天御柱学院へ

蒼空学園

校長室

イルミンスール魔法学校へ

【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第1話/全3話)

リアクション公開中!

【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第1話/全3話)

リアクション


●錯綜する星屑(スターダスト)

 くすんだ灰色のビルの屋根に乗り、耀助は黙ってたたずんでいた。彼のトレードマークのような笑みは唇になく、目には何かずっと、ここにはないものを求めるような色が浮かんでいる。
 帰ろうか、とでもいうかのように背を向けかけたのは刹那のことだ。
 耀助の目は焦点を結んでいた。繁華街の、ある一点に。
 耀助は身を躍らせ、百舌のように自由落下して繁華街を目指した。 

 カーネリアンとハルカは並んで歩いた。特に目的地があるわけではないが、ただ歩いた。
 カーネの足取りはぎくしゃくしているが、ほんの数ヶ月前まで車椅子での生活だったことを考えれば劇的に回復しているといえよう。肩を貸したい――という思いがハルカにはあったが、そんなことを申し出てもカーネなら怒るだけだろうと考え、やめておく。
 ハルカはカーネを気遣いながら話していた。
「不自由はしていないですか? きちんと食べてます?」
「不自由はしてない。サバイバル術なら心得ている」
 カーネのほうはあいかわらずまるで愛想というものがない。ただ、嫌がってはいないようだ。嘘が下手な彼女である。本当に嫌ならもっと露骨に嫌そうな顔をするし、ことによれば逃走もはかるだろう。
 でも……と、ハルカは、思っていることを口にした。
「困ったら、いつでも頼ってくれていいんですよ……」
「……」
 カーネが口を開きかけた、そのとき、
「ヨウくんやんか……あ、今は『ハルカちゃん』て呼んだほうがいいか?」
 奇遇やね、と七枷 陣(ななかせ・じん)が片手を上げて挨拶した。彼だけではない。陣の右にはリーズ・ディライド(りーず・でぃらいど)が、そして左手には小尾田 真奈(おびた・まな)がいる。少し離れて後方から、仲瀬 磁楠(なかせ・じなん)もついてきているようだ。
 旧知の陣であると判ってハルカも相好を崩した。
「ヨウくんでいいですよ〜」
 しかしそのハルカの背後に音もなく、カーネは隠れるように身を引いた。
「やっぱりヨウくんも?」
「あ、はい。女性を狙った事件発生、ということで調査に歩いてます〜」
 本当はそれよりむしろ、カーネに会うために出てきたのだが、それは言わないでおく。
 陣は、ハルカの傍にいる少女に目を留めた。身を屈め気味にしているとはいえ、ハルカより背の高い少女が見えないはずはない。目に星が宿っているようというか、軽くすれ違っても振り向きたくなるような美少女だった。
「ところでそちらの人……」
 とまで言いかけたとき、
「陣くん!」
 叫ぶようなリーズの呼び声がした。驚いてそちらに目をやると、
「ねえねえいいじゃん。住所とメアドおしえてよ〜」
 と言った具合で、歌舞伎風というか忍者風というか、いずれにせよ妙に派手な扮装の少年が、リーズと真奈にからんでいるのだった。仁科耀助である。
 陣は彼に近づいて肩をすくめた。
「悪いが二人はオレの連れや」
 ところがそれを聞いてもさしてショックを受けた様子もなく、
「お父さん! 娘さんたちを僕にください!」
 いけしゃあしゃあとそんなことを口にする耀助である。
「わーっ、タンマタンマ、暴力反対!」
 陣が魔法を詠唱するようなポーズを取ったので、耀助はバタバタと手を振った。もちろん陣とてまともに攻撃する気はない。むしろ、関西的というか妙にあっけらかんとしたノリのこの男はイヤでもなかった。(まあナンパは認めないが)
「きみ、噂の仁科耀助君やろ、いろいろと聞いてる」
「それって良い噂? 悪い噂?」
「オレが同じ噂立てられたら二三日ヘコむくらいの噂」
「うわあキツいなあ〜」
 しばらく話してみると、やはり軽薄な印象はあるものの悪人とも思えなかったので、とりあえず陣は、
「会話くらは別にええけど、変なことしたら即処罰やからな。あと、うちらの話は邪魔せんようにー」
 と言いおいてハルカに向き直った。
 だが、
「そちらの方」
 そのときにはすでに、真奈が例の少女(カーネリアン)に近づき、話しかけていたのだった。
 少女は目を合わせないが、真奈は続けた。
「失礼ですが、どこかでお目にかかったことがあるような気がします……いえ、この感覚は私の友達……澪様に感じたものと、同じ……っ?」
 まさか、と真奈が言いかけるも、
「クランジね? まだ生き残ってる人がいたなんて」
 反対側の方角から断定する声があった。
 その声の主を見て真奈も、陣も目を疑った。
「真奈さんたちと一緒に行動するのは久しぶりですね」
 アイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)が、隙のない笑みを浮かべて立っていたのだった。
「あの……アイビス様、ですよね?」
 なんだか雰囲気がお変わりになったような、と、言う真奈に、
「雰囲気? ……そうね。先日ある事件を経験して以来、性格が一変したようなの。後遺症なのかもしれないわ。でも私が人間だった頃じゃないかなって思ってね。今はこれで満足しちゃってたり」
 アイビスはすらすらと返答した。超然としているというか、どこかこの世界に生きていないようであったかつてのアイビスとはあまりに異なっている。
「ワオ、ここにもカワイコチャンが!? ねえねえ、オレ、葦原明倫館の仁科耀助って言うんだけど知ってる?」
 と、アイビスの肩にすかさず耀助が手を置こうとしたのだが、火が出るほど烈しく凍り付くほどに冷然と、アイビスはその手を払ったのだった。
「この人、葦原のナンパ好きの……こういうのって私どうも苦手……!」
 いい? とアイビスは一度だけ、女王のような目を彼に向けた。
「あまり慣れ慣れしくしてると握りつぶすわよ?」
 何を? というのは恐ろしくなったか訊けず、耀助は口を閉ざした。
「アイビス……っ!」
 と声を上げて駆けてきたのは、アイビスのマスターこと榊 朝斗(さかき・あさと)と、朝斗のパートナールシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)だった。耀助がやり込められたのを察し、朝斗はさっと彼に謝った。
「本当にごめん! アイビスってナンパとかそういう事は嫌うからさ……怪我はしてないよね?」
「そういうわけだから、気を悪くしないでねー」
 苦笑しながらルシェンはアイビスの腕を引いて耀助から距離を取った。
「まあ、なんというか、本当に握りつぶされる前だったのは僥倖といったところじゃない?」
「いやまあ握るとか潰すとか唐揚げにするとかいう話はともかくやな」
 陣は両手を伸ばしてなだめるようなポーズを取りつつ、改めて朝斗に、アイビスにまつわる事情を訊いた。
「陣さん、にわかには信じられないかもしれないけれど……いや本当は僕もまだ夢を見ているような気分なんだ。でもアイビスについては本人が言っている通りで……けれど今の性格は人間だった頃に近い状態みたいだから、僕としては良い変化だったんじゃないかな、って思ってる」
「それはまあ、朝斗くんが納得しているならええとは思うよ。それとは別の話になるけど……」
 陣の言葉を受け継いだのはリーズだった。
「そうだよ! いま、『クランジ』って……」
 ハルカがカーネをかばうようにして言った。
「以前、言わなかったかな〜。カーネリアン・パークスって名前の、最近までうちで預かっていた機晶姫で……」
「機晶姫で、クランジ。おそらくはクランジΚ(カッパ)ね」
 アイビスが再度、明言した。
 鞭打たれてでもいるかのように、さらにカーネは体を硬くする。
「てっきりあの事件で亡くなってると思ってたけど……」
 ルシェンはアイビスとカーネの姿を交互に見やったが、それ以上は何も言わなかった。
 真奈もどう二の句を継ぐべきか、ためらうような表情をするばかりである。
 この緊張状態を、最初に破ったのは朝斗だった。
「ねえ、それ以上はやめようよ。アイビスも、そんな失礼な口の利き方はないんじゃないかな?」
 朝斗は穏やかな口調を心がけながら言う。
「カーネリアンさん、って呼んでいいよね? 僕は天御柱学院の榊朝斗。カーネリアンさんがアイビスの言う通りの人だとしたって、もう僕らが争う必要はないんだ。僕には色々問い糾すつもりも、そんな権利もないと思う。今日はもう無理だと思うけど……いつか友達になれるといいな」
 彼は頭を軽く下げ、調査を続けようと陣に呼びかけた。
「ああ、せやな……自己紹介するにとどめとこうか。よろしく」
 陣としてもカーネに訊きたいことは山ほどあった。どうやって生き延びたのか、今日はどんな目的でツァンダに来たのか、等である。だが深く追求はせずにおこう。戦うつもりは彼女にも、こちらにもないのだ。悪い印象を残すつもりはない。信頼関係は、これから作っていこう。
「『七枷陣、柔和な態度と、故意または無意識による親しみやすさで相手の心に踏み込む達人』か……」
 ふと、大黒澪が呟いた言葉を陣は思い出していた。
 ――今でもオレは、その『達人』ってやつやろか。
 あまり自信はなかった。
 立ち去ろうとしたカーネが、軽くバランスを崩した。
「あの……」
 そんな彼女をリーズが、無意識のうちに支えていた。
「……例を言う」
 カーネはそれだけ告げて、あとは振り向くことをせず姿を消した。
 ハルカも追うべきか少し戸惑ったが、見送ることにした。

 このとき、アイビスは一人、こめかみを押さえていた。
 動揺は表に出すまい。ほんの少し、意識が飛んだだけだ。
 新たなクランジと邂逅したせいだろうか、わずかながら彼女の脳裏に、過去の記憶が蘇ったのだ。
 ――お母さん……と、ミサクラ……?
 アイビスの目は瞬間、過去を見ていた。
 女性が見えた。彼女を抱くようにして立つ男性もいた。
 その二人はいい。まだ理解できる。
 だが、母とミサクラの背後にいた集団は一体なんだったのだろう。

 十メートルほど離れたビルの屋根。 
「おっと」
 磁楠が耀助の腕を捕まえていた。彼は既に陣と朝斗たちの輪から抜けていたのだった。
「そっと抜け出すつもりだったのか? 残念だがそう易々とはいかない」
「オレ男性には興味がないんだよね〜」
「私はある」
「……えっ!? えええっ!?」
 おどけた表情を作る耀助だが、磁楠はにこりともしなかった。
「勘違いするな。私が興味があるのはお前ではなく、お前の情報だ」
「かなわないなぁ……」
 耀助は頭の後ろをかきながら、ぽつりぽつりと誘拐被害者の共通点についてついて話し始めた。