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リアクション
●年の初めのためしとて
家で過ごすのもこの時期の醍醐味だ。本日の霧雨家では、
「あけましておめでとうございます」
とあいさつを終えたら、次にするのは墨を磨ること。こしこしこしこし……。
「特に毛筆が好きなわけではなく、書道家でもない成人四人が揃って書初めなんて、なかなか妙な感じだねえ……」
まあ、提案したのは私なんだけどさ、と笑いつつ、硯で墨を磨るのは霧雨 透乃(きりさめ・とうの)だ。葦原明倫館の授業で書道はしているので、それを活かそうという主旨で彼女が、本日の書き初めを開催したのだ。
「緊張します……私にとっては生涯で初めての書初めですから……」
正座した姿勢で、緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)は不安げな表情を浮かべていた。記憶にないだけで経験はあるのかもしれないが、とにかく、意識して書くのは初めてなのだ。
「……私は『実は日本人じゃないのか』と言われるようなシャンバラ人なので書初めの経験もあったりするがな……」一方、霧雨 泰宏(きりさめ・やすひろ)は苦笑いしていた。「しかし、硬筆でも毛筆でも字が下手で汚いからできるだけやりたくはなかったぜ……」
今日もあまり自信はないという。まあ、一応書きはするが。
泰宏の話を「ふーん」と聞いて、月美 芽美(つきみ・めいみ)も筆をとった。
「日本にはよくわからない風習があるのね。しかもわざわざ準備も片付けも面倒な毛筆とはね……」
絵筆とはまた違う、毛筆独特の握りは竹でできており、芽美はこれが手に馴染むのを感じていた。意外と上手くいくかもしれない。
畳敷きの部屋、四人は机を並べて正座していた。透乃が言う。
「みんな、流れは最初に説明した通りね。書くのは自分の抱負にあったスキル名。もちろん横には細い筆で落款(署名)も書くよ〜」
書いたものを見せて、そのスキルを選んだ理由なども説明することになっていた。
「それではまず、私がお手本……になったらいいな」
透乃は筆を硯に浸けた。集中すべく深呼吸する。
そして、
「行くよ!」
筆を半紙の上でさっと走らせた。一気に書き上げる。
彼女が書いた文字は二文字、『残心』だ。
とても綺麗な文字であった。雄大で力強くもあった。透乃の毛筆への自信が、よく現れた筆だといえよう。また、落款の文字も、画数の多い『霧』に注意を払って、絶妙のバランスで形成されていた。
「『残心』、ですか。その心は?」
陽子が問うた。透乃は軽く頷いて説明した。
「去年は一つ物事をこなした後に油断していたことが多かったからね……。今年はそういうことがないようにしたいと思うんだ。この抱負はスキルの効果としてよりも、本来の『残心』という言葉の意味に近いけど、まあいいよね」
次は陽子が、恐る恐る自分の書いたものを提示した。女の子らしい丸みを帯びた可愛らしい文字であった。陽子が書いたのは、『封印解凍』の四文字だ。
「リスクを恐れずに、思い切って行動できるようになりたい。そんな意味を込めてこれを選びました」
その意識が籠もったためだろう、文字は落款を含め、元気に大きくしたためられていた。
「それとこのスキルを選んだ理由はもう一つあります」
陽子は言葉を継いだ。
「去年このスキルを用いた行動で、何かといい結果がだせなかったり、反動に耐えられなかったことがあるため、今年はこの封印解凍をもっと上手く使い、反動にも打ち勝てるようになりたい……そういう願いもこめているんです」
また、そうあるための努力もしていこうと誓う陽子なのだ。
泰宏の文字は、『トレジャーセンス』だった。正直、達筆とはいいがたい。いや、むしろはっきり言って下手だ。文字のバランスが悪いし、跳ねるべきところを跳ね忘れていたりする。
「生涯の夢、人生の目標といった私だけの宝を、今年こそは見つけたいと思っているのでな。そのためには何をすればいいのか……と考えてこの字を選んだのだ。片仮名なのは見逃してくれ」
細かい文字だと詰まってしまう、と泰宏は苦笑した。実際、彼の書による落款は『霧』と『泰』の文字が黒く潰れてしまっていた。しかし堂々と述べた。
「去年の私は、とりあえず色々な事に首を突っ込んでみたくらいだったな。まずは身近な三人の夢の手伝いをしながら、自分の道を探していきたい」
立派な決意だ。文字は拙いかもしれないが、高い志が感じられる彼の言葉だった。
「『先の先』、これが私の選んだスキルね」
芽美は書いたものを披露した。決して下手ではない。むしろ上手なほうといえるものの、文字の形状が全体的に細長いという癖があった。癖字というものだろう。といっても壊滅的な癖ではなく、良い教師について学べばすぐに直りそうなレベルであった。
「去年はさっさと行動しなかったせいでいい結果が残せなかったことが何度かあったから、今年はそうならないようにしたいわね。実際、戦闘では『先の先』はよく使っていて、特に神速と合わせて速さの限界に挑んだりしていたりするのだけど……」
芽美は肩をすくめて笑った。
「そういうところだけ早くても駄目ということなんでしょうね」
それではこれにて、霧雨家書き初めの儀は終了である。誓った通りの一年が過ごせることを祈りたい。
ナナ・ノルデン(なな・のるでん)一家は、お節でこのめでたい日を迎えていた。
「日本にはお節料理という風習があるそうですね、折角なので作ってみましょう」
といっても、これから作るのである。元旦までに作っておくということを誰も知らないのだった。
「去年も色々あったけど、今年もよろしく頼むよ」
ナナとお揃いのエプロンを着て、ズィーベン・ズューデン(ずぃーべん・ずゅーでん)は台所に立った。
「料理を作りながら新しい年を迎えるなんて、日本のお正月文化ってのは不思議だなあ」
道具に重箱、すべて揃えたものの、問題は中身の詰め方だ。ズィーベンは言った。
「資料としていくつかお節の写真を見たけど、それぞれ入ってるものが違うんだよねえ。結局は好きなものを入れればいいのかな?」
「そうしましょう」
というわけで二人『冷めてもおいしいもの』をコンセプトにあれこれ忙しく作り始めた。
「ゼリーとか入れていいのかな?」
「いいと思いますよ。それはそうとして、海老だけはどの資料写真にもありましたよね……」
「玉子焼き作るの面倒だから目玉焼きにしちゃえ……あ、卵割るの失敗したからスクランブルエッグに変更っ!」
和気あいあい、それはそれで楽しいお節作りなのである。おめでたい気分が演出できればいいのだから、これでいいのだ。ところで、とズィーベンが言った。
「なんだか今日は、妙に作業がはかどると思わない?」
「そうですね。そういえば……」
「アホ竜が寝ているからだね!」
ズィーベンは断言した。もうじき昼というのに、別の部屋でグウグウ、ルース・リー(るーす・りー)は高いびき寝正月の真っ最中なのだった。
「いつまでも寝ているわけにはいかなえな」
ところが唐突にルースは起きた。布団から出てみると、彼はパジャマではなく竜の長袍をしっかり着ていた。頭のモヒカンもピンピンにセットされて良い具合だ。
「ふ、起きてすぐ臨戦状態、在常戦場の俺にとってはいつものことだ。
……あれ、『常在』だったかな?」
ダイニングに入ってルースは驚愕した。ナナもズィーベンも机に伏してぴりとも動かないではないか。
「ナナ! ズィーベン! 意識はないがまだ息はあるようだ……」
テーブルのお節料理を調べ、それが蛍光ピンク色していることを彼は発見した。
「これは猛毒『5150』……こんなものを使えるのは奴らしかいねぇ……! くそう、エリュシオン帝国の奴らめ! お節料理に毒薬を仕込むとは、何て汚い奴らなんだ! こうなったら、俺が奴らを倒してやるぜ!」
悪のエリュシオン帝国が解毒剤を有しているのを彼は知っていた。戦え、ルース、帝国を倒し、二人の命を救うのだ。
「新年早々大変なことになったが、二人とも待っててくれ! 俺が必ず救ってやるからな!」
と拳を振り上げて叫ぶ夢をルースは見ていた。本文で言うと、彼の「いつまでも寝ているわけにはいかなえな」という台詞以降ここまでが全部夢であった。
「どうする? お節できたけどあのバカ起こしに行こうか?」
「そうですねえ。よく寝ているのを起こすのも可哀想ですし、どうしましょう?」
そんな会話がダイニングから聞こえてくるわけだが、現在、夢の中で冒険活劇真っ最中のルースは、やはりグウグウと寝っぱなしなのであった。