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【ザナドゥ魔戦記】ゲルバドルの牙

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【ザナドゥ魔戦記】ゲルバドルの牙

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第1章 生きる森 1

 鬱蒼と生い茂った草木と木々。視界に映るのは緑の葉と茶こけた幹だらけだ。一見すれば、緑豊かな自然地帯。それがゲルバドルだった。
 だが、それは本当に一見に過ぎない。一度足を踏み入れれば、ゲルバドルの森は、森そのものが侵入者に牙を剥く。
 一部の南カナン兵と契約者を連れたシャムス・ニヌア(しゃむす・にぬあ)は、それを実感していた。
「……ッ!」
 地を蹴って、彼女は上から飛ぶようにして襲いかかってきた獣の爪を避けた。
 ナベリウス軍の一般兵だ。はたから見れば、それは獰猛な獣が唸り声をあげて、相手を威嚇しているようにしか見えないが、これでも立派な兵である。布切れを組み合わせた民族的な衣装をまとっていることが、最低限の知性があることを物語っていた。むしろ、通常の兵よりもはるかに高い俊敏性と攻撃性は、脅威であると言えるかもしれない。
「待てっ! オレたちはナベリウスに話をしに来ただけだ!」
 シャムスは背中に背負っていた弓矢を構えて、相手を牽制しながらも言い放った。
「ガァウ!」
 だが、縄張りを犯された獣のそれと同じで、ナベリウス軍の兵は激しい唸り声をあげた。聞く耳を持たないとはこのことだ。
 敵兵は瞬時に後ろへと飛びすさった。脅威の跳躍力で木々の上にまで戻る。
 シャムスは慌ててそれを追いかけようとした。
 だが――
「無駄だよ」
 彼女の横にいた魔神 アムドゥスキアス(まじん・あむどぅすきあす)が言う。
 すると、シャムスの行く手を阻むように、森の木々が激しく動き始めて道を塞いだ。ぐにゃりと曲がった幹と枝が絡みあい、壁のようになっている。当然、敵兵の姿はその奥に隠れてしまっていた。
「生きる森……か」
「やっぱり、兵に言ってもどうしようもないみたいだね。なにせ、向こうは命令を守ることだけは絶対だから」
 アムドゥスキアスは呆れるような雰囲気も感じさせつつ言った。
「まあ、だから一度味方についたゲルバドルの民は信頼に値するとも言うんだけどね。そのかわり、交渉ごとなんかには不向き。真っ直ぐすぎるんだよ、彼らは」
「……直接、ナベリウスのもとに行くしかないか」
「それも、出来る限り大急ぎでね。被害が拡大する前に」
 自分たちから踏み込んでおいて、ずいぶん勝手な言い草だと、自嘲的な思いに駆られなくもなかった。
 だが、そうすることが最善だと二人は気づいている。気づいているからこそ、自責に苛まれそうになるが、それでも前に進むしかなかった。
「となると、敵の戦力を分散するのが手か」
「うん。二手に別れよう。ボクとシャムスさんで。それに、騎士団の人たちもそろそろ動き出す頃だ。そっちにもすぐに気を取られると思うよ」
「よし――」
 シャムスは周りにいる仲間を見回した。
 シャムスについていく者。アムドゥスキアスについていく者。さほど多くの言葉を交わさなくとも、自然と部隊は二手に分裂した。
「行くぞ!」
 前を阻む木々の壁を回りこむように、二人は二手に分かれて“生きる森”を進んだ。



 シャムスの部隊は森の中心部からざっと見ると、右手から進んでいた。当然、アムドゥスキアスたちは左手より進むこととなる。
 果たして敵はどう動いてくるか……? と、思索を張り巡らせていたが、
「そうくるか」
 さほど考える間もなく、敵兵は木々の上を伝って一気にシャムスたちを迎撃してきた。作戦という作戦を感じさせない、直接的な戦い方。
 だが、その分かりやすさがシャムスには心地よくもあった。
 飛び掛ってくる敵の攻撃を、相手の間合いに入らぬように避けて、弓矢を射る。腕に突き立った矢に苦痛の叫びをあげた敵兵を一瞥だけして、シャムスは止まることなく先へ駆けた。
 無論、相手の数は一瞬では数え切れないほどだ。すぐに別の敵が、それも3人同時にシャムスへと襲いかかる。野獣のような爪が眼前に迫った。
 が――
「…………ッ」
 それを、一本のヴォーチャースピアが、その穂先をもって阻んだ。その折に、穂先から伝わった衝撃が、無色透明な空間を揺らす。空間から溶けるようにして現れたのは、ひとりの毅然とした表情の青年だった。
「永谷……!」
「無茶はするなよ」
 光学迷彩に全身を溶かしていた大岡 永谷(おおおか・とと)は、表情を崩さずに、自らの心にささやくようつぶやいた。
「連中が親玉を失うわけにはいかないのと同じように、俺たちにとっても、あなたは失ってはならない存在だ」
 正面を向いて敵を牽制しつつ、彼は振り返らずに言う。
「直接狙ってくる奴らの迎撃は任せろ。今回も、全力を尽くす」
「……ああ、任せたぞ」
 永谷がぎゅっと力強くスピアの柄を握りしめたのを見て、シャムスはその頼もしい背中に信頼を寄せる言葉をかけた。それに応じてうなずいた永谷は、再び光学迷彩によって姿を消し、周囲の景色に溶け込む。
 目を凝らしてようやく分かる程度の、わずかに歪んた空間が、シャムスから距離をとって先行した。
「一歩も退くな! 目的は敵の殲滅ではない。ナベリウスのもとへとたどり着くことだ!」
 シャムスはわずかな部下たちにそう叫びをあげて、自分も永谷に続くように再び足を進めた。
 その腕に嵌められた腕輪は、かすかに光を帯びている。〈禁猟区〉の保護がかかった腕輪だ。永谷と、そして神楽 授受(かぐら・じゅじゅ)から付与された聖なる力が、敵の攻撃を耐える体力に内なるパワーを与えていることを実感する。
(ありがたいな)
 そんなことを思ったそのとき、彼女の横では仲間の契約者が敵の攻撃を退けたところだった。
 元神父である契約者、アキュート・クリッパー(あきゅーと・くりっぱー)である。
 敵は腕にはめた、巨大な三本の爪が飛び出た手甲を突き出して襲いかかってくる。だが、その前にアキュートはミラージュを発動していた。幻想の光が人の形を象ったと思ったそのときには、アキュートの分身が生まれている。
 アキュートは円の動きで相手の攻撃を避けた。まるでマジックのように、そこに残像のごとく分身が残る。そして単純な思考をしているナベリウス軍の兵は、その分身をアキュートだと誤認した。
「取った」
 自分だけに聞こえる、静かなつぶやき。
 ミラージュの分身を爪がえぐったとき、兵の背後からアキュートの刃は降り注いでいた。
(やるな)
 と、シャムスは、ザナドゥに来てから初めて言葉を交わした神父のことを賞賛する。
 そのとき、横合いからアキュートを追うようにひとりの影が飛び出した。
「ペトちゃん、少し荒っぽく行きますよ」
「ペトは大丈夫なのです。思いっ切り突っ込むですよ〜」
 アキュートのパートナーであるクリビア・ソウル(くりびあ・そうる)ペト・ペト(ぺと・ぺと)だ。
 巨大なナギナタの武器を構えたクリビアは、腰のウエストポーチにすっぽり入っている花妖精、ペトに声をかけて承諾を得てから、一気に敵兵の懐へとバーストダッシュで突っ込んだ。斬り込むその前に、彼女が光術の魔法を放っていたことをシャムスは見逃さない。
 光に視界が眩んだそのときを突いて、刃が相手を裂いたのだった。
「敵は神出鬼没ですね。さすがに、そう安々と先には進ませてくれないといったところでしょうか」
 クリビアたちへ向けた感嘆の響きも含んで、駆け抜けるシャムスの横に並んだ神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)が言った。
「そうだな……」
 つぶやくように返し、シャムスは思案顔になる。
(戦士だけならばまだ良い。しかし、戦いに関係のない民を巻き込まずに済めば良いが……)
 ナベリウスのもとにたどり着くまでの時間もそうだが、彼女が果たして交渉に応じてくれるかどうか。それも問題だった。
 そんなシャムスの思考を読み取ったように、翡翠もつぶやく。
「交渉ですが、かなり難しいと思いますね……。条件をつけるという方法もやらないよりはマシだと思います。……上手く行くと良いのですが」
「そうですわね。上手く行けば良いのですけど……交渉、説得をする方の腕次第という感じですわね」
 翡翠のつぶやきに答えたのは、彼の後ろに控えていた柊 美鈴(ひいらぎ・みすず)だった。ほぼ全力に近い速さで疾走するシャムスについてくるとは、彼女もなかなかに素早い。さすがは精霊といったところかと、場違いに感じながらもシャムスは感心した。
「それで? うまくいくためには、どうすれば良いと思う?」
「え……? それは……先ほども言ったように条件をつけるなど……」
「交渉のセオリーじゃない。翡翠、君はナベリウスたちをどう思うんだ?」
 条件や交渉・説得の腕は当然、大事なことである。しかし、シャムスが聞きたいのは、これまでともに戦場を生き抜いてきた翡翠自身の意見だった。
 自分を一瞥したシャムスの視線を受け止めて、翡翠もそれを感じ取った。
「自分は……3人娘は、かなり、我がままで無邪気な感じがします。ですので、戦って勝たないと言う事を聞かないかと……」
 だから彼は、自分の意見を素直に言った。
 それを聞いて、シャムスは満足そうにうなずく。
「オレも、そう思う」
 それは交渉ごとを諦めたり、あるいは、戦いたいといった私欲ではない。アムトーシスやザナドゥでナベリウスの姿を垣間見たシャムスの、少なからず体験に基づいた意見だった。
 無論、ナベリウスを殺してやろうなどと思ってはいない。説得・交渉・対話とは、十人十色だとシャムスは思っている。ナベリウスにとって、それが最適な対話のやり方であるならば、シャムスはその方法を迷いなく取るつもりだった。
 そのために、彼女たちはゲルバドルの森を突き進む。
 ガサガサと音を立てて、森の幹や枝はその道を阻むために動き出した。即座に方向を変えたり、それを飛び越えてシャムスたちは前へ向かう。時には、敵兵が現れたルートを、逆に取り込むようにして進んでいった。
 と――
「生きる森、ですか。興味深いですね……音楽のテーマにしたいものです」
 ずずーと、サンタのトナカイのそりを占領した優雅な男が、珈琲を飲みつつのんびりと言った。
「って、ちょっと待たんかい、そこ!」
「……はい? 何か?」
 男――ローデリヒ・エステルワイス(ろーでりひ・えすてるわいす)は、うごめく森を進むのはトナカイに任せているため、労力というものをまるで感じさせない。
 そんな、剣の花嫁としては信じられない姿に、ロランアルト・カリエド(ろらんあると・かりえど)は口を挟まざるえなかった。
「何か? やないわー! こんなときになにのんびりお茶飲んでんねん!?」
「丁度ティータイムの時間でしたので。……これに音楽があれば文句なしなのですが。まあ、私の事はお気になさらず」
 名門貴族出身の剣の花嫁は、あまりにも場違いな優雅さでそう言いつつ、ティータイムを楽しんだ。
「貴族って……分からへん……っっ! なあ、桜と領主さんもそう思うやろ?」
 まったく通じ合えない貴族論議に涙して、ロランアルトは自らの契約者と領主へ振り返った。
 が、そこにいた契約者の娘は、いつもの陽気さのなりを潜めて、なにかを考えるように黙り込んでいた。当然、ロランアルトの声にも気づいていない。
「……桜?」
 再び、ロランアルトは名前を呼ぶ。
 そこでようやく、彼女は顔をあげた。しかしその視線は、一度ロランアルトに動き、そしてシャムスへと動かされた。
「ねえ、領主様。僕もナベリウスと友達になれるかな? ……僕たちと領主様みたいに」
 不安の残る瞳で、契約者――飛鳥 桜(あすか・さくら)はシャムスを見上げた。
「戦いの相手じゃなくて、一緒に楽しい事をして笑ったりできる、本当の友達になれたらいいなって……僕は思うんだ」
「…………」
 シャムスはそれにすぐ答えることが出来なかった。
 それは、桜を眩しく感じたからである。シャムスは彼女と違って、そんな風にナベリウスのことを考えたことはなかった。彼女の頭のなかにあるのは、少なからず戦いの被害を減らすという意味での“平和”と、そして、妹――エンヘドゥのことである。そのために、ナベリウスという障害をなくすことを考えていただけだ。
 だが、桜は違う。
 そのことが、シャムスにひどく、彼女とかけ離れた存在であることを突きつけるのだった。
 が――
「戦いは、友達がいなくなってしまうかもしれないっていうのを、僕は時々忘れそうになる……。何かを守りたいって思えば思うほど。僕、友達が……領主様や親分達がいなくなるっていうのは、凄く、嫌だよ」
 桜はそう言った。
(……そうか)
 自責や、後ろめたさにも似た、自分の感情を振り返って、シャムスは思った。
 桜も、もしかしたら自分と同じなのかもしれない。ただ彼女は、そこに、自分の感情に、必死に問いかけたり、語りかけているだけだ。忘れそうになる思いに。
「……まあ、無邪気な子らしいからなぁ」
 桜にまず答えたのは、彼女が親分と慕うロランアルトだった。
 それから、続けるようにローデリヒが言う。
「貴方が決めた事は貴方にしかできませんよ。私たちは、それの後押しをするだけです」
「そやそや。あとな、桜。問題なんは出来る出来んかやないと思うで? なるかなれんか、や。……お前なら、なれると俺は思う。ローデリヒと友達になれた位やしな」
 その言葉には明らかに皮肉が含まれていたが、それが軽口だと気づいているため、ローデリヒは微笑するだけにとどめた。
「おや、私は友人を選んだつもりですが?」
「よう言うわ……」
 呆れたような視線を向けるロランアルト。
 桜は二人の言葉を聞いて、自分の心をぎゅっと掴むような思いがした。
 そして、
「そうだな……お前なら、出来ないことはないさ」
「領主様……」
 まるで何か、縛り付けられていた思いが吹っ切れたかのような、シャムスのほほ笑み。
 それを見て、桜は勇気をもらったような気がした。
「領主様、僕は友達を……貴方を守ってみせる。必ず、ナベリウスの元にいこう!」
「ああ」
 そして、“ナベリウスとも友達になるんだ”
 言葉にはしていないが、桜の言葉には、そんな声が続いているような気がした。