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ビターなチョコは甘くない

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ビターなチョコは甘くない

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第11章


「はぁ……どうして私が作ると変な色のチョコになったり変な煙が出たりするんだろう……」
 高峰 結和(たかみね・ゆうわ)は製菓店から出るとため息をついた。バレンタインも近いのでチョコレートを手作りしようと思ったが、作ろうとすると煙が出たり爆発したりするのだからため息も出ようというものだ。

「……寒いなぁー」
 首に巻いた男物のマフラーを締め、外套の前を閉めるとモスグリーンのセーターの胸元で恋人からの贈り物『デルディッヒシュトゥット』が揺れた。
 糸杉を削って作られたお守りを握り閉めると、ほんのり暖かい気がする。
「……がんばらなくっちゃ♪」
 いや、暖かいのは心だろうか。
 柔らかく微笑んだ結和は外套のフードを被り、帰路を急いだ。

 その結和を物陰から物陰に移動し、尾行する者がいた。
 安心していい、怪しい者ではない。結和のパートナーエメリヤン・ロッソー(えめりやん・ろっそー)である。
 街でチョコレイト・クルセイダーなる変質者が暴れているというので、結和の幼馴染でもあるエメリヤンは結和を囮にしてクルセイダーを捕まえる一計を案じたのだ。

 まあ、どうせ結和は本命チョコとか手作りするだろうから、放っといても囮になるだろう、というわけだが。
 それにしても結和はしょうがないなぁ、あんなにだらしなく笑ってチョコ材料とか抱えてたらいかにも本命いますって言ってるようなものだぞ、とエメリヤンは後をつける。
 ところで、山羊の獣人であるエメリヤンは2m超の長身だ。
 たしかに結和はぽわんとしているが、ちょっと降り返られればすぐに見つかってしまうだろう。

 だが心配はいらないのだ、と無口なエメリヤンは一人胸を張った。
 何しろこのバッグに身を隠す道具がすっかり入っているのだから。これで姿を消して後ろから堂々と尾行すればいいいのだ。
 どれどれ、とバッグを開けてエメリヤンが取り出したのは――。


 保健体育の教科書


「……?」
 エメリヤンは首を傾げた。確かこのバッグにはブラックコートとかベルフラマント的なアイテムを入れて来たはずではなかったか。
 とりあえず落ち着いて、バッグの中見を確かめてみる。

 保健体育の教科書、保健体育の教科書、音楽の教科書、美術の教科書、美術の教科書、経済学部の教科書、社会科の教科書、家庭科の教科書。


 まさに教科書無双。


 尾行をしようと街まで で〜か〜けた〜が〜

「……バッグを……間違えた……」

 装備を 忘れて ゆかい〜なエメ〜リヤ〜ン


「……全然愉快じゃないよ!!」
 つい自分に突っ込みを入れてしまうエメリヤンだが、気付くと結和の姿がない。当たり前だ。
「……しまった!」
 エメリヤンはとりあえず結和の姿を探して走り出した。
 何しろ、今の結和は全身からラブラブバレンタインオーラをたれながす良質の囮。
 下手をするとすぐにクルセイダーのセンサーに引っかからないとも限らないのだから。


「うぉりゃあああぁぁぁっっっ!!!」
 そのエメリヤンの心配はすぐに実現した。物陰から現れた茶色タイツに身を包んだ天空寺 鬼羅(てんくうじ・きら)が現れて結和の行く手を阻んだのである。
「きゃあああぁぁぁっっっ!?」
 結和は驚いた。鬼羅はそんな驚きをよそに、ときめきセンサー片手にじりじりと迫る。
「はぁ……っ、はぁ……っ、チョ、チョコレートだな……っ、それはチョコレート!! オレが、オレこそが誰よりもチョコレートが欲しいチョコレイト・クルセイダー!! 女の子からのチョコが欲しい!! 何よりも誰よりも欲しい!! そのチョコをこっちに寄越し……いや、下さい!! 是非下さい!! 何がなんでも下さい!!!」

 鬼羅は、じりじりと後退する結和の前に突然跪き、ガバアッともの凄い勢いで土下座を始めた。
「ふ、ふえええぇぇぇっ!?」
 驚いたのは結和だ。何しろ物陰から全身タイツの変態が現れたと思ったら突然土下座を始めたのだから、誰だって驚くだろう。
「頼む、チョコをくれ!! 女の子からのチョコが欲しい!! チョコが欲しいんだあああぁぁぁっっっ!!!」
 それは、完璧な土下座だった。きっちりと折られた膝。深々と下げられた頭、そしてビシっと伸ばされた指先。その全てが美しい黄金比をもって『土下座』というひとつの芸術を完成させていた。
「こ、こま、こまりますぅぅぅ〜」
 問題は、今ここが土下座の美しさが論じられるべき場ではなかったということだろう。結和は結和で逃げ出せばいいのに、完全にパニックになってしまってその場で佇むことしかできない。
「ぬぅぅっ、ただの土下座ではオレの想いは伝わらないか!! ならばこれだ、くらえーっ!!」


 連続土下座! 超高速土下座!! ガトリング土下座!!!


「うおおおおおおぉぉぉっっっ!!!」
 鬼羅は全身全霊を賭けた無駄な情熱を土下座に費やしていく。その勢いたるや凄まじく、鬼羅の姿が二重、三重に見えるくらいだ。

 これぞ土下座イリュージョン!!!

「ふえええぇぇぇ、だ、だから困るんですってばぁ〜!!!」

 こうして結和は、ひたすら鬼羅の土下座の嵐に翻弄されていくのだった。


                              ☆


「――ですから、こんな時間に女の子の一人歩きは良くありませんわよ」
 と、リリィ・クロウはたしなめた。
 自身はラジオやTV、インターネット上で各方面にクルセイダーの注意を促したリリィ、いよいよ週末になったので街のあちこちに注意を促す張り紙を張っているところだった。
「まったく、いっそのこと奪われたチョコレートは諦めてしまって、日中に買い直せばいい話だと思うのですけれど。わざわざ夜中にそんなに買い込まなくてもよろしいのではなくて?」
 と、リリィは夜中に山ほどのチョコを持って出歩いていた少女、霧島 春美(きりしま・はるみ)に説教をする。
 説教を言っても特に怒っているわけではない。僧侶として日々修行中のリリィ、ここでいう説教とは呼んで字のごとく『教えを説く』方の説教だ。ここでの教えは『君子、危うきに近寄らず』といったところだろうか。

「いやあ、別にチョコレートを取られたワケではないんですけどね〜」
 と春美はバツが悪そうに呟いた。
 春美は春美で目的があって夜の街を歩いていたのである。バスケットに入れられた山ほどのチョコレートとフリフリの可愛いドレスに目元を隠すマスク。即変質者というわけではないが一般人でないことは分かる。
 そういう格好で飛んでいたところをリリィに捕まったのである。
 逆にリリィがクルセイダーや変質者ならそれなりの対応をすればいいのだが、リリィのように悪気なく平和のために尽力している相手だと、その好意を無下にもできない。

 そんなワケでフリフリ魔法少女とフェイスフルローブの聖職者。奇妙な組み合わせの二人は張り紙をしながら街をパトロールすることになっているのである。

 その時、前方で女性の悲鳴が聞こえた。
「――!!」
 二人は顔を見合わせると、同時に声の方へと走り出す。結局、街の平和を守ろうという志は同じなのだ。すべきことは一つだった。


「チョコを、チョコを下さいぃぃぃっっっ!!!」
「も、もう許してぇぇぇっっっ!!!」
 二人が辿り着くと、人気のない路地の真ん中で天空寺 鬼羅が高峰 結和に向かって土下座をしているところだった。
 ミラージュを駆使して自分の幻影を複数作り出し、さらにカタクリズムでキラキラと光る紙吹雪を舞い上がらせて、全裸でガトリング土下座を敢行する最終奥義『土下座・オン・ステージ』に結和はもうへたり込むことしかできない。
 ごく一般的な反応であると言えよう。

 一瞬何をしているのか分からなかったが、とりあえずその辺に脱ぎ捨てられた茶色タイツで鬼羅がチョコレイト・クルセイダーの一員であることが分かる。
 そこに、結和の悲鳴を聞きつけてエメリヤンがやって来た。
「……フッ!!」
 気合一閃、長身を利用した長いリーチで鬼羅を大きく蹴り飛ばすエメリヤン。
「うおおおぉぉぉ!?」
 ごろごろと全裸で転がる鬼羅。
 結和はやっと助かったとエメリヤンにしがみついた。
「ふえええぇぇぇ、エメリヤ〜ン」
「……結和、怪我はない……?」
「う、うん……でも、なんでここに?」
 ぎく。とエメリヤンは目を逸らした。
「……まさか、こっそりついて来てたとか? ならどうしてすぐに助けてくれないの〜」
 ぎくぎく。とエメリヤンはもう結和の顔を見られない。
「……、……いやその。……いろいろあって」
「……ところでどうしてこんなに教科書持ってきてるの? 学校帰り……じゃないよねこんな時間に」
 ぎくぎくぎく。これは誤魔化すのに時間がかかりそうだ、と思うエメリヤンだった。

 それはそれとして、全裸で転がった鬼羅の先には春美とリリィがいる。
 春美は転がった鬼羅に高らかに名乗りを上げた。
「私は愛の魔法少女! 今日は『チョコレート・くばるセイダー』よ! チョコレートが貰えない寂しい人に愛の手を……って何で全裸!?」
 だが、戸惑う春美をよそに鬼羅は立ち上がり、春美にターゲットを絞るとじりじりと構えを取る。
「チョ、チョコ……チョコを……チョコをくれるのかぁぁぁっっっ!!?」
 全裸のまま春美に飛びかかろうとする鬼羅を、リリィがとりあえずフェイスフルメイスで殴る。
「おぶぅっ!?」
「全裸のまま女子に踊りかかろうとはどういう了見ですか!?」
 またもゴロゴロと転がされる鬼羅。

「きゃっ!?」
 そこに来たのがクロス・クロノス(くろす・くろのす)である。彼女もまたチョコレートを持っていた。
 がばりと起き上がった鬼羅は、そのままクロスに対してもスーパー土下座を実行する。
「チョコ! そのチョコを下さい!! 下さいぃぃぃっっっ!!!」
 驚きながらも、クロスはひとつのチョコを差し出した。
「は、はい。クルセイダーの方ですよね? チョコが欲しければ差し上げます。義理チョコですが、これをどうぞ。それでもし、よろしければ他の方からチョコを強奪するのをやめてはいただけませんか?」
 鬼羅は座ったまま顔を上げ、クロスが差し出したチョコを見上げた。
 確かにそれはいかにも、大量に売られていた義理チョコで小さくそっけないものだったが、鬼羅にとってはそれが美しい女性から手渡されるという事実が重要なのだ。
 そう、大事なのは中身じゃない、様式美だ。
「分かった! オレは今日限りクルセイダーをやめよう! それがチョコを貰える条件ならば!!」
 鬼羅は男らしく宣言した。後ろから追いついて来た春美はその様子を見て驚いた。
「あらら、改心しちゃった……じゃあ、私からもハイ!! 来年はちゃんと別な女の子から貰えるようないい男になりなさい!!」
 何という僥倖だろう、鬼羅はクロスと春美、二人の女性からチョコを貰うことに成功したのだ。

「うぉぉぉ……!! やった、やったぞー!! ハー! レー! ルー! ヤーッ!!!」
 クロスと春美からのチョコを受け取った鬼羅は、喜びのあまり全裸で二人に抱きつこうとした。
「だから全裸はおやめなさいと言うのにっ!!!」
 そこにやってきたリリィが素早く鬼羅をフェイフルメイスで弾き飛ばし、鬼羅は夜空に輝けるひとつの星になった。


 チョコと土下座に命を賭けた男、永遠なれ。


 ふぅ、と落ち着いた春美は携帯を開くと、久世 沙幸達が提供している情報のページを開き、入力する。
「大体データが集まってきたわね……」
 と、それを除きこんだクロスが呟いた。
「……ずいぶん多いですね……それに、独身男爵という人は随分あちこちに出没しているんですね?」
 確かに、様々な人々が書き込んでいる情報を整理すると、今夜一晩で独身男爵の目撃情報は多数寄せられていた。
 春美は答えた。
「そうですねぇ……私の仮説では、独身男爵は複数いるんじゃないかと思うんです……おそらく……頻度からすると、少なくとも3人」
 それを聞いたリリィは驚く。
「え!? こんなバカなことをする人達が3人も!?」
 リリィの驚きももっともだ。だが、春美は首を横に振った。
「いいえ……それがどんなにバカげた事であろうと……情報を整理して観察し、正しい考察の元に導き出される結論は、それがどんなに意外なものであったとしても――」


 春美は、夜空を見上げた。
「――真実なのよ」


                              ☆


 その頃、七尾 正光と直江津 零時、そして平城山 和隆はステア・ロウとユウリィ・シャーロックがやや暴走気味にクルセイダー達と交戦するのを抑えていた。
 春美ほか、クルセイダー達と遭遇した人々は主に携帯からネット上で情報を交換し、そろそろクルセイダーの出没ポイントが予想できる状態になってきたので、地道な情報収集をしていた5人はついにクルセイダー達を補足することができたのである。

 一番張り切っているのがステアだ。
「よぉし、動くなよ! 動くと撃つ!! 動かなくても撃つけどな!!!」
 雷術、火術、氷術と魔法を乱発して怒りに燃えるステアは次々とクルセイダーを退治していく。
 それをサポートする形のユーリィもツインスラッシュは爆炎波を駆使して、殲滅戦の手伝いだ。
「素敵なバレンタインを台無しにする人にはおしおきですよ!!」
 だが、あまりに激しく動き出したため短いスカートの裾がまくれて下着が露になってしまった。
「――!?」
 それを偶然目撃した正光は鼻血を拭いて倒れてしまう。零時がそれを支え、ヒールをかけつつ尋ねた。
「おいおい、バレンタイン当日にはデートの予定だろう……。そんなウブで大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない」
 と即座に答えた正光はクルセイダーをスプレーショットなどで制圧していく。
 そして和隆はスカートの裾が翻るのもかえり見ずに、華麗に舞うように戦うユーリィの後頭部をけん玉でぶっ叩いた。
「こらユーリィ、はしたないぞ」
「何故けん玉っ!?」

 そこに騒ぎを聞いた春美とリリィ、そしてクロスも駆けつけた。
 混戦状態だが、リリィはバニッシュで攻撃してクルセイダーを鎮圧する。
 春美とクロスは、一応持ち寄ったチョコをプレゼントして戦いをやめるように呼びかけるが、いきり立ったクルセイダーはもうそれどころではない。一個といわずチョコレートを全部寄越せと二人に掴みかかった。
「あ、そう……じゃあしょうがないですね!! そーれっ、必殺チョコボンバー☆」
 春美はシューティングスターの応用で持って来たチョコを鋭い勢いで降らせて応戦した。
「そうですか……強奪をやめてもらえないのは残念です……」
 と、クロスは持っていた小型チョコを次々とクルセイダーの口に放り込んでいく。
「へっへっへ……おとなしく渡していればって激マズゥッ!?」
 悶絶するクルセイダー。クロスが持っていたチョコの中には激マズテロルチョコが混じっていたのだ。 
「……だから、やめておけば良かったのに」
 と、クロスは呟くのだった。

 ますますクルセイダーとの戦闘が混戦していく中、そこに同じようにネットの情報をまとめた師王 アスカと蒼灯 鴉がやって来る。
「いたいた! さぁ、アジトの場所を教えてもらうわよ〜! 取られたチョコを絶対に取り戻すのよぉ」
 鴉はアスカの求めに応じて龍骨の剣を振るう。
「ふん、正直あの校長のチョコなんぞどうでもいいが、ウサ晴らしにはちょうどいいぜ!!」
 だが、その一言にアスカはうっかり反応してしまった。
「え? 取られたチョコは違うわよ? あれはカラ――」
「え? 今なんつった?」
 しまったとアスカは口を押さえた。クルセイダーに取られたチョコは鴉にあげる予定のチョコだったのだ。
「な、何でもないわぁ〜! ほら鴉! クルセイダーが逃げる、逃げるぅ〜!!」
 鴉は、仕方なしにその方向へと向かう。


「ちっ、しょうがねぇ。あとでちゃんと聞かせろよ!!」
 と、怒声を残して。