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マリエルの涙『ハーブティーとケーキ』
「マリエルさん?」
 頭上から降った遠慮がちな声に、マリエル・デカトリース(まりえる・でかとりーす)は伏せていた顔を上げた。
「廊下の真ん中でしゃがみこんでいたら、蹴飛ばされてしまいますよ?」
「アリア……」
 差し出された手を取って、マリエルは立ち上がった。
 アリア・ブランシュ(ありあ・ぶらんしゅ)が柔らかな微笑を浮かべたまま、ハンカチでマリエルの目元をぬぐう。
「どうしたんです? こんなに泣きはらした顔をして。マリエルさんらしくありませんよ?」
「アリア……あのね……、マナがいなくなっちゃった……」
「愛美さんが?」
 アリアが青色の瞳を見開くと、マリエルの目から、とたんに涙が溢れ出した。
「あわわっ、落ち着いてください」
 アリアがハンカチでマリエルの目元を押さえて、鼻まで拭いてやる。マリエルはしゃくりあげながら「うん、ごめん……」と頷いた。
「私に出来ることがあれば、何でも協力しますから。だから、そんなに泣かないでください」
「ん……あんがと、アリア」
「それで……愛美さんは、一体いつから姿が見えなくなったんですか?」
「昨日の放課後に別れて……それっきり」
「放課後……」
 形のいいあごに拳を当てて、アリアは唸った。
「……放課後、愛美さんはどこかに寄りましたか?」
「どうして?」
「放課後の足取りをたどっていけば、最終的にどこで姿を消したかはっきりするはずです」
「なるほど! アリア冴えてる!」
「えへへ、それほどでもないです」
 はにかみながら、アリアは首を横に振った。
「放課後に行きそうなところなら、たとえば本屋さんとか、図書館とか……お菓子屋さん、とか」
「お菓子屋さんはないと思う」
 マリエルがきっぱりと言った。
「マナ、あたしに付き合ってダイエットしてくれてたから、甘いものは控えてて……」
「マリエルさん、それです!」
 アリアはマリエルの鼻先に指を突きつけた。
 磨かれた爪が、蛍光灯の明かりをきらんっ、と反射する。
「愛美さんは、おそらく甘いものを食べに向かったのでしょう」
「えええっ、でもダイエット……」
「おそらく愛美さんは、ダイエットのし過ぎで甘いものがとっても恋しくなったのです。そこで、放課後マリエルさんには知らせず、一人で早々に学校を抜け出した……」
「だっ……だからマナはあんなに急いでいたのね……! 私はてっきり、梅木さんに会いに行きたくってうずうずしているのかと……」
「そうと決まればマリエルさん。この辺りで、一番おいしい甘いもの屋さんはどこですか?」

 来店者を知らせる、甲高いベルの音が響いた。
「いらっしゃーい」
 ウィング・ヴォルフリート(うぃんぐ・う゛ぉるふりーと)はカップを磨く手を止めて、カフェの入り口を振り返った。
 乳白色の髪をさらりと流したアリア・ブランシュと、鼻面と目元をちょっと赤くしたマリエルが、早足にカウンターへやってくる。
 ウィングが向き直ると、二人は軽く会釈をした。
「いらっしゃい、何になさいますか?」
「ここで一番おいしいケーキとハーブティー……の前に、ちょっと、お伺いしたいことがあるんですけど」
 アリアが声を潜めて、上目遣いにウィングを見据えた。
「小谷愛美さん……て、最近ここに来ませんでしたか?」
「愛美さん? いいえ、来ませんでしたけど……ああ」
 ウィングはふと目を細めて、店の端にある小さなテーブル席に目をやった。
 照明の届かない影の中、四人の男女がテーブルを囲んで、話し込んでいる。
「愛美さんがいなくなったってお話ですか?」
「ご存知なんですか?」
 ウィングは首肯した。
「ついさっき、あそこに座ってる四人が同じようなこと聞きにきたんです。……如月さん!」
 ウィングが声をかけると、テーブル席に座っていた如月 佑也(きさらぎ・ゆうや)アルマ・アレフ(あるま・あれふ)神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)レイス・アデレイド(れいす・あでれいど)の四人が、いっせいに顔を上げた。
「彼女たちも愛美さんを探しているんだそうです。愛美さんのパートナーのマリエルさんと……」
「アリア・ブランシュです」
 アリアがぺこりと頭を下げると、四人もばらばらに会釈を返した。
「しばらく、彼らの話でも聞きながら待っていてください。私も付き合いますよ。もうバイトも上がりですし」
 柔らかく微笑んで、ウィングはアリアたちに背を向けた。そのまま一旦スタッフルームに引っ込んだウィングだったが、すぐにひょっこり顔を出す。
「あっ、言い忘れてました」
「なんです?」
 アリアが首をかしげると、ウィングはいたずらっぽくウインクした。
「うちで一番おいしいケーキとハーブティー、ご馳走しますよ。もちろん、マリエルさんにもね」
 ぱっと、マリエルの顔が輝いた。
「ほんとう!?」
「ええ。きっとおいしすぎて、涙なんてすぐ引っ込んじゃいますよ。その代わり、ここのケーキはパラミタ一だって、うんと宣伝してくださいね」
 ひらひらと手を振って、ウィングは今度こそ、スタッフルームの奥へと消えた。