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【ザナドゥ魔戦記】ゲルバドルの牙

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【ザナドゥ魔戦記】ゲルバドルの牙

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第1章 生きる森 3

 変わってないな、とフィーグムンド・フォルネウス(ふぃーぐむんど・ふぉるねうす)は思った。
(頼まれて魂を手に入れるなど、お前の流儀に反するのだろう? もちろん、あの南カナンの領主たちに感化された部分もあるのだろうがな)
 彼女が見つめる先にいたのは、芸術の魔神アムドゥスキアスだ。
 かつて、フィーグムンドはアムトーシスにいた。もともと、一部では魔海侯とも呼ばれ、水を支配する大洋の魔族であった彼女だ。水辺の都として繁栄したアムトーシスに彼女が住んでいたのは、当然のこととも言えた。
 地上にいる今でも、時々彼女はアムトーシスのことを思い出す。美しく、それでいて幻想的な水路と海。ゴンドラの行き交う街路。螺旋状の街を登っていくと、その中心に立つ、芸術の魔神の塔。
 久方ぶりにかの街に足を運んだとき、その懐かしさに思わず体が震えたほどだった。
 そして、旧知の友であるアムドゥスキアスに出会ったときも。
「敵兵に深入りはしないで! 一刻も早くナベリウスのもとにたどり着くことを目指すんだ!」
 先行するアムドゥスキアスがそんなことを叫ぶ。
 彼の横まで追いついて、フィーグムンドは彼に他愛なく言った。
「きつい戦いだな。被害を最小限に抑えねばならない」
「そうだね」
「辛くならないのか? いつも、お前はそうして傷つく。魔族にあるまじき姿だと。あの時もお前は……」
 アムドゥスキアスはフィーグムンドの話を聞きながら、苦笑していた。
 彼も、自分がどこか特殊か、言い方を変えれば異常であるということに気づいているのだろう。魔族の本来の姿として、自分がおかしいということを。だがそれでも、その生き方を変えようとは思っていない。それにいま、こうした戦いで、何かが変わろうとしている、そんな予感がしていた。
 紙ドラゴンを周囲に飛ばし、付近の敵小隊の動きを偵察させつつ、フィーグムンドはアムドゥスキアスに目を合わせず言う。
「万一――」
 しかし、彼女の表情は何かを思いつめたようになり、その言葉はふいに途切れた。
「――いや、止めておこう。仮定の話など語った所で撰無き事だ」
 締めをそう言い残して、フィーグムンドはアムドゥスキアスから離れた。
 芸術の魔神は彼女の言わんとしたことに気づいていたが、あえてそれを言うことはしなかった。それが、フィーグムンドの優しさだと、知っていたからだった。
 フィーグムンドがアムドゥスキアスから離れたのを、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は見ていた。カイサ・マルケッタ・フェルトンヘイム(かいさまるけった・ふぇるとんへいむ)は不在。
 スパイマスクを使用して素顔を隠している彼女は、いまはフィーグムンドの使い魔としてロゼという名を名乗っている。
「フィーは、何を話していたのかな?」
 彼女は素の自分の声で、隣を走るグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)に声をかけた。
「さあ……分かりかねるな。フィーとアムドゥスキアスは旧知の仲なのだろう? 彼女たちだけにしか出来ない話があったのではないだろうか」
 心配そうなローザマリアと違って、グロリアーナは冷静に言った。
 ただそれは、彼女が冷静を努めていたからこそでもあった。心のなかでは、様々な思いが廻っている。
 例えば、アムドゥスキアスのことだ。
(契約の履行を遵守せんとする者もいようとは。悪魔にも律義な者は居るのだな――それとも、彼の者が例外的なのであろうか?)
 フィーグムンドから言わせれば、まさしくアムドゥスキアスは例外な魔族だ。
 だが、そんな彼を慕う魔族が集まるアムトーシスの民もしかり、そうした稀有な魔族が増えてきつつあるのもまた事実だった。
 逆に――バルバトスという存在に取り込こまれた者もいるが。
(雲雀……)
 ローザマリアは周囲を警戒しつつ、ある娘の姿を探した。元教導団員で、自分と同期だった娘だ。ローザマリアと同じく契約者だった彼女は、魔導書であるパートナーの魂をバルバトスに奪われ、彼女に付き従うパートナーとともに、形式上はバルバトスの配下となっている。
 無論、それが彼女の本意ではないとローザマリアは思っていた。魂を奪われたパートナーはまだしも、彼女はまだ正常な意識を保っているはずだ。となれば、彼女がそんなことを本気で望むはずもないと、教導団で一緒に過ごした月日から十分にわかっていた。
 もしかしたら、このゲルバドルに来ているかもしれないと思ったのだが、思い違いだったか。
(でも……絶対に……)
 連れ戻してみせると、彼女は心にそう誓いを立てて、拳を深く握った。



 しばらく先へ進んだのはいいものの、アムドゥスキアスと敵兵との攻防は膠着状態に陥っていた。本能に任せた野獣のような戦士たちだと、油断していたのがいけなかったかもしれない。彼らの鋭い爪の攻撃は、最悪の場合、一撃で心臓をえぐってしまうのだ。
 それぞれが巨大な幹の後ろに隠れて、アムドゥスキアスたちは気を見計らっていた。
 そんなときに、アムドゥスキアスに話しかけてくるひとりの青年がいる。
「ねえ、アムドゥスキアス。君は南カナンにエンヘドゥさんを返したら……どうするつもりだい?」
 彼の名は碓氷 士郎(うすい・しろう)という。
 契約者、乙川 七ッ音(おとかわ・なつね)のパートナーである悪魔で、優しげな雰囲気だが、どこか冷然とした空気も共存させた若者だった。
「いまは、そんな話をしてる、場合じゃないでしょ!」
 幹の一部を敵の爪がえぐった衝撃に身をよじって、アムドゥスキアスは反論した。
 それは士郎もよく理解している。戦いの場でこのような悠長な話をしている場合ではないことを。しかし、こうした時でなければ、アムドゥスキアスとふたりきりで話す機会がないことも彼はわかっていた。
 このチャンスを逃すことはないと、意を決して訊ねたのである。
「……どうするつもりだい?」
「…………」
 彼のいつになく真剣な表情に、アムドゥスキアスもただならぬ覚悟だと知った。
 しばらく考えるように宙に視線を送る。
 そして、答えようと口を開きかけたそのときだった。
「士郎……」
 恐る恐るという様子で、七ッ音がふたりのもとに近づいてきた。敵の標的にならぬよう、四つん這いにちかい姿勢である。
 そんな彼女を見て、士郎は穏やかな表情に戻った。
「……後でもいいよ。答えを聞かせてもらえるかな」
 ぼそっと、アムドゥスキアスの耳元にそう言い残して、彼は七ッ音を促してその場から離れた。
 少し離れた幹まで屈んだ姿勢で移動して、ようやく彼は息をついた。
 彼のことを、七ッ音が心配そうに見つめている。
「アムさんは、あの……楽譜、受け取ってくれました。私、話すの下手だから音楽で伝えるんです。だから……楽譜は、私の意思なんです。そう知らなくても……貰ってくれて、嬉しくて……。士郎は、私の音楽が好きで、友達になってくれた……んですよね?」
 七ッ音の瞳に、徐々に涙が浮かんできた。
 それを見て、士郎は胸を締め付けられるように切なくなる。もしかしたらアムドゥスキアスも、初めて七ッ音と会った自分と同じように、人間に惹かれているのかもしれない。
 それが確かかどうかは分からなくても、そう悟って――士郎は苦笑した。
「士郎……?」
「いや……ごめんね、七ッ音」
 士郎は七ッ音に素直に頭をさげた。
 後で答えを聞かせてもらえると嬉しいが、それ以上は追求しないでおこう。七ッ音と仲良くして欲しいのが事実だし、それに……
「士郎……笑ってるの?」
 七ッ音を首をかしげた。
 自分も彼と友達になれたら良いと、そんな風に思いながら笑う、士郎を見ながら。



「領主さま……」
「ロクロくん……? どうしたの?」
 七ッ音と士郎が離れて行ってすぐに、アムドゥスキアスのもとに気恥ずかしそうにしている少年がやって来た。
 彼はアムドゥスキアスもよく知る少年だった。
 彼は、アムドゥスキアスが運営するアムトーシスの学舎に通っている一市民なのだ。絵を描くことが大好きで、いつも学舎という名の絵画教室に顔を出している。また、彼の父親は数あるゴンドラ乗りのなかでも、抜きん出たゴンドラ乗りだ。
 アムドゥスキアスも、よく彼の父親が漕ぐゴンドラには世話になっていた。
 そんな少年がどうしてこんな場所にいるのか? それは、彼が由乃 カノコ(ゆの・かのこ)という契約者と契約を交わしたからだという。
 その当の本人のカノコは、先日バルバトスの配下たちに襲われたアムトーシスの街の復興に務めており、この戦場には来ていない。
 少年――ロクロ・キシュ(ろくろ・きしゅ)は、当人の望んだことであはるが、こうしていきなり戦場に放り込まれたというわけだった。
「領主さまは……みんなのこと、どう思ってるんですか?」
「みんなのこと?」
「ボクは、芸術大会に来てた地上の人達にも優しい人はたくさんいたし、きっと色んなものを分かち合えると思いたいです」
 ロクロは、質問の意図を説明するように、そう語った。猫耳のような二本の角が、感情に合わせるようにぴょこぴょこと動いた。
「でも……領主さまはどう思ってるのかな……って……」
 ロクロはアムドゥスキアスを尊敬している。
 だからこそ、彼の考えが聞いてみたいのだ。それによって、自分の考えは変わるかもしれないし、そうではないのかもしれない。しかし、それを知ることは、この戦いの場に赴いた自分にとってとても重要なことに思えた。
 そんな少年の思いを、アムドゥスキアスは感じ取ったのだろう。
 緊迫の状況ではあったが、無碍にすることはせず、真剣に考えた。
 そして、
「ロクロくんは、教室でボクが最初に言ったことを、覚えてるかな?」
 と言った。
「教室で?」
「そう」
 うなずいて、アムドゥスキアスはポケットに手を突っ込むと、そのなかからある物を取り出した。
 それは、砕けた宝石だ。
 まるでロクロの瞳の色のように、黄金の色に染まった宝石は、4つに割れてしまっている。
「見ててごらん」
 彼はそれをぎゅっと握ると、拳に力をこめるように精神を集中させた。わずかに、拳のなかから光があふれる。すると、手を開いたそのときには、宝石は元の見事な球体の形を取り戻していた。
「どれだけ壊れたって、元に戻す方法はきっとある」
 言って、彼は微笑を浮かべた。
「たとえ、元には戻せなくても、それを加工して、新しい芸術品を作ることができる。それはもしかしたら、元の宝石よりも美しい作品に仕上がるかもしれないんだ。もちろん、そうではないときも、あるけどね」
 苦笑したのは、それが芸術家の苦悩するところだと、自嘲めいたことを思ったからだった。
「だけどね。少なくともボクは、芸術の魔神として、壊れたままのものをそのままにしておくつもりはないよ。どんなものにだって価値はある。そう信じたいし、それに、ボクは価値を創りだすことだって、やりたいことなんだ」
 ロクロはアムドゥスキアスの瞳を見つめながら、思い出していた。かつて、学舎の教室で、はじめて領主という存在と相対したそのときのことを。
 あの時も――こうして真っ直ぐに自分たちを見つめてくれていた。
「それが、ボクの思ってることだよ」
「…………」
 アムドゥスキアスはポケットに宝石を戻す。
 それを見届けて、ロクロはまるで自分の心に激励を与えるように、静かにうなずいた。
 しばらく隠れていたせいだろう。相手の反応があまりにもないので、怪訝そうに首をかしげた敵兵たちはきょろきょろと仲間たちで見つめ合った。
「よし、行くよ」
「……はい!」
 それを好機として、アムドゥスキアスは教え子の少年とともに再び森を駈け出した。