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リアクション
第一章 凛として
青龍鱗を奪った者の背が煙幕の中へ消えてゆく。
女王候補、ミルザム・ツァンダ(みるざむ・つぁんだ)の手が、その背を追い始めた時、
「ミルザム様!」
と、葛葉 翔(くずのは・しょう)がその手を振り止めた。
「お怪我はありませんか?」
「えぇ、私は。しかし、何者かに青龍鱗を……」
視点が揺れたままのミルザムが翔を見上げていたた。
「青龍鱗、奪われたのですか?!」
立ちあがろうとしたミルザムが、不意にバランスを崩した。
地面が大きく揺れている。三槍蠍の大群が村の、すぐそこまで迫ってきているのだ。ようやく薄くなってきた煙幕の中、クイーン・ヴァンガードの面々も、それぞれにミルザムの姿をその目に捉え、駆け寄り来ていた。
「青龍鱗を… いえ、ヴァルキリーや村を護らなくては… しかし…」
翔の腕にしがみ付きながら、母を見失った小鳥の様に、忙しなく視線を跳ねている。
翔はミルザムの腕を強く掴んだ。
「ミルザム様… 蠍の大群が迫っています。村人を避難させないといけません」
「しかし… 青龍鱗も…」
「そうです、青龍鱗を奪還する必要もあります」
翔は両肩を掴んで真っ直ぐに瞳を見つめた。
「ですが両方を同時にやることは、恐らく現在の状況では不可能かと思われます。ですからミルザム様、命じてください、女王候補として、クイーン・ヴァンガードの主として」
「命じる…… 私が……」
「そうです。村人の避難と青龍鱗の奪還、俺たちはどちらを優先させるべきなのですか」
「待て」
戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)が翔の腕を掴み止めてから、ミルザムの正面に立ち向いた。
「まずは水晶化した人たちを運び出すのが先で、青龍鱗は2番目でいいと思います。水晶化した体が壊れてしまっては元も子もありません」
砕けてしまえば、例え水晶化を解除したとしても、その体は砕けたまま。腕が砕け落ちたなら、解除した所で、腕は「もげた」まま全身に血を通わせる事になる。無論、「もげた」腕は直ぐに死するであろうが。
「しかし… それでは青龍鱗が…………… いえ、私が持っていた所で……」
ミルザムは全身が水晶化したままのヴァルキリーへと瞳を向けた。
青龍鱗の力で、多くの水晶化の解除に成功していた、しかし、イルミンスール魔法学校のユイード・リントワーグの水晶化を解除できなかったように、ここガラクの村でも、解除することが出来ない例が幾つも現れていた。
怯えた表情のまま、自らの意志でその身を動かすことも出来ない。マネキンのように、固まったまま。きっと解除してくれる事を願い、懇願しているのだろう、ヴァルキリーたちの瞳からは今にも涙が溢れ出しそうであるが、ミルザムには、その涙を止めることは出来ないのだ。
「私には青龍鱗の力の全てを引き出せない…… それなら、いっその事このまま誰かの手に渡ったほうが−−−」
パンッ!
頬を打つ、乾いた音。
戦部の平手がミルザムの頬を打ち撫でていた。
打たれたままの。俯いたまま、赤き前髪に隠れたミルザムの顔に戦部は静かに言った。
「…… 目、覚めましたか?」
ミルザムは、そっと自分の頬に手を添えた、それだけだったが。
心の動きが、そのまま行動に表れるという訳ではないが、それだけだったミルザムよりも、はっきりと心の動きを行動に反映させたのは湯上 凶司(ゆがみ・きょうじ)であった。
凶司はその目に宿した敵意を隠すことなく、戦部に詰め寄って行ったが、その体は、すぐに前に進まなくなっていた。戦部のパートナーであるリース・バーロット(りーす・ばーろっと)が体を入れて凶司を止めたからである。
「お待ち下さい」
「退け… アイツは許せない…」
ミルザムへの無意識的な好意が、戦部への敵意を増大させていた。視線を少しも戦部から離さない凶司を、リースは必死に押さえ抑えた。
「お願いします。ここは小次郎さんに任せてください」
「正に今、」
リースの言葉に凶司が応えるより先に、戦部がミルザムに言っていた。
「正に今、あなたの真価が問われているのです。女王候補として… いえ、将来シャンバラ女王を名乗る者として、ここにいる者たちに『女王としての矜持』を示す事が求められているのです」
戦部は首を小さく傾けて続けた。
「それとも… パッフェルが言っていたように、あなたは何かに踊らされているのでしょうか」
「踊らされてなんかいない!」
リースを振り切った凶司は、戦部を押し退けるとミルザムの前で真っ直ぐに叫んだ。
「貴女には『女王』としての素質がある! 少なくとも僕はそう信じてる!」
荒ぶる呼吸が治まらない。それでも凶司は俯くミルザムに、真っ直ぐに。
「貴女はここで終わる人ではないはずだ。女王器を上手く使えなくても…… 劉備も、徳川家康も、力ではなく徳で国を建てた、今は未熟でも、あなたにはその素養がある」
「素養…… 果たして、そうでしょうか……」
「少なくとも! 僕たちは貴女についてきました、ここまできました。… それでは不足ですか?」
「その通りだ!」
凶司の言葉に、大野木 市井(おおのぎ・いちい)が続いた。
「アンタはクィーン・ヴァンガードの『主』だ! シャンバラの『王』になるんだ! 悩むのは構わない…… でも迷うな! 決して、揺れるな!」
ぶつけてはいるが、叱責ではない、非難でもない。それは、願いにも近いのだろう。
「事態は一刻を争います、『女王』ミルザム、ご命令を!」
過剰だ。興奮しすぎている。
凶司と市井を横目に、グレン・アディール(ぐれん・あでぃーる)はミルザムに優しく問いた。
「王になるかは別にしても… 何の為に、ここに来た?… 誰かに言われたからか?… 女王候補の威厳を見せる為か? ヴァルキリーたちを『助けたい』、そんな純粋な想いでここに来たんだと、俺は期待していたんだがな…」
「私…… 私は……」
「青龍鱗の事は、そんなに思い詰めるな。………… 女王の血を受け継いでいる者なら、確かクイーン・ヴァンガードにも居たような気がするがな…」
俯いたまま、見せぬまま。それでもミルザムは、その瞳を見開いていった。ゆっくりと、そう開いていた。
その変化が隠れたままの顔上であったために、市井は自らの背筋を伸ばして体を開いた。
「今から俺は、いや俺たちは、俺たちにしか出来ないことをやりに行く。だから姫様よ、アンタもアンタにしか出来ないことをやってくれ」
小さく笑みを見せて、歩みを始めた市井にグレンが顔だけを向けた。
「どうするつもりだ?」
「ヴァルキリー達を避難させる。青年の言う通り、壊れてしまっては元も子もないからな」
「とにかく村の外れまで連れ出してみるよ、で良いんですよね? 市井」
マリオン・クーラーズ(まりおん・くーらーず)が自信なさそうに見上げていたのを感じて、市井は目に強く力を込めて応えてから、その視線を戦部に向けた。
「歩行不可能な患者や、自由の意思で動けないような患者は、どんな状況であれ優先させるべきだろうからな」
受けた戦部は、その視線ごとミルザムへと目を向けた。彼女は変わらずに、俯いていた。
「協力しよう」
「なら私たちは、青龍鱗を奪った者たちを追うとしましょう」
ウィング・ヴォルフリート(うぃんぐ・う゛ぉるふりーと)のこの言葉に、戦部は始めた歩みを思わず止めた。
「何を言う、蠍を喰いとめるのが先だろう」
「裏切り者を許す訳にはいきません。それ相応の報いを受けて頂きます」
「しかし今はヴァルキリーたちの安全を確保する事こそが−−−」
「みすみす青龍鱗を奴らに渡すと言うのですか! そんなバカな話がありますか」
見解の相違。己の正義と倫理感。何に重きを置くかは一人毎に違うもの、それ故にそれを統括する強き意思が必要となる。ぶつかり合うだけの想い。今まさに、各々に散ろうとしていた。
「青龍鱗の奪回に… 二人だけでは、とても向かわせられない」
「こちらの人数も足りないのでしょう? 構いません、私たちだけで十分です」
「無茶だ! 情報が少なすぎる!」
「それでも、裏切り者を許すわけにはいきません」
ウィングは、鬼気迫る目つきを上空へと向けた。村を離れる影が2つ、そこには見えた。
「ウィング」
「えぇ、行きましょう」
パートナーであるエイフィス・ステラ・ファーラドリム(えいふぃすすてら・ふぁーらどりむ)と視線を交わし、共に駿馬に跨った時、
「待って下さい」
凛とした声に、ウィングを始め、その場に居合わせた者の誰もが、一様にその身を硬直させた。
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