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キッシングボール狂想曲

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キッシングボール狂想曲

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第1章 被害状況

 テラスは完全な騒乱状態に陥っていた。

「駄目だ、近寄ったら同じことになるぞ、離れろ!」
 ヤドリギの下で正気を失っている人間を助けようにも、近づけば自分も同じくヤドリギの放つ魔力の波動に捕まって、同じく正気を失ってしまうということは、テラスにいる他の人間もおおよそ理解し始めていた。
 では遠距離から何とかしよう、と、元凶であるヤドリギを遠隔攻撃すると、倍返しの勢いで「種子マシンガン」の連射が返ってくる。
 ヤドリギの波動に振り回される人と、頭に花を咲かせた人が、ふらふらふらふら、入り混じって行き来して。
「収拾がつかない……」


 そんな中、ヤドリギの魔力に囚われて暗い表情でのろのろと歩き回る人たちの中に、ネージュ・フロゥ(ねーじゅ・ふろう)がいた。
(なんか、もう……前向いてるの、疲れた……)
 ヤドリギの魔力の蓄積が、ネージュの心の中に負の思いをのしっ、のしっと積み重ねていく。
(最近ぼっちでいることが多い気がする)
(友達とも都合が悪く滅多に会えない)
(なんか……何もかも虚しい……)
 どんよりした感情に支配されて、自分が「死に場所を求めてさすらい歩く人々の群れ」の中に入っていることも、周りでおろおろと(ヤドリギの範囲外から)「戻ってこい」と叫んだり、捕まえようというのか何か棒のような物や縄をこちらに向かって投げて寄越す人々がいるのも、認識できていない。俯き続けるその視線は、頼りない自分の足元にしか向いていない。
(きっと……自分が消えればいいんだよね……)

 少し離れた所では、セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)がおろおろしていた。
 ――テラスがカオスの騒ぎに包まれる少し前、公務でイルミンスールに来たセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)とセレアナは、このテラスに足を運んだ。正確に言うと、セレンフィリティの方が一方的にノリノリで、「まだ仕事が終わってないのに」と渋るセレアナを引っ張って、テラスに来たのである。
「いいじゃない、ノリが悪いんだからー」
 強引に引っ張ってきたセレアナの手を一度放すと、セレンフィリティは先に一人つかつかと、人で賑わっている(ただ単に賑わっているだけ、だとその時は二人とも思っていた)ヤドリギの下まで歩いていって立ち止まり、くるりと振り返った。
 ――さぁあたしの胸に飛び込んで!
 と、両腕を広げようとした瞬間、その表情が一変した。
「……どうせ」
 突然膝をついたセレンフィリティの顔は、さっきとはまるで変わっていた。陰気な張りつめた顔になっていた。……その顔を両手で覆って、頽れるように泣き出した。
「どうせ、あたしなんか生きてる価値ゼロだし、生きてるだけで損してるんだから、さっさと…死んじゃおう……」
「……セ、セレン……? 何? どうしたの……?」
「生きてるのがこんなに辛いなんて……どうしてあたしは人間なんかに……感情を持つ生き物なんかに生まれちゃったの? 痛い……痛いよ……生きるのが辛すぎて、心が痛くて……」
「! セレン……!?」
 涙を零しながら、その涙と共に口からとめどなく零れ落ちていくネガティブな言葉。そのどんよりと暗く濁った言葉が、口にしたことによって改めてセレンフィリティに取り憑いていくように、セレアナには見えて、焦る。
「おねがい……あたしを殺して……あたしを死なせてよぉ……」
「セレン!!」
「もう終わらせたい……そうだ、そうだよね……死のう……消えてしまおう……」
 セレアナの声が聞こえないかのように、セレンフィリティは思いつめた表情で立ち上がり、何故か腰のベルトをするっと引き抜いた――今日は公務で来ていたため、セレアナ共々国軍の制服を着用していたのだった。
「死のう……」
 ベルトを両手で握り締め、セレンフィリティは世界樹の外皮を見上げながら歩き始める。ベルトをロープ代わりに引っかけて首を吊る場所を探しているのだ。銃も携行しているのに首吊りにこだわるのは、ヤドリギに力を与えている“裏切られた乙女が首を吊った妖木”の影響なのだが、結果的にセレンフィリティにとってもセレアナにとってもそれが辛うじて救いの糸口になっていた。銃を使われたらひとたまりもないが、首を吊る枝を探している時間は『猶予』になるからだ。
「な、何があったのか知らないけど、落ち着いて、お願いだから……」
 駆け寄ろうとしたセレアナだったが、後ろからその腕を取られた。
「近づいては駄目です! 心配なのはわかりますが、あなたも同じことになりますよ」
 キリト・ベレスファースト(きりと・べれすふぁーすと)が彼女の腕を掴み、沈着ではあるが強い口調で言った。
 このとんでもない状況の原因と手を打ちあぐねる実情を、セレアナはキリトの説明で知った。
「そんな…!」
 近づいたらヤドリギの魔力で同じようになってしまう。すぐにも駆け寄りたい気持ちでいっぱいだが、自分が同じになってしまっては彼女を救えない。当惑と逡巡にセレアナは一瞬動けなくなる。
「取り敢えず……この人たちをヤドリギの魔力の届かない位置まで助け出さないと……」
 目の前には希望を見いだせなくなってゾンビのような顔をした人たちの群れ、その向こうでは奇声を上げて踊り狂い、どこにいるともしれぬ神を讃える出鱈目な祝詞を叫ぶ人々、さらにその向こうではこのカオスな光景を無視していちゃつく恋人たち。キリトも、最初それらを見た時には呆然とするしかなかった。イルミンスールに入学してからというもの、日常的に起こる様々な珍事に、大概の事には耐性が出来たつもりだったが……
(なんというか……これはまた、とんでもない状態に……)
 己の身を魔力の影響から守りながら、その影響に侵された人々をどうこの場から引き離すか、その手段をキリトは模索し始める。


 イルミンスール校長室では。
「……というわけで、このままでは呑気にクリスマスも祝えないですぅ」
 こめかみに青筋を浮かべる寸前のエリザベート・ワルプルギス(えりざべーと・わるぷるぎす)が、科学実験と薬液抽出に使うあらゆる種類の器具を小さい腕に抱えてため息を吐いていた。
「2つの『魔力を帯びた木』が、『寄生』によってほとんど一体化してしまったので、片方にダメージを与えずもう片方だけ枯らす薬を作らないといけないですぅ。しちめんどくさいですぅ。
 でも、こうしている間にも、テラスでは騒ぎが大きくなっていくばかりですしぃ……」
 その言葉を裏付けるように、遠くから聞こえる悲鳴の混じった騒ぎの声。
 イライラとこぼすエリザベートを前に、事情を聞いたルカルカ・ルー(るかるか・るー)ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)はしばし顔を見合わせたが、
「待っててエリー! ルカたちがヤドリギを何とかしてくるから!」
 すぐにルカルカが力強く請け負い、ダリルに一緒に退室するよう目で促す。
「俺はエリザベートと製薬しててもいいんだが」
「もー! テラスでは被害者も出てるんだから、現場に行かないと!」
 今日はエリザベートの“友人”として、クリスマスの“お祝い”を手土産に遊びに来ていたのだが、沢山の人が巻き込まれているという騒ぎを放ってはおけないし、どのみちエリザベートもこのままでは気を休めてクリスマスを祝う気にはなれまい。大丈夫、騒ぎが収束すれば、クリスマスのお祝いの挨拶を晴れやかに言えるだろう。
「じゃ、行ってくるねー!」
 努めて明るく言って手を振り、ルカルカはダリルと共に校長室を飛び出していった。
「……お願いしますねぇ……」
 小さく呟いたエリザベートの声を、閉まる扉が部屋の中にそっとしまい込んだ。


 ぶばばばばっ
 という勢いで、ヤドリギから『種子マシンガン』が放たれる。自殺志願者の群れを救うため、誰かが遠くから銃でヤドリギの球体を狙撃したらしい。だが、枝の絡まりで球体を為すヤドリギの、その枝の間を銃弾は貫通したにすぎなかった。代わりに何倍返しかという勢いで、魔法の種子が、狙撃者のいる辺りに雨霰と降ってきたのである。
「もうやだあぁぁぁぁ!」
 ちょうどその辺りにいたネージュもそれを体に受けてしまって、叫びを上げる。ヤドリギの枝にがんじがらめに縛られて――それは、種を身に喰らった衝撃で見た幻想なのだが、その架空の衝撃で思わず炎を見当違いの空の方へ放ってしまった。
 空に吸い込まれていく火の粉を見上げると、感傷がひたひたと心に迫ってくる。
――もう疲れた。色々疲れた。本当に疲れた。
――ゴールしてもいいよね、消えてしまってもいいよね?
「……うちの子たち、大丈夫かな……あたしが、いなくなった後……」
 悲観に塗れた声で呟くネージュの、その頭にはラベンダーの花が揺れていた。