
「深く考えなくても……ですね」
 余分な脂肪が集まったものを湯に浮かべて、ゆうこが頷く。
 困った人がいると、放っておけない性分のゆうこだが、たまにはこうして、ゆっくりするのも良いだろう、と思う。
「それにしても、とてもきれいな紅葉です……露天風呂も素敵ですし、なんだかリラックスが過ぎて、眠くなってきますね……」
 葵やエレンディラと話しているうちに、少しのぼせたゆうこは、岩べりに上半身を預けて半目になった。
「寝たら死んでしまいますし、寝相が鬼巫女らしいですから半目で紅葉を眺めつつ、リらっくすを……」
 と言いつつ、ブクブク……。
「ねーさま、その人、沈んでる!」
「皆で引き上げましょう!」
 沙幸と美海、葵とエレンディラの4人に救出されなければ、ゆうこは、まったりしすぎた水死体になっていたかもしれない。


「女湯の方が、少し騒がしいな。誰か、溺れたか?」
 橘 恭司(たちばな・きょうじ)が、首を傾げる。
 事件かと気になったが、「大丈夫です〜」などと声が聞こえてきたのに安心して、また、徳利を傾ける。
温泉とくれば、浸かりながらの熱燗。
「贅沢なことなんだろうが……」
 相変わらず酔えない。
 この調子では、旅館の部屋に戻ってからも、飲み続けることになるだろう。
「酒……だ」
 恭司が湯に浮かべた盆を不思議そうに見ているレーゼマン・グリーンフィール(れーぜまん・ぐりーんふぃーる)にとっては、これが、初めての温泉だった。
「ああ、多分、明日の朝には、一升瓶がごろごろ転がってそうだが……まぁ気にしないでおこう」
 と、恭司。
「私は、酒よりも和菓子の方が楽しみだがな」
 そう言ったレーゼマンのタオルを、鷹村 真一郎(たかむら・しんいちろう)が、ひょい、とずらす。
「うわ、何を……」
「レーゼさん、タオルを浴槽にいれるのは、マナー違反」
「そ、そうか。ならば仕方あるまい。しかし……」
 レーゼマンの視線の先には、ゆる族のフロッ ギーさん(ふろっ・ぎーさん)。男らしく豪快に身体を洗い、頭を洗い、頭から泡を流しているが……、
「ん? 着ぐるみは脱がないのかって? ゆる族は、着ぐるみのまま入るんだぜ!!」
「いいのか?」
「勿論、タオルは頭の上だぜ?」
 何か言いたげなレーゼマンの前で、湯船に肩まで浸かったフロッギーさんが、真一郎に尋ねる。
「よお、鷹村真一郎! 恋人のルカルカ・ルーとは、最近どうなんだ? 順調にやってってか?」
「ノロケになるので、あまり面白い話にならないから」
「悩みがあるなら、このオレが聞くぜ! へへっ、男同士の会話ってのも、こういう機会じゃねーとできないからな」
「……」
 さらに問い詰められた真一郎が、恥ずかしそうに耳打ちすると……、
「うお、マジか!? それって……」
「大きな声を出すな、女湯に聞こえる」
 照れた鷹村が、フロッギーさんを湯の底に沈める。
 ブクブクッ!
「鷹村、そろそろ力抜け。フロッギーが溺死する」
 ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)は、男も目を奪われる引き締まった筋肉に力をこめて、湯の底に沈んだフロッギーさんを引き上げた。
 勿論、そんなときにも、タオルは湯につけていない。
「た、助かった……」
 とりあえずの無事が確認されたフロッギーさんを岩場に寝かせ、レーゼマン、真一郎、ダリルの3人で洗い場へ。
「鷹村、いつもルカの好きにさせて貰って感謝してるぞ……レーゼマン、菓子は、俺の手作りの月見饅頭と、ルカの好物チョコバーだ。茶も持参した」
 男たちは、背中を流し合って親睦を深めるのだった。


「ナナさん、肌きれーい」
 女湯の洗い場では、裸の付き合いはお手のモノなルカルカ・ルー(るかるか・るー)が、きゃっきゃとはしゃいでいる。
 ナナ・マキャフリー(なな・まきゃふりー)の背中洗う時、後ろから胸を両手で揉むのは女の子同士のお約束だ。
「石鹸で泡泡にして、腰とか胸とか、全部気持ちよくしてあげる」
「いいえ、私こそ……ここは、メイドとして磨いたナナのご奉仕スキルを駆使し、ルカ様を綺麗にしてさしあげましょう」
 じゃれつきながら、洗いっこ。
「……ほほう、ルカ様? またもや、大きくなられたご様子」
「もう、ナナさんたら……そんなの、どこで覚えたの?!」
「……指使いは、ルースさんの真似なのです」
 いろいろ思い出してしまったナナが赤くなったところに、男湯から、真一郎の声が聞こえた。何を言っているのかはわからないが、どうやら、フロッギーさんに、からかわれているらしい。
「最近、ルースさんとはどう?」
「ナナのことより、ルカ様は?」
「ルカ? 婚約者ってか、恋人のままで過ごしてるけど、来年あたりそろそろ…?」
 ナナとルカが、意味深げな視線を送る男湯との境目。
 そこは、改装によって、木の枝と竹を組み合わせた洒落た衝立風になっていた。
 隙間はなく、お互いを覗き見ることはできないが、開放感があって、近づけば声もよく届く。
 そんな境目で……、
「ゆっくり休んでる?」
 神崎 零(かんざき・れい)が、神崎 優(かんざき・ゆう)に呼びかけた。
 優は、零にとって、パートナーであるというだけでなく、結婚した夫であり……それ以前に、自分をみつけてくれた大切な人だ。
「こんなときくらいは、ちゃんと休んでもらわないと。優は、何時も、俺達や周りの事を気に掛けながら、行動しているからな」
 男湯で、優と一緒に露天風呂に浸かっている神代 聖夜(かみしろ・せいや)が、言う。
「そうです。優は、何時も誰かの為に一生懸命で、自分の事を忘れがちですから、何時か倒れるのではないかと心配です」
 女湯の陰陽の書 刹那(いんようのしょ・せつな)も、零、聖夜と同意見のようだ。
「ほらね、みんな、優のことを心配しているのよ」
 と、零。
 風船屋の広告を見つけて、皆で行こうと言い出したのは、零なのだ。
「まさかとは思うが、今も周りの事を気にしてたりはしないよな?」
 聖夜が、優に尋ねる。
「自分なりにちゃんと休んでるし、楽しんでるから大丈夫だ」
 優は、聖夜の指摘に言葉をつまらせながら、答えた。
「そうだよ。たまには、体を休める事も大事なんだよ」
 零は、衝立風の境目にさらに顔を近づけた。
「そんなことをしても、優の顔は、見えませんよ」
 刹那に言われても、境目から離れない。
「たまには、こういうのも良いものだな」
 そう言った優の声の調子で、気をつかった嘘でないこと、無理をしていないことを確かめて、ようやく安心する。
「来てよかったでしょう?」
「ああ」
 零に短く答えた優は、湯の上を流れてきた紅葉を両手で掬い上げ、その彩りをしみじみと眺めるのだった。