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老魔導師がまもるもの 後編

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老魔導師がまもるもの 後編

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5/阻害

 さて。教会では、おそらくなにかが、起こっているはずだ。
 ──先を行くこの、自分の雇い主たちが目的を果たした以上。そこでなにか、変化が生まれているはず。そしてそれが一般的にはよくない部類の変化であることだと、辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)は知っている。
 知ってはいる。だが、同時にその変化が具体的にどういった現象を起こすものであるかまでは、把握してはいない。
 する必要も感じなければ、する気もなかった。
 自分は、あくまで雇われの身。すべてを知る意味はない。クライアントが目的を果たした今、すべきことは回顧でなく、離脱の援護。前方を走る黒づくめのふたりを見遣りながら、刹那はあくまでも冷静だった。
 最後まで、この依頼を自分は果たすだけ。殿を務め、周囲を警戒し刹那は走る。
「!!」
 そして、そういう雑念を抱いたときに得てして敵というものは現れる。
 刹那と、雇い主たちと。三人の向かう先に道を塞ぐようにして佇む、ふたつの影。

 ──待ち伏せ。

 思わず内心、舌打ちをする。追っ手を警戒していたはずが……ルートを読まれたか? できることならばまぐれだと思いたいところだが、どちらにせよ突破せざるを得ない。
 ボディーガードの役目は果たせということか、スピードを落とした前方の黒づくめたちを追い抜き、待ち伏せる者たちの正面に、刹那は出る。
「お前らだな? この騒ぎの原因ってのは」
 月明かりのむこうで、待ち伏せる片割れ──玖純 飛都(くすみ・ひさと)が言い放つ。
 それと同時、周囲に霧が立ち込めていく。
 アシッドミスト。視界を奪われる前に、刹那は叫ぶ。
「行け!」
 言われるまでもないとばかり、黒づくめの二人組は刹那を残し、更に二手に分かれ走り去る。
 連中が逃げ切るまで、時間を稼げばいい。
 そう思った矢先、
「!? ……狙撃手かっ!?」
 右側に折れた一方の脚を、一条の軌跡が貫いた。
 もんどりを打って倒れる依頼主が、森の土の上に転がる。
「上かっ!?」
 刹那は、頭上を見上げる。
 背中には羽根、手にはスナイパーライフル──ゆっくりと降下してくるその姿こそ、黒づくめの片割れを狙撃した犯人に違いなかった。
「ワンショット・ワンキルってな。ま、殺すわけにはいかんがな」
 柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)。再び構えたその銃口は、刹那へと向けられる。
 とっさ、刃を抜き放って銃撃を防ぐ。……多勢に無勢。おまけにこちらは、一名は行動不能。二撃、三撃。的確な狙撃を、どうにか弾く。
 その背後で、喚く声が聞こえてくる。
 どうにかしろ。助けろ。勝手なことを言っている。……依頼主である以上は、放っておくわけにもいかないが。
「……貴様っ!?」
 幸いに、もう一方は走り去ったか姿はもう見えない。
 問題は、残されたもう一方。地に伏せ、どうにか上半身だけを腕の力で起こしたその黒づくめの背に、近付く影を刹那は見る。
「申し訳ありませんが、逃がすわけにはいきませんよ」
 アシッドミストに乗じて忍び寄った、矢代 月視(やしろ・つくみ)。吸血鬼たる彼は黒づくめの首筋に、自由を奪わんと牙を突き立てる。
 更に──霧の向こうへ走っていったはずのもう片方が、転がり吹き飛ばされて、刹那の視界に押し戻される。
 それを追うように霧の中へと躍り入るのは、ゆうこたちだった。
「観念しなさいっ!」
 状況は、あまりに一方的だった。二対一、三対一どころの騒ぎではない。
 にじり寄る追跡者たちに、ありったけのダガーをばらまく。そしてその隙に無事なほうを連れて離脱する。そのくらいしか刹那に残された手はなかった。
「──?」
 しかし。そうするまでもなく。
「え……?」
 刹那へにじり寄るゆうこや、陽一や。恭也の表情がさっと変わる。
「な、に?」
 刹那のものではない、漆黒の短刀が、首筋に牙を突き立てられ自由を奪われた黒衣の胸元に深々と、刺さっていた。
 そして次には、無数の影が追跡者と逃亡者の間を隔てるように降ってくる。
「こいつら……仲間か!?」
 陽一の、呻くような声。
 刹那たちを囲み、陽一たちの行為を阻害するその者たちは一様に、ぐったりと地面に転がった骸と同じ黒づくめの怪人たちだった。
 そのひとりが、刹那にジェスチャーをする。無事なほうを連れてとっとと行け、と。
「あ、こら! 待て!」
 即座、刹那はそれに従っていた。気絶した片方を抱え、その場を離れる。
 増援を──保険をかけられていたことに、些かの不満を覚えながら。
「待てよ!」
 飛都の声が、夜空に消えていく。



「やつら、逃げる気です! 追わないと……っ!」
 逃げてゆく黒づくめと、その護衛と。行く手を阻む、やはり黒づくめの一団。
 それら、眼前に広がる光景にゆうこは思わず叫ぶ。
「──うん、そうね」
 その声に、応える者があった。
 黒づくめの軍団、その一角が空高く跳ね飛ばされ、舞う。
 落ちてくるいくつものその身体に、次々と打撃が撃ち込まれ、確実に意識を奪っていく。
 それは、ルカと寿子のコンビだった。
「こいつらのおかげで大変なことになってるんでしょ? だったら許す手はないよね」
「です!」
 洗いざらい、とっ捕まえて吐かせないとね。数の多い敵を、次々ルカは屠っていく。彼女の攻撃に耐えても、それを寿子が確実に打ち倒す。それは、見事な連携だった。
「──朱濱さん。あんたは、逃げた二人を追え」
「えっ?」
 ナイフを、くるくると回して陽一も前に出る。
「俺たちはここでこいつらを捕まえる。朱濱さんは逃げたあいつらを捕まえる。そのほうが効率的だろう?」
 ここは、三人で十分だ。すっと、彼は拳を差し出す。
「──わかりましたわ」
 その拳に、ゆうこも自分の拳を差し出し、合わせた。
 こつんとぶつけて、そして分かれる。
 陽一は殲滅に。ゆうこは、追撃に。



 この腕にかかる刃の重みは、パートナーの重みだ。
「やめて! モーちゃん!」
 ティアマトの鱗を交差して受け止めて、それはなおずしりと重い。
 彼はほんとうは、こんなことをする人じゃあない。その彼がこんなことをやる羽目になっている──パートナーに対するその想いが、重くて、苦しくて。痛くて。
 清泉 北都(いずみ・ほくと)の心の中には、名状しがたい歯痒さの火が灯っていた。
 魔鎧ゆえ、呪律の影響を受けてしまっているパートナー……モーベット・ヴァイナス(もーべっと・う゛ぁいなす)の、ゆらりとした動き。弛緩のあとには、最速の一撃がやってくる。
 どうにか受け止め、身体を入れ替えて。正気を失った彼の矛先をカルテや奈月たちのかばう子どもたちから自分へと向けさせる。
 第一目標は、自分のはず。
「目を覚ましてよ! こんな事しにここに来た訳じゃあ、ないでしょ!?」
 呪いなんかに負けないで。その言葉が届くよう願いつつ、攻撃を避け続ける。
 そこに信頼のないただの殺し合い──パートナー同士それをやらされることが、大切な人から望まず命を狙われることが、こんなにも辛いなんて。
「くっ!?」
「危ないっ!」
 ヒメリの、悲鳴に似た叫び。足元に走る木の根に躓き、背中から倒れる北都へとモーベットの刃が迫る。
「させ、ないわっ!!」
 間一髪、駆けつけた雅羅がタックルで彼を突き飛ばしていなかったらどうなっていたか。
「やれるわね、まだっ!」
「うん!」
 黒づくめの連中は、ここにも出現していた。
 手当てを受け立ち上がった甚五郎の正拳突きが、子どもたちに襲いかかるそのうちのひとりの腹を打つ。崩れ落ちるその男のことなど一瞥もせず、彼は走りパートナーたちを呼ぶ。
 こっちだ。標的はこちらのはずだろう。呼べば三人の攻撃を一手に受けることとなり、苦戦を強いられることを理解しながら甚五郎は敢えてその道を選んだ。
 望まぬ戦いを生み出した者たち。彼らの生んだ望まぬ状況故満足に戦えず、苦境に立たされる。いつしか戦場を雅羅や甚五郎、切札たちと重ねていた八神 誠一(やがみ・せいいち)も、そのひとり。
 暴走する相棒、オフィーリア・ペトレイアス(おふぃーりあ・ぺとれいあす)の攻撃に防戦一方でここまで追い込まれた。
 何度、刀を抜こうと思ったろう。そしてそれを実行に移そうとしたろう。仕方ないこと、やむを得ないことだと、頭ではわかっていた。
「……ふんっ!!」
 なのに、できない。無論パートナーに対する手心というわけでは、けっしてない。
 一瞬の隙を突き、オフィーリアの鳩尾に柄頭を叩き込む。刃を抜けないのは、相手がどうということではなく、誠一自身の問題なのだから。
 かつてのトラウマが、この命の危機に至ってなお、彼に刃を抜刀させないでいる。──思わず、自分自身に嘲りの失笑が漏れる。
 抜けないことを忌々しく思うべきなのか。
 はたまた、相手を斬らずに済んでいることを、感謝するべきなのだろうか。
 火炎を避け、積極的に打ち込めぬままに戦いは続く。

 同じように苦戦を強いられる、世納 修也(せのう・しゅうや)の戦いに彼のような笑みの成分はなかった。
「く……ルエラっ!」
 丸一日、なんでもない野外活動の日であったはずなのに。どうしてこうなった。心に浮かぶのは後悔のような愚痴と、苛立ち。
 武器のスナイパーライフルは手にしているが、撃てるわけがない。
 相手はパートナー。ルエラ・アークライト(るえら・あーくらいと)は自我を失っているだけなのだ。
「くっ!?」
 殺気に満ちた攻撃、ひとつひとつが修也を追い詰める。
 そして背中が、大木の幹にぶつかった。悠然と、ルエラは無表情にこちらへやってくる。
 まっすぐ、ライトブレードの切っ先が顔に向け突き付けられる。
 ──ここまで、か?
「っ!?」
 あとはそのまま、力を込めるだけだった。
 外しようもない。なのに、……なのに、外れた。
「なん、で」
 光の刃は顔面ではなく、その横。頬を微かに焼きながら、幹にまっすぐ突き刺さる。
「ルエ……ラ……?」
 大木に剣を突き立てたきり、発条でも切れたかのようにぴたりと、ルエラは動かずにいる。
 その頬にひと筋──無表情なその顔に、涙を伝わせて。
 いいや、違う。ルエラは泣けない。涙を流せない。なのにそう錯覚させるくらい、そう見えるくらいに、彼女の無表情の中に修也は翳を見た気がした。
「どう、して?」
 ぽつりと、誰に言うでもなくルエラは呟く。
「どうして、思い出せないんだろう? ──きみの、顔」
 ボクが想っているのは、誰?
 この世で一番、殺してやりたいのは、……誰?