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【2019修学旅行】闇夜の肝試し大会!?

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【2019修学旅行】闇夜の肝試し大会!?

リアクション


鎮護の森 〜その壱〜

 背の高い雑草を両手でかき分け、足で踏み固めて、細いけもの道を人が通れる道にしながら、アンドリュー・カーは振り向いた。
「はぐれないようにね?」
 柔らかな声で言われ、フィオナ・クロスフィールドはこくこくと頷く。
「あ、うんっ、はいっ。離れないようにしますっ!」
 アンドリューの開いてくれた道を、その背中にぴったり寄り添って進みながら、フィオナは手持無沙汰に両手を組み合わせた。
「これじゃ……手、繋げないな……」
「うん? フィオ、今なんか言った?」
「えっ!? ううん、なんにも……ひゃっ!?」
 びくっ、と飛び上がって、フィオナはアンドリューの背中にしがみついた。
「わっ? なに、フィオ?」
「あ、あああアンドリューさんっ! 今、いまなんか冷たいものが私の首にいっ」
「冷たいもの?」
 アンドリューは、薄暗い周囲をぐるりと見回した。
「……何にも見えないけど」
「けどっ、けど確かになんか触れたんですっ」
 ぎゅうっ、としがみつく手に力を入れて、フィオナは叫ぶように言った。
「そっか……あ、えと、フィオ? ちょっと、くっつきすぎだよ?」
「はわっ!? ごめんなさい!」
 ずざっ、と飛び乃いた拍子に、フィオナの身体がぐらりと傾いだ。
「わっ……」
「おっと」
 アンドリューがフィオナの手を引いて、軽々と引き寄せた。
「気をつけて、足元悪いんだから」
「あう……うん、はい。ありがと、です」
 赤らめた頬をうつむいて隠して、フィオナは頷いた。
「んじゃ、進もうか。危ない森はさっさと抜けよう?」
 離れかけたアンドリューの手を、フィオナがぎゅうっと握って止めた。
 きょとん、と目を丸くしたアンドリューを、上目づかいに見上げる。
「あの……私も、道開きますから」
「そんな、手切ったら大変だよ」
「いいんです、そんなのっ……。だから、その」
 アンドリューとつないだ手に、フィオナは強く、力を込めた。
「隣……歩いていいですか?」

「ふふふ……ボクのかんぺきなわなが、まずはひとりのかっぷるをくっつけてやったです」
 握った竹竿を勢いよく引いて、ヴァーナー・ヴォネガットはあどけなく笑った。
 竹竿の先には長いテグスが取り付けられ、しずくのしたたるピンクのハンカチを吊っている。
「たいりょうたいりょう、です」
 ヴァーナーは、バケツに張った冷水で、じゃぶじゃぶとハンカチを濡らしなおした。
「へーえ……アンドリューさん、ね。なるほど」
 中腰で茂みから歩み出てきた桐生 円が、ヴァーナーの傍らにしゃがみこんで微笑んだ。
 ヴァーナーは円の登場に驚いた様子もなく、にこにこと笑った。
「むっ、円ちゃん。あなたもおどかしやくなのですか?」
「うん? ボク? んふふ、まあね」
 鼻で笑って、円は立ち上がった。
 けれど、ヴァーナーとさして変わらない背丈は、依然雑草の中に隠れたままだ。
「ちょっぴりふほんいですけど、きょうはおなかまですね」
「ふふ……ああ、せっかくだからそこで見ているといいよ、ヴァーナー。面白いショーを見せてあげるから、さ」
「ショー? それはたのしみです」
 ヴァーナーが言った瞬間、一歩歩み出た円の足元で、ばつんっと水風船が弾けた。
「ひっかかった、ですね。ふふふ、です」
「……キミもなかなかやるね」
 前髪から滴を滴らせながら、円はぼやいた。

「おっと、そろそろ森も終わりかな?」
 茂った草の向こうに開けた空間が見えてきて、アンドリューはほっと息を吐いた。
「え……もう終わりなの?」
「なんか言った?」
「なんにもっ」
 フィオはふるふると首を横に振った。
 二人の手が茂みをかき分け、大池につながる小道が開ける。
「……アンドリュー?」
 ふらり……と、小柄な少女が二人の前に歩み出た。
 闇夜に沈むようなゴシック・ロリータの衣服から、なぜだか滴を滴らせ、ほっそりとした体のラインが浮き上がらせている。
 まっ白いうなじに張り付いた髪が、まるでエメラルドのように輝いていた。
「待ってたよ……? ずっとずっと、待ってた。雨が降っても、風が吹いても、だって、アンドリューは焦らすのが好きだから……」
 もじもじ、と上目づかいにアンドリューを見ていた円の瞳が、はっ、と見開かれた。
「なっ……なに!? その隣の子! ボクというものがありながら、なんでそんな女と手をつないでるの!?」
 円はつかつかと、アンドリューに詰め寄った。
「ひどいっ、ボクのことは、こんな寒い所に放っておいて……こんなのって、ないよ……」
 ぐすっ、と涙をぬぐって、円はフィオナを睨みつけた。
「このっ……泥棒猫っ! ボクのアンドリューを、どんな手で籠絡したの!?」
「え……アンドリューさん?」
 震える眼差しで見上げてきたフィオナに、アンドリューはかぶりを振って見せた。
「いや……知らないよ僕は。誓って……」
「ひどいっ! あんなに、好きって言ってくれたのに! あんなにっ……恥ずかしいことだって、アンドリューがやれって言うから、やったのに……どうし――……」
 アンドリューに掴みかかろうとした円を、フィオナが身を呈して阻んだ。
「なに……あんたなんか、ただのセカンドだったんだよ?」
「セカンドだか元カノだか知らないけど、そんなことはどうでもいいんです。アンドリューさんに、触らないでください!」
 フィオナの叫ぶような剣幕に、円は一歩後ずさった。
「アンドリューさんは……あっ、アンドリューさんは、私のっ、です―――っ!」

「あーあ」
 去っていく、アンドリューとフィオナの背中を眺めながら、円は濡れた髪を掻いた。
「惚れてたのは女のほうだったか。……失敗した」
 がさっ、と茂みが微かに揺れた。
 ミネルバ・ヴァーリイが、真紅の髪を散らして茂みから顔を出した。
「まどかまどかっ! 次来たよ、次!」
 オリヴィア・レベンクロンも、あとに続いて茂みから顔を出すと、背後を親指で指し示す。
「しっかり混ぜっ返してやりなさぁ〜い。物陰で楽しく眺めてるわ〜」
 円は頷き、ルビーのように燃える瞳を、にっ、と細めた。
「そーだね。……カモはこれから、いくらでも来るよね」

「よいしょっ……と、まあこんなとこかしらね」
 草を踏み固めて大量生産したけもの道を振り返りつつ、白雪 魔姫は額を伝った輝く汗をぬぐった。
「ふむ、このワタシが作ると、けもの道ひとつとっても美しいわね。本物と全然見分けがつかないわ」
 満足げに微笑んでいた魔姫の眉根が、何か嫌なことでも思い出したかのようにきゅっと寄った。
「このワっ、タっ、シっ、がひとり者だというのに、いちゃこいて浮かれてるカップルどもなんて、誰もかれもみんなしょっぱなから迷ってしまえばいいのよ」
 がさっ、と、魔姫の目の前で茂みが大きく揺れた。しゃがんで身を隠す。
 茂みをかき分け、夜よりも深い闇色をした長髪を舞わせて、雨宮 夏希が歩み出てきた。
 魔姫は小さく溜息を吐くや、茂みから立ち上がる。
「まーた、あなたなの?」
「え……ああ」
 夏希が、優しげな瞳を細めて魔姫を見た。
「よくお会いしますね」
「そーね、不思議とね」
 はあ、とため息を吐いて、魔姫は手近な木に寄りかかった。
「ところで、度々申し訳ないのですが、ここはどこでしょう?」
「何度も同じ答えで申し訳ないけれど、鎮護の森の入口よ。ちなみに、何度も言っているけれど森の出口はあのけもの道をたどってまっすぐ。ワタシが作ったんだから間違いないわ」
 びしっ、と魔姫が無数に伸びたけもの道のうち一本を指さすと、夏希は柔らかく頷いた。
「はあ……言われたとおりに進んでいるはずなのですが……」
「あんた……壊滅的な方向音痴ね。あみだくじやってんじゃないのよ? 一本道よ? どうすれば迷えるってのよ?」
「……さあ?」
 首をかしげた夏希を見て、魔姫はまた大きく溜息をついた。
「それでは、私はもう一度言われたとおりに進んでみますね。次は抜けられるかもしれません」
 魔姫は、青色の髪をざっとかき上げると、夏希の肩を掴んだ。
「待ちなさい、案内してあげる」
「え……でも、ご迷惑では」
「大迷惑よ! でもね、なんだかあんた、放っておいたら一生ここでぐるぐる回っている気がするから」
 夏希の手を引いて、魔姫は歩き出した。
「あの……ありがとうございます」
「まったくよ。感謝なさい!」

「ふむ。まあこんなものか」
 一抱えほどもある虫篭を両手に提げて、悠久ノ カナタは満足げに微笑んだ。
 虫篭の中には、カナブンやらガやらクモやら、日本の森で見かけることのできる虫たちが、だんごになって蠢いている。
「幽霊が怖くないというのに、このような羽虫程度が怖いとは、ケイもなかなか愛いヤツよのう」
 どう見ても羽虫というには巨大すぎる虫たちを眺めて、カナタは上品に笑った。
 がさっ、と手近な茂みが揺れる。
「ほう……来たな、ケイ」
 カナタは左手に持っていた虫篭を足元に置き、右手の虫篭を両手で持った。
「恨むなよ……肝試しとは、驚いてこそ楽しめるというもの……」
 カナタはぐっと反動をつけて、
「存分にわめくがよいっ!」
 茂みの奥へ向かって、虫篭をぶん投げた。

 ごしゃっ、と目の前に落っこちてきた一抱えほどの箱を見て、クロス・クロノスは足を止めた。
「……なんでしょう?」
 箱は、微かに動いていた。
 クロノスは、提灯のぼんやりした明りを近づけて、箱の全容を探る。
「どうしました?」
 クロノスの背後から顔を出して、カイン・セフィトが首をかしげる。
 カインは持参した懐中電灯のスイッチを入れて、クロノスが注視している箱を照らした。
 薄暗闇に、いきなりはっきりと浮かび上がったのは、虫の大群だった。
 カナブンや、ハエや、アリなどと言ったかわいいものから、全長が三十センチはあろうかという巨大なガや、白黒の警戒色をさらし、ぶうんと羽音を唸らせるハチ、全身毛むくじゃらの巨大グモなど、そのバリエーションは非常に豊かだ。
 ばっ、と提灯を投げ捨て、クロノスは大きく飛び退いた。
「……いっ」
 クロノスの喉が、痙攣したように震える。銀の瞳に涙が溜まり、プラチナのように煌めく。
「いや――――――ッ!!」
 きびすを返して駆けだそうとしたクロノスを、カインがきつく抱きとめた。
「あっ、あっ、あっ、虫は……だめ……」
 うわごとのように繰り返すクロノスの顔を、ぎゅっと自分の胸にうずめさせ、カインは震える背中をさすってやった。
「大丈夫。大丈夫。向こうは見ないように、落ちついてください」
 カインがゆっくりと背中を撫でてやると、激しかったクロノスの呼吸がゆっくりと落ち付いてきた。
「大丈夫。大丈夫」
「うんっ……だっ、大丈夫」
「よしよし、落ちついてきましたね。……これをもっていてください」
 カインは、冷たく脂汗をかいたクロノスの手に、スイッチを切った懐中電灯を握らせた。
「じっとして。俺の首にしがみついてください。……よっ」
 カインはクロノスのひざ裏に腕を指し込むと、そのまま長身を抱き上げた。
「顔を上げないで、俺のことだけ見ていてください」
 クロノスが何度も頷いたのを確認して、カインは大きく助走をつけて駆けだした。
 壊れた虫篭と、うごめく虫の塊を、
「はっ!」
 カインはひと飛びで飛び越えた。そのまま茂みをものともせず、大池へと続く開けた道まで駆け抜ける。
「ふう……危ないところでした」
 カインは一息ついて、クロノスの足を地面に下ろした。震える自分の足で立ったクロノスは、しかし、まだカインの首にしがみついたままだ。
「もう平気ですよ、クロノス。もう虫はいません」
「わかってる……」
 涙に濡れた声で言って、クロノスは腕に力を込めた。
「でも……もうすこしこうしていて……いい?」
 カインは、金色の瞳をきょとん、と丸くして、それから、微笑んだ。
「ええ……好きなだけ」
 白くて大きなカインの手が、クロノスの黒髪を優しく撫でた。

 がさっ、と茂みを揺らして顔を出した夏希を見て、シルバ・フォードは深く息を吐いた。
「夏希……よかったぁ、どこ行ったのかと思ったよ」
「ごめん……迷ってました」
「迷ってたぁ? ……まあ、この森じゃあ無理ないか」
 がさごそと、茂みから抜け出そうと難儀している夏希に、シルバは手を差し伸べた。
「離れるなよ? 次はぐれたら会えるか分かんないぞ」
「はい。……あ、そうです。ここまで送ってくれた人が……あれ?」
 ふっと黒髪を舞わせて振り返った先には、ただ背の高い草が揺れているだけだった。
「なっ……怖いこと言うなよ……」
「いえ……確かに送ってもらったのですが……?」
 はてな、と首をかしげた夏希の手を、シルバは優しく引いた。
「まったく、ぼうっとしてんなよ。幽霊だか何だか分かんないやつにもふらふらついていくな。もうはぐれないようにな」
 名残惜しげに茂みから離れて、夏希はシルバとつながった自分の手を見た。
 シルバは夏希に背を向けたままずんずんと歩を進めていく。
 けれどその耳が、まるで夜闇に輝くように、赤かった。
 ふっと、夏希は笑った。握りあった手にぎゅっと力をこめる。
「……離しちゃだめですよ?」
 振り返らないまま、シルバは「おう」と頷いた。

「……ふむ、人違いだったか」
 ひょこ、と草陰からカナタの顔が覗いた。
 赤い瞳が、クロノスを抱き上げて走り去ったカインを追う。
「まあ、おかげでよい思いができたようだし、感謝されてもよいくらいであろ。うんうん。……おっと?」
 不意に聞こえてきたあどけない声に、カナタは身を隠した。
「ふむ、今度こそケイの声……。予備の虫どもを用意しておいて正解であったな」
 中で新鮮な虫たちが蠢く虫篭を持ち上げつつ、カナタは口元を隠して笑った。
「先ほどの連中よりおもしろ……よい思いができるといいのう、ケイ……?」

「せーいじろー! 早くこいって! 置いてくぞー!」
 自分の背丈より高い雑草を踏みわけながら、緋桜 ケイは無邪気な声で呼びかけた。
「ケイ! 待てって! 先に行くな!」
 茂みをまたいでなんとか追いついた姫北 星次郎は、長い手を伸ばしてケイの襟をぐっと掴んだ。
「なんだよ星次郎! もたもたしてたら一位を取り逃がしちゃうぜ?」
「だからってやみくもに進むな。怪我でもしたらどうするつもりだ? こういう草は刀みたいに鋭利なんだ、考えなしに進んで手や顔を切ったらどうする?」
「冒険の傷は男の勲章だろ! そんなこと気にしてちゃ一位なんかとれねーよ!」
 ふふん、と誇らしげに言ったケイを見て、星次郎はため息をついた。
「大体、なんでそんなに一位が取りたいんだよ。叶えたい願いでもあるのか?」
「まあ、それもあるけど……競争事はさ、男だったらとりあえず頂上を狙ってみるもんなんだろ?」
「まあ……昭和一桁の男ならそう言うかもな……」
 ショーワヒトケタ? と首をかしげたケイを押しのけ、星次郎は前に出た。
「わかったよ。一緒にトップを狙おう」
「お! やる気になったか!?」
「ああ、できる限り急ぐよ。……その代わり、俺が前だ。俺が道を開くから、ケイはそのあとをついて来い」
「んー……しっかたねえな、それでいーよ」
 にかっと笑ったケイに、星次郎は生来のつり目を柔らかく細めて頷いた。
 月明かりも届かぬ茂みの中で、見つめ合う二人。その間を裂くように、一抱えほどもある虫篭が飛び込んできた。
「うおっ……と?」
 星次郎がとっさに、地面に落ちる前の虫篭をキャッチする。
 なかにおぞましいほどの虫を満載した虫篭は、中身をぶちまけることなく星次郎の手の中におさまった。
「虫か……ガにカナブンに……うわ、毒虫もいるぞ。おどかすにしたって少し危ないな……」
 眉根を寄せて篭を覗き込む星次郎から、ケイが一歩、後ずさった。
「ケイ? どうした?」
「むっ……虫……」
「ああ……ケイは虫が苦手か。安心していい、ふたは空いてないから出てこないよ。あとでその辺に逃がしてやろう」
「その辺に……っ!」
 ぴくっ、と細い肩を跳ねさせて、ケイは近くの茂みから離れた。星次郎のほうへ歩み寄ろうとして、篭の中にうごめく虫を目にして、足が止まる。
「……」
 星次郎はきびすを返して歩き出し、ケイから遠く離れた場所に虫篭を置いた。
 それからゆっくりと戻ってきて、手を差し伸べる。
「ほら、もう虫はいないぞ?」
 微笑んで、首をかしげて見せた星次郎の胸に、ケイが飛び込んだ。
「おわっ!? ……ケ、ケイ?」
「星次郎、ついてない? 背中とか、頭とか、虫……ついてない?」
「あ、ああ。つつ、ついてない、ついてないぞ、ケイ」
「よく見て」
 星次郎は遠慮勝ちに視線を下げて、自分の胸にすがりついたケイを見た。
 ぼさぼさだが艶やかな黒髪、襟もとから覗く白いうなじ、不安げに震える、細い肩。
「へ……平気、平気だから。な?」
「本当……? だって、その辺の茂みに、ああいう虫がたくさんいるんだろ……? そう、思ったら、急に……」
 濡れた声で言うケイの、小さな頭に、星次郎はそっと触れた。
 長い指で、ぼさぼさの髪をすいてやる。
「大丈夫。大丈夫。虫なんか一匹もついてないよ。触ってるのは俺だけだ」
「……うん。うん。ありがとう」
 すっと、ケイはばつが悪そうに身を引いた。袖口でごしごしと目元をぬぐう。
「さ、ケイ。一位を狙うんだろ? 俺が前を歩くから、安心してついて来い……おっと」
 背を向けた星次郎の腕に、ケイが駆け寄り、ぎゅっとしがみついた。
「はっ……離れんなよ、絶対」
「ケイ……」
「頼む……お前の背中だけ見てれば、怖くないと……おもうから」
 星次郎はふっと笑って、しがみついたケイごと腕を引き寄せた。
「大丈夫だよ、絶対離れないから」
「……うん」
 歩き出した二人の背中を、くすくすという上品な笑い声が追いかけた。

「あはは、なんかモテてるみたいで嬉しいな」
 背の高い茂みを率先してかきわけながら、白波 理沙が軽やかに言った。
「こんなイベントなど無くても、モテそうな美貌に見えるでござるが」
 理沙の横で道作りを手伝いながら、椿 薫がてらいもなく言う。
「もう、椿くん、持ち上げても何も出ないよー?」
 カラカラと笑う理沙の隣には椿、一歩後ろには、緋桜 遙遠とイーオン・アルカヌムが続く。
 あぶれたメンツで構成された集団だったが、図らずも理沙のほかは全員男性、それも、タイプは違えどなかなかの美形ぞろいと、理沙にとってはなかなかの当たりクジだった。
「白波さん、前には気をつけて歩いてくださいよ? 先頭は特に危険なんですから」
 理沙とは過去に面識のある遙遠が、やんわりと諭す。
「はーい。遙遠は優しいね」
「持ち上げても何も出ませんよ」
 短く言って、遙遠は微笑んだ。
「――待て」
 不意に、イーオンが良く通る声で制止をかけた。
 一団の歩みが止まる。
「前の二人、足を上げるな」
 イーオンは理沙と椿の前に回って、すっとしゃがみこんだ。地面から、黒い球体を持ち上げてみせる。
「……なんでござるか、それ」
「水風船だな。闇に隠れるよう黒を使っているところを見ると、脅かし役の仕掛け罠か」
「よく気づいたでござるなぁ、イーオン殿」
「視界の悪い森林地帯では、足元に罠を張るのが最も効果的だ。必然的に、警戒するほうも足元を見る。常識だろう、この程度は」
 ふん、と高慢に鼻を鳴らして、イーオンは水風船を遠くの茂みに放った。
「緋桜、お前も足元を見ながら歩いていたな?」
「あ、ええ」
「俺の横につけ。あたり一面水風船だらけだ」
 遙遠を呼び寄せると、イーオンはちらと、理沙を振り返った。
「おまえは俺の足だけを見て歩け。俺が踏んだところだけを踏んで、ついて来い。そっちのおまえは、緋桜の足を見るんだ。いいな」
「へえ。イーオン、口は悪いけどやるう」
 理沙が無邪気に言うと、イーオンは鼻を鳴らした。
「言っただろう、常識の範疇だ。それと、俺は口が悪いんじゃない、わざわざ言葉を飾る必要性を感じないだけだ」
 イーオンと遙遠を先頭にして、一同はゆっくりと鎮護の森を進んでいく。
 一歩進むごとに闇が濃くなる心地がして、葉ずれの音が次第に増していく。
 ざわ、ざわざわ。
「……ねえ、変な音しない? 正面の茂みの奥、なんかいるっぽい」
 理沙が、イーオンの正面当たりを指差した。
 イーオンが足を止め、申し合わせたように遙遠も足を止める。
「……水風船地帯を今越えたところだが、引き返すか?」
 イーオンの声に混ざった、かすかな嘲りのような声に、理沙は眉根を寄せた。
「別に、私はオバケは怖くないわよ? ただ、実害のあるものに引っかかるのはイヤなのよ。さっきの水風船とか」
「なるほど。確かに、野犬でも潜んでおったら厄介でござるな」
 理沙と椿は頷きあって、前に出た。
「下がってて。二人ともウィザードでしょう? 前衛は私たちがやるわ」
「……ふん、理屈は通っている」
 イーオンと遙遠は、すっと脇に退いて道を譲った。
 前方の茂みは、いまや見間違えようもないほどに揺れ、その向こうにいる何者かの存在を示している。
 理沙は空手ながらも拳を固め、椿と顔を見合わせて頷きあった。
「行くわよ」
「我らも互いに、前衛には不安なローグでござる。出会いがしらの一撃に賭けよう」
「オッケ」
 すっ、と呼吸をあわせて、理沙と椿は同時に茂みの奥へと踏み込んだ。
 ざあっ、と涼風が吹き抜け、目の前に大池が広がる。
 開けた空間には、野犬どころか鳥の影ひとつなかった。
「……あれ、いない?」
 理沙が首を傾げる。
「……妙でござるな。確かに妙な音はしておったのに」
 二人の疑問に答えるものは居らず、ただ吹いてきた涼やかな風が、茂みをさあっと揺らしていった。

 草陰に腰を下ろして、佐々木 弥十郎はあくびをした。
 弥十郎のほうからは、草をすかして、首を傾げる理沙たちの姿が見えていた。
 周囲の草の根元には、荒縄が縦横に張り巡らされている。弥十郎がその縄を引くと、周囲一帯の草が揺れ、不穏な音が出る仕組みだ。
「おっと、女一人に男三人。カップルじゃなかった、かな?」
 弥十郎は首をかしげて、またひとつあくびをした。
「うーむ、恋のキューピットも、なかなかうまくはいかないもんだね」
 がさっ、と音を立てて、弥十郎は草の上に寝そべった。
 満天の星と、真ん丸い月の輝く夜空が、視界一杯に広がっていた。
「あの人も、今頃この空を見上げているのかな? それとも、もう寝ちゃってるかな?」
 ふふっ、と弥十郎は微笑んだ。
「この空の下、一緒に歩けたらよかったな」
 ぽつりと呟いた言葉は、涼風にさらわれて、夜空へと吹き上がっていった。

「まあ、何もないに越したことはないでござるか」
 椿は、表情に走らせていた緊張を解いて、のんびりと言った。
「ん……まあ、そうだね」
 理沙も、釈然としない様子ながらも、それに頷いて固めた拳を解く。
「……まあ、なんにせよ、無事に鎮護の森を抜けられて良かった、ってことで」
 晴れやかに言った理沙に、椿たちは頷いて同意した。
「なんだかんだ、わりかし楽勝だったでござるなぁ」
「うんうんっ。だって、みんなぜんぜん怖がらないんだもん。私らのチームと当たった脅かし役の人はかわいそーだね」
「そうでござるな。まあ、のぞき部として活動するときのスリルに比べれば、この程度の肝試しなどなんともないでござるよ」
「のぞき……部……?」
 ぴくり、と理沙の眉が跳ねた。
「薫はのぞき部の人なの?」
「うん……そうでござるが? うおっ」
 すうっと、顔から笑みを消し去った理沙を見て、椿はびくっと飛び上がった。
「ど、どうしたでござるか、理沙殿……?」
「ごめんね、薫。あなたはすごくいいチームメイトだとおもうの。けどね……」
 ぐっと、理沙は再び拳を固めた。
「のぞき部は…………潰す」

 大池の上に、一隻のボートが浮いていた。オールはイーオンが握っている。
「いやあ、ははは。まさか理沙殿がのぞき部嫌いとは……。いきなり池へ放り込むとは、相当嫌いなのでしょうなあ、あっはははは!」
 椿が、フェリークス・モルスにびしょぬれの身体を引っ張り上げてもらいつつ、笑った。
「どうぞ」
「ああ、どうもどうも」
 モルスがおずおずと取り出したタオルを、椿は濡れた禿頭をさすりながら受け取った。
「……どなたでござるか?」
「俺のパートナーのモルスだ。ずっと周囲を警戒させておいた」
「ほほう、周到でござるなあ。いやあ、しかし、羨ましいほど美人のパートナーさんでござる」
 てらいもなく言う椿に、モルスは、
「そんなことは、ないです」
 短く返した。
「しかし、イーオン殿? どうして拙者を引き上げてくれたんでござるか? ありがたいことではござるが、理沙殿たちからは置いていかれたでしょう?」
「別に。この池にしばし留まるのも良いと、思ったまでだ」
 丸めた頭をタオルで拭きながら、椿は無い眉根を寄せた。
「ほう……それはどうして?」
「なに、こういった夜の風景も、また乙なものだと思ったまでだ」
「……ははっ」
 頭をぴしゃんとひとつ叩いて、椿はそれに同意した。
「確かに、風流なものでござるな……――」