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レベル・コンダクト(第2回/全3回)

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レベル・コンダクト(第2回/全3回)

リアクション


【四 管理行政官】

 領都ヒラニプラ。
 シャンバラ教導団の本拠地が置かれているヒラニプラ地方最大の都市であると同時に、ヒラニプラ家に仕える貴族達の多くが居を構える高級住宅地が、その一角を占めている。
 この日の夜、ニキータ・エリザロフ(にきーた・えりざろふ)は単身、アレステル・シェスターとの面会を果たす為、閑静な夜の街並みにブーツの音を響かせていた。
 パートナーであるタマーラ・グレコフ(たまーら・ぐれこふ)三毛猫 タマ(みけねこ・たま)カーミレ・マンサニージャ(かーみれ・まんさにーじゃ)の三人は、この場には居ない。
 全員ニキータがアレステルと面会するに際しての必要な情報を掻き集める為に、バランガンへと向かったままなのだ。
 名目は、人質事件に巻き込まれたバランガン市民のメンタルケアを執り行う為の追加の医療班として、ということであった。
 この提案は問題無く受け入れられ、三人は即座にバランガンへと飛んで行ったのである。
 三人のうち、タマーラはもうひとりの管理行政官ヴラデル・アジェンの調査にも向かっている他、壊滅したメルアイルに関係する貴族についても情報を掻き集めていた。
 カーミレとタマはその任務通りに住民へのメンタルケアを実施しつつ、バランガン市民から様々な情報を聞き出しており、その報告が逐一、ニキータのもとへと届いている。
(よしよし……これだけ揃えば、アレステル女史もお話のネタに困りそうにはないわねん)
 変装の為、ちぎのたくらみで十五歳程度に若返った姿を見せているニキータだが、その仕草は矢張り、いつも通りであった。
 周囲から見れば若干オネエ系が入った少年という外観であったが、本人がそこまで意識しているかどうか。
 ともあれ、ニキータは指定された時間通りにシェスター邸を訪問し、取次の家士に名前と用件を告げて、応接間へと続く待合室に、無事通された。
(よぉ〜し……ここからが、本番よぉん)
 変装を解いて本来の容姿に戻ったニキータは待たされている間の時間も有効活用して、パートナー達が掻き集めた情報を手早く脳内にインプットしてゆく。
 ややあって、応接間との間を仕切る扉が開き、家士がニキータを呼び寄せた。
 いよいよアレステルとの面会だ――と僅かに緊張したのだが、その時、意外な声音がニキータの鼓膜を襲い、心ならず彼を仰天させた。
「ほんなら、後は頼んまっさ。最初に五千、残りの一万は順次、南部諸国の方から移動させまっさかい」
 ニキータは思わず、あっと声を上げそうになった。
 入れ替わりになる格好で応接間から出てきた精悍な容貌の巨漢に、見覚えがあったのだ。
(わ……若崎、源次郎!?)
 ニキータが驚くのも、無理は無い。
 かつてパニッシュ・コープスに所属し、屍躁菌なる生物兵器を武器商人ルートに乗せようとしている若崎 源次郎(わかざき げんじろう)が、アレステルと面会していたのである。
 管理行政官と現役のテロリストが秘密裏に会合を持っていた、などという話が表沙汰になれば、それこそ政治生命が断たれるのではないかという疑念もある筈だが、今のニキータにはそこまで思考が及ばなかった。
「ん? どっかで会うたかいな?」
 源次郎は椅子から腰を浮かしかけていたニキータを一瞥したが、すぐに興味を失った様子で、待合室を通り抜けて勝手口方向へと消えていった。
 次いで、ニキータが家士の案内を受けて、応接室内へと通された。
 豪奢な応接テーブルの傍らに、30歳前後のスレンダーな女性が静かに佇んでいる。
 アレステル・シェスターであった。
「お待たせしました。私が、アレステル・シェスターです」
「シャンバラ教導団のニキータ・エリザロフと申します。御目通り賜り、心から感謝致します」
 金鋭峰派の筆頭であるアレステルとこうして顔繋ぎしておくことは、後々必ず、大きな力となって諸々の後押しになってくれるに違いない。
 ニキータは一切の不安や緊張を消し去り、ただ希望のみを抱いてアレステルとの会談に臨んだ。


     * * *


 もうひとりの管理行政官ヴラデル・アジェンは、何をしていたか。
 彼はバランガン駐屯地に程近い高級ホテルの一室を拠点として占有しており、その周辺には月摘 怜奈(るとう・れな)杉田 玄白(すぎた・げんぱく)高天原 鈿女(たかまがはら・うずめ)馬 超(ば・ちょう)、そしてラブ・リトル(らぶ・りとる)といった面々が、護衛という名目でその身を置いている。
 勿論、どの顔ぶれも単純な身辺警護だけで終わらせるつもりは端から無く、それなりの思惑を持って、ヴラデルの周囲に居ることを選択した者ばかりであった。
「君達コントラクターはどうにも、我々とは感覚が異なるようだな」
 ヴラデルは遅い夕食の後、玲奈や鈿女を相手に高級紅茶を振る舞いながら、持論を展開し始めている。
 元々愚痴っぽい性格の人物らしいが、要は単純に、話好きなだけであろう。
 勿論、玲奈や鈿女にとってはヴラデルが自ら貴重な情報を吐き出してくれる機会を与えてくれている為、これはこれで願ったり叶ったりである。
 下手に反論するような無粋な真似はせず、適当に調子を合わせて相槌を打っておれば良いのだから、これ程楽な情報収集というのも、そう中々あるものではない。
 玄白は玲奈の隣でヴラデルの一語一句を聞き逃すまいと神経を集中させているが、馬超とラブ・リトルの両名はどうにも気が進まないのか、ヴラデルから距離を置くようにして、室の隅に近い辺りのサイドテーブル上にてトランプに興じていた。
「感覚が違う、とおっしゃいますと?」
「力の無い庶民はな、君のいうような正義など求めておらん、ということだよ」
 この直前、玲奈は正義が民衆の支持を集め易いという持論を展開していたのだが、ヴラデルはそれを真っ向から否定した形となった。
「庶民にとっては、正義など全くどうでも良いのだ。彼らにとって必要なのは、上に立つ者が安定した生活を保障してくれるかどうか、なのだよ」
 要は、食わせてくれさえすれば悪だろうが暴君だろうが、何でも良いのである。
 正義などという道徳観念は、食うに困らない貴族や、圧倒的な力を持つコントラクターの間だけで通用するものであり、庶民に対して正義の何たるかを説いてみたところで、誰ひとりとして支持してくれる者は居ない、というのである。
「地球生まれのコントラクターの、悪い癖だな。君達は進んだ文化と、恵まれた経済の中で育ってきたから、正義だの仁義だので動く習慣を身に着けており、その習慣をベースにして、庶民の感覚を計ろうとする。しかしはっきりいうが、それは君らの勝手な価値観の押しつけに過ぎない。庶民はとにかく、日々安定した生活を送らせてくれるのであれば、それがたとえクーデターを起こした極悪人であろうが、何だって良いのだよ」
 玲奈はこの時、金槌で思い切り頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。
 地球に居た頃は公務員として働いていた彼女は、比較的庶民の何たるかを理解しているつもりではあったのだが、しかしよくよく考えればヴラデルのいうように、シャンバラの庶民と地球の(特に日本の)庶民とは、生活水準から文化レベルまで、何から何まで全く異なるのである。
 ヴラデルの説明を受けて、鈿女が成る程、と頷いた。と同時に、意外な思いも抱いていた。
「……今の口ぶりだと、スティーブンス准将が悪人だと認めているようにも聞こえるんだけど、私の気のせいかしら?」
「私だけではない。ヒラニプラの全貴族は、准将が金鋭峰を裏切った上に、偽の映像を用意して茶番を演じた腹黒い男であるということは、とっくに分かっておるよ。分かってはおるのだが、今の准将は南部ヒラニプラの経済を劇的に回復させてくれる救世主として期待されておるから、黙っておるだけの話よ」
 故に、バルマロ・アリー殺害やエルゼル駐屯部隊の鏖殺寺院との関与疑惑など、ヒラニプラ貴族や経済界の中心に居る者は端から誰も信じていないという。
 これは鈿女だけでなく、馬超やラブ・リトルにとっても衝撃的な事実であった。
「そ、それでは一体何の為に、ああいった偽の映像証拠などを用意されたのですか?」
「簡単な話だよ。それこそ、庶民をこちらの味方につける為だ。確かシャンバラの地方文化や生活水準は、現代の地球から見れば、およそ二百年から三百年程度は遅れているという話だったな。君達の世界で今から三百年前といえば、日本ならば丁度、江戸時代と呼ばれていた時代だろう。その当時の庶民達は、現代日本の庶民と比べてどうだったかな? いわゆる情報弱者であり、権力者の提示する情報に、圧倒的な信頼が置かれていたのではなかったかね?」
 ヴラデルの問いかけに、玲奈と玄白は思わず息をひそめて、頷くしかなかった。
 三百年前といえば、それなりに文化が発達し始めていた頃とはいえ、神話や伝説が依然として真実であると信じられていた時代でもある。
 そういった文化レベル、教養レベルであれば、玲奈達の目から見てお粗末ともいえる偽の映像であっても、十分な説得力を持つのだという。
「私の目から見ても、アリー殺害やエルゼル糾弾の映像資料など、全くもって子供だましの酷いものだ。しかしそんなお粗末なものであっても、シャンバラ庶民の大半は信じてしまう。そういった庶民の感覚を、君達は分かっていない。だが、准将は恐ろしい程に心得ている。そこが、君達と准将の間の、決定的な違いだよ」
 話の内容だけを見れば、ヴラデルは准将を称賛しているようにも思える。しかしその表情には、どこか暗鬱とした色が見え隠れしていた。
 鈿女が、そんな微妙な機微を見逃す筈もない。
「……准将に対して、本当に全幅の信頼を置いている、って訳でもなさそうね」
「ふん、それはそうだろう。幾ら計画の為とはいえ、一万五千もの民を殺されてはな」
 吐き捨てるヴラデルに気づかれぬよう、玲奈は鈿女と玄白にそっと目配せした。
 どうやら、メルアイルへのノーブルレディ投下については、相当腹に据えかねているらしい。
 これは脈ありだ、と期待を抱いても良いかも知れない。

 不意に、室の扉をノックする音が静かに鳴り響いた。
 一瞬、暗殺や不埒な輩の侵入を警戒して緊張を走らせたコントラクター達であったが、ヴラデルは然程に驚いた様子も見せず、玄白に指図して応対させた。
 現れたのは、沙 鈴(しゃ・りん)中尉の他、ヴラデルの許可を得て市民へのメンタルケアに当たっていたカーミレの姿であった。
 カーミレはただ単純に、この日の作業報告の為に室を訪れたのであるが、鈴はそれなりの思惑を持ってヴラデルを訪問していた。
「お休みのところ、失礼致します。沙鈴中尉であります」
「あぁ、面会申請のあった中尉殿か。君の提出したメルアイル消滅に伴う流通形態の変更に関する試案だが、もう少し検討に時間を割きたいと思っておる。まだ正式決定ではないが、三日月湖とブトレバ間のラインを再調整する方向になるだろう」
 普通なら、そこで鈴を追い返しても別段これといって問題は無い筈なのだが、ヴラデルはカーミレと一緒に室内へ招き入れ、折角だからと自慢の紅茶を振る舞ってみせた。
 権力欲が強く、政敵は徹底的に叩く政治屋という面が強い人物だが、話好きな上に、案外気さくな部分も持ち合わせているようであった。
 鈴はテーブルに席を与えられながらも、相手に気づかれぬよう、秘かに目線だけでヴラデルの仕草や様子を観察していた。
 彼女がこれまでに調べたところ、ヴラデルとパニッシュ・コープス側の動きには、これといって連動する部分は全く見られなかった。
 アジェン家は元々がヒラニプラ家内に於いても名門貴族の一家であり、幼い頃から管理行政官となる為の教育を受けさせられてきたという経緯もある上に、政治家としての下積み期間も相当に長い。
 いわば、真っ当な出世コースに乗って現在の地位に上り詰めてきた人物である。それだけに、己の立場や自領の経済、及び税収には随分と拘る方であり、アレステルを政敵として何とか叩き落とそうとしているのも、そういった生い立ちが大いに関係していると考えられる。
 しかし悲しいかな、アジェン家の領地は南部ヒラニプラに限定されている。
 北部ヒラニプラに領地を持ち、シャンバラ教導団の誕生に伴う恩恵を最大限に受けているシェスター家には、大きく水をあけられてしまう格好となってしまっていた。
 だからこそ、南部ヒラニプラの経済開放を標榜するスティーブンス准将の謀略に乗ったのだろうと推測することも出来るのだが、しかし今ではヴラデルの心が少しずつではあるが、スティーブンス准将から離れつつあるのも事実だった。
 それにしても、こうしてヴラデルとじっくり言葉を交わすことが出来るのは、これが最初で最後のチャンスかも知れない。
 鈴はこれまで得た情報の中で、直前にカーミレから聞いていた内容でカマをかけてみることにした。
「ところでヴラデル殿……ノーブルレディが装備管理課から盗まれた当日、コネリーなる貴族が装備管理課に働きかけていたという事実があることを、ご承知でしょうか?」
 その瞬間、ヴラデルは鈴の顔をじっと睨みつけるような調子で真正面から凝視し、次いで渋い表情を面一杯に広げた。
「コネリーを使ったのか、准将め……私を使い捨てた後の、新たな飼い犬という訳か」
 この反応は、鈴やカーミレにとっては極めて意外であった。
 ヴラデルは装備管理課への働きかけを知らされていなかったばかりか、彼にとってコネリーなる貴族が准将の小間使いと化している現状に、強い不満を抱いているようである。
 いよいよ、准将とヴラデルとの間に目に見える程の亀裂が走り始めようとしていた。
「関羽将軍を早々に失脚させたのは、失敗だったかも知れんな。いや、或いは今からでも間に合うか……」
 ひとり、ぶつぶつと不穏な台詞を吐き続けているヴラデルの鼠のような細面を、一同は幾分、緊張した面持ちで眺めていた。
 政治は生き物である、とはよくいったものである。
 ヴラデルのこの心理的な揺らぎこそは、まさにその際たる例であろう。
 勿論、スティーブンス准将が知れば暗殺者を派遣してくるかも知れないという程の、危険な綱渡りではあるのだが、そこは矢張り、政治家として胆力を鍛えられてきているだけのことはあり、案外肝が据わっている人物のようであった。
「アレステルなんぞと手を組む気はさらさら無いが……何か手を講じておかねばならんな」
 玲奈は思わず、ごくりと喉を鳴らした。
 この時ヴラデルが見せていた表情は、政敵を抹殺する剛腕政治家のそれだったのである。