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リアクション
【地階から地上へ】
作戦は、成功した。
一階への階段付近で生じた爆発は、白い長方形頭の怪人を吹き飛ばし、痛烈な程の勢いで壁に叩きつけた。
それなりにダメージがあったらしく、怪人はしばらく身動きひとつ見せず、燃え盛る炎の中でもその姿を晒し続けていた。
これは、チャンスだ――不意にジェライザ・ローズと美晴が立ち上がり、数歩進み出た。
「皆、先に行ってくれ……私達で、とどめを刺す」
ジェライザ・ローズの言葉に、ルカルカとザカコは耳を疑った。
だが、ジェライザ・ローズに同調する美晴が、ルカルカに笑顔を見せた。
「今の爆発で、地階の電力供給路が完全に断たれたっぽいな。あの炎が収まれば、ここは完全な闇だ。そうなる前に、あいつを仕留める。あんた達は早く、地上に行きな。でもって、あたし達が戻る前に脱出経路の確保を頼むよ」
いい終わると、美晴は猛然たる勢いで廊下を駆け始めた。そのすぐ後に、ジェライザ・ローズも続く。
最早止めても無駄だと悟ったルカルカは、美晴が提案したように、まずは地上に出て脱出路を確保する方が先決だと判断を下した。
ザカコとセレスティアも、ルカルカの判断に従う以外に取る道が無い。
「今は……あのふたりの力を、信じましょう。私達は確実に脱出を果たせるよう、経路の確保よ」
一方、美晴とジェライザ・ローズは未だに炎が照らし出す廊下の奥へ、ひたすら脚を動かした。
白い長方形頭は依然として、廊下の壁の脇でのそのそと立ち上がろうと必死になるばかりで、闇の中へ消えようという算段には至っていない様子である。
「いっちゃうぞバカヤロー!」
ジェライザ・ローズの咆哮が、廊下の中での激闘のゴングとなった。
まず美晴が怪人の向こう側に廻り込み、反転して、怪人へ自慢の右肘を叩き込む。そのモーションに合わせてジェライザ・ローズも、鍛えた肘を打ち込んでいった。
すると、怪人の頭を覆っていた白い長方形の物体は意外と簡単に砕け散った。
中からは、干からびたミイラの如き醜い容貌が正体を現した。
前後からの肘打ちは、しかし、怪人に打撃を与えたものの、怯ませるには至らなかった。
怪人は尚も腕を伸ばして美晴に反撃しようとしたが、その前にジェライザ・ローズが正面に廻り込み、所謂ブレーンバスターの態勢を作った。
ここから、ジェライザ・ローズは驚異的な身体能力を発揮し、怪人を三連続高速ブレーンバスターで投げ続けた。最後の一発は、燃え盛るシーツの上へと決めた。
怪人は、炎の中でぴくりとも動かなくなった。
ジェライザ・ローズは更に念には念を入れ、自身が羽織っている患者用寝間着の上着を脱ぎ去り、炎の中へと放り込んだ。
燃焼物を増やして、更に打撃を加えようという作戦である。
流石に胸が露わになったままでは拙いという判断から、美晴が自身の寝間着の左右の袖を引き裂き、簡易ブラジャーとしてジェライザ・ローズの胸周りに巻きつけてやった。
「これで倒せたかどうかは分からないけど、しばらくは動けないだろう。こっちもさっさと、脱出だな」
美晴に促され、ジェライザ・ローズは怪人に踵を返した。
が、一瞬だけ面を向け直し、小さく呟く。
「お前には、功夫とプロレスが足りない」
ジェライザ・ローズのそんな声が、炎の中で尚も仰臥する怪人に届いたのかどうか。
ともあれ、ふたりは廊下を走ってスロープから地上を目指した。
階段は酸素ガスボンベの爆発で天井が崩れてしまい、通行が出来なくなっている為、先行するルカルカ達の跡を追うしかなかった。
「脱出経路が、見つかってれば良いんだけどなぁ」
肩を並べて走る美晴の声が、ジェライザ・ローズの鼓膜の奥で呑気に響いた。
一方、先を行くルカルカ、ザカコ、セレスティアの三人は、スロープの手前で患者用寝間着を纏った人影と遭遇した。
もしかしたら、自分達と同じように脱出を図ろうとしているのかも知れないと考え、ザカコが声をかけてみたところ、その患者用寝間着姿の人影は、歪な動作でゆっくりと振り向いた。
ザカコは、自身の考えが誤っていたことをすぐに理解した。
その人影は、どう見ても普通の人間ではなかった。
皮膚は全体にどす黒く、一部は腐って剥がれ落ちている。両目は白濁として焦点が定まらず、だらしなく開け放たれた口の奥からは、耳を塞ぎたくなるような奇怪な呻き声が響いていた。
生ける屍――三人は咄嗟に、そう判断した。
「……来るよ!」
ルカルカが、警告の声を発した。
その生ける屍は両腕を前方に突き出し、掴みかかろうという姿勢でこちらに向かってくるのである。
幸いなことに、動作そのものは非常に遅い。闇の中を見通せるルカルカとザカコが前に出て、この生ける屍に打撃武器と化した位牌の台座を打ちつけた。
生ける屍の頭部が簡単に弾け、黒っぽい色合いの脳漿を撒き散らしながら、その場にどうっと倒れた。
「な、何が、あったのですか?」
闇の中が見通せないセレスティアが、緊張の声を漏らした。
「どうやら、敵はあの怪人だけじゃないみたいよ」
いいながらルカルカは、遥か後方にジェライザ・ローズと美晴が駆け寄ってくる姿を認めた。
あの怪人とは勝負がついたのか――ルカルカは、次第に近づいてくるふたりに、目印となるようライターを着火して、手を振った。
が、そこでルカルカの表情がもう何度目になるのか分からない頻度で、再び凍りついた。
こちらに駆けてくるジェライザ・ローズと美晴の背後に、あの怪人が闇の中から猛スピードで追いつこうとしているのである。
頭部を覆っていた白い長方体物質は失われ、ミイラのように干からびた不気味で醜い容貌が、考えられない程の速度でふたりに追いすがろうとしていた。
ルカルカは、ライターを灯したままジェライザ・ローズと美晴の方へ駆け出した。
ライター程度の弱い光源であっても、光は光である。
怪人の手が及ぶ前にライターを持つ自分が先に合流すれば、ふたりを助けることが出来る――その考えから、ルカルカはとにかく、駆けに駆けた。
「早く! 急いで!」
走りながら、ルカルカは叫んだ。
ところが不意に、廊下の途中の男子トイレから新たな人影がのろのろと姿を現した。
生ける屍だった。
ルカルカは新手の敵との衝突を避ける為に、咄嗟にステップを踏んで回避したが、これがジェライザ・ローズ達との合流に僅かなタイムロスを生じさせた。
襲い来る生ける屍を位牌の台座でノックアウトし、再び視線を前方に向けると――駆け寄ってきているのは、ジェライザ・ローズひとりだけであった。
「た、助かったよ、少佐! 美晴さん、もう大丈夫……」
いいながら、ジェライザ・ローズは傍らを振り向いた。が、そこに美晴の姿は無かった。
愕然と凍りつくジェライザ・ローズに、ルカルカは沈痛な面持ちでかぶりを振った。
「……ザカコさん達のところへ戻るよ。光源は、私しか持ってないから……あのふたりが危ない」
「わ……分かった」
ジェライザ・ローズとて、消えた学人や理沙、そして美晴を救い出したい思いはあったが、同時にひとの命を預かる医者として、今ある命を確実に守らなければならないという使命も思い出していた。
ここはルカルカのいうように、ザカコとセレスティアに迫る危機を排除するのが先決であった。
幸い、ザカコとセレスティアは無事であった。
ライターを掲げたルカルカがジェライザ・ローズを従えてスロープの登り口にまで駆けつけてくると、ザカコはセレスティアを庇う格好でその場で待機していた。
ザカコは、引き返してきたのがルカルカとジェライザ・ローズだけであるという現実に、僅かに落胆する色を見せた。
しかし今は、いつまでも気落ちしている場合ではない。
何とかして脱出する算段を立てなければ、自分達も危ないのである。
「見取り図をもう一度確認したところ、中庭を越えたところに駐車場がありますね……もしかしたら、使える車があるかも知れません」
ザカコの言葉を受けて、車の鍵を持っていそうな者が居ないかどうかを確認することとなった。
スロープを駆け上がると、すぐに地上へと出た。救急搬入口兼夜間出入口となっているそこは、救急車から急患を運び込む為にという設計思想から、扉は設置されていなかった。
地上へ飛び出すと、外灯が薄明りを照らし出す中で、警備員の服装で身を包んだ人影が先頭を駆けていたルカルカとザカコに、いきなり襲いかかってきた。
どうやらこの警備員も、生ける屍のようである。
だが、既に地階でこの化け物との戦闘を経験しているルカルカとザカコには、脅威ではなかった。
例によって位牌の台座で撃退するや、すぐ様ザカコは、じゃらじゃらと音を鳴らしている警備員のベルト付近に手を伸ばした。
「……ありました。この鍵束の中に、車の鍵があれば良いのですが」
いいながらザカコは、仲間達を振り向いた。
が、そこで彼の表情が緊張に強張った。
「あれ? セレスティアさんは、どこですか?」
ザカコの愕然たる表情に、ルカルカとジェライザ・ローズは慌てて左右を見渡した。が、セレスティアの姿はどこにもない。
まさか、と思ってルカルカがスロープ内を覗き込む。
スロープ内は、外灯に照らされた救急搬入口とは比較にならない程の、濃い闇に包まれている。
その緩やかな斜面の奥に、ぐったりとしたセレスティアをずるずると引きずってゆく、あの怪人の後ろ姿がちらりと見えた。
慌てて追いかけようとしたルカルカだが、ザカコとジェライザ・ローズが必死に引き留めた。
「ルカさん、気持ちは分かりますが……今は、駄目です」
「少佐……私だって、学人を救いたい。だけど、ここはまず、こっちが助かることを優先しなきゃ!」
ふたりの言葉に、ルカルカは項垂れるようにして小さく頷き返した。
なるべく外灯沿いに、光と光の間の闇が少ないルートを辿り、どうしても闇に覆われた箇所を進む際はライターを灯して、といった具合に用心を重ねて、三人は駐車場を目指した。
その間、ルカルカは地下で入手していたカルテを調べ、そこで初めて、驚愕の事実を知った。
カルテによれば、霊安室で目覚めた七人は全員、馬車の事故に巻き込まれ、意識不明の重体でこの病院に運び込まれていたことになっている。
一方、馬車に乗り合わせていた病院関係者は、全員死亡が確認されていた。
このカルテを調べ切った時、ルカルカはようやく、ある事実に気づいた。
学人、理沙、美晴、そしてセレスティアを闇の中へ連れ去った、あのミイラの如き怪人には、ある面影が残されていたのである。その面影とは、事故を起こした馬車に同乗していた、病院関係者のひとりであった。
「あの怪人は……多分、死亡した病院関係者のひとり、だね」
「……ってことは、まだ生死の境を彷徨っていた私達を、自分達と同じ闇へ引きずり込もうとしていた?」
ルカルカの言葉に、ジェライザ・ローズが推測を重ねた。
はっきりとしたことは何ひとつ分からないが、恐らくはそれに近しい何かが絡んでいるのだろう。
少なくとも、この場に居る三人はそう信じるしかなかった。
何故自分達が、という思いも無くは無い。
そんな漠然とした疑問を胸に、駐車場へと辿り着いた三人は、セダンが何台か駐車されている光景に、僅かながら胸を撫で下ろした。が、心底喜ぶのは、まだ早い。
ザカコは手近の一台に駆け寄り、手にした鍵束をひとつひとつ、試してゆく。
時間にしてはものの数十秒程度だったが、三人にとっては随分と長く感じられた。
やがて、ドアのロックが解除される音が静かに響いた。
「……ついてますね」
ザカコは素早く運転席に座り、車内の全ロックを解除すると、助手席にルカルカ、後部座席にジェライザ・ローズを乗せ、エンジンをかけた。
当然ながら最初にヘッドライトを点け、更には念の為、ルームランプもONにした。
「とにかく、まずは敷地の外を目指しますよ」
ザカコは静かに宣言しながら、セダンのハンドルを切った。
と、前方で幾つかの影が動くのを、視界に収めた。
いずれも、人影である。そのうちの何人かは、どこかで見覚えのある顔ぶれであったが、ひとつだけ、明らかに異形と呼べる姿があった。
車内の三人は、その正体が何であるのか、即座に察知した。
「衝撃に備えて下さい!」
ザカコは半ば有無をいわさぬ勢いで叫び、アクセルを踏んだ。
ヘッドライトに照らし出された異形の影は、猛スピードで突進するセダンに弾き飛ばされた。
ところが、その際の衝撃は想像以上に凄まじく、ザカコはハンドル操作を失ってしまった。
セダンは激しくスピンしながら正門の門扉へと激突し、その門扉を破壊しつつ、敷地を出たところで横転してしまった。
車内の三人は、そのまま意識を失ってしまった。
遠くで誰かが叫び、駆け寄ってくる気配が感じられたが、しかしそれ以上のことを確認するだけの気力は、三人には残されていなかった。
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