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リアクション
●空京猫だらけ●
2023年2月22日。快晴。風はまだ冷たいが、暖かな日差しは春が近づいていることを感じさせている。
空京は今日もおおむね平和だった。街を行き交う人々は平々凡々とした日常を謳歌している。
そんな長閑な昼下がり、ふらりと空京を訪れたのはフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)とベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)だ。ベルクに誘われて、今日はふたりでデートである。
「今日も賑やかですねー」
しかしフレンディスにはデートの自覚があるのか無いのか、トレードマークでもある金色の犬耳と犬尻尾をふりふりさせながら、ベルクの一歩先をひょこひょこと軽い足取りで進んでいる。その後ろを着いて歩きながら、ベルクは複雑な表情で景色に目を遣る。
その「複雑」の中身は、相変わらずパートナーが「デート」というものを理解してくれない、というのが半分、もう半分はなんとなく浮ついた街の空気だ。
「マスター、なんだか今日は随分と猫の鳴き声が多いですね? どこかで猫さんの集会でもあるのでしょうか?」
フレンディスも何となく、いつもと違う空気を感じ取っているらしい。犬耳がぴょこぴょこと動いている。
「なんだろうな、この微妙に嫌な予感がする空気――フレイ、今日は早めに……」
そこはかとなく嫌な予感に襲われて、ベルクは歩調を早めると前を行くフレンディスに声を掛け、その肩にぽんと手を置こうとした。が。
「声を聴いていたらにゃんだか私もゴロゴロしたくにゃりましたにゃー……ふにゃ?」
振り向いたフレンディスの頭に生えた耳がいつの間にか、黒い猫耳にすり替わっていたのだった。
空京の街は静かに、しかし着実に、狂騒の中へと落下しつつあった。
街のあちらこちらで、人の頭に黒い猫耳が生えてきている。
「にゃーん」
ここにも一人。
瀬乃 和深(せの・かずみ)だ。後ろで束ねた長い黒髪の間から、同じ色をしたふさふさの耳が顔を出している。
「え……ちょっと、何ですか?」
「にゃぉーん」
和深は、街中を行き交う女の子の後をにゃーにゃー言いながら着いていく。
当然、女の子は怪訝な目で見てくるが、和深はこれっぽっちも気にしない。みゃぅ、と猫の様に鳴いて小首を傾げて見せたりしている。
「ちょっと、ついて来ないでくださいよ、気持ち悪い」
「みゃー」
女の子が思いっきり嫌そうな顔で睨み付ける。するとその時、後ろからたたたたっ、と瀬乃 月琥(せの・つきこ)が無言で走って来た。和深とお揃いの黒い髪からは、やっぱり黒猫耳がぴょっこり顔を出している。
追いついてきた月琥はくいくいと和深の袖を引く。やめなさい、とでも言いたげな視線を送るが、和深は気にする様子もない。いつもならば小言が飛ぶのだろうけれど、頭に耳を生やした月琥はフーッと威嚇するような声を上げると、うにゃぁ、と和深を突き飛ばした。そして、二人揃ってごろごろと転がっていく。
「……何なの、あれ」
残された女の子は、不思議そうな顔で二つの猫耳頭を見送った。
こちらは街角のカフェテラス。カップル連れや女性グループが目立つ、小洒落たつくりのオープンテラスだ。
もちろんここも、徐々に静かな狂乱の中へと巻き込まれつつあった。
「にゅーう……」
椅子に腰掛けて眉間にシワを寄せていた白砂 司(しらすな・つかさ)が、不意に一声唸った。
「どうしたんですか、司君」
向かいに座って居たサクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)は、その普段のイメージとはどこか違う、気の抜けたような声に、怪訝そうな表情を浮かべて司の顔を覗き込む。いつの間に超感覚を発動させたのか、頭には見慣れた黒い耳。
「何してるんですか、耳なんか出して」
「…………にゃん」
サクラコの問いかけに、しかし司は鼻に掛かった様な声で一声鳴くと、そのまま机に頭を預けるようにして、全身を弛緩させた。
ぽかぽかと降り注ぐ陽光があたたかい。オーク調の焦げ茶色をしたテーブルは日の光を吸ってほっこりと温んでいる。完全にお昼寝モードだ。
「にゃん……?」
司の口からこぼれた鳴き声に、サクラコは首を傾げる。
――どうやら司君、猫になった模様。
見慣れたはずの耳もよくよく見れば、狼のそれでなく猫の耳。サクラコはほうほう、と何やら頷き、どこからともなく猫じゃらしを取り出した。どこから取り出したかは謎である。
「ほーら司くん、ふりふりー」
サクラコは完全に溶けている様子の司の頭上で、取り出した猫じゃらしを振ってみる。しかし司はぴくりとも反応しない。構うのすら面倒だという様子で、鼻などひくひくさせて居る。
「うーん、わかってましたけど、つまんないですね。それならば仕方がない」
暫くふりふりしてみた後、やっぱり反応のない司の姿にふぅとため息一つ、サクラコは手にした猫じゃらしをぴん、と一度しごいて、決意の表情とともに再び振り上げる。そして、その先端を迷うこと無く、司の鼻の穴へ!
「ふにゃーッ! (意訳:喰らえサクラコ、司ネコパンチ!)」
安眠を妨害された司はすかさず目を開けると、機敏な動きでサクラコの顔面に向けてパンチを繰り出す。ネコのような柔軟性と俊敏性を備えた一撃は、見事にサクラコを昏倒させたのだった。南無。
「なんか、騒々しいわね」
優雅な動きでコーヒーを啜りながら、同じテラスに居たセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は眉をひそめた。今日空京へと脚を運んだのは教導団の任務があったからだが、昼食休憩は自由行動が許可されたので、行きがけに見つけたこのカフェテラスへと訪れていた。もちろん、パートナーのセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)も一緒だ。
「静かな良いお店だと思ったんだけど、違ったのかしらね……って、セレン?」
いつの間にか、正面に座って居たはずのセレンフィリティの姿が無い。落ち着きのないパートナーとはいえ、食事の途中に脈絡も無く席を立つような人間では、多分、無いと思うのだが、とセレアナがテラス内を見渡そうとしたその時、不意に膝に重みを――それも、ずしん、と響く重みを――感じた。ゆっくりと視線を下に向けると、そこには、見慣れた茶色い頭があった。
「ちょっとセレン、何してるのこんなところで!」
「にゃぁーん」
もとより恋人同士、この程度のスキンシップはいつもの事とはいえ、衆目のあるところで、しかも真っ昼間から――と思って、そこまでは割といつも通りのことなのだと気付いたセレアナだったが――食事中に突然、というのはさすがに珍しい。
何してるの、と言いながら、膝にすり乗せられているほっぺたを引き剥がそうとするけれど、セレンフィリティは器用にその手をいなして、ごろごろと喉を鳴らしながらすりすりと頬をすり寄せてくる。最初は膝だったのが、引っぺがそうとする手を避けているうちに少しずつ、腹へ、胸へとどんどん上がってきて、そのうち頬と頬が合う。ちろちろと舌の先で頬を舐められ始めたところで、椅子が後方へと転んだ。
どたん、と派手な音がして、二人は床へと転がる。しかしそれでも尚セレンフィリティはひるまない。セレアナの胸の上に両手を揃えて乗せ、腰を高く上げ、まるでネコの様なポーズでぺろぺろと頬を舐めてくる。
そのセレンフィリティの頭にも、黒いネコ耳がぴょこりと顔を出しているのだった。
「あれま、これはまた情熱的な」
その様子を少し離れた所から見詰めていたのは、ユウ・アルタヴィスタ(ゆう・あるたう゛ぃすた)と皆川 陽(みなかわ・よう)のふたりだ。ちなみに、空京の本屋さんに漫画本を買いに来た、その帰り道だ。
白昼堂々組んずほぐれつして居る女性二人、なかなか刺激的な光景であるが、ユウは特に気に留める様子もなく、陽をからかうネタにして居る。陽はと言えばユウの思惑通り、見て居られないとばかりに視線を逸らして――
「にゃーん!」
いるかと思ったら、奇声を上げながら猛烈な勢いでどこかへと走り去ってしまった。ユウは一瞬、呆気にとられてその場に立ち尽くしてしまう。
二、三呼吸ほどの間があっただろうか。
「にゃんにゃーん!」
「ちょっと、ヤダー!」
遠くから、陽の嬉しそうな声と、女性の悲鳴とが重なって聞こえてくる。ぼんやりそちらへ目を遣ると、陽が女性の持っていた買い物袋をひったくろうとしていた。その頭には、黒い、ネコ耳。
どうやら目当ての物を手に入れたらしい――陽は口におさかなを咥えると、次のターゲットめがけてにゃんにゃん言いながら駆け出していく。いつもの大人しく、引っ込み思案な陽の姿からはとても考えられない行動だ。
そこまでをただぼんやりとながめてから――ユウはやっと、我に返った。そして。
「そのっ、恥ずかしいっ、真似を、今すぐやめろぉおおおおおお!」
大声で叫びながら、全力疾走で陽を追いかけて行った。
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