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【カナン再生記】黒と白の心(第2回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第2回/全3回)

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第2章 戦場の戦士たち 6

 そのとき、既に動き始めていたそれは、海のように広大な砂の大地を走っていた。
 砂上帆船1番艦“ル・ミラージュ号”――若き海軍士官フラン・ロレーヌ(ふらん・ろれーぬ)が指揮を務める砂上海軍の船は、彼女の指示のもとに『神聖都の砦』を目指す。
 船内ではフランの激しい声と、作業員たちのあわただしく動き回る物音が響き渡る。敵軍に近いことが、船全体に緊張感を走らせていた。
「イナンナ様、中におられなくてよいのですか?」
「うん……大丈夫。あたしだけ、中にいるなんて嫌だしね」
 軍人らしい気質であろうか。アンリ・ド・ロレーヌ(あんり・どろれーぬ)は堅苦しくイナンナに進言したが、彼女はやんわりをそれを断った。
 アンリもそれ以上は何も言わず、彼女とともに前方の砦を観測する。上空にぽつりと見えた影は、おそらくイナンナの横にて佇む男――斎藤 邦彦(さいとう・くにひこ)のパートナー、ネル・マイヤーズ(ねる・まいやーず)だろう。
「現在の状況は?」
 それを確認したと同時に、ちょうどフランがイナンナたちのもとまで戻ってきた。彼女の目を追うようにして自然と自分に注がれた視線に、邦彦は首を振った。
「まだ、だな」
「そっか……」
 落胆ではない。しかし、焦りがあるのも確かであり、フランの表情はきつく強張ってしまう。
「だいじょうぶ」
「え?」
 ふと顔をあげたフランを、優しい瞳で覗いていたのはイナンナだった。
「あそこには、ユーフォリアさんや、あたしの代わりに前線に向かった朔さんだっている。焦る気持ちは分かるけど、いまは……みんなを信じよう」
 信じる――イナンナの言葉に、フランは勇気付けられた気がした。同意するように、力強くアンリがうなずく。
「うむ……イナンナ様の言うとおりであろう。焦るよりは、信じて待つほうが良い」
 仮にも、フランは帆船を操る指揮官だ。焦っていては、きっと見えないものもあるだろう。もしかしたら、イナンナはそれも、理解していたのかもしれない。
「イナンナのお嬢さんも良いこと言うじゃないか。よし、なでなでしてやろうか?」
「お嬢さんって……あの、あたし一応国家神なんだけど……」
 子供相手に戯れるよう接する邦彦に、イナンナは苦笑して乾いた目になる。そんな彼女に向けて、ずいっと小さな影が伸びた。
「はいはーい。そんなイナンナ様に質問ー」
 先生に向けて質問するように手をあげていたのは、見た目だけであればイナンナとそう変わらぬ茅野 菫(ちの・すみれ)だった。黒い瞳の奥に、なにやら意地悪げな色がキラリと光っている気がする。果たして、気のせいだろうか?
「な、なに、菫ちゃん……?」
「カナンを支配してるネルガルって、もともとはあんたに仕えてた神官なんでしょ? どうして、あんなことし始めたのかなーって、思ってさ」
 子供とは思えぬふてぶてしい口調だが、もともと個性の強い少女であるせいか、さほど気にはならなかった。それに、他のシャンバラの契約者たちも同様に思っていたが、鋭い質問ではある。
「確かに……ネルガルはあたしに仕える神官だったよ。でも……とてもあんなことをするような人じゃなかった。あの人は、他人に厳しく自分にも厳しい、常に『民の手本となるよう』に努めていた立派な神官で、その一方でとても慈悲深くて、民にも救いの手を差し伸べるような、とても素晴らしい人だったの」
 ネルガルを語るイナンナの表情は暗く曇っており、今でもネルガルが自分を裏切ったという事実が信じられないかのようだった。……いや、事実、信じきれていないのかもしれない。それほどまでに、ネルガルのことを彼女は信頼していたのだ。
「……ふーん。だから、信頼してたからこそ封印されちゃったってわけね。……なにか、変わった様子とかなかったの? 突然、裏切られたってこと?」
「よく分からない。ただ、それまで彼があたしをずっとだまし続けてきたとは、思えない。あれだけカナンのためを思って生きてきた彼のそれが、演技だったなんてことは……」
「なるほどね……」
 自己解決したように、菫はうんうんとうなずいた。それで終わりかと思ったが……ふと思い出したように彼女は別の質問を口にした。
「あっと……そうだ。もう一つだけ聞きたいんだけど」
「かまわないけど……」
「このカナンの砂漠化があんたの力をネルガルが使って起こしてるっていうなら、少なくとも――あんたが死んだら、それは止まるってこと?」
 ガラスに亀裂が入ったように、イナンナたちの間を一気に緊張感が漂った。真っ向からぶつけられた容赦のない質問に、イナンナの表情もきつく結ばれる。
 邦彦たちの手はいつの間にか己の武器へとさしかかっていた。彼らの目が捉える菫は、鼻歌でも歌うようになんの気概も抱かぬない顔でイナンナを見つめている。
 やがて……イナンナの唇が静かに開いた。
「あたしはカナンそのものであり、カナンはあたしそのもの。それはつまり、あたしが死ねばカナンそのものが崩壊するということ。……それで、答えは満足?」
 刃物を突きつけるかのように睨みつけるイナンナに菫は一瞬だけ動揺したが、すぐに無垢な目になってにぱっと笑った。
「りょーかいりょーかい。なっとくしました。……もう、そんな睨まないでよ。あたしはただ、色々と知りたかっただけ」
 ぶらぶらと手のひらを振る彼女は、苦笑しながらに言う。
「仮にこれでイナンナが死んで砂漠化が戻るって聞いてたとしても、別にその方法をとるってわけじゃないって。あたしはあたしなりに考えることもあるってこと。それに……情報は知っていて損することはないでしょ?」
 おおよそ10代とは思えない菫の弁に、どこか言いくるめられている気がしないではないものの、邦彦たちはしぶしぶ納得した。
 すると、邦彦の携帯が音を鳴らした。
『聞こえるかい、邦彦?』
 ネルの声が受信されて、イナンナたちにも聞こえてくる。菫との問答による緊張感は、別の緊張へと移行した。
「ああ、ちょうどイナンナのお嬢さんたちもいるところだ」
『お嬢さんって……邦彦、さすがにイナンナさんにその表現は……』
「あーあー……いいから、今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ。それに、イナンナのお嬢さんも了承してる。それで、用件は?」
 別に了承はしないないが……。というツッコミをしたい気持ちを抑えて、イナンナはネルの次なる言葉を待った。
『敵のポイントは問題ないよ。タイミングは、今から1分以内がタイムリミットだ』
「よし……任された」
 邦彦はポケットからごそごそと、なにやら複雑そうな機械を取り出した。早急に作った代物であるため見た目は良くないが……性能は保障してもよい。
「帆をあげなさーい! 全速前進!」
 フランの声に応えて、『ル・ミラージュ』号の帆が一気に全て広がり、速度をぐんと上げてゆく。
「邦彦さん、お願いします!」
「……ああ」
 カチ――遠く、前方の敵軍中央で閃光が鳴った。