空京

校長室

【カナン再生記】決着を付ける秋(とき)

リアクション公開中!

【カナン再生記】決着を付ける秋(とき)
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リアクション


闇の発露(3)

「セテカ! セテカーーッ!!」
 目の前で起きたことに、バァルはほとんど半狂乱だった。
 命の失われたセテカの体を抱き上げ、揺さぶる。そうすれば彼が意識を取り戻し、目を開いてくれるかのように。
「おまえまでわたしを置いていくというのか!? おまえまでが…!!」
 父や母、エリヤ……そして今度はおまえまで、わたし1人残して…!
「バァルさん……バァルさん!! しっかりしてください!」
 遙遠の必死の叫びも耳に届いていない。そうと知るや、遙遠はバァルの胸元を掴み寄せ、思い切り頬を張った。
「しっかりするんです! セテカさんはこんなことをすればあなたがどう思うか、知っていたはずです! たしかに彼は今度のことでいつもの彼ではありませんでしたが、それでも根本的なところでは彼だったでしょう!?」
 先ほど見せたセテカの表情を思い出し、遙遠は自分の論が間違っていないことを確信した。
「そうです、バァルさん」駆けつけた佑一も同意を示して遙遠の論を補強する。「セテカさんは自己犠牲なんかとは無縁の人です」
 例外があるとすればバァルのことに関してだが……それは今言うべきではないだろう。
「きっとこの行為には、何か意味があってのことです」
「意味が……セテカが死ぬ意味…」
 バァルはセテカを見下ろした。
 傷の癒えた胸元……その下、彼の心臓と同化した『モレクの黒矢』。あのとき、女神官はこの黒矢について何と言った?
「――発見されたとき、セテカは死んでいた……同化が始まると同時に心臓が動きだした。そして黒矢は、精神が完全に闇に染まったとき、対象者から分離して死亡する…」
 言い換えれば、死んだ体に黒矢は存在できないということだ。死で始まり、死で終わる呪い。
「矢は、対象者の死と同時に元の黒矢に戻る。それを治療するということは、もしかすると――
 だれか、治療薬を取ってきてくれ!!」
「は、はいっ!」
 一番円の外側にいたノアが、あわてふためきながら床に転がっている治療薬を取りに走った。
「これ…っ!」
 ノアが持ってきた薬を手に、バァルはじっとそのときを待つ。固唾を飲んで見守る中、死したセテカの体から分離された黒矢が徐々に浮かび上がってきた。生粋の闇でできたそれは、セテカの体から離れた直後、霧散してモレクの元へ還っていく。それには一切構わず、バァルは治療薬をセテカの口に流し込んだ。
「目覚めてくれ…」
 お願いだから…!
 肩に、熱くなった目を押しつける。その耳元で、小さなため息が聞こえた気がした。
「セテカ?」
 全員が注視する中、こふっと息を吐き出して、みるみるうち、セテカの青冷めていた肌に血の気が戻り始める。意識は返らなかったが、手首には力強い脈打ちがあった。
「セテカさん!!」
 彼の蘇生に、わっと声が上がった。
「ミシェル、早く傷の手当てを!」
「うんっ!」
 泣き笑いながら、ミシェルがレーベン・ヴィーゲを呼び出した。



 そんな彼らの姿を、モレクは横目で見ているだけだった。
 してやられた気分ではあったが、ルールはルールだ。勝ち負けよりもルールに基づいて生きることを信条とする彼は、それについてどうこうする気はなかった。
 そうして今ここに、シュウシュウと音をたてて闇の瘴気が濃く取り巻く彼を凝視する者たちがいた。
 光学迷彩を用いて暗がりから奇襲の機会を伺っていたザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)強盗 ヘル(ごうとう・へる)だ。
「おい、チャンスだぜ。やつの気がこっちからそれてる」
 カウボーイハットをマシンピストルの銃口で持ち上げて言うヘルに、ザカコも頷いた。
「人の心を弄んで楽しむ様な人には、決して負けられません。予定通りいきましょう」
 ザカコがヘルから離れた。所定の位置に向かったのだ。
「予定通り、か。了解」
 ヘルはあらためて標的、モレクを見た。
 パラダイス・ロストを零距離で受けながら散らずにああして立つモレクは、一見して、何のダメージもこうむっていないように見える。
「つくづくおそろしい相手だよ、カナンの災厄ってやつぁ」
 だが先までと違い、体面積の3分の1ほどが闇に溶けていた。そこから吹き出している瘴気は、彼が人としての体を保てないでいることの証かもしれなかった。とすれば、完全回復される前に散らすべきだろう。
 そしてそのための自分の役割は、やつの気を引くこと。
「よぉ、魔女モレク!」
 光学迷彩を解除して、ヘルは声を張り上げた。
 モレクの目がヘルへと移る。
「ダリルに頭砕かれてボケちまったのか? おまえの相手は俺たちだぜ!」
 語尾にかぶせ、マシンピストルを連射した。
 大魔弾を受けた右の頭部、そこを覆う闇を集中的に狙う。被弾するたびに、闇がパッと丸い穴を開けた。だが口径の小さな銃では開く穴もしれたもの。一瞬後には周囲の闇が埋めてしまう。
 モレクは嘲笑の嗤いを浮かべ、ヘルに手を突き出した。
「いけ」
 モレクの命令に呼応する使い魔のように腕を覆っていた闇が野獣のごときうなりを上げてヘルに向かう。
「おっと」
 ヘルは巧みに走って避け、さらにマシンピストルで攻撃する。
「頭が全然がら空きだぜ!」
(……今です)
 ヘルの挑発に乗ってそちらに向きを変え、完全にこちらを向いた背中を見て、ザカコが動いた。狙いは足だ。それ以外の場所は吹き上がっている闇のせいで判別できない。身を低く保って、頭への攻撃に集中しているモレクの視界の隅をかすめるように走り抜ける。すれ違うと同時にティアマトの鱗を振り切り、右足をふくらはぎの中ほどから切断した。
「油断は大敵ですよ」
 奇襲成功。それを見たヘルの顔が輝く。
 だがその一瞬後、彼の笑顔は恐怖に凍りついた。
 ザカコの背を、闇と化したモレクの腕が貫いていたのだ。
「……がはッ…!」
 込み上がった大量の血塊を吐き出して、ザカコは見た。己の肺を突き破り、床に突き刺さった闇を。
「人間って、どこまでおろかなんだろうね。闇が斬れると思うなんてサ」
 ザカコを串刺しにしたまま、モレクは嗤笑する。
「きさまぁ…っ!!」
 牙をむき、向かって行こうとしたヘルにザカコが投げつけられた。ヘルは意識を失ったザカコを抱いたまま、壁へと激突する。がくりと頭を落として動かなくなった彼に、あわてて遥遠が慈悲のフラワシを飛ばした。
「あーあ。どいつもこいつもばかばっかり!」
 アーーーーハッハッハ!!
 そのとき、弓弦を引き絞る音がした。ひゅんっと風を切る音がして、モレクの胸部らしき闇を貫く。矢はそのまま背後の壁に突き刺さったが、モレクの聞くに堪えない嗤いを消し去るには十二分に役目を果たした。
「黙りなさい、モレク……否、災厄の化身! もうこれ以上あなたの好き勝手にさせるわけにはまいりません!」
 いつになく怒りを燃やした空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)だった。通常であれば扇の向こうに口元を隠し、目を細めて笑顔をつくる穏やかな彼が、別人のように雄々しく鬼払いの弓を手に仁王立ちしている。今、その顔に笑みはなかった。強い光を放つ金の瞳には、身の内にたぎる義憤がある。
 その姿に、バァルとセテカを取り囲んでいた面々もすっくと立ち上がった。
「――バァルさん、セテカさんとリカインさんを頼みます」
 言い置いて。決然と彼らは狐樹廊たちの元へ向かった。
「へぇ。じゃあどうしようっていうのサ」
「もちろん、あなたを消し去って差し上げます。あなたはこのカナンには必要ない。ほんのこれっぽっちも」
「キミなんかが?」
 ゆらり。モレクの輪郭が、さらにぼやけた。闇が揺れ、拍動し、じわじわとモレクであったものが消えてゆく。それは、糸塊がほどけてゆくようにも見えた。
 壁一面ほども広がった闇。残ったのは金の瞳と左半面、そして両肘と太もものあたりのみ。
「……化け物め…!」
「ははっ! まるで自分には闇がないような口ぶりじゃないか、人間! だれしも闇はあるんだよ。キミの中にも例外なくね!」
 鬼払いの弓を引き絞る狐樹廊に、モレクの嘲笑が飛んだ。まるで水の中から発せられているような声だった。音の強弱が不均等で、エコーのかかったうつろな声。
 彼を貫こうと、手のあった位置から指のような5本の闇の槍が襲いかかる。だがそれは、狐樹廊に届くはるか手前で、ルースのレーヴェンアウゲン・イェーガーによってことごとく粉砕され、散っていった。
「あなたの言う通り、たしかに人の中に闇はあります。ですが人は、こうやって闇を散らすことができる力も己の中に持っているんです!」
 あくまであなたたちがこのカナンをその闇で覆おうとするのであれば、オレたち人間はそれを払うのみ!
 ルースはその決意表明のように、モレクの眉間を撃ち抜いた。



 モレクという闇を払うため、彼らは主に光輝属性の武器やスキルを用いた。
 我は射す光の閃刃が空を走り、ライトブリンガーやヴァジュラの光刃が闇を切り裂く。光輝属性を持たない者は、持つ者を守るべく、全方位から向かい来る闇の触手を剣や槍、銃弾で散らした。カタクリズムによる念動力の風も、闇を吹き飛ばすには恰好の力となった。
 闇はかたちを持たず、砕かれ、吹き飛ばされても再びモレクの元へ返っていく。
 この戦いに勝機はあるのだろうか? それは一度ならず彼らの脳裏をよぎっただろう。だが、それでも彼らはあきらめず、フラワシやSPタブレットを用いてSPの補充をし、光を放ち、剣を振り、槍を突き刺すことで闇を穿って、少しずつ削りとり、散らしていった。
「……くそ」
 やがて、モレクの表情が変化した。いつの間にせせら笑いが消えていたのか。今、モレクの顔から彼らをあざ笑う余裕は失われていた。たびたびその視線が、壁際のイナンナの石版へと流れる。
「あれは、何か考えている目であります」
 迷彩塗装とブラックコートで暗がりにまぎれていたスカサハ・オイフェウス(すかさは・おいふぇうす)が、同じく迷彩塗装とブラックコートで気配を殺してきた隣の鬼崎 朔(きざき・さく)にこそっとささやいた。
「準備をしておいた方がいいでありますか?」
「ああ……そうだな」
 朔は静かに頷いた。
 彼女たちはこのフロアへ入って早々、そうしてひたすら隠密を貫いてきた。全てはイナンナのために。ただ一度、あるかなきかのチャンスに賭けるために。
 もちろん自分たちの出番がないに越したことはない。イナンナが解放されさえすれば、それを行ったのがだれであろうと構わない。けれど、もしものとき。最悪の事態が起こったとき、だれもそれを防げないような状況をつくってはならないと、彼女は考えていた。
 そしてとうとう彼女が懸念していたこと――彼女たちの前で、その最悪の事態が起きようとしていた。
「つけあがるな、人間ども!!」
 突然、ごう、と力の風がフロア中に吹き荒れた。モレクが闇の力を全て解放したのだ。純粋な闇は圧力を伴う風と化して荒れ狂い、攻撃者たちを吹き飛ばした。
 ある者は水路に落ち、ある者は壁に叩きつけられ、ある者は床に身を伏せる。渦の中心であるモレクの近くにいた者ほど闇の侵食を受け、瘴気にあてられた。暗黒耐性を一番上げていた遙遠ですら、とっさに動けないでいるのだ。大半の者はその場で戦闘不能に陥った。
 今、フロアに立つ者はない。低いうめき声が上がる中、闇は身をひるがえしイナンナの石版に向かった。その動きはあきらかに先までと違い、遅い。闇の密度も薄まっている。
 今さら石版を破壊するなどといった行為に出るとは考えにくかった。ネルガルやアバドンの指示も仰がずにできることでもないだろう。
 この追い詰められた状況下、考えられることは――
「ほかの場所へ移すつもりかッ!!」
 させん!
 朔は飛び出した。
「朔様っ!?」
「やれ! スカサハ!」
「はいっっ」
 スカサハはブラックコートをかなぐり捨てた。そしてフロアに立ち、おとりらしく、堂々叫ぶ。
「モレク!! これをくらうであります!!」
 大きく振りかぶり、機晶爆弾をぶん投げた。機晶爆弾はくるくる回転しながら楕円の軌道を描き、モレクへと向かう。しかし勢いが強すぎた。モレクの上を飛び越え、壁にぶつかって爆発する。
「ククッ……どこを狙って――」
「いや、狙い通りだ」
 機晶爆弾は役割を果たした。朔が間合いを詰める間、モレクの気を引くという役割を。
 ブラックコートがひるがえり、一瞬モレクの視界を奪った。次の一刹那にはもう、ウルクの剣が深々と突き込まれている。
「くらえ!!」
 破邪の刃が発動し、闇の中央でウルクの剣が強い聖光を放った。
「そんな……ばかな…!?」
 信じがたいといった、驚愕の声が朔の耳朶を打つ。
 その見開かれた金の両眼に叩きつけるように、我は射す光の閃刃を零距離から放った。
「そしてこれが、きさまへのイナンナによる裁きだ!!」

   アアアアアァァァァアアアアァァァアアアァァアーーーーーーーーッ!!

 もはや人の声とはいえない、洞窟に響く獣の声のような断末魔の悲鳴がびりびりと空を走り、フロア中に響き渡る。
 ついにモレクが散った。イナンナの石版を取り戻すことができたのだ。
「イナンナ、やったぞ」
 誇らしさに満ちた胸で石版に触れようとした朔の手が、突然ひきつった。
「朔様?」
 スカサハの前、朔の全身が硬直し、震え始める。目がカッと見開かれ、頭に両手をあてた。
「あ……ああ…」
「朔様っ!? どうなされたのでありますかっ!?」
 よろめき、石版に肩をぶつけた朔は、白目をむいてそのままずるずると床に崩れ落ちた。
「フラワシの攻撃よ……どこかにフラワシ使いがいるわ」
 遥遠が、遙遠の手を借りて立ち上がりながら言う。
 モレクの攻撃からどうにか立ち直りつつある彼らの前。

「皆さん、すばらしい戦いでした。ですがあいにくと、あなたたちにその石版を渡すわけにはいかないのです」

 破壊されたドアをくぐって、ついに女神官アバドンが現れた。