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リアクション
●白亜の屋敷で餅つきを
エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)たちの新年会は、題して餅つきパーティとなった。
エメの白亜の屋敷はツァンダ郊外にあり、庭もたっぷりと広い。テニスコートやスパがすっぽり入って、それでもその全土の十分の一くらいだということからその規模は知れよう。
さてその広い庭の片隅には書院造りの離れがあった。今日、エメは使用人に命じてその障子を開け放たせ、縁側のすぐ傍にコタツ、庭園に臼や杵、さらにジャンボ七厘などを用意させて、その一帯だけ純日本風の別世界のようにしていた。しかもエメは、白い紋付袴、作業をするので襷がけという、『侍が切腹するときの衣装?』といったコンセプトの姿に身を包み、招待した一同をこの場所に案内したのである。
「やあ、みんな、よく来てくれたね。日本の餅つきの作法がわからなかったから色々調べたよ」
と彼は軽やかに笑い、さあはじめよう、と瀬島 壮太(せじま・そうた)に一礼した。
「おー、こりゃすごいな。餅つきなら何度もやったことがあるが、こんな豪勢な場所での餅つきははじめてだ」
と言う壮太は、エメとはまるで正反対のカジュアルな格好だ。焦げ茶のレザージャケットに黒のロングTシャツ・そしてダメージジーンズ、少々寒そうであるが問題ない。なぜなら彼は、こたつに乗ってやって来たからだ。こたつ? そう、こたつ。動くこたつ、ぬくぬくの移動ユニット。ただし、人間が歩く程度の速度しか出ないゆえ、昼頃に屋敷に着けるよう朝方に出発したという。
「あ、そうそう、これ、年始の挨拶がわりの日本酒生一本な。オレもミミも飲めぇから、オレらが帰ってからのんびり一杯やってくれ」
土産を渡すと、壮太は手を洗って準備に入った。
「蒼ちゃん、ひっさしぶり〜」
歩くこたつから飛び出して、ミミ・マリー(みみ・まりー)は緑地に桜の振袖姿を披露した。ミミはそのまま、一跳びで片倉 蒼(かたくら・そう)に抱きついた。ミミとは友人同士の蒼であるものの、今はエメに仕える執事の仕事中、オフの時のように気さくに声をかけるようなことはしない。蒼は畏まった口調で応じた。
「お久しぶりです、ミミ様。私はつきあがったお餅を丸める等の作業でお手伝いするつもりですが、よろしければご一緒しませんか」
ミミに否やがあろうはずはない。二つ返事でそれに応じた。
「うんっ、一緒に頑張るよ」
黒い羽織袴に襷がけ、これが本日の蒼の装いだ。もう一人、和服の男性の姿があった。ジュリオ・ルリマーレン(じゅりお・るりまーれん)は、黒い紋付袴を襷がけにしていた。
「では私は、餅を焼いたり、野菜を刻んで雑煮の用意をしたりするとしようか」
ジュリオも普段は洋装、和服を着ることなど滅多にないものの、上背があるのでこの服装もなかなか様になっている。彼は火の番も務め、女性陣(※ミミ含む)の袖が火に巻き込まれないようさりげなく気を配るつもりだ。
壮太にはもう一人同行者がいた。壮太の頭の上から、エメが用意したこたつの天板の上に飛び乗って『彼』はごろごろと転がった。その名は上 公太郎(かみ・こうたろう)、ジャンガリアンハムスターの獣人である。
「瀬島殿、エメ殿、では我輩はここで休養しつつ、優雅に餅を待つとしよう。ふむ……」籠入りのみかんが天板に乗っているのを確認すると、「遠慮なくいただくのである」と、公太郎は一つを手にした。
「じゃあ、餅つきをはじめますか」
エメは杵を取り、壮太は手水を取った。エメは餅つきが初めてなのでペースは決して速くないものの、着実にぺったん、ぺったん、とついていく。
「上手いじゃないか、エメ。その調子だ」
餅をかえしつつ、壮太はエメのペースを読んで巧みにリードしていった。打ち合わせをしたわけでもないのに、互いに技量を高め合っているようでもあった。二人の相性の良さは、プロ野球のバッテリーのそれに近いといえよう。
「えい」
エメが打つと、
「おらよ」
壮太が餅を裏返すのだ。
このように二人は声を掛け合い、絶妙のコンビネーションで綺麗な餅を生み出していた。
蒼とミミの作業も好調だ。
「ミミ様、こちらの粉を手につけますと、餅が手につきにくいですよ」
何でも器用にこなす蒼は、少々苦戦気味のミミにそっと寄り添い、アドバイスしつつ作業を手伝っていた。
「そっか。これでやりやすくなったね。……うーん、でもなかなか上手く丸められないんだよ。なんで僕の丸めるお餅は星型になっちゃうんだろう……」
それになんか少し動いてる気もする……と微妙に不穏なことを言うミミだが、素直なミミの様子を、むしろ蒼は好ましく思った。
「慣れないうちはそんなものです。それに、星形にできるなんてむしろ可愛らしいではありませんか。動くのは置き方が悪いからかもしれませんね? ひとつ、共同して丸めてみませんか?」
と、さりげなく蒼はミミの手を取って、その冷たい肌を撫でるようにしながら、一緒に餅を丸めるのだった。
「あっ、上手くできた。嬉しいな。この調子で作ればいいんだね。わかった気がするよ、蒼ちゃん」
ミミは嬉しくて、頭を蒼の肩にくっつけて微笑んだ。
ぴーん、と何か不吉な予感を公太郎は感じた。
なんというか、命にかかわる危険な予感だ。
「果たして……これは?」
ぬくぬくの天板から身を起こし、無意識のうちに公太郎はみかんの皮を手にしていた。
直後、悪い予感は現実のものとなった。
「ネズミっ、ネズミがいますよっ!」
こたつ布団から白い獣人――それも、猫の獣人が飛び出したのだ。その名はバスティアン・ブランシュ(ばすてぃあん・ぶらんしゅ)、久々の空き日に、「猫はコタツで丸くなるのです」とここで休息していたものの、暑くなってきたので外に出たのだ。そしてバスティアンは絶好のオモチャ、あるいはエサ、もしくはオモチャとエサの両方、にあたるネズミ(公太郎)の姿を発見したというわけだ。
「あいや待たれい! バスティ殿、我輩はネズミにあらず、いたいけなジャンガリアンハムスターであるぞ。戯れはやめられい!」
公太郎は必死で叫ぶも、バスティアンの耳には届かない。
「ネズミ! ネズミ! よく肥った良いネズミ!」
以後は本能的行動だ。猫はネズミを本能的に追い、ネズミは猫から本能的に逃げた。こたつを飛び降りた後ぐるぐるぐるぐる、七輪の周囲で命がけの逃走劇を繰り広げた。
「しからば御免!」
公太郎は手にしたみかんの皮を握り、汁を飛ばしてバスティアンに浴びせて何度も危地を逃れた。ところがこれも限界、皮はしなびて、どれだけ握ろうが何も出なくなってしまった。
「こ、これは……!」
死を覚悟した公太郎に、猫の爪が振り下ろされた。
と、思いきやその寸前で、
「火の周りを走るな、危ないであろうが!」
異変を感じ飛びついたジュリオが、バスティアンの尻尾をつかみ持ちあげた。
猫の言葉でニャーニャーとバスティアンが抗弁するも、ジュリオは聞く耳は持たない。
「バスティ、言い訳をするな。ネズミが気になるのであれば、人間の姿になっておれ!」
と言って彼は、バスティアンの尻尾を握ってさらに高く吊したのだった。
「にゃあー」
不満げな声を洩らしつつ、バスティアンは青年姿に復した。目の覚めるような美形だ。そして今日のバスティアンもやはり、蒼と同じく黒い羽織袴を着ていた。
「すまない。バスティが迷惑をかけた」
ジュリオは深々と、公太郎に頭を下げた。
「いや、気にしてはおらぬ。頭を上げられよ」
と言いながらも、
(「なんとか生きてエメ邸から帰れそうである……」)
公太郎は深く深く、深ーく、命拾いしたことに安堵していた。
餅つきが終わると会場を室内に移し、あとは楽しく会食となった。雑煮、焼き餅、きなこ餅……談笑しつつ食べる。
「……さあ、どんどん食べて下さいね。焼いているお餅を途中で摘んでも構いませんが、火傷をしないようにしてください。焼きたてのお餅は熱いですよ」
縁側に座ったエメは、振り返って友人たちに告げた。公太郎もバスティアンも今は並び、蒼とミミ、それにジュリオも、日本の伝統食を堪能するのである。
ただ、エメは食べるのにいくらか苦労しているようだ。たどたどしい手つきで餅を手にし、落とさぬよう工夫しながら口に運んでいた。餅は食べるのも初めてなのだ。
「隣、いいか?」
そこに壮太がやってきて、縁側に腰を下ろした。
「壮太君、コタツに入っていればいいんですよ。私は正座ができないからここにいるだけで……寒いでしょう?」
エメは言うのだが、「なんてことないさ」と壮太は首を振った。彼は言った。
「そういえばエメの誕生日は確か一月なんだよな……と思ってな。どうだろう、せっかく餅食うことだし、ナイフとフォークじゃ格好つかねえだろうから、これ、用意してきたんだ」
もらってくれ、と壮太がエメに手渡したのは、淡い白茶色の木の箸だった。桐の箱に入れられている。
「まあ、箸くらい持ってるかもしれないが、今日の招待のお礼、ってことで」
「壮太君……こんな良いものを」
ありがとう、とエメは穏やかな笑みを見せた。そして、こうも言ったのである。
「図々しいかもしれないけれど、あと……箸の使い方も教えてくれると……嬉しい」
壮太の返事は、任せとけ、であった。