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ビターなチョコは甘くない

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ビターなチョコは甘くない

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第7章


 ぷはぁ、と吐き出された紫煙が夜の街角に漂った。街灯に照らされた煙が天に伸びるでもなく、身体にまとわりつく。
 ノア・レイユェイ(のあ・れいゆぇい)は、風のない日にはこうして煙を着ているような気分に浸るのも好きだった。

「やぁれやれ、どなた様も難儀なことで」
 そうぼやいたノアは、美しい細工の施された銀の延べ煙管――いわゆるキセル――を口にした。
「っと」
 ちょっと吸ったが、刻み煙草が燃え尽きてしまったのか、もう煙が出ない。
 無意識的に、腰に提げられた上物の煙草入れに手を伸ばす。帯に留められた透明感のある美しい紫の根付がぷらぷらと揺れた。

「これこれ、今日はそっちじゃないぞぃ」
 と、声を掛けたのはパートナーの伊礼 權兵衛(いらい・ひょうのえ)である。
「っと、そうだったねぇ――ヤだヤだ、トシとると物覚えが悪くって」
 ノアはそう言って、現在日本で唯一手に入る刻み煙草――『小粋』が入れられた愛用の煙草入れを腰に戻した。今日の目的はあくまでチョコレイト・クルセイダーをおびき出す事だ。吸うべきはこの煙草ではない。
「そりゃ我に対する嫌味かぇ? ふぉっふぉっふぉ」
 權兵衛は携帯用に改良された小型のシーシャを吸う。ゆっくりと水を通された煙が口から吐き出された。
 すると、周囲に甘いチョコレートフレーバーのついた煙が広がって行く。
 それを満足気に確認したノアは權兵衛に呟いた。
「くっくっ、まぁ嫌味っちゃ嫌味さね。でも本当に嫌味なのはバレンタインに騒ぎ立てる世の中さぁ、こーんな年増と爺さんとオッサンの組み合わせでどうやってバレンタインを楽めってぇのさ」
 ちなみに、シーシャとは水タバコのことだ。ノアの台詞を聞いた權兵衛は違いないと笑った。

 『年増』は見た目通りの年齢ではないノア、『爺さん』は權兵衛、とすると『オッサン』は――
「まったく、何でワシがこんな事に手を貸さねばならんのじゃ……!!」
 もう一人のパートナー、平賀 源内(ひらが・げんない)はぶつくさと呟いた。ノアの求めに応じて持っていた煙草入れをノアに差し出す。

 ちなみに源内は、和服の上から黒のロングコートを羽織った奇天烈ないでたちである。これもまた上等なパイプを咥え、すっぱすっぱと煙を吐きだすとやはりチョコレートの香りがした。

 そう、ノアとその仲間である權兵衛と源内はチョコレイト・クルセイダーをおびき出すために、チョコの香りのするタバコをふかしながらそぞろ歩いていたのである。
「まぁ、そうぶつくさ言いなさんな。放っといたら源内、おまえなんぞはなんとかセイダーの方に肩入れしそうだったじゃないかい?」
 と、ノアは源内から受け取った煙草入れから刻み煙草を補充して火をつけ、すぱっとチョコフレーバーの煙を吸った。 

 それでもノアは呟いた。そう、面白さを享受するには工夫と努力も必要なのだ。
「ふん、たまにゃあ別な味も乙なもんさね」
 と。


                              ☆


「あ、あー。あのさー。もうすぐばれんたいんだねー」
 芦原 郁乃(あはら・いくの)はやや上ずった声で棒読みの台詞をこぼした。
「……そうですね」
 対照的に沈んだ声を出したのは荀 灌(じゅん・かん)、郁乃のパートナーである。
 普段は郁乃ともう一人のパートナー秋月 桃花(あきづき・とうか)をお姉ちゃんと慕い、恋人同士である郁乃と桃花に割って入るようにラブラブする荀灌なのだが、今日は様子が違った。
 ここ数日、荀灌の態度が硬化していることを郁乃は気にしており、もうすぐバレンタインなことに何か関係があるのではないかと思っているのだ。ちょっと学校帰りに遅くなってしまったが、この機会に聞き出そうと思っている郁乃だった。

 まさか、自分や桃花の他に本命のコがいて、そのために緊張しているとか……!!

「か、かかか荀灌はその、誰かにちちちチョコレートあげたりしないの、かな?」
 どもりすぎです、郁乃さん。
 まあ、懸念を隠しながら様子を探るなどという器用な真似が、天真爛漫・弾丸少女の郁乃にできるわけもないのだが。
「……あげますよ」
 荀灌は表情を変えずに呟いた。

「え、あげるの!?」
 思わず大声を上げてしまった郁乃。どうしよう、いつの間にそんな相手が出来ていたのだろう。私の知らない間にそんな相手がいたなんてそんなちょっと悔しいいやでもここはお姉ちゃんとして笑って祝福してあげるべきかしらああいやでもでもいっそのこと今の内に……。

「桃花お姉ちゃんとお友達にあげます」
 暴走気味だった郁乃の思考がそこで止まった。今の内にどうするつもりだったのかは不明である。
「あ、ああ。そうなんだ、ふ〜ん、桃花とお友達にね〜」
 と、表面上は務めて冷静に受け流す郁乃。
 だが、心の中では。


「何でーっ!? 何で私の名前が出て来ないのーっ!? いつもならすぐに私の名前が出てきてもおかしくないのに!! いやむしろ一番最初じゃないの!? ないの!? いつの間にか荀灌に嫌われてる!? き、気のせいかな!? い、いっそのこと今の内に……」
 だから今の内になんだというのだ。


「ところで、お姉ちゃん」
 と、荀灌がころりと表情を変えて郁乃に語りかけた。その笑顔はいつもの荀灌のにこやかな笑顔だ。
 よかった、やはり気のせいだ。きっと自分の名前を言わなかった事を謝罪してチョコをくれる予定に違いない。
 という郁乃の勝手な想像をぶち壊すように、再びじとっとした目で荀灌は呟いた。
「お姉ちゃんのクラスメイトさん達から聞いたんですけど。お姉ちゃんはた〜っくさんチョコを貰えそうですね。桃花お姉ちゃんやお友達や、はてや下級生からも山のように……!!」
 へ? と郁乃は間の抜けた顔をした。確かに明るく元気者な郁乃は人気も高く、クラスメイトや下級生に心当たりはある。だが、桃花のチョコ以外はいわゆる友チョコで、特別な感情はない。
「え、だって荀灌、それはね……」
 だが、荀灌は聞き耳持たない。
「いいですね〜お姉ちゃんはちやほやされて。いっぱいチョコを貰う予定なんだから、これ以上増えても困っちゃいますよね〜」
 と、先に歩いて行ってしまう。

 荀灌としてはこうだ。
 偶然郁乃のクラスメイトが郁乃あげるチョコの相談をしているのを聞いてしまった。まあ、本命のついでであろうが量は少ないが値段は高い高級チョコや本格的な手作りチョコ。しかもラッピングにも凝った可愛らしいプレゼント。
 自分が用意したチョコは手作りではあるが、包装に手間をかけたわけでもないし、そこまで本格的なものでもないし……と、気後れついでに郁乃の人気が面白くないのである。


 要するにヤキモチですね。


「はーっはっはっは!! ときめいてる!! ときめいてるねキミ!!」
 と、そこにまったくこれっぽちも空気を読まずにチョコレイト・クルセイダーが登場した。
 先頭に立ってときめきセンサーを誇らしげに掲げるのは仮面にマントで茶色のタイツ。独身男爵だ。
「え?」
「は、はい!?」
 郁乃と荀灌はもうポカンとするしかない。
「隠しても無駄!! もう俺様には分かってるのさ!! そこのキミ、そう小さい方!! すごくときめいてるね!! 相手はそこのお姉ちゃんだね!! ついでに今チョコレイト持ってるよね!! 手作り!? ねえ手作り!? なんかラブラブですげぇムカツクからそのチョコちょうだい!! そんなにラブなら別にいらないよねチョコ!!」
 やたらと高いテンションで荀灌に迫る独身男爵。その言葉に無意識的にガードしたバッグには、確かに荀灌が郁乃のために手作りしたチョコレートが入っている。

 はっ、と荀灌は気付いて郁乃の方を見ると、まるで初孫を初めて抱いた祖父のような慈愛に満ちた表情で荀灌を見つめているではないか。
「荀灌……やっぱり、私のこと……」
「ち、ちちちtがいますよお姉ちゃん!! 別にこれはチョコでもないしモテモテお姉ちゃんになんかあげないし!!」
 真っ赤になって否定する荀灌、だがそんな照れ隠しは郁乃の耳には届かない。
「荀灌〜!!」
「わぁ、抱きつかないで下さい!! そして頬ずりしないで下さい!! チョコが壊れちゃう〜!!」

「……あれ、なんか俺様無視されてる? うん、それはいけないね! いけない子にはお仕置きだよ!!」
 一斉に二人に襲いかかろうとするクルセイダー。だが。

「人の恋路を邪魔する方々は――」
 二人の帰りが遅いので探しに来た秋月 桃花がそこに割って入った。何か文句を言おうとするクルセイダーを完全に無視して、両手で持ったライチャススピアをフルスイングした。

「馬に蹴られて吹っとんじゃえ、ですよ!!」
 豪快な一振りでクルセイダーを片付けた桃花。ぽかんとした荀灌に言った。
「さ、みんなで帰りましょ♪ 荀灌ちゃんは、もう渡したの?」
 びくっ、と荀灌は固まった。
「な、なななななんの事でしょう?」
「え、だってチョコ一緒に作ったじゃない? 手作りの。待ちきれないから早いけど渡しちゃうって……」

 それを聞いた郁乃は抱きついていた手を離して、荀灌の両肩にそっと手を置いた。
「いい? 荀灌」
「……なんですか」
 まだ、荀灌の機嫌は直っていない。
「たしかに友達からもたくさん貰えるだろうけど、大事な人から貰うチョコが一番嬉しいんだよ。私にとっては、桃花と荀灌からのチョコは他の人とは比べられないよ」
 いつになく真摯な郁乃の視線が荀灌を貫いた。
「お、お姉ちゃん……、ごめんなさい……」
 そのまま郁乃に抱きつく荀灌。それを満足そうに微笑みながら見守る桃花だった。

「これなら、無事に渡せそうですわね」


                              ☆


 その同時刻、また別な公園にて。


「ときめいてないって、言ってるでしょーーーっ!!!」
 セルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)の放った乱激ソニックブレードが、容赦なくチョコレイト・クルセイダーを吹き飛ばしていく。

 街を騒がすクルセイダーを退治しようと見回りに乗り出した御凪 真人(みなぎ・まこと)とパートナーのセルファ。首尾良くクルセイダーが現れたまでは良かったのだが。
 そもそも毎年本命チョコを用意はしているものの、素直になれないセルファはいつもそれを本命とは言えないでいた。
 今年もそう。このままいけば用意したチョコレートは義理として真人に渡されることだろう。どうしても素直になれない自分の性分を呪うものの、真人の鈍感というか天然ぶりにも怒りを通り越してすでに呆れているセルファだ。
 とまあ、そんなセルファに向かって、


「貴様そこの女!! 『ときめいて』いるなっ!! それはそれはときめいているなっ!! 隠しても分かるのだぞ隠してもっ!!」
 などとクルセイダーが暴露したものだからさあ大変。


「黙れ!! この変態がーーーっっっ!!!」
 やや八つ当たり気味にクルセイダー達を追い回すセルファをもう止められない。
 というか、真人にはそれほど止める気もない。
「セルファー、命だけは取らないで下さいよー、捕まえたら警察に渡して情報を聞き出さないとー」
 呼び出されたチョコ怪人も次々にセルファの餌食になっていく。

 真人に変装していた怪人『白いNPC』も首を飛ばされて転がっている。
 『黒いチョコバー三連星』などは名乗る間も与えて貰えなかったほどだ。
 わらわらと大量に現れたチョコゴーレム『チョコレイト星人』も怒りに狂ったセルファの敵ではない。

「でぇりゃあああーーーっっっ!!!」
 次々に怪人やクルセイダーをぶった切るセルファ。とはいえチョコ怪人が盾になっている間に形勢を立て直したクルセイダー。
「な、なんという恐ろしい奴……だが、この間に逃げ出せば……?」
 と、手元のときめきセンサーを見ると、セルファ以外にも反応があった。
「ときめき反応!? これは……上かっ!!?」

「そのとおーりっ!!!」
 ルカルカ・ルー(るかるか・るー)の先制攻撃! 光条兵器である片手剣のブラインドナイブズ!!!
「ぐぇぇぇぇっ!?」
 リーダー格のクルセイダーはカエルのような声を上げて悶絶した。
 何辛うじてセンサーが反応して気付いたものの、ブラックコートで気配を断ち、ベルフラマントで姿を隠した上で空飛ぶ魔法で囮になりそうなセルファと真人を着けていたのである。突然空中から奇襲を受けてはひとたまりもない。
「やべぇっ! 逃げろーっ!!」
 それを見た大多数のクルセイダーはバラバラと逃げだす。が。

「――逃げられると思っているのか。格好だけなく頭までおめでたいとは救い難いな」
 ルカルカのパートナー、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)も姿を現し、サイコキネシスで操作したアウタナの戦輪を飛ばして次々にクルセイダー達足止めしていく。

「沈め!!」
 そこにルカルアカが強化型光条兵器であるブライトマシンガンを掃射した。光条兵器であれば無関係な人間を巻き込む事もない。

「これで終りだ。観念するんだ――まあ、しなくても同じだが」
 追い討ちにダリルがブリザードで完全に自由を奪った。
 まさに一網打尽である。

「はぁ……はぁ……」
 セルファはというと、結局10体近く現れたチョコ怪人を全て破壊し、肩で息をしている。
 途中から参戦した真人はセルファの傍らからルカルカに合図を送り、どちらも片付いたことを確認した。
「お見事です。まあ、この連中にはちょっと薬が効きすぎた気もしますが、そもそも迷惑なのはこいつらですしね」

 奇襲が大成功して満足なルカルカはえへんと胸を張った。
「そゆこと! 彼氏がいてもチョコをあげられない人もいるんだから、反省してもらわなくっちゃ!!」

 テキパキと犯人を確保して、警察への連絡を済ませたダリルは事もなげに言い放つ。
「まあ、そこは人それぞれってやつだ。大体、バレンタインにチョコが欲しければ恋人を作れば良かろうが、こいつらもな」

「……できればやっとるわぁ〜」
 ダリルの一言に呻いたクルセイダーの声は、セルファと真人の苦笑いにかき消されたのだった。


                              ☆


「ふむ、チョコが欲しいか、ならくれてやるさね、ほれ食いねぇ食いねぇ。チョコ食いねぇ」
 ノア・レイユェイは秋月 桃花にまとめて飛ばされた独身男爵とチョコレイト・クルセイダーの相手をしていた。
 一応ノアは自分が囮のつもりだったのでクルセイダー用のチョコも用意していたのだが、中身はハバネロソース入りチョコレートボンボンというひどい代物であった。
 ぶっ飛ばされてヘロヘロになりながらもチョコをよこせと迫った独身男爵の口に無理やり詰め込んだのから、これもまた大変だ。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!」
 もはや声にならない。
 男爵の様子を見て事態に気付いた他のクルセイダー達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出すが、伊礼 權兵衛と平賀 源内が次々に押さえ込んではその口にハバネロソース入りチョコレートボンボンを放り込んでいく。

「ふぉっふぉっふぉっ、チョコに狂って騒ぎを起こすのもまた青春のなせる業じゃのう、遠慮せずに食わんか!!」
「まったく、こげなことになっとるのもおまえらのせいじゃけぇ、とりえあず一発殴らせんか! そしたらチョコくらい食わしたるけぇ!!」
 と、むがむがと抗議するクルセイダーの口にハバネロチョコを詰め込んだ。

 何人かは捕らえたが、何人かは逃がした。それでもノアは満足だった。
 気絶したクルセイダーの上によいしょと腰掛けるノア。愛用の煙草入れから刻み煙草『小粋』を取り出して煙管に入れ、火をつけた。

 ぷはぁ。

 ゆらゆらと街灯に揺れる紫煙を愉しみながら、ノアは呟いた。
「なあ、伊礼のじーさん」
「ん……なんじゃ?」


「バレンタインも、けっこう楽しいもんじゃないか?」