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白の夜

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白の夜

リアクション

 垂れた犬耳をひょこひょこと揺らし、清泉 北都(いずみ・ほくと)は広間のお菓子を食べ歩いていた。周囲の喧騒も何のその、あくまでマイペースに食べていく彼の表情こそ特に変化はないが、超感覚により生えた巻き尻尾は彼の機嫌を現すようにぱたぱたと揺れ動いている。彼の隣で微笑ましげにその様子を見守りながらお菓子を口にしていたクナイ・アヤシ(くない・あやし)は、ふと目を戻した彼の面持ちがどこか普段と異なることに気付いた。
「……頂戴、甘いの」
 菓子よりも余程甘く聞こえる声でそう言って、瞳を潤ませた北都はクナイの口端をぺろりと舐める。ぱたぱたと激しく尻尾の振れるその姿に驚いたように僅か目を丸めたクナイは、一拍置いて彼同様に周囲の様子もおかしいことに気付いた。
「お菓子に、何か入っていたんですね……」
「ん……」
 そうしている間にも北都の手はクナイの手首を緩く掴んで引き寄せ、指先に付着したクリームをぺろぺろと舐め取る。途端に悪戯心の込み上がったクナイは、わざと反対の指にクリームを掬い取り差し出した。躊躇いもせず垂れ耳を跳ねさせながら指先を口に含む北都の姿に、嬉しげに目元を緩める。
「もっと甘いもの、差し上げましょうか?」
「うん、もっと……」
 戯れに掛けた言葉に北都が頷くのを確認すると、クナイはおもむろに手に取ったクッキーを口に咥えた。そのまま北都へ顔を寄せると、ほんのり頬を赤らめた北都は、素直に口を寄せて小さく歯を立てる。キスを交わすような至近距離で見詰め合い、クナイは機嫌良く目元を緩めた。
 北都がクッキーを齧り取ってしまうのを名残惜しげに眺めたクナイは、次いでチョコレートを手に取る。見詰める北都の視線を感じながら焦らすように口に咥えたそれを差し出すと、間髪入れずに北都の口が寄せられた。不意に、唇が触れ合う。柔らかな感触の心地好さに笑みを深めたクナイは、チョコレートを押し込むように、柔らかい動きで彼の口内へと舌先を侵入させた。
 蕩けたチョコレートと互いの舌が甘く絡み合う。酔ったような北都の瞳に拒絶の色は無く、むしろ進んで甘味を求めるよう擦り付けられる舌に、クナイは面持ちに歓喜を滲ませた。
 こくりと北都の喉が鳴って、唾液とチョコレートの混ざり合ったものが飲み下される。何かを求める北都の瞳に応えるように、クナイは口付けを深めた。北都の尾は、ぱたぱたと揺れ続ける。
「薬の効果を利用して全てを奪うのは主義ではありませんから、これ以上は薬の効果が切れてから……ですね」
 彼が理性を取り戻せば、きっと戸惑う彼が今のように易々と受け入れることは無いだろう。そうと知りながらも一度唇を離し呟いたクナイは、すぐに一時の甘美な夢に浸るよう、静かに唇を重ね合わせた。


 北都やクナイと共に屋敷を訪れ、彼らの何となく怪しい雰囲気を見張っていたソーマ・アルジェント(そーま・あるじぇんと)は、久途 侘助(くず・わびすけ)に腕を引かれるまま広間の端へと導かれた。何事かと問うソーマに、侘助は暫し躊躇う間を置くと、おもむろに小箱を差し出す。
「ソーマ、これ」
「それを渡すのは俺が禁止します。こっちにしなさい」
 言いかけた侘助の言葉を遮るように、香住 火藍(かすみ・からん)は箱を取り上げた。ぽかんと注がれる二人分の視線を気にも留めず、代わりとばかりに会場内から調達したお菓子を侘助の手へ乗せる。侘助手製のクッキーが入った箱を取り上げた火藍は、何事も無かったように侘助を視線で促した。
「……ソーマ、これバレンタインデーのお返し。受け取ってくれるよな?」
 気を取り直した侘助が改めて人型のクッキーを差し出すと、イベント事であることを鑑みたソーマは「ま、貰っておいてやるよ」と返しつつクッキーを受け取った。そのまま口へ放り込み、もぐもぐと咀嚼する。
 その様子にどこか満足げに表情を緩めた侘助は、何を言おうか言葉を選ぶ間を開けた。取り敢えず当たり障りのない話題を出そうとして、ふとソーマの様子がおかしいことに気付く。
「……何だ……?」
 訝しげに零したソーマが、やや上気した吐息を零した。薄らと熱を帯びている頬を目に留めた侘助が身を乗り出し、熱を計るように額を重ねる。
「ソーマ、なんか変だぞ。熱でもあるのか?」
 そんな二人の様子を見て、驚いたのは火藍だ。とても恥ずかしくて見ていられない、と軽く侘助の脚を蹴飛ばす。
「公衆の面前で恥を晒すな!」
「お、おう」
 慌ててソーマに肩を貸した侘助は、抵抗しないソーマを火藍に言われるまま人気のない庭へと連れていく。二人を見送った火藍は、暫しの沈黙の後に、取り上げた箱を開いた。そこには、やや歪なコウモリの形をしたクッキーが収まっている。
 何となく込み上がる悔しさに駆られるまま、火藍はクッキーへと歯を立てた。かり、と軽く齧り取ったそれは、歪な見た目とは裏腹にふわりと広がる甘さがとても美味しく感じられた。
「俺と未実がいるのに、なんでソーマさんなんだ……」
 クッキーを齧りながら二人の去って行った方向を見詰め、火藍はぽつりと呟いた。甘いクッキーが何となく苦く思えて、火藍はぼきりと翼を齧り取る。
「……あの人は、まだ寂しいのかな」
 その呟きは誰に聞かれることも無く、広間の喧騒へと紛れていった。


 寄り添い歩き庭へ向かった侘助は、辿り着いた木陰で脚を止めた。周囲に人の気配は無い。この辺りなら大丈夫だろうと、改めて侘助はソーマの額へ手を当てた。熱い。明らかに普段とは異なる熱を帯びた温度に、侘助は心配そうに口を開く。
「ソーマ、お前やっぱり熱が」
「……なあ。お前、俺が欲しいか」
 しかし言葉の半ばで切り出された問い掛けに、侘助は怪訝と目を瞬かせた。そう彼が問うに至った経緯こそ分からないが、侘助は静かに双眸を細めると、緩やかにソーマの肢体を抱き締める。
「ああ。……俺はお前が欲しいよ」
「そうか。……なら、好きにすれば良い」
 ぼんやりと熱に浮かされた頭で、ソーマは思うままを呟くように返した。侘助の驚きが伝わる。ソーマ自身にもその理由はよく判らなかったが、今この瞬間、ソーマは確かにそう思っていた。
「……お前、素直すぎて何だか気持ち悪くて、可愛いぞ」
 困ったように笑声を零した侘助は、緩やかに片手をソーマの髪へと伝わせた。梳くようにそこを撫で遣っても、ソーマから抵抗が返ることは無い。それが何となく嬉しく思えて、侘助は繰り返しソーマの頭を撫でつけた。
 冷えた外気の中で、触れ合う場所だけが妙に温かく感じられる。侘助は緩慢に唇を寄せると、ソーマの銀糸へと軽く口付けた。
「お前も俺が欲しいって、いつか言ってくれたらいいな」
 穏やかに鼓膜を震わせる言葉に、ソーマは混濁する意識の中、言葉も無く頷きを返した。