空京

校長室

【カナン再生記】決着を付ける秋(とき)

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【カナン再生記】決着を付ける秋(とき)
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リアクション


目覚めよセフィロト

「ここに、セフィロトが…」
 リリの先導するまま走り通した先の入り口で、{SFM0043633#鳥野 島井}は額の汗をぬぐった。
「あそこをくぐった先が奥庭に面した回廊で、その先にセフィロトがあるのだ」
 切れた息を整えつつ、リリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)が答える。指さしたその先で、見張りを倒したララ サーズデイ(らら・さーずでい)が、待ち伏せがないか中の様子を伺っていた。その手が、こちらへ来てもかまわないと振られる。
 入り口をくぐった彼らの前に展開したのは、空間を覆いつくさんばかりに飛んでいるイナゴの大群だった。
 ワーーーーーンという、低周波に似た羽音が充満していた。中にはギチギチといったイナゴが牙を噛み合わせる音もしている。鼓膜が裂けそうな鈍痛を、だれもが感じた。
「うるっっさーーーーーいっ」
 たまらず一瀬 瑞樹(いちのせ・みずき)が耳をふさいで叫ぶ。だがそうして叫んだ声も、かすかに聞こえるだけだ。
「……すさまじいな、これは」顔面に突撃してくるイナゴを避けようと手をかざして、ララが言った。「前に来たときの比ではないぞ」
「活性化しているのだよ。おそらくは彼らも、これが最終決戦と悟っているのだ」
 動物の勘か、それとも外部で起きているすさまじい戦いを感じ取ったのか。興奮しきったイナゴたちは落ち着きを失い、セフィロトの周囲で渦を描くように飛んでいる。地面や柱にいるものの中には共食いをしているイナゴすらいた。
 無間地獄もかくやという、壮絶な光景。加えてイナゴに十重二十重と覆われ黒木と化したセフィロトは、首を伸びきらせ、頭を垂直にしても天辺は見えない。
「うそぉ……これ、詩穂たちだけでどうにかできるもの…?」
 すっかり気を飲まれた声で騎沙良 詩穂(きさら・しほ)がつぶやいた。そのすぐ近くで。
「うっぎゃああああああーーーーーっ」
 最後に入り口をくぐった健闘 勇刃(けんとう・ゆうじん)が、まるでくびり殺されでもしているかのような悲鳴を上げた。目をカッと見開き、わなわな震えている。
「なっ、なんでこんなとこ来てんだよ!? 神崎!! 俺ぁカナン一の美女と名高いアバドンとイナンナ様の激突を見るのを楽しみにしてたんだぞ!?」
 それがイナゴ!? 美女はどこだ!?
「知らないよ、そんなこと。そっちが勝手について来たんでしょ」
 神崎 輝(かんざき・ひかる)が耳をふさぎながら、至極もっともな返事をした。
 彼がどこへ向かっているか深く考えもせず、単純に後ろをついて走ってきた勇刃が悪い。
「俺は昆虫なんか、大がつくほど嫌いなんだよ!!」
「だから知らないってば。……んもー、だったらそっちで敵がボクらの邪魔しないように防いでてよ」
「おう。そうさせてもらうぜ」
 イナゴの海にくるっと背を向け、入り口に向き直った。こちらの壁や床にもイナゴが数十匹はりついていたが、それでも後ろの背筋がぞわつく光景よりはるかにマシだ。
 さっそく彼らの侵入に気づいた神官だか神官戦士だかの走ってくる音が通路から響いてきて、雅刀を抜く。
「セレア、やるぞ」
「はい、健闘様」
 傍らについたセレア・ファリンクス(せれあ・ふぁりんくす)が、怒りの歌を口ずさんだ。その繊細な歌声はイナゴのたてる音にかき消され、だれの耳にも届かなかったが、歌という形をとってはいてもそれはセレアの持つ力である。力は指向性を失うことなく勇刃に作用し、湧き上がる活力を与えた。
 ガチャガチャ鎧の噛み合う音をたてながら神官戦士2人が開いたドアの向こうに現れる。おいでなすったとばかりに雅刀を手に、勇刃が大またでそちらへ歩き出したとき、うっと彼らが前につんのめった。
「えっ?」
 まだ何もしてないのに?
 もしやセレアが何か仕掛けたのかと振り返ったが、自分の仕業ではないと、セレアは肩をすくめて首を振っていた。
 互いにぶつかり合いながらその場に倒れた神官戦士たちの背後、蒼き水晶の杖を振り切って、はぁはぁと息を切らせた五月葉 終夏(さつきば・おりが)の姿が現れる。
「おまえは…!」
 ネルガル側についた裏切り者の1人! 雅刀を構えなおした勇刃に、終夏は切れた息が整うのも待たず叫んだ。
「私……にも、手伝わせてほしい…!」
「えっ…?」
 終夏の訴えに、全員が意表をつかれた。終夏は咳き込み、かすれた声をなんとかしようと唾を飲み込む。
 彼らに信じてもらえるか、ここが正念場だ。
「私は……光の世界樹と謳われたセフィロトの光が、再びカナンのどこからでも見えるようにしたいんだ! そうしたくて……私はこの北カナンへ来た!」
 そしてパートナーのセオドア・ファルメル(せおどあ・ふぁるめる)も、そんな終夏の思いを理解してくれて、石像と化すことに甘んじてくれた…。
 優しいセオ。きっと石になった今も、片隅で彼は終夏のことを思い、敵陣にただ1人の彼を案じてくれているに違いなかった。
 そんな彼のためにも、絶対にここは退けない。
 たとえ彼らが信じてくれなくても、自分1人でもやってみせる――そんな気迫のこもった彼の表情を見ても、今ひとつ信じきれない、うさんくさい思いを勇刃が捨てきれずにいると。
「まぁ、いいんじゃないでしょうか」
 機晶シンセサイザーを下ろして黙々とセッティングする清風 青白磁(せいふう・せいびゃくじ)のそばで、ショルダーキーボードの位置を調節しながら輝がみんなに向かって言う。
「今、同志は1人でも多い方がいいですし。
 えーと、終夏君、ですよね?」
「あ、はい」
「言葉で伝えることも大事ですが、今は行動で示すときだと思いますよ。それ、笛でしょう?」
「え……うん…」
 ベルトに挟んであった牧神の笛を持ち上げる。終夏に、輝は笑顔で手を差し伸べた。
「ボクたちと一緒に演りましょう」
「決まりだね!」
 詩穂がアコースティックギターをかき鳴らした。



「イッツ・ショーターーーーイム♪」
 外回廊の一角を陣取った即席パーティーの先頭で、輝が誇らしげに宣言した。
 つま先でリズムを取る輝に合わせて詩穂がアコースティックギターでなめらかに主旋律を奏で始める。それに合わせて終夏の牧神の笛が、まるでつやつやと輝くチョコレートのように蠱惑的な高音を響かせる。
 そしてショルダーキーボードを操りつつ怒りの歌を声の限り張りあげる輝のそばでセレアが、そしてそんな2人の力をさらに補強するように詩穂が、怒りの歌を高らかと歌う。
 3人の歌声は互いに互いを増幅し合いながら、果敢にイナゴ掃討作戦を決行している瑞樹や、入り口から押し寄せた神官や神官戦士たちと戦っている島井や勇刃の攻撃力を上げていった。
 もちろん彼らの武器は歌声だけではない。
 きらきらと汗を飛び散らせながら演奏している彼らの指が楽器の上を滑るたび、炎や雷撃が畏怖によって動きの鈍化したイナゴたちの間を駆け抜ける。その力は彼らが演奏を楽しみ、意識を高揚させるに従って、ますます強まった。
「皆さん、SPチャージです」
 六連ミサイルポッドを真っ黒いイナゴの固まりに撃つ傍ら、瑞樹が消耗の激しい彼らのSPを補給する。
 最初から一切手加減なしのこの攻撃が、人目を引かないはずはなかった。
「来たのだ! ワイバーン隊なのだ!」
 禁じられた言葉にて増幅されたファイアーストームを放っていたリリが、真っ先に気づいた。
 神殿の屋根とセフィロトの枝葉の隙間から、それらしき影が幾つも降下してくる。チカッとまたたく光がしたと思った次の瞬間、ランスが次々と地表に突き刺さった。
「きゃああっ」
 すぐ足元に刺さったランスに、甲斐 ユキノ(かい・ゆきの)が悲鳴を上げてその場にしゃがみ込んだ。
「ユキノ、危ない!」
 そんな所にいては恰好の標的だと、甲斐 英虎(かい・ひでとら)が天井のある外回廊まで連れ戻す。彼女を安全な柱の影にかくまって、英虎は眼鏡を下げた。
 神官戦士相手のセフィロトボウから光条兵器のアーチェリーに得物を変え、引き絞るや先頭のワイバーンに乗ったドラゴンライダーへ向けて速射する。
「大変!」
 詩穂もまた、イナゴ用のアコースティックギターからワイバーン用の機晶シンセサイザーに切り替えた。
「リリ、ここは任せた」
 己の体で庇っていたララが、ランスの投擲がやんだとみるや、すっくと立ち上がった。
「ヴァンドール!」
 上空で待機しているはずの愛馬ペガサスを呼ぶ。彼女の呼び声に応え、空を駆け降りてくるヴァンドールに飛び乗り、ララはワイバーン隊に向かって舞い上がった。
「ふふ……いつぞやの借りを返させてもらおうか」
 上がってくる彼女に向かい、ワイバーンの炎が吐きかけられる。ララが指示するまでもなくヴァンドールはその全てを軽々と避けてワイバーンに肉薄する。すれ違いざま、ララのライトニングランスがドラゴンライダーに炸裂した。
「さあ、炎を吐きかけるがいい。その炎でセフィロトのイナゴを焼き払わせてもらうぞ」
 セフィロトを背に、撃てとばかりにララは両手を広げた。
 イナゴたちはネルガルの命令によってセフィロトを覆っている。そのイナゴに炎を吐きかければ、ひいてはネルガルに弓引くも同じではないか――とまどうドラゴンライダーたちの背後を、さっと一陣の風が下に向かって走り抜けた。
「ぎぁあっっ」
 背を切り裂かれたドラゴンライダーが、苦悶の声を上げて落下していく。
「やぁ。なかなか楽しそうなことをしているね」
 騎乗しているレッサーワイバーンを操り、戻ってきたのはクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)だった。
 セフィロトをくぐって来たのはワイバーン隊だけではなかった。上空でやはりワイバーン隊と空中戦を繰り広げていた彼とそのパートナーのクリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)もまた、セフィロトの膝元で起きている騒ぎを目にとめて、確かめるために舞い降りてきたのだ。
「セフィロトからイナゴを払っているのか」
 下の光景を見て、状況を把握したクリストファーは楽しげにくすりと笑う。イナゴを焼き払い、セフィロトを解放する――単純明快でありながら、小気味いいくらいユニークだ。
「俺も混ぜてもらおうかな」
 そのためには、まずこのドラゴンライダーたちの始末が先だろう。
 ララと視線を合わせ、頷き合う。
 2人は、少し先で滞空しているワイバーン隊に挟撃をかけるよう挑んでいった。
「ここが私のアラモ砦、誰も通さないよ」
 ディフェンスシフト、エンデュア、オートガード……防御力を最大限に上げたララのライトニングランスが続けざまにヒットする。ワイバーンの吐き出す炎も、かすめる程度であればファイアプロテクトが守ってくれる。直撃さえ受けないよう気をつけてさえいれば、この程度は何でもない。
 一方クリストファーもまた、ファイアプロテクトと龍鱗化で防御を固めている。そのため、多少の無茶を承知の上でワイバーン隊の中央に突っ込み、一撃離脱をすることで敵の混乱と分断化を狙った。
 2人は獅子奮迅の働きを見せた。それを可能としたのが宮殿用飛行翼で自在に空を飛ぶクリスティーによる、上空からの支援である。セフィロトの大枝を背にすることで上からの攻撃を封じ、セフィロトボウをワイバーンの皮膜に打ち込む。墜落させることは難しいが、ダメージを与えることはできる。傷ついたワイバーンは機動力と安定感を失い、クリストファーやララのすばやい動きについていくことができなかった。
「小僧!」
 数頭のワイバーンが、クリスティーに向かって上昇した。
「おまえたち、ばか?」
 クリスティーは鼻で笑う。ワイバーンが空中戦で飛行翼にかなうはずがないのに。
 彼はその機動性を活かしてワイバーンの攻撃をやすやすと避けた。追撃をかわし、彼らを翻弄するや、隙をついてティファレトの矢やゲブラーの矢を放った。
 だが、いくら彼らが鬼神のごとき戦いを繰り広げようとも、撃ちもらしはある。
 3人の隙をついて降下したドラゴンライダーたちが目をつけたのは、奥庭に出てイナゴに火力攻撃を行っているリリや瑞樹だった。
「くらえ!」
 セフィロトにはりついているイナゴさえ攻撃しなければいいのだ。ドラゴンライダーは真下に向かって炎を吐きかけさせようとする。大きく口を開いたワイバーンの胸甲を、そのとき光の矢が貫いた。
 英虎が外回廊の端に立ち、降下するワイバーンに向けて次々と連射していく。光の矢は鎧をすり抜け、確実にワイバーンのみを貫いていった。
「――ユキノ?」
 突然横に立ったユキノに英虎が驚いて眼鏡を上げる。
「まだ出ちゃ駄目だ」
 奥庭に続く段を下りるユキノの腕を掴み止める。その手に手を重ね、ユキノは首を振った。
「もう大丈夫。トラもみんなも頑張っていますから、あたしも頑張らないといけないのです」
 それに、トラがきっと守ってくれると信じていますから…。
 ユキノは英虎の手をそっとはずし、奥庭に出た。うなりを上げて周囲を飛び回っているイナゴに両手を掲げ、アシッドミストを放つ。
「……くそ」
 英虎は眼鏡を下ろし、アーチェリーを構えた。
 ワイバーン隊はまだまだセフィロトをくぐって降下してきており、その数は増えこそすれ、減る様子は皆無だった。
「――きりがない…」
 六連ミサイルポッドを全弾撃ち尽くし、機晶キャノンに切り替えて砲撃を行っていた瑞樹が歯噛みした。
 自分たちの攻撃が効いていないわけではない。死滅したイナゴはゆうに膝の半分近くまで埋めていた。なのにイナゴは減った様子も見せない。今も変わらず空に渦を巻き、セフィロトの幹はリリや瑞樹の炎を受けて露出しても、一瞬後には再びイナゴに埋め尽くされた。
「一体このイナゴたちは、どこからやってくるんでしょう…!」
 そのとき、輝が激しく咳き込んだ。
「輝ちゃんっ!?」
 あわてて詩穂がくの字に折れた背中をさする。輝の口からぱっと血塵が舞った。恐れの歌、怒りの歌、驚きの歌と歌い続けて、酷使され続けた喉がついに音を上げたのだ。
「だれか、ヒールを!」
 詩穂の呼びかけに、ユキノが駆け戻った。
「くそぉ! こっちももうじき限界だ!!」
 鬼眼や隠れ身を用い、サバイバルナイフで奇襲をかけることで神官や神官戦士たちの攻撃を防いでいた快斉 刃(かいさい・やいば)が、よろめきながら回廊へ戻ってきた。
 島井がスプレーショットで援護する中、勇刃とセレアもまた、回廊内へ戻ってくる。
 全員玉のような汗を吹き、体のどこかに裂傷を負っていた。
「そう長くはもたないぜ。どうする?」
 勇刃の言葉に、全員が黙り込んだ。
 SPは底を尽きかけ、弾はないも同然。なのに依然、イナゴは来たときとほぼ同じ状態だ。
「イナゴたちはどこかから出てきているんです。それさえ分かれば…」
 だがそれを探している時間も、手段も、彼らにはなかった。たとえそれを見つけ出し、奇跡的になんとかして塞ぐことに成功したとしても、今ここにいるイナゴたちをどうすることもできない…。
 胸の悪くなるような絶望の大波が、頭から彼らを飲み込もうとする中。
「セフィロトのイナゴを払うのだよ」
 リリが、決然とセフィロトを指差した。
「もはやわれらに策はない。だが、こうしてここに立っているのだから、力の続く限りイナゴを祓うだけなのだ」
 ほかのことはどうでもいい。1%でも10%でもいい、セフィロトを縛る枷から解き放ち、イナンナにその力を届けるだけ――
 リリの手が、1枚のトート・タロットをひらりと投げた。
「目覚めるのだよ、セフィロト! 今こそがその時! 己が分身、イナンナを救うのだ!」
 リリの両手から、今導ける最大級のファイアストームが放たれる。
「うおおおおおおーーーーーっ!!」
 全員が心をひとつにして、残る力全てをセフィロトを覆うイナゴにぶつけた。


 目覚めよ、セフィロト――

*       *       *

「さあ、聞かせてもらえるかしら?」
 最後の1人、ネルをアボミネーションで排除し終えたメニエスは、悠々イナンナに迫った。
 その脇についたミストラルは動かなくなった4人を見下ろしつつも、周囲に目を配るのをやめない。いつ、どこから何者かが現れても対処できるよう、殺気看破を張り巡らせている。
「この戦いは、本当に必要だったのか否か。
 ネルガルが掲げたものって、そんなに悪だったかしら? 彼は自分に逆らう者を排除したけれど、無用な殺戮は行わなかった。逆らいさえしなければ、寛容ささえ見せた。でもそれは、あなただってしてきたことでしょう? 自分に逆らう者、敵対する者は排除してきたんでしょ。1000年来の災厄とかって、結局そういうことよね。あなたの世界に不満を持ち、反抗したから、あなたは倒してきた。
 あたしの目には、あなたこそがこの無駄な騒乱を起こしたように見えるわね。そしてそれを、地球人、シャンバラ人が拡大させた」
「…………」
「なに? だんまりなの? 言い返せないってこと?」
 メニエスは、いかにもがっかりしましたというふうに、大げさに肩をすくめて見せる。
 彼女の前、イナンナは目を伏せた。
「――ある人たちに、とても大切なことを聞かされました。そして、ネルガルに答えを求めるよりも、なぜ彼がこんなことをしたか、そのことを自ら考えるべきだと、気づかされました」
 そんなことすら、私はいつの間にか忘れてしまっていたのだ。問いさえすればすぐ答えが返ってくる……そんな日々に慣れ、あたりまえと思うようになっていた。
「私は今、彼があの日々の中、何を思っていたか……そしてなぜこんなことをしたのか、このことにより何を求め、何を望み、何を果たしたか……私に、民に、何を託したがっているのかを、知っています! 私はそれを受け取るでしょう! どのような羞恥がこの胸を焼こうとも、私は目をそらさず真っ向から受け止めます! なぜなら、あなたの言うこの騒乱こそ……そして今この瞬間こそ、彼が命を賭して一番に望んだものだからです!」
 そう、とイナンナは思った。
 ネルガルは決して、唯々諾々と己に従うことを彼らに望んではいなかった。あれは「寛容」ではない。「失望」だ。
 これは、原始の火なのだ。
 あるいはカナンの産声。

 カナンの再生。

「……ふーん」人差し指で唇を打つ。
「つまらないわね。
 まぁいいわ。訊きたかったことは聞けたし。それじゃあそろそろあなたを彼女の元へ連れて行こうかしら」
 奈落の鉄鎖を放つべく、メニエスの手が無造作に伸びた、そのとき。
 糸のような光が、肘のすぐ下を走った。
 ぱっと鮮血が噴き上がり、遅れて激痛がメニエスを襲う。
「あああっ!!」
「メニエス様!!」
 痛みに顔を歪めるメニエスを見て、ミストラルが血相を変えた。殺気看破で感じ取った次の刹那、もう斬られていたのだ。気づけても、間に合わなかった。その抜刀は神速だった。
「無事か、イナンナ」
 刀を納めた聡司が訊く。
「あなたの方こそ。大丈夫なの?」
「ああ。きみのグレーターヒールのおかげだ。ありがとう」
 邦彦が2人の注意を引いてくれている間に、イナンナがかけていたのだ。目覚めるかどうかは賭けだった。
 ただ、体力は戻ったが、それでも復調しているとは言いがたい。近距離で受けたエンドレス・ナイトメアは強烈で、いまだ彼の頭の大部分をしびれさせている。
 そんな彼を、激怒したミストラルが襲った。
「おのれ…!! 下賎のやからの分際で!」
 いましも彼女のカタールが聡司の額を割ろうとした瞬間。
「あぶない!!」
 イナンナの振り切られた手から、光の刃が走った。
 それはバニッシュではなかった。
 その光にこもった力は、バニッシュをはるかに上回っていた。――我は射す光の閃刃。
「くっ…!」
 攻撃をやめ、後方に飛んで避ける。
 イナンナは呆然と自分の手を見つめた。
「……セフィロト……あなたなの…?」
 感じる……まだ遠いけれど、あなたを再び感じることができた…!
 イナンナはひたひたと満ちてくる歓喜に胸をふくらませながら、両手を頭上に上げた。
 清浄な光輝がその手より輻射され、周囲に満ちる。――我は与う月の腕輪。
「う…」
 邦彦が、ネルが、小次郎が、精神力を回復し、意識を取り戻し始めた。身を起こして頭を振る。
 彼らを見て、メニエスは舌打ちをもらした。
「どうやら引き時のようね」
 深手を負った腕を庇い、通路の闇に消える。殺意に燃える目で聡司をにらみつけながらも、ミストラルもまた、追うように闇に消えていった。
「セフィロト…」
 イナンナはその名を喜びとともに噛み締めた。