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老魔導師がまもるもの 後編

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老魔導師がまもるもの 後編

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7/深き夜の陽

 相手は、こちらに対し何の情も残っていない。大切な相手だということを、認識できていない。
 逆にこちらからは──迂闊に手出しができない。
 これで、苦戦しないわけがない。相手が自分にとって大切な者であればあるほど、尚更。

「やめて……やめてよ! モーちゃん!」

 刃ぶつけあう、北都とモーベット。
 傷つくたび心もまた傷ついていくのは、正気である側であり。

「今回は──流石にやばい、かも……な」

 刃抜けず、誠一は苦しむ。その苦しみを生み出すのが自分自身とその過去であることを自嘲、しながら。
 けっして剣をその手に振るえぬ己に、同時にどこか安堵をしながら。

「なんで、そんな顔してる。お前にそんな顔、似合わない」

 するはずのない顔。させたくない顔を相手がしている。それは修也の望まぬこと。
 認められは、しない。

 だから、戦う。大切な相手が、信頼する相棒がそこにいるから。
 彼ら、彼女らのために。彼らは苦境の中でも、戦い続ける。



「ほらほら、どきなさいよっ! 邪魔なんか、させやしないんだからねっ!!」

 セルファが武器を振るい、行く手を阻む黒づくめたちを薙ぎ払う。彩夜が、加夜が、真人が放つ援護を受けて、美羽が敵陣深く切り込んでいく。
 目的の場所には、あともう少し。
 邪魔をするなら、突破するだけだ。
「はあああぁぁっ!」
 そんな彼女らの助けとなるべく、駆けつけたルカと寿子のコンビが軍団の側面を突く。
 それは実に、絶妙のタイミングであり。
「行ってください! ここは私たちが!」
 前と、横。同時に攻め立てられて、黒づくめの一団は散り散りになっていく。
「子どもたち、無事に避難できたって! これ、雅羅からの伝言ね!」
 空飛ぶ魔法で、みんな安全なところまで離れられた。
 ルカは槍を地面に刺すと、背後から飛びかかるふたりを同時に裏拳で撃墜する。引き抜いて、回転させて。銃撃を、ことごとく弾く。
 人垣の向こう、乱戦の先──やがて、それが見えてくる。
「あそこです! あの石の祠!」
 そここそ、座標の位置に相違なかった。



 ──間に合った。
 夜の闇に染まった、教会の聖堂内。最後の封印地点から、準備完了の旨を伝えられ内心快哉をあげたその直後、和輝はひとつならぬ足音を耳にし、振り返る。
 人の気配……一体、誰だ。そう思い見遣った先に佇むのは、老婆。
「──『貿易風』の。動いて、平気なのですか」
 彼に替わり、未だ聖堂の中心において呪いを食い止め続けるエッツェルが、声をかける。
 開け放たれた、重い聖堂の扉。
 そこには年老いたかつての大魔導師が、康之と聖に両脇を抱えられて、更にその左右に付き添うダリルとセレアナに連れ立たれて、少しずつこちらに向かい前進してくる様があった。
「俺らは、まだ寝てろ。任せろって止めたんだがな」
 エヴァルトが言う。入り口から少し離れて、近遠とユーリカもそれを見守っている。
「スランさん、彼の言うとおりです。無茶してなにかあったら」
「無駄じゃよ」
「──え?」
 パートナーを狂暴化させたくないなら、とにかく視界から消えること。そう言われついてきた近遠の気遣いに、『ダンタリオンの書』──やはり老婆と同じ年月を知る魔導書が頭を振って肩を竦めてみせる。
「仮にもかつて名をはせた魔導師のはしくれ、もはや戦えぬほど老いたりといえ自身の封じてきたモノを解き放たれて、じっとしておけるものか」
 管理者としての、責任とプライドよな。
 魔導書の言に、老婆は何も言えないのか、言うほどの余裕すらもないのか無言のまま、ひと足ごとに身体を震わせながらも、聖堂の祭壇へ向かい歩を進めていく。
「おばちゃん。気ぃつけて」
 聖が、かつて彼が世話になっていた頃とは比べ物にならぬほど小さくなったその背中をしっかりと抱え、支える。
 康之が、彼女の手を引く。
「スラン、さん」
 封印の準備を進めていたホミカが、近付いてくる彼女に振り返る。
 こくりと頷いた老婆に、緊張の面持ちで頷き返す。
 老婆の目は、その隣のふたりへとスライドして。
「え、あの」
 五百蔵 東雲(いよろい・しののめ)と、リキュカリア・ルノ(りきゅかりあ・るの)。彼女らを、スランは交互に見る。
「なにか……?」
 きょとんとするリキュカリアを視界に捉えながら、彼女はぽつりと東雲に言う。

 ──あんた。歌は、歌えるかい。

「え……?」
 歌。こんなところで? そりゃあ、聖堂に讃美歌や聖歌はつきものではあるだろうけれど。

 ──歌って、くれないかい。

 老婆はふたたび、言う。
「頼む」
 聖が、老婆の隣で頭を下げる。
「歌ってやれ、古い魔導師の習慣だ。……儀式には歌がつきものだった、そんな時代のな」
 腕組みをした『ダンタリオンの書』に促され、ふたりは顔を見合わせる。
 東雲はやがて目を伏せて──窓から月を眺めながら、歌いだす。
 静かな、月光の歌。
 夜のあとにやってくる、朝日を待つ歌を。
 はじめて聞くはずのその歌に、リキュカリアはなぜだか懐かしさを感じた。そして再び、この教会そのものに対しても同じく、ひどくここが懐かしいものであるように思えた。
 そう、この場所と、夜空と。雰囲気とがまるで、歌に同調するかのように。

 ──一体、何年ぶりだろうね。

 老婆が、窓の外を見上げ呟く。
 月だけが照らしていたはずの空に、光の粒子が昇っていく。

 ──『深き夜の陽』。ここの霊脈特有の現象さ。

 空に、翡翠色の太陽があった。
 本物よりずっと小さくて、ずっと柔らかな光を放って。ずっと、近くにそれは浮かんでいる。
 夜の闇に覆われていた薄暗い聖堂が、明るく、やわらかいその光に包まれていく。

 ──呪いに汚されても、まだこんなにきれいなもんだとはね。




「めいっぱい力こめろよ! ……いくぜっ!!」
 そして、空に浮かんだ真夜中の太陽を囲むように。
 四つの場所で同時に、光の柱が天に向かい伸びる。
 ある場所では、シリウスやフレンディスたちが。
 またある場所では、陽太と陽介が。
 そしてあるいは、彩夜たちが、全身の命の鼓動をその光に注ぎ込んでいく。
 注ぐたび、柱は強く輝いて、鱗粉のように光の粒子を散らして。
 明滅する真夜中の太陽へと、その力を流れ込ませてゆく。

 その様を、負傷者たちの手当てに勤しむ柚が見上げていた。彼女の傍では、三月もまた。武が、ヒロユキが空に輝く球体を、指差しながら。

 霜月と裕輝、対照的なふたりもそう。光の柱の出現とともに倒れていった剣の花嫁たちを尻目に、ただただ光景へと見とれている。
 ハデスを助けて追跡者たちの攻撃を逃れる羽目になり、ひとまず彼を地面にめりこむ勢いでぶん殴ったゆうこも、今は目を奪われ続ける。

「……来る!!」
 そして、エッツェルが、呟いた。
 霊脈へと己自身を直結した彼の感じ取った波動。四方から流れ込んでくる、膨大な量の力。
 老婆が聖たちに合図し、一歩、また一歩。少しずつ宝石の祭壇に近付いていく。頷きあい、ホミカが、朱鷺が──朱鷺は消耗にふらつきながら──老婆とともに、祭壇を囲む。
 空からの光と、石造りの床から放たれる光。その輝きに、皆が照らし出されている。

 いつの間にか、気を失っていた。目覚めると、身体が軽くなっていた。もしやと思い向かった教会、その聖堂を覗き込んで、ベアトリーチェはそれらの光景を目にする。
 光の溢れる聖堂。
 夜空に輝く、深き夜の陽。
 その神々しさの中でたしかに、年老いた魔導師が笑っているのを彼女は見た。
 それは、満ち足りた──やり遂げた者の、充足感の笑みに他ならなかった。



 やれやれ、これは一種の、天の配剤というやつだったのかな。
 ──なんて。クナイ・アヤシ(くない・あやし)はパートナーたちの危機に駆けつけるのが遅れてしまった自分について、そんなことを思う。
「北都」
 自分を抱きしめる北都の頬には、幾筋もの涙の伝った跡があった。
 そして彼は、今まで着ることのなかった魔鎧を、身に着けている。
 北都は今、はじめてモーベットをその身に、宿しているのだ。
 空には、月よりきれいなまんまるの光。まるでその輝きは、自分たち三人を祝福しているかのようだった。
 もう、大丈夫だ。そう、はっきりと実感できる。

 北都も、モーベットも。他の、パートナーたちが呪いを受けた皆、全員もう大丈夫。

 泣いているより、笑っていてほしいと伝えられる。
 三対一の望まぬ戦いではなく、三人をその手に抱きしめられる。
 パートナーが呪いに打ち勝ったことを、喜べる。

 きっともう、大丈夫なのだ。