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白の夜

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白の夜

リアクション

「あ、いました!」
 ずるずると広間を引き摺られていくヴラドは、不意に耳に届く声に顔を上げた。視線の先には、ティエリーティア・シュルツ(てぃえりーてぃあ・しゅるつ)がこちらへ駆け寄ってくる姿が映る。厨房の方角から来た彼は、その手に何かを持っているようだった。
「あれ、ティエルも来てたですかー」
 知り合いに気付いたシルヴィットの歩みがぴたりと止まり、次いで彼の持つ皿の上の何かへと視線が動く。黒々としたそれは形も定まらず、今にも崩れ落ちそうな炭素の塊のように見えた。
「……何、でしょう、それは」
 表情を引き攣らせたヴラドの問い掛けに、ティエリーティアはすっと彼の眼前へ皿を差し出す。
「ヴラドさんのために精一杯心を込めて作りました! 食べてみてください! さあ!」
「……えっ」
 輝かんばかりの笑顔で言い放つティエリーティアに、ヴラドは自分の料理の腕前など棚に上げて難色を示した。
「食べ物、……なんですか、これ」
「はい! 愛情込めた手料理が不味い筈はないんです!! つまり、こんなに怖くてまずいまずいって言われてるヴラドさんのお菓子には、ヴラドさんの愛情がちゃんと篭っていないんです!! なので、僕がお手本を作りました!」
 僅かな疑いも存在しない、曇りない眼と笑顔で言い放つティエリーティアに、ヴラドは思わず一歩後ずさった。
「まぁ、見た目はスゲーけど、食いもんは見た目じゃねーし。フツーに食えるぜ?」
 彼の後ろでは、ウィルネスト著 『学期末レポート』(うぃるねすとちょ・がっきまつれぽーと)がティエリーティア製のお菓子を平然と口に運んでいる。周囲の生徒達からもやや遠巻きにされている彼の味覚の方が間違っている事は、誰の目にも明らかだった。
「……いえ、あの、まだ命が惜しいので」
「心の籠ったクッキーなんですから、おいしいに決まってます!」
「クッキーだったんですか、それ」
 いまいち噛み合わない会話をしながら後退していくヴラドへ、ティエリーティアはじりじりと皿を迫らせていく。その後方では、お菓子を摘まんでいた学期末レポートが早くも飽きた様子で「なぁ、菓子よりなんか本とか無い? なんか面白そうなの」と問い掛けているが、切羽詰まったヴラドの耳に届くことはなかった。
「本は書斎だ。……何をしている」
 そこへ、騒ぎを聞き付けたらしいシェディ・グラナート(しぇでぃ・ぐらなーと)が溜息交じりに現れた。呆れたように紡がれた言葉に、ヴラドは大袈裟に救いを求める。
「シェディ! 今私は二人の悪魔に襲われて」
「書斎ってどこ? 廊下通れそうにねーけど」
 ヴラドの悲鳴の半ばで紡がれた学期末レポートの問い掛けに、シェディの注意はそちらへと向けられる。平然とヴラド製の菓子を口にする彼に眉を寄せながらも、シェディは厨房へと続く平和な道を指さした。
「あの先から分岐している。……ヴラドの作った派手な看板の無い方へ、進むと良い」
「どーも。じゃ、俺行くぜ。本体紙だからか、脂っぽいものってどうも苦手なんだよな……」
 黒ずんだドーナツへ手を伸ばし掛け、ずれた感想と共に指先をひっこめた学期末レポートは、挨拶代りに軽く片手を上げると一同へ背を向けた。周囲を気にするでもなくすたすたと去っていく学期末レポートの背を見送り、躊躇う間を置いてから、シェディはヴラドへと向き直る。
「……それで、今度は何をした」
「私は何も。ただ毒物を持ってか弱い私に迫るかわいい悪魔が数人」
 白々しく答えたヴラドは、シルヴィットとティエリーティアを手で示した。
「シルヴィットはお菓子を粗末にした馬鹿者をお仕置きしようとしているだけですよー」
「僕はヴラドさんに心の籠ったお菓子のおいしさを知ってもらいたいだけです!」
 当然の如くシルヴィットとティエリーティアから返る反論に、シェディはやれやれと肩を竦めた。ティエリーティアからお菓子を差し出されるヴラド、の構図を暫し黙したままに眺めて、渋々といった様子でティエリーティアの更に乗ったお菓子へと手を伸ばす。
「粗末にされたお菓子は俺が食うから、それで勘弁してやってくれ」
「……確かにそれも粗末にされたお菓子ですが、ちょっと違うですよ」
 シルヴィットの突っ込みも気に留めず、シェディは摘まんだ黒炭を口に放り込んだ。もぐもぐと咀嚼する彼を、不安げにヴラドが見守る。
「……別に、不味いものでも無い。済まないな、感謝する」
 平然と飲み込んだシェディは、横やりを入れる形になったことでやや申し訳なさそうに眉を下げてティエリーティアの頭をぽんぽんと撫でた。すっかり空になった皿とシェディを見比べたティエリーティアは、ぽかんと青の丸い瞳を瞬かせた後、「おいしかったですか?」と笑顔で問い掛ける。
「ああ。……ほら、ヴラド。呼ばれている」
 シルヴィットへも宥めるように軽く頭を撫でやり、さり気ない仕草で彼の掴むヴラドの腕を放させると、シェディは代わりに自分が掴んだそれを引っ張った。疑問気なヴラドの視線を受けて、広間の一角を指し示す。
 そこでは、他の机とは異なり、見事にお茶会の準備が整えられつつあった。


 話は少し前に遡る。クッキーマンと戦うレイディス、セシリア・ファフレータ、スレヴィ、アレフティナ、英希、ミュリエルたちは、疲れを知らないクッキーマンの群れの中で次第に劣勢へと追い込まれつつあった。スペシャルお菓子を狙う他の参加者たちは、ただクッキーマンと戦う彼らに感謝しつつその脇を抜けて行った。未だ押し寄せるクッキーマンの群れは次第に彼らを囲むように陣形を変え、じりじりと緩慢に迫ってくる。
「何体作ったんだよ、これ!」
 怒声と共にレイディスが剣を振るい、セシリア・ファフレータの炎が接合部を溶かすが、敵は圧倒的に数が多い。英希は何とかクッキーマンから逃れたとはいえ戦える状態ではなく、彼がそうであればミュリエルも戦う様子を見せない。スレヴィの薙いだクッキーマンの四肢を食べるアレフティナも、次第に限界が迫りつつあった。
 何より、クッキーマンは破滅的に不味いのだ。チョコソースで誤魔化したとはいえ、美味しいものに比べれば遥かに食べづらい。それをここまで倒し食べ続けただけでも、彼らの実力は相当のものがあった。
 疲弊した彼らへ迫るクッキーマンが、一斉に腕を振り上げる。レイディスがセシリア・ファフレータを庇うように剣を持ち上げ、スレヴィも同様にアレフティナを庇い、ミュリエルは吐き気を堪えるように腹部と口元へ手を遣ったままの英希の様子をぼんやりと眺める。ここまでか、と誰もが思ったその瞬間だった。
「はーい、お邪魔するわよー☆」
 広間の方向からそうルカルカ・ルー(るかるか・るー)の声が届いた刹那、一斉に放たれた氷術がクッキーマンの腕の関節を凍らせ、その動きを止める。直後同じ方向から紡がれた火術が戸惑うクッキーマンの股関節を溶かし、その足元を掬った。転倒する彼らを、飛び出したカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)の強靭な腕がドラゴンアーツを乗せた一撃で殴りつける。堪らず砕け散る亡骸には目もくれず、カルキノスは威嚇をするように大きく翼を広げた。
「可笑しな御菓子ってかー。灰は灰に、菓子は菓子に戻れや、ってな」
 言い放つ彼の背後からは、火を纏った矢がピンポイントでクッキーマンの関節を狙い飛来した。弓を手にした夏侯 淵(かこう・えん)は、一頻り矢を放つと何やら袋を携えたエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)を手伝っていそいそと広間へ戻っていく。
「ヤバい匂い!オイラの野生が食うなと告げているッ!」
 呆気に取られる一同の足元にしゃがみ込み、飛び散ったクッキーマンの破片を摘まもうと手を伸ばしたクマラ カールッティケーヤ(くまら・かーるってぃけーや)は、くんくん鼻を動かして匂いを嗅ぐや否や大きくその場から飛び退いた。
「これ本当に甘くなんのかなー」
 半信半疑の様子で、クマラは同じく取り出した袋に破片を詰めていく。ぽかんとしていたレイディスは一足早く我に返ると、疑問気にクマラの手元を眺めつつ尋ねた。
「何やってんだ?」
「ん? ダリルがこいつら甘くするんだってー。おまえらも一緒に食う?」
 袋を抱えつつ早くもおいしいお菓子の味を思い浮かべたのか笑顔で問うクマラに、チョコソース味にも飽きが来はじめていた一同は大きく頷いた。そうと決まれば、と各々の武器を構え直す。
「今度こそ食べまくるぞえ、レイ!」
「おう!」
「ここまで酷いもんが、どうにかなるのかね……」
 半信半疑のスレヴィも一応血煙爪の先端を持ち上げ、アレフティナはチョコソースの容器を構えた。英希も回復しつつあるらしい、未だ口元を押さえながらではあるもののふらりと立ち上がる。その後ろに、ミュリエルは隠れ身で潜んだ。
「動きを止めるのが最優先よ、転ばせちゃえば砕くのは簡単ね」
 言うや否や先頭のクッキーマンへと突っ込んだルカルカが、ブレードでその足を薙ぐ。彼女を援護するようにカルキノスの氷術がクッキーマンの腕を止め、体勢を崩したクッキーマンを後衛に位置取った英希のファイアストームが飲み込んだ。
 背後から迫るクッキーマン達は、セシリア・ファフレータの火術に怯んだ所をレイディスの一撃が転ばせる。そこへスレヴィの追撃が脚を砕き、身動きが出来なくなった所をエースやクマラが袋詰めにして運び出していく。
 始めに戦っていた一同により数の減らされていたクッキーマン達は突然の猛攻に耐え切れず、一体また一体とただのお菓子もどきへ戻されていった。そして戦場から離れた広間の一角では、着々とそのお菓子もどきがお菓子へと作りかえられていた。


「オイラ、お菓子は甘いのがいいー」
 即席の調理場としてあつらえられたテーブルの脇でぴょんぴょんと跳ねながら、早々に材料を運び戻ったクマラは要求する。淵から受け取ったクッキーマンの残骸を吟味するようにじっくりと眺めていたダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)は、やがて一つ頷くと共に言葉を発する。
「問題ない。材料を分析し再構成すれば、十分飲食可能だ」
 そう言って材料をチョコらしきもの、クッキーらしきものと分類し始めたダリルを、傍らのエオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)も手伝い始めた。濃すぎる味には薄味のものを混ぜ、メレンゲやゼラチンと合わせてフルーツを添えるなど、悲惨な味の打ち消しにかかる。
「ダリルさん、これを使っても構いませんか?」
 避けてあったクッキーを手にエオリアが問い掛けると、調理の指揮を執るダリルは首肯した。彼の手で再構成されていく菓子を尊敬の眼差しで眺めたエオリアは、どこか張り切った様子で彼との調理に励み始める。
「ああ、ダリル君。あまり甘くない大人向けのお菓子をヨロシク」
 そう要望を添えたのは、一歩離れた所で様子を見守るメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)だった。無表情に頷くダリルへ満足げに笑みを返し、「しかし、ダリルにこんな特技があったとはね」と感心したように呟く。


 そしてダリル達が趣向を凝らす隣のテーブルでは、茶会という目的を同じくしたアラン・ブラック(あらん・ぶらっく)たちによって着々と準備が進められていた。そこには手を引かれたヴラドとシェディの姿もある。傍らの調理風景に目を奪われるヴラドをシェディの手が引き戻し、ヴラドの準備した他のテーブルと異なり美しくクロスの敷かれたテーブルへと向き直させた。
「よろしいですか、ヴラドさん。おもてなしには、おいしいお菓子と音楽は必須です」
 穏やかに語るアランへ、ヴラドは広間の隅で自主的に歌い始めた生徒を指差す。すぐにシェディの手がその手を下ろさせ、不満げなヴラドは渋々アランへと目を戻した。
「それが出来ないようでは、まだまだ真の美しさには届かないでしょう」
 その言葉に、ぴくりとヴラドが反応を示す。一転して真剣な眼差しに変わった彼に、シェディは深々と溜息を吐き出した。
「厳しいようだが、このもてなしで客人を迎えるのは少々馬鹿にしているようだぞ」
 眉を顰めたアーサー ペンドラゴン(あーさー・ぺんどらごん)が遠く蠢くクッキーマンを示しつつ苦言を呈すると、言い返しようのないヴラドはしゅんと肩を落とす。見兼ねたアランが「わざとではないのでしょう?」と助け船を出すと、ヴラドは小さく頷いた。
「あれは、その……事故です」
「事故の起きたものを客人に出してはまずいだろう。ふむ、その辺りの意識から変える必要があるようだな」
 あくまで真剣な面持ちのアーサーの言葉に、ヴラドは一層身を竦める。
「……済まない」
 代わりに謝罪するシェディに緩く首を振り、アランは眉を下げた笑みを浮かべた。近くでヴラド製のお菓子を口にし、苦い顔をしているミレーヌ・ハーバート(みれーぬ・はーばーと)へと声を掛ける。
「ミレーヌさん、ヴラドさんにお菓子作りを教えてあげて頂けませんか」
「そうね、まずいお菓子でパーティーなんてダメダメよ! ほら、教えてあげるから厨房に行きましょ」
「え」
 不満を露に肩をいからせていたミレーヌは、一も二も無く頷いた。すぐにヴラドを見上げ、意気揚々と促す言葉を掛ける。思わず怯んだヴラドの背を、シェディが軽く叩いた。
「行ってくると良い。俺はここに残ろう」
「……はい」
 肩を落として頷くヴラドは、ミレーヌ達の後に続いて厨房へと向かって行った。
 茶会の準備は、その間も順調に進められていく。