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千年瑠璃の目覚め

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千年瑠璃の目覚め

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 薄い紅茶茶碗を唇から離し、モーロア卿は不意にふふふ、と笑った。
「何か?」
 ジェイダスが尋ねると、卿は唇に笑みを残したまま、
「いや……貴殿には非常に忠実な臣下が沢山おられるようだ、と」
 ジェイダスの隣で控えている早川 呼雪(はやかわ・こゆき)は、モーロア卿を一瞥した。
 傍で控えている自分とパートナーのヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)以外にも、この旧・謁見の間のそこかしこに身を置いて、それとなくジェイダス理事長の身辺に気を配る薔薇学生がいる。有事の際、決して理事長に危害が及ばないようにと。そのことに気付き、それを指して言っているのだろう。
「臣下ではない、生徒だ」
 いささか木で鼻をくくる様な口調で返すジェイダスである。どこか地に足のついていないような見方で物事を面白がっているこの男には、まともに相手をしても仕方がない、と考えているのかもしれない。
「本当にあの子、生きてるのかな」
 こっそりヘルが、呼雪に小声で尋ねる。ヘルはジェイダスの傍にいると、苦手意識から変にぎくしゃくしてしまうので、呼雪と少しでも話すことでそれを紛らわそうとしていた。
 ジェイダスの傍に控えた二人の位置からでも、千年瑠璃の姿は見える。
「さぁ、今はまだ分からんな」
 呼雪はあっさりと言って、視線を前方に戻す。
(魂と密接な繋がりのある魔鎧が、果たして死した後もその美しさを保っていられるだろうか?)
 そもそも、少なくとも魔鎧になる時に一度元となった者は死んでいる筈だが……
(更に、今の生死すら物議を醸す、か)
 人それぞれの思いが幾重にも絡まって、一番重要な事実の「核」が見えない。複雑にカットされた宝石の光彩が、見る位置によって変わるように、一つの物事が幾つもの姿を取って見えている。そんな風に呼雪は感じていた。
(様々な人物が異なる内容を口にしようと、結局事実はひとつだけ。
 ……尤も、真実までひとつきりとは限らないがな)
 呼雪の興味は魔鎧そのものではなく、それを取り巻く者、接する者、何かしようという者達の思惑や想いの方にあった。
 ジェイダスの身を守りながら、それを見極めようと、静かに思っていた。その横で、ヘルが呟く。
「確かに綺麗な子だよねぇ」
(でも理事長って、女の子の瑠璃ちゃんには、もしかして、あんまり興味ない…?
 ――とか言うと、呼雪から「お前と一緒にするな」って無言の視線が刺さるかも……)
 そんなことを考えて、一人であたふたしている。そんなヘルを横目で見ながら、呼雪は苦笑に似た微笑をほんのりと顔に上らせた。


 やがて、再び立候補者のトライアルが始まると、中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)を纏って現れた。
 優美な足取りで石柱の前に立つと、一度、纏ったドレスに手を触れる。
「さぁ、来ましたわ。存分にお話しなさいな」
 もともと綾瀬は、立候補するつもりはなかった。『特別な魔鎧に群がる欲望塗れの存在達の行動』を傍観して楽しむつもりだったのだが、ドレスがどうしても千年瑠璃に語り掛けたいと言うので、その願いを叶えるために立候補したのだ。
 ドレスが一度、口を開く前の予備動作という風に、すっと息を吸った。
「あなたは、自らその状態になっているの?」
 冷たく染み渡るような声が、青い結晶の表面を震わせて渡る。
「もしそうだとしたら、あなたはとても幸せ者なのね……
 世の中には望んでいないのに気の遠くなる程の長い年月、飾られ続けなければならない者も居るというのに」
 同じ魔鎧、同じように長年一つところから動かなかった――自分はその環境に置かれて動くことができなかったが、この目の前の相手の意図は分からない――者として、その言葉が口をついて出た。
「もし、目的があってその様な状態で居るのなら、無駄な事は止めなさい……
 自分で行動しない限り、望んだモノなんて、見つかる訳無いわよ?」
 同じ魔鎧として、告げたいことをストレートに、簡潔に伝えると、後はどちらも投げることも受け止めることもない沈黙が満ちるだけ。
「……終わったの?」
「えぇ。これで充分」
「では……千年瑠璃様、御機嫌よう」
 踵を返しかけて、ふとその動きを止め、綾瀬は独り言のように言う。
「そう言えば、千年瑠璃様には姉妹(兄弟?)と言える方々がいらっしゃる様ですわね……。
 この会場にも魔鎧の方が沢山居られますが、もしかしたら千年瑠璃様にお会いする為に訪れているかもしれませんね?」
 応えはない。だが綾瀬は頓着せず、来た時と同じように優美に歩いて広間を出ていく。
(そう、珍しいモノをコンプリートしたいが為、主催者はこの様なイベントを開催した可能性も否定出来ませんもの……)
 綾瀬は考えていた。
(それほどのものなら、シリーズが勢揃いした場面を拝見したい気持ちは、私もありますが……自然な形で観たいものですわね)
「視界を埋め尽くし、息が詰まるほどの青一色……」
 不意に、ドレスが呟いた。
「その向こうで誰かが淡く淡く、悲しげに微笑した。諦念を映したように……そんなイメージを受け取った、気がしたわ」
「ドレス」
「錯覚かも知れないけれど。……不思議な感じだったわ」
「……、そう」
 綾瀬は一度だけ、石柱のある方を振り返り、そして再び歩き出した。


(この部屋にもいないか……完全にはぐれたな)
 立候補者の控えの小部屋に入ってきた神条 和麻(しんじょう・かずま)は、人ごみではぐれたらしいパートナーの
エリス・スカーレット(えりす・すかーれっと)の姿がここにもいないと分かり、どうしようかと考えあぐねた。もうじき自分の番のようだ。
「君の番だが、どうかしたか?」
 警備計画を立てた結果、この小部屋から旧・謁見の間に不審者が侵入しないよう警備に当たっている黒崎 天音が、声をかける。
「あ、いや……。今出るよ」
 和麻は慌ててやや早足になりながら、広間の方へと出ていった。エリスはとりあえず、トライアルの後で捜索することにする。
 本当は彼女がいる方がいいのだが……この立候補は、彼女のためだから。
 石柱の前まで来ると、和麻は挨拶と自己紹介もそこそこに、エリスの写真を出して石柱の中の千年瑠璃に掲げてみせた。
「あなたは千年前に作られたと聞く……聞きたいんだが、この写真に似たような人物を、その頃見かけた事がないかな。
 俺の、仲間なんだ……」
 しかし、千年瑠璃の応えはない。そもそも、石柱の中で目を閉じて固まっていて、写真を見るそぶりもなかった。
 それが彼女の意志で見ないのか、彼女を目覚めさせられないから必然的にこちらの用件を聞けないのか、それは分からない。
 待ったが、何の反応もない。――諦めて、和麻は元来た方へと踵を返しかけた。
「それだけかね? 何も力を見せなくて、いいのかね」
 声がかかる。モーロア卿だった。振り返り、和麻はあぁ、と思い出す。
 だが、和麻は千年瑠璃を欲しかったわけではない。この宴には古く名高い魔鎧があり、それを目当てに魔鎧職人たちが集まる――そう聞いて、やってきたのだ。
 目的は一つだけ、エリスの魔鎧化する前の過去を見つけること。
「立候補した目的は、彼女に質問するためだ。
 …………それに、俺の力は仲間達との絆だ。生憎だけど他人に見せれる様な物じゃないんだ。
 でも、俺としては千年瑠璃とちゃんと話をしてみたいかな。出来ることなら」
 あからさまに、自分が意図した目的とは違う狙いでこの場に立ったと悪びれもせず断言する和麻に、しかしモーロア卿は不快な表情は見せなかった。先程より幾分か柔らかい……同情を催したような色が一瞬、その目に浮かび、消えた。
「……ザナドゥには、魔鎧職人にも魔鎧にも決して優しくはないような、混沌の時代もあったのだ。
 その手の人探しは、難航するのが当然と考えた方がよかろうよ」
 遠回しな言い方だが、慰労のつもりなのだろうか。
「分かってる。……機会を、ありがとう」
 慰めはいらないが、千年瑠璃に正面から相対する場を貰えたことには素直に感謝し、和麻はテラスから庭に出ていった。

 その頃エリスは、テラスの脇にたむろしていた、まだ若いらしい、いやに前衛的で先鋭的な服装の魔鎧職人たちから話を聞いていた。
「あ〜、何か聞いたことはあったわ。それくらいの古い時代に、バリバリの戦闘用魔鎧を作ってた奴さ」
「ホント? 何て名前の職人?」
「名前は伝わってねえんだ。不世出っつうの? 相当ヤバいの作ったっつう、伝説的な職人だよ。その、最後の作品って言われてる奴だ」
「最後……死んだの……?」
「知んねえ。消息不明、生死不明。出自も名前も不明ときた、マジ伝説の職人だよ」
「一見すると普通に装着するタイプだが、その本質は主に寄生する事で肉体そのものを侵食する……ってやつだ。よく考えたら戦闘用とは言えねえよな、そんな魔鎧」
「だよなぁ。何で最後の最後でそんなん作ったんだか」
 軽い口調で交わされる言葉を聞きながら、エリスの手が震えた。
(それが……エリスなの……ですか?)
「つか、そんな魔鎧って、どんな魂素材にすれば出来るんだよ。俺作ろうと思っても作れねーわそんなん」
「ヤバい鎧なんだから、ヤバい素材だって話だぜ? 何かとんでもねえ大罪負った悪魔とかなんとか……噂だけど」
「エリスー?」
 震えかけたエリスを現実に引き戻したのは、聞こえてきた和麻の自分を呼ぶ声だった。テラスの方から、階段を降りてこちらへ向かってくる。エリスは慌てて、若い魔鎧職人たちに別れを言い――正直何と言葉を交わしたかは記憶にない――、和麻の元へと駆けていった。
「捜したぜ。やっぱり庭にいたのか。もう千年瑠璃のトライアル、俺一人でやってきたぜ。
 残念だけど、何も情報は……、……エリス?」
 どこか心ここに在らずという表情のエリスに声をかけると、ハッとした顔でエリスは和麻を見た。
「何かあったのか?」
「え、ううん。そっか、終わっちゃったですか〜。千年瑠璃さん間近で見てみたかったのに、残念でしたです〜」
 残念そうに表情を作って笑うエリスを、和麻はどこか心配そうな顔で見ていた。