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黄昏の救出作戦

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黄昏の救出作戦

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第一章 救出作戦決行前


「さて次の獲物は……」
 壮麗のスティグマータはわざとゆっくりと視線をめぐらせた。その瞳は捕食者のそれで、しかし肉食獣というより蛇のものだった。
 ねっとりと絡みつくような視線と目が合ってしまった生徒たちはびくりと体を震わせる。
 人質はみな武器や携帯電話などを取り上げられ、両手を拘束されて一箇所に集められていた。パートナーと離されている者もいる。
 人質になっているのはほとんど薔薇の学舎の生徒だが、偶然乗り合わせた他校の生徒も含まれていた。
「あ、あの!」
 突然、皆川 陽(みなかわ・よう)は声をあげて立ち上がった。何事かと陽に視線が集中する。注目を集めることに慣れていない陽は、怯みそうになる心を必死で叱咤した。
「ボ、ボク、すごい特技があるわけでもないし、カッコイイわけでもなし、実家は普通の庶民だし、周りはみんな貴族とかで、なんで自分は薔薇の学舎にいるんだろうって……あれ、何言ってんだろ、ボク」
 勢いよく立ち上がった拍子にずり落ちたメガネをなおしもせずに、陽はどもりながらまくし立てた。ぎゅううっと制服の裾を握り締める。
「だ、だから! だからボクが」
 半泣きの顔で、陽はひたとスティグマータをみつめた。
「ボクがうけます」
「ほう。自ら名乗り出るか」
 スティグマータが喜悦に目を細めると、陽の体が震えた。押し込めたはずの弱気が顔を出す。
(今までモテたこととかなくて、人肌とかぜんぜん免疫ないし……。こういうのは、いつか好きな人とちゃんとしたかったです)
「待ちなさい。私が闇の刻印を受けるわ」
 凛とした良く通る声で宣言すると香取 翔子(かとり・しょうこ)は立ち上がった。茶色の瞳に強い決意がこめられている。
「シャンバラ教導団、参謀科、香取翔子」
 翔子は抵抗の意思がないことを示すために、両手を開いてスティグマータの方へ差し出した。
「見ての通り、武器は取り上げられている」
 アサルトカービンは取り上げられたが、翔子の袖口には、ガラス片が隠してある。バスが襲われて連れて行かれる間際に、武器が取り上げられることを見越してとっさに砕け散った窓のガラス片を隠し持ったのだ。それを握り締めて紫痕の支配と戦うつもりだった。
(何かの役に立てばと思ったけど……。まさかこんな風に使うなんてね)
「できれば上手にしてくれると助かります」
「あの、でも、女の人は、その」
「守られていなさい」
 ためらいがちに口を挟んだ陽を制したのは宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)だった。翔子と同じ教導団の制服の背をぴんと伸ばし、立ち上がった。
「同じくシャンバラ教導団、宇都宮祥子。これでも士官候補生よ。貴方たちなんかに屈するものですか。さぁ、操れるもんなら操ってごらんなさい! それとも女は怖くてさわれないのかしら?」
「見上げた献身だが――。残念。私は女には興味が無い」
 祥子の挑発を受け流し、スティグマータが陽の方へ手を振った。
「連れてこい」
「! させないわ!」
 鏖殺寺院の兵士によって連れて行かれる陽を止めようと、祥子は兵士に体当たりをした。
「取り押さえろ」
 祥子は体勢を立て直して、なおも兵士に向かっていこうとする。しかしすぐに体を押さえつけられ、身動きが取れなくなってしまう。
「くっ!」
「香取さん! 宇都宮さん!」
 祥子が地面に押し付けられたのを見て飛び出しかけた翔子を押しとどめるために、陽は大きな声を出した。
「エリートのみんなとは違って、自分には何の価値もないですから。だから」
 だから大丈夫。とでも言うように陽は微笑んで見せた。
微笑んだつもりだったが失敗しているかもしれない、と陽は思った。安心させようと思ったが、痛ましいものを見たように二人の顔がゆがんだ。
「くく……。焦る必要はない。いずれ私のかわいい操り人形が、お望みどおりお前たちにも紫痕をつけてくれよう」
 スティグマータの笑い声が暗い室内に反響した。
「どれ。本来ならば私の好みではないが」
「では私ではどうです」
 スティグマータの絡みつくような視線が、立ち上がった高谷 智矢(こうたに・ともや)の全身を検分していく。
「みなさんに比べたら、いささかとうが立っていますが」
 智矢は相手の警戒をほぐすように苦笑して見せる。鏖殺寺院の兵士が近寄ってくるよりも前に、智矢はスティグマータの方へ歩いていく。
「私を部下にしてもらえませんか? 手駒が必要なんでしょう?」
「ほう?」
「あなたに忠誠を誓います」
 智矢は自ら制服のシャツを破いて見せた。ボタンが弾けて床を転がっていく。
「良い心がけだ……。ではお前から刻印を授けてやるとしよう……」
 あらわになった智矢の胸に、スティグマータの毒々しいまでに赤い下が這う。
「うっ……」
「どうした? 忠誠を誓うのであろう?」
「はぁっ、はぁっ……。申し訳ありません」
 智矢はスティグマータの目を狙って拳を突き出した。
 しかし人質の抵抗など予測していたスティグマータによって難なく腕を押さえられた。スティグマータの長く伸びた爪が食い込み、智矢の腕から血がしたたる。
「ぐぅ……っ」
「適当に痛めつけて転がしておけ」
 鏖殺寺院の兵士たちに引き渡された智矢は暴行を加えられていく。智矢は悲鳴をあげなかったが、それがいっそう悲壮感を増した。智矢の胸や腹に容赦なく蹴りが叩き込まれる。その様子に悲鳴をあげる者もいた。
 だがナガン ウェルロッド(ながん・うぇるろっど)だけは違った。
「つまんねぇ、つまんねぇんだよ!」
 駄々をこねる子供のようにナガンはわめいた。三本編みのおさげがその背で揺れる。ローグらしい軽い身のこなしで人質の間をひょいひょいと縫って駆けていく。その姿はナガンの衣装――赤と緑のツートンカラーのピエロ衣装と相まって、一種の見世物のようだった。
「なぁナガンに刻印くれよ。やったりやられたりして楽しもうぜぇ。後のことはいいからさぁ!」
「鏖殺寺院の配下になるか?」
「そんなのどうだっていいんだよ。楽しければ。なぁ? もっと楽しくなろ……」
 ナガンは舌を突き出して、にいっと笑った。顔に施されたペイントが歪む。ナガンはスティグマータの唇に自分の唇を重ねた。
 スティグマータとナガンを結ぶ唾液の糸が、少ない光源を受けて光った。唇からこぼれた唾液を、ナガンは満足そうに舌でなめ取る。 その舌には紫痕が刻まれていた。