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リアクション
――3階 病室にて
「今の音、何…?」
コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)は反射的にすくめていた首をそっと伸ばして、そろそろと足元を見た。
床がどうにかなっていると思ったわけではない。床が破壊されたと勘違いするほどの大きさではなかった。振動も伝わらない。ただ、この建物に自分たちのほかにだれかがいると確信するには十分の音だった。
いや、自分たちのほかにも人はいる、とコハクは病室内を見回す。6人部屋なのでそれほど広さはないが、6つのベッドのうち3つが埋まり、いずれも中年の男性が眠っていた。
しかし――……。
「駄目、起きない」
常夜灯のオレンジ色のうす明かりの下、残念そうな声で小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が前のめりになっていた体を起こして背を正した。彼女の向こう側にはあお向けになって眠る男性がいて、寝息をたてながら眠っている。寝間着のえりを掴んでの揺さぶりなど、美羽がしていた少々強気な声かけを思えば不自然に思えるほど深い眠りだった。
「やっぱり、ここで起きてるのは私たちだけなのかな」
「たぶん」
気落ちしているふうの美羽のつぶやきに答えたのはエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)だった。彼もまた、美羽やコハクと同じでパジャマタイプの寝間着を着ている。ここで目覚めたうちの1人だ。彼の後ろにはパートナーのエオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)がいて、やはり眠っている男性に同じように――ただしこちらはもう少し優しく――声かけをしていたが、こちらも成果は芳しくないようだった。エースからの視線に、黙って首を振る。
「でも下の階にはいるようだよ……どうしよう?」
ひそめた声でためらいがちにコハクが言った。自分たちのほかにも目を覚ましている人がいるということを確信できたというのに、声音といい表情といい、そのことを歓迎している様子はない。なぜか? それは、問わずともその場にいる全員が理解できていたし、彼がした懸念に全くの同意見でもあった。
彼らはほんの数分前、ともに廊下で謎の敵に襲撃され、ここへ逃げ込んできたのだ。しかも下から伝わってきたのはあきらかに爆発音だ。距離があり、くぐもってはいたが、それを起こした何者かが戦っているのは間違いない。
「音の主がだれかは分からないけど、もしあの敵と戦っているのなら助けに行かないわけにはいかないな」
「そうですね。ここは危険ですから、単独行動はせず、できるだけ固まって行動するべきでしょう」
「ああ」
エオリアの言葉にうなずいたエースは、左手の方、先からチラチラ彼の視界に入っていた緋色頭の持ち主へと向き直る。
「ねえハリール、きみも一緒に――」
「に゛ゃ゛っ…!」
突如名を呼ばれ、ハリール・シュナワ(はりーる・しゅなわ)は奇妙な声を発して文字どおりビクンと飛び上がった。一瞬硬直したあとゆっくり肩を下げ、エースたちの方を振り返る。
「……エースくんか。驚かさないでよ。びっくりするじゃない」
「いや、うん、俺も驚いたよ」
きみの反応に。
「もしかして、怖いの? きみ」
「そっ、そんなわけないじゃないっ! こんなの、ぜ……ぜぜぜぜ、全然平気なんだからっ」
いかにも強がっているのが丸分かりだった。体がガチガチに固まっているのがうす暗がりでも十分見てとれる。
それと知って、エオリアが彼女の横についた。
「大丈夫。こんなめにあえば、だれでも怖くて当然ですよ」
そっといたわりの手を差し伸べたときだった。
彼らの背後、病室のドアの向こう側から、パタパタと数人の走る軽い足音が聞こえた。どこかでドアが開閉する音がして、足音が消える。――いや、ほとんどの足音が、だ。まだかすかに、足音と何者かの気配がする。
触れた手越しに伝わってきたハリールの震えが、エオリアの勇気を沸き起こした。
「ハリールさんはここにいてください」
「あ、エオ!?」
ドアへ近付く彼を見て、エースが思わず制止の手を伸ばす。エオリアは「しっ」と口元に人差し指を立て、ドア前につくと、音をたてないよう慎重に引き戸をスライドさせた。ほんの数センチ、外が覗けるぐらい。そこからエオリアが見たのは、暗いロビーを歩く男の姿だった。
ロビーは暗かったが、闇というほどではなかった。自動販売機からの白い光と壁の常夜灯から届くうすぼんやりとした明かりが陰影を作っている。
一見してそれと分かる、異様な姿だ。彼らのような寝間着姿ではなく、鍛えられた上半身ははだかで、ほとんど着衣をしていない。まとっているのはまるで古代エジプトの戦士のような腰巻のみで、スカートのように布を垂らし、そこから伸びる足ははだしだ。それでも十分異様だが、何よりエオリアの目を奪ったのは白く塗り固められた四角い頭部だ。
そう見えるのは距離があるせいかもしれない。周囲が暗いなか、ぼんやり浮かび上がって見えるのは実は箱で、ただ白い箱をかぶっているだけなのかも…。しかしそうであったとしても異常なことに変わりはなく、エオリアののどを詰まらせ、息を止めるにはあまりある恐怖だった。
エオリアの発する恐怖のにおいを嗅ぎつけたように、そのとき男がこちらを向いた。人の頭部でいうなら目や口元にあたる部分の陰影がエオリアを見て嗤ったような気がして、エオリアは思わずドアから身を退いてしまう。背中に何かがあたった。
「エオ? どうした? 何が見える?」
頭のすぐ横でしたエースの声が、エオリアをハッと正気づかせる。そして同時に廊下の電灯がついた。
あれ、と声に出して指差そうとして、エオリアはさらに驚くこととなった。男の姿がどこにもないのだ。目を離した覚えは全くなかった。まばたきもしていない。なのに現実に、男はもうそこにいなかった。背景と人物を分けて描いた絵のようだ。上の人物画を取り払えば、そこには背景があるのみ。
「エオ?」
「……なんでも、ありません…」
そう言うしかなかった。エースが納得していないのは分かったが、彼自身、自分が目にしたものが何か、理解できなかったのだから伝えようがない。光の戻った廊下を見ていると、本当にそんな者がいたのかどうかすらあやふやに思えてしまう。そんなエオリアの様子にエースもただごとではない何かを感じずにはいられなかったが、彼が話さない以上どうしようもなかった。
今度は美羽がドアに近付き、音をたてないよう用心深くドアを開いた。
「だれもいないね。
行こう。下にだれかがいて、襲われてるんでしょ」
「……ああ、そうだな。
エオ、行けるか?」
「はい」
「あたしも行く!」ハリールが進み出た。「いくら病院だからって、こんなうさんくさいとこ、いつまでもいたくないわ。下の人たちを助けて、ついでに敵もやっつけて、彼らと一緒に出て行きましょう!」
そこで彼女は振り返って、窓際にいるセルマ・アリス(せるま・ありす)やイーオン・アルカヌム(いーおん・あるかぬむ)、高柳 陣(たかやなぎ・じん)たちを見た。
「あなたたちも行かない? エオリアくんも言ってたけど、別々に行動するのはやばそうよ?」
ハリールからの誘いにセルマは少しためらいを見せたが、答えたのはイーオンだった。
「いや、せっかくだが俺たちは遠慮させてもらおう」
ここに逃げ込んで以来、彼らが固まって何事か相談しているのは知っていた。ハリールはうなずいて「分かったわ」と応えるにとどまり、再び美羽たちへ向き直った。
「行きましょう」
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