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【カナン再生記】巡りゆく過去~黒と白の心・外伝~

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【カナン再生記】巡りゆく過去~黒と白の心・外伝~

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第3章 漆黒の罠 6

 ――言葉を失った。
 失うに相当するほどの広大な空間がそこにはあった。空間だけではない。
 左右に広がり、敷き詰められるようにして並べられた本棚の数は無数におよび、取り囲むようにして構成されるそれは一階と二階とに分けられていた。やたらと階段が多かったのはこのせいかと、ぼんやりと理解される。もともとは何らかの壁が入り口を閉ざしていたのだろうか……石壁が持ち上がっており、どことなく知らないところで仕掛けが作動したのかという怪訝な気持ちになった。
 ともかくである。それはいわば、多量の資料と書物が保管される図書館とも言えた。
 しかし、ただの蔵書ではない。そこにある書物のほとんどは古文書や秘文の類であり、史料価値、物的価値としても相当のものであった。それだけでも驚きであったが、何より契約者たちの目を奪ったのは部屋の様式である。
 天井まで描かれた模様とレリーフ、そして明らかに古びたどこか不思議な高揚感をもたらすそこは――遺跡だったのだ。
「遺跡の上に、城が建ってるっての?」
 信じがたいことかのように茅野 菫が言った。
 事実、その予想は当たっているのだろう。二階の中央最奥部まで進んだとき、ロベルダたちの目に飛び込んできたのはこの遺跡と城の建築図であった。
「……これは、なんという」
 壁にかけられたそれを見ながら、ロベルダが唖然としたように呟いた。
 一見すれば何の変哲もない城であったというのに、設計図には数々の道と仕掛けが事細かに描かれていた。この巨大な蔵書室にたどり着くのもまた、一つだけではないらしい。
 そしてその建築図の下には――
「これは……なに?」
 リーン・リリィーシアが手に取ったそれは玉であった。
 見た目は宝珠かオーブか、魔法的なものを感じさせるが、どうやら機晶石の一種らしい。
 声が聞こえたのは、リーンがそんなことを皆に告げたときだった。
「闇は彼の地に降り立った。その地にある光、栄光、秩序、幸福を全て喰らい、やがて混沌のもとに彼の地を支配しようとした」
 声は、足音とともに続く。徐々にこちらへと近づきながら。
「女神イナンナは闇と戦った。幾年にも亘る神と闇との戦争は止むことがないと思われたが、一つの希望が生まれる。神の翼――エリシュ・エヌマである」
「お前は……!?」
 如月 正悟が、本棚の向こうから姿を現した少女を見て目を見開いた。
「神の翼エリシュ・エヌマ、そして女神イナンナによって闇は滅ぼされた……その闇の名は、『心喰い』という」
 少女――坂上 来栖(さかがみ・くるす)は不敵に笑った。魔女モートの仲間である彼女を見た正吾は、次の時にはすでに刀に手を添えていた。無論――仲間たちも同じように彼女に警戒を露にしている。
「なぜ……お前がここにいる」
「いきなり敵意むき出しとは、悲しいですね」
 嘆くように来栖は言う。その手にある本を彼女は閉じた。
 その様子に、鳳明が声を漏らした。
「それは……」
「ああ……これはこの部屋で見つけたものですよ。歴史書の一種ではありますが……まるで世界の裏を描くような内容とは思いませんか? 女神イナンナと『心喰いの魔物』の戦争、そしてエリシュ・エヌマ……」
「神の翼、エリシュ・エヌマ?」
 怪訝そうな正吾の声に来栖は親しげに笑ってみせる。
「と、いうらしいですね。そしてそこにある宝珠のような機晶石こそが、エリシュ・エヌマの核たるパーツであると……」
 来栖はリーンが抱える機晶石に視線を向けた。
 その言葉を聞いたリーンは、驚きとともにパーツを守るように抱きかかえる。
 ロベルダが疑念を口にした。
「核のパーツ、ですと……?」
「ええ、その通りです。ここにはエリシュ・エヌマの操縦法なんかについても詳しく書かれている本がありますよ。ちなみに、その記述によると、エリシュ・エヌマはその機晶石を定められた場所に装填して初めて主導操縦が可能となる代物のようですね。起動そのものは可能ですが、たとえ起動したとしてもその機晶石がなければ自動操縦モードしか働かないと……まさに資格ある者のための翼です」
 彼女曰く――エリシュ・エヌマは『心喰いの魔物』とイナンナとの戦争が起こったときの遺産であるらしい。
「しかし、エリシュ・エヌマは『心喰いの魔物』との戦争で大きな損壊を受けた。これ以上の戦争が起こらぬことを望む意味でも、エリシュ・エヌマはカナンの地下に封じられたわけですね。……まあ、それが南カナンの皆さんによって発掘されるのは予想できていたことかどうかわかりませんが」
 そして、いまは南カナンによって保管されるに至るということか……しかし。正吾たちは怪訝そうに眉をひそめた。
「なぜ、それを俺たちに話す? お前はモートの仲間じゃないのか?」
 エリシュ・エヌマが操縦できるようになることは来栖たちにとっても不都合だろう。気前よく講釈する来栖に鋭い視線が突き刺さる。来栖はそれを真正面から受け止めてくすっと笑った。
「何がおかしい?」
「いえ……どうせここで死ぬ方々に冥土の土産を渡すのは、地球人として当然のことと思いませんか?」
「……!?」
 来栖は、背後に背負っていた刀を抜いた。その瞳は契約者たちの動きを見逃さぬように瞬き一つなく見据えられていた。
「さあ……いきますよ!」
 瞬間――来栖は眼前に迫っていた。だがそれを防ぐのは、闇を湛えた銀髪の髪をなびかせる吸血鬼――アリス・ハーディング(ありす・はーでぃんぐ)だ。
「……っ」
「させませんわ」
 アリスの構えた銃器が刀身を防ぐ。甲高い音を発したのを耳にして、すぐに来栖は後退した。そのまま、再び襲いかかろうとする――予想もしないものが来栖の腕を切断したのはそのときだった。
「あ……ッ?」
 それは斧だった。恐らくは、壁に飾られていたものの一種だろう。皆の目が集まった先にいた、ひどく荒く呼吸をしているロベルダを見て来栖は愉快げに顔を歪めた。
「フ……フフ……なかなかお若い。てっきり枯れてるかと思いましたが」
「こ……これでも……元は兵士を務めていたのです……よ……」
 今にも腰をつきそうなロベルダに心配そうに加夜が駆け寄る。更なる敵意を見せて来栖を見据えるのは、先陣をきる正吾たちだ。
 だが、来栖は構えを静かに解いた。驚きに目を見開く契約者たちに、彼女はつまらなそうに呟く。
「まったく……ご老輩を戦わせることになるとは……今回は興ざめですね」
「なに……っ!」
 そのまま立ち去ろうとする来栖に正吾の声が注がれる。来栖は振り向くと彼に一冊の本を放り投げた。
「私は帰りますから、それは差し上げます」
「お、おい……まてっ!」
 どれだけ叫ぼうとも、それ以上彼女が振り返ることはなかった。彼女の帰り道はロベルダたちとは違った。モートの影の力を借りたのか、たった一人でここまでたどり着くことが出来たの。
 それを知りえることは出来ないが――不思議と正吾の心には、モートを憎むような憎悪が彼女にも芽生えるようなことはなかった。
 そして、正吾の手の中に残された本には、『心喰いの魔物』がいかなるものかを記した記述が残されていた。



 その後――それぞれの通路からやってきたのは仲間の契約者たちであった。
 フレデリカや緋雨たち冒険屋のメンバーが再会を喜んでいる中で、ランツェレットたちも合流する。ランツェレットが開いた扉が一階奥にある正面扉であったことから、恐らくは元々遺跡のみが残されていたときの玄関口がそこだったのだろう。
 その後、遺跡の上に城を建てる際に入り口の通路を増やしたということか……。
 いずれにせよ再会を喜ぶのもつかの間……やるべきはこの蔵書室の探索であった。それぞれが探索を進めた後で、正吾は彼らに来栖から渡された本の内容を告げる。
「『心喰いの魔物』は……石化されていたのか?」
 その内容に、政敏の驚きの声が返された。他の契約者たちも例外ではなく、みな驚きを隠せない。そしてその視線は、唯一カナンで人生を過ごしてきたロベルダに向けられた。
「私は……もちろん存じ上げぬことです」
 石化刑はそもそもカナンにとって一般的に周知のものとは言い難い。ロベルダとて、それを知っているはずもなかった。
「でも――ネルガルは知っていたって可能性が高いわよね。そして、石化と近い位置にいた……」
 ふと茅野 菫が呟いた一言に、仲間たちははっとなった。
「もしかしたらネルガルが征服王を名乗り始めたのは、そのせいってことは……」
「どうですかね?」
 それに声を返したのは、伊東 武明だった。彼は熟考を思わせる顔で冷静に推論する。
「可能性はないこともないですが……そのためには石化を解かねばならぬでしょう? 仮に石化刑自体が時によって劣化するものだったとしても……それを放っておくほどイナンナ様も考えがないわけではないのでないでしょうか」
「……そうか、なるほどね」
 もしネルガルが石化を解いたのだとしても、それは征服王として動き始めた後の話だということなのだろう――恐らくは。では、やはり彼が征服王として名乗り出たのは自らの意志によるものなのか?
 考え込む菫が、皆に聞く。
「そもそもじゃあ……『心喰いの魔物』なんて存在は、いまも神聖都で眠っているの?」
 それにすぐ答えを返せる者はいなかった。ただ……誰もが心の中である推測を考えていた。それは、あまりにも『心喰いの魔物』が“奴”を彷彿とさせるからだ。
 ようやく口を開いたのは、正吾だった。
「心喰いの魔物は……古来より存在する姿なき魔物らしい。時と時代によって姿を変える悪しき存在……」
 その台詞は、彼の開いている本に書かれていることなのだろう。
 彼は皆を見回した。
「こいつが誰なのか……みんなの想像は同じなんじゃないのか?」
 その言葉に異論を唱える者はいなかった。
 同時に、彼らの中にはある種の畏怖に近いものも生まれていた。得体の知れない相手に対するそれは、確かに、気づかぬうちに彼らの背中に冷たい汗を伝わせていた。
 ――その恐怖が破裂でもしたかのように、大爆発の音が聞こえたのはそのときだった。
「なんだっ!?」
 音がしたのは、数ある出口のうちの一つの方角だった。
 すぐにそちらに向かって駆け出す契約者たち。その最後尾で、にやりと笑みを浮かべるのは一人の少女であった。