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白の夜

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白の夜

リアクション

「別にいいじゃんよー」
 ぐいぐいと腕を引かれながらそう不満げに呟いたのは、佐伯 梓(さえき・あずさ)だ。彼の腕を引くカデシュ・ラダトス(かでしゅ・らだとす)は、問答無用といった様子で梓を屋敷の外へ向け引き摺って行く。
「アズサは日頃から糖分を摂り過ぎだと、何度も言ったでしょう。その上でこのような場所に来るなど、反省が足りません」
 取り付く島も無いカデシュの言葉に、梓は救いを求めるようにディ・スク(でぃ・すく)を見遣る。しかしディは彼に構う様子も無く、お菓子の積まれたテーブルと周囲の人々を疑問気に眺めていた。
「おや、このお菓子……何だか怪しいのう」
「なあカデシュ、もうちょっとだけ。いいだろー?」
 背後から香る甘い香りに、往生際悪く梓は要求する。しかしカデシュが足を止めることは無い。ずんずんと進んでいくカデシュは、不意に横から伸びたディの腕をきょとんと眺めた。
「ん……?」
 するとその手に、何か甘いお菓子を口へ押し込まれる。反射的に飲み込んでしまってから、カデシュはからからと笑うディへ不満げな視線を送った。
「ディさん。……大体、ディさんもどうしてアズサを止めて下さらないんですか」
「済まんのぉ、忘れてしまっておったわ」
 飄々と笑うディにやれやれと肩を竦め、カデシュは尚も歩みを進める。諦めたように並んで歩き始めた梓を見遣った直後、気付けばカデシュは彼の体を強く抱き締めていた。
「え、なに、どうした?」
 疑問気な梓に構わず、カデシュは強引に唇を寄せる。流石に以上に気付いた梓は暴れもがき、寸でのところでその唇から逃れるように頭を下げた。そのまま彼の腕からも逃れ、一歩下がった梓は困惑気味に引き攣った笑みを浮かべる。
「ほっほー、こりゃいい! わし女の子に試してくるわ! はーれむ上等じゃー!」
「おーいカデシュ、お前なんかおかし……おーい爺ちゃん! 助けて ! 行かないでー!」
 その老いた外見からは想像も出来ない素早さで駆け去っていくディへ、梓は大声で助けを求めた。しかしディが戻る筈も無い。暫し呆然とその方向を見詰めていた梓は、強く視線を感じるカデシュの方へと恐る恐る視線を戻した。
「……僕、前に一度言いましたよね。アズサが好きですって」
「え、あー、そうかもなー。それがどうかした?」
 きょとんとした梓の様子に、カデシュは深々と溜息を零した。そうしてもう一度。彼の体を抱き寄せる。
「なるべく優しくと思っていましたが、もっと乱暴な方がいいですか?」
「え、いやそれは……」
「僕が相手では、嫌ですか?」
 畳み掛けるようなカデシュの問い掛けに、梓の思考は追い付かない。しかしただ一つ、この問いに答えてはいけないと思った。絶対に言わない、と彼の意思を現すように引き結ばれた梓の唇を目に留め、カデシュは困ったように笑う。
「アズサは本当に子どもですね」
 そう告げるや否や再び寄せられる唇を、梓もまた間一髪で回避する。二人の攻防を止められるものはおらず、それは惚れ薬の効果が切れるまで続けられた。


「……あの時は悪かった」
 真剣な面持ちで謝罪を口にするアイザック・スコット(あいざっく・すこっと)に、瑞江 響(みずえ・ひびき)は半信半疑ながらも目を向けた。広間から持ち出したお菓子を適当に摘まみながら、二人は静かな庭のベンチへ並んで腰かけている。
 パーティーへ参加することを提案したのはアイザックだった。タコ事件の際彼に惚れ薬を盛って以来何度謝っても怒りの収まらない響を宥めたい一心で誘ったパーティーで、アイザックは尚も真摯な言葉を続ける。
「それだけ響が好きなんだよ。俺のことを見てほしくて、つい……」
 含み無く必死に紡ぎだされる告白に、響は自分の心が揺らぐのを感じた。動揺を誤魔化すように、無意識にお菓子を食べるペースが早まる。惚れ薬の件を許した訳では決してないが、あれ以来元気のないアイザックの様子には流石に幾らか思う所があるのも確かだった。
 そこで、不意にぐらりと視界が揺らぐ。ごしごしと袖で腕を拭う響に、アイザックは怪訝と目を瞬かせた。
「どうした? ゴミでも入ったか?」
「……アイザック」
 不意に響に名を呼ばれ、アイザックはどきりと鼓動を高鳴らせた。自分の謝罪が気に食わなかっただろうかと、不安ばかりが募っていく。困ったように見守るアイザックの瞳を見返した響は、どこか酔ったように呼吸を荒げながら、静かに唇を開いた。
「俺も、お前が好きだ」
「へ!?」
 唐突に返された言葉に、アイザックは思わず裏返った声を発した。つい先ほどまで怒りを露にしていた筈の響から紡がれた酷く甘い言葉に、なかなか思考が追い付かない。お菓子に惚れ薬が混入している事など、アイザックには知る由も無い。とにかく嬉しいことだけは確かで、アイザックはやや躊躇いがちながらも響の体を抱き締めた。
「……本当か? 響」
 わざと耳元へ囁くように問い掛ける。頷く響に、歓喜が募った。叫び出しかねない幸福感を抱えたまま、アイザックは体温を分け合うように衣服越しの身を擦り寄せる。どこか雰囲気の違う響の様子にこそ気付いているものの、それにもまして告白を受け入れられた現状が喜ばしかった。
「好きだぜ、響。ずっと、お前のことが好きだった」
 アイザックは嬉しげに告白を重ね、静かな月光の差す中、緩やかに響へと唇を寄せる。
 響は、それを拒まなかった。


 手を繋ぎながら仲良くお菓子を食べ歩いていた椎堂 紗月(しどう・さつき)は、恋人である鬼崎 朔(きざき・さく)の急な変化に動揺を隠せなかった。
 先程まではデートの傍ら嬉しそうに甘いものへ手を出していた朔に、気付けば紗月は唇を奪われていた。反応する間も与えられないほど早く、深く口内へ入り込む彼女の舌の暖かさに、紗月は戸惑いと嬉しさを滲ませて彼女を見詰める。暫し深く口付けを交わした後に、朔は銀糸を引いて緩やかに唇を離した。伝う唾液の糸を、赤い舌が見せ付けるように舐め取る。
「私は紗月が大好き。……あなたのその可愛らしさが、たまに見せるカッコいい顔が……何より、こんな私を受け入れてくれるその優しさが大好きなの」
 不意の告白に、どきどきと鼓動が早鐘を打つ。紗月の頭の中には、先程歩いていた際耳にした「惚れ薬」の単語がぐるぐると廻っていた。
「いつもの朔からは想像出来ないな、これ……」
 雰囲気からもどこか妖艶な魅力を滲ませた朔に、紗月は小さく息を呑んだ。柔らかく回された朔の腕が紗月の腰元を捕らえ、間近に顔が寄せられる。抗わず瞳を見詰め返す紗月に、朔は嬉しげに微笑んだ。
「だから、私と一緒になって」
 普段の気恥ずかしげな朔からは到底出ようもない要請に、紗月は見惚れたように言葉を失う。甘いものが好きな彼女のために目論んだお菓子デートがこのような状況を引き起こそうとは、紗月は思ってもいなかったのだ。
 しかし、衣擦れの音を立てて上衣を肌蹴始めた彼女の、いつになく積極的な様子に強く惹かれているのも確かだった。元より彼女とは恋人同士だ、拒む必要もない。そう思い直した紗月は、緩やかに笑みを返した。
「……まぁ、朔の想いなら俺は受け止める。何をしてもいいよ。だけど……続きは家で、ね?」
 朔の肌を他の奴になんて見せたくない。そう耳元で囁いた紗月に上気した頬を一層赤らめ、朔は首肯を返した。再び手を取り歩いて行く彼らを遮るものはなく、二人は口付けを交わしながら屋敷を後にした。


「日本には女性に食べ物を乗せて食べる習慣があるのでしょう。それなら、チョコを殿方に掛けてもいいんですよね! 嗚呼素晴らしき哉日本文化!」
 女体盛りを明らかに誤解し、恥ずかしげもなく言い放つベファーナ・ディ・カルボーネ(べふぁーな・でぃかるぼーね)の口に材料の名残である黒い塊を押し込みながら、雷霆 リナリエッタ(らいてい・りなりえった)は獲物を探すようにきょろきょろと周囲を見回した。彼女は、つい先ほど厨房で作りだしたばかりのビスコッティやティラミスの乗った盆を手にしている。
「うおえっぷ……リナ、どうせならそちらを頂けませんかね」
 彼女の手にする見目麗しいお菓子を指差し、ベファーナは口元を片手で押さえつつ不満を述べた。会場のお菓子を再利用して作りだされたとは思えないほどに美味しそうな見た目をしたそれは、見る者の食欲をそそるものがある。
「駄目よ、これの効果は知ってるでしょ」
 しっしっと手を振るリナリエッタに、ベファーナは「ああ、そう言えば」と思い出したように頷く。その直後矢のように駆けだした彼女へ、一瞬遅れてベファーナも続いた。どうやら獲物を見付けたらしい。
「なあなあ、これもウマイ!」
 お菓子を手当たり次第に食べながら嬉しげに手を引くテディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)の勢いに押されながらも、皆川 陽(みなかわ・よう)は彼の一歩後ろで同じお菓子を手に取った。確かに美味しい。「うん、おいしいね」と返す陽に、テディは満足げにうんうんと頷く。そんな彼の正面へ、真っ直ぐに駆け寄る影があった。
「えっとぉ、よろしければ召し上がりませんかぁ?」
 上品なお嬢様スマイルを浮かべたリナリエッタは、テディの正面で足を止めると可愛らしく首を傾げながら問い掛けた。見るからに美味な数々のお菓子に惹かれるまま、テディは疑いも無く手を伸ばす。
「お、うっまい!」
 嬉しげに声を上げるテディを見守るリナリエッタの笑顔に、ほんの一瞬黒いものが覗いた。しかし誰もそれに気付くことは無い。
「お気に召しましたかぁ?」
「超ウルトラスーパーうまかった! 結婚しよう!」
 流れるようにテディの口から零れた言葉に、ぎょっと肩を跳ねさせたのは陽だ。目論見通りの反応に笑みを深めたリナリエッタは、恥じらうように視線を逸らして見せる。
「ええ、そんな、急に……あなただって、大切な方がいらっしゃるのでしょう?」
「妻とは離婚する。だから僕と結婚してくれ!」
 引いて見せたリナリエッタに、一層テディは食い付いた。その焦点はどこかぼやけているが、リナリエッタは満足げに微笑むばかり。傍らのベファーナが肩を竦め、陽はと言えば所在なさげにその場に立ちすくんだまま床へと視線を落としている。
「妻……?」
 陽は、視界がぐらぐらと揺れるのを感じた。動機が早まる。思考が纏まらず、耳に入る単語ばかりがぐるぐると脳内を駆け巡る。足元の覚束ない陽がふらふらと後退していくことにさえ、仕込まれた惚れ薬でリナリエッタしか見えないテディが気付くことは無かった。
「ああ、料理してたら体が熱く……お庭に行きません?」
「それは大変だ、僕が支えてあげるからすぐに行こう」
 そう言ってリナリエッタへ肩を貸すと、二人は寄り添い庭へと向かって行く。遠ざかるテディの後姿を呆然と眺めるしか出来ない陽は、がらがらと様々なものの壊れる音を聞いた。
「どうだい? 君も、私と」
 ベファーナの誘いも陽の耳には届かなかった。テディにヨメ呼ばわりをされるようになってから、少しずつ無意識に抱き続けていた期待が一気に崩れ落ちていく。
「……やっぱり……僕なんて」
 何も出来ないし何も魅力がないし何も価値がないんだ。言葉にすらならない感情の波に呑まれ、陽は視界が滲むのを感じた。そんな自分がパートナーに対して期待を抱いていた事自体、酷く恥ずかしいことに思えた。
「……ごめんなさい……」
 誰にともなくそう呟くと、陽は広間の出入口へと駆け出した。そのまま去って行ってしまう陽の目元に微かに見えた滴に、ベファーナは困ったように後頭部を掻く。
「……リナには申し訳ありませんが、これは彼女を止める必要があるようですね」
 一人呟いて、ベファーナは二人の去って行った庭へと足を向けた。