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第10章


 神楽坂 紫翠(かぐらざか・しすい)は困っていた。
 何に困っていたかと言うと、パートナーに困っていた。
 より正確に言えば、レラージュ・サルタガナス(れら・るなす)が自分の耳に噛みついているのでとても困っていた。

 事件が起こったので、情報収集から解決までに乗り出した紫翠であったが、どうやらレラージュが感染したようで、自分の耳に遠慮なく噛みついてさらに抱きついてくるので動きにくいことこの上ない。
 ついでに言えばもの凄く恥ずかしい。


「ふふふ〜、幸せですわ〜。人目を気にせずに堂々と噛めるなんて〜」
 ちなみに、感染したフリです。


「おいレラ! 紫翠が動きにくいだろ? 離れろよ!」
 と、怒号を飛ばすのはシェイド・ヴェルダ(しぇいど・るだ)である。
 彼もまた紫翠のパートナーで、事件解決に乗り出したはいいが、レラージュのおかげで早々に紫翠が使い物にならなくなり、抗議中というわけだ。

「――それにお前、あんまり噛みすぎるといつもの悪いクセが……」
 シェイドが心配しているのは、レラージュが本気を出して噛んでしまうとついつい精を吸いすぎて紫翠に負担がかかるということである。レラージュには、サキュバスとしての能力もあるのだ。
 だが、本当は感染しているだけのレラージュは、しれっと答えた。
「あら、私ちゃんと手加減してますわよ? ルダ、あなたこそいつも反動がすごいじゃない」
「ふん――俺はいつもちゃんと確認してるからいいんだ。断りなしにはやらねぇよ」
 シェイドは吸血鬼、レラージュとは友人なのでレラ、ルドと呼び合う仲だ。
 まあ、紫翠のことになるとお互いライバル視してしまって、ついつい喧嘩腰になってしまうのだが。
 ちなみに、なかなか許可がもらえないのでいつも我慢しているシェイド、イザ精を吸うとなると我慢していた分吸い過ぎになるのだった。

 ところで、紫翠にとってはそんなやりとりは耳に入らない。ただでさえレラージュが噛みついていて恥ずかしいのに、さらに自分のことで二人が口喧嘩をしているのが恥ずかしくて仕方ないのだ。

 一応放送室を確認した後、職員室に行って情報収集をして、ダイエット研究会に向かう途中でとうとうしゃがみ込んでしまった。


「紫翠様、どうしたんですの? 具合でもお悪いので?」
「ほら、お前が吸いすぎたんだよ! いい加減に離れろ!!」
「イヤですわ、だってわたくし、感染してるんですもの」

「……二人とも、仲良くして下さいよ……」
 一向に進まぬ捜査に、一人心の涙を流す紫翠だった。


                              ☆


 そんな時、四谷 大助(しや・だいすけ)はとても困っていた。
 やはり彼もパートナーに困っていた。
 四谷 七乃(しや・ななの)が事あるごとに自分の頬を狙って噛みついてくるので困っていた。
 ついでに言えば、恥ずかしいしくすぐったいからやめてくれと言うと、七乃が大声でいかがわしい事を叫びながら泣き出すのでこれ以上ないくらい困っていた。


「ますた〜! ますた〜は忘れてしまったのですかぁ〜? 二人ではげしく燃え上がったあの熱いよるを〜!!」


 まあ、こんな具合だ。
 七乃は魔鎧である。大助の名誉のために言っておくと、二人で野営をしている間は焚き火を絶やさない。それは炎は熱いだろうし、激しく燃えるだろう。
 しかたなしに七乃の好きなように頬を噛ませていると、もう一人のパートナー、グリムゲーテ・ブラックワンス(ぐりむげーて・ぶらっくわんす)の視線が氷のように突き刺さるのも困る。

「うん、まあ事情は良く分からないわ。でもとりあえず大助が死ねば解決するのね?」
「グリム……何か勘違いしてるようだがな……いーからその目はやめろ。あと刀も出すな」
 ちゃき、っと虚刀還襲斬星刀を出すグリムゲーテ。

「まったく……こう遠慮なしに噛まれると動きにくいったらねーぜ……なあ七乃、やっぱり少しでもいいから離れて……」


「わあぁ〜ん!!! 七乃をキズモノにした責任とってくださいよ〜ぅ!!!」


 言うまでもないが、魔鎧を装着して戦闘すればそれはキズの一つも付こうというものだ。
「バ、バカ! 大声で騒ぐなって!! 誤解されっだろ!! 分かった、ほら、噛んでいいから!!」
「へへぇ〜、ますたーだいしゅきぃ〜」
 普段はあまり表に出さない『好き』の感情を力いっぱい出して、大介の頬をはむはむと噛む七乃だった。


「……死んで責任取ったらいいんじゃない?」


                              ☆


「ふむ、ようやく着いたか」
 閃崎 静麻は呟いた。友人である樹月 刀真が感染した騒ぎで時間を喰ってしまったが、刀真がパートナーの月夜に撃たれながらどこかに行ってしまったので、仕方なしに事件解決の方向で動くことにしたのだ。パートナーのクァイトス・サンダーボルトと共にダイエット研究会を訪れたところだ。

「邪魔するぜーって、既に家捜し中か……」

 静麻が部屋に入ると、そこではエース・ラグランツとエオリア・リュケイオン、それに火村 加夜、緋ノ神 紅凛とブリジット・イェーガーがいた。五人はとりあえず証拠探しとして、ダイエット研究会が非公式に部室として使っている古い化学室を捜査していた。
 まだ始めたばかりで成果はないが、あまり手入れされていない上に雑多な物が多い。何らかの証拠のようなものを見つけられれば話は早いのだが、捜査は難航しそうだった。

「また誰か来たな――どうせダイエット研究会に用でしょ」
 と、緋ノ神 紅凛が呟いた。どうも室内の捜索は自分の性に合ってないようだ、とブリジットを従えて立ち上がる。入れ替わりに室内に入ろうとする静麻に訪ねた。
「どうも廊下の方が騒がしいようだけど――?」

「ああ、どうもどこかのグループが事件解決の邪魔をしてるみたいだな……」
 まあ、俺はその隙をついて来たんだけど、と静麻。
 それを聞いた紅凛の目が輝いた。
「む……それは何とかしないとな……よし、いくぞブリ公!」
「行くのはいいですけどね、ブリ公って呼ぶのやめてください」
 と、ブリジットと紅凛はダイエット研究会の部屋を出て行った。

「さて、じゃあちょっと調べさせてもらうぜ」
 一応エースや加夜に断りを入れて、静麻はダイエット研究会の部屋を調べ始める。
 エース達は見落としがないように連携して部屋の端から順番に調べていた。時間はかかるが、確実だ。
 一方の静麻はエース達に協力する義務は特にないと、まったく反対の方向を調べ始めた。
「――何だ、これ?」
 部屋の隅の棚に一部カーテンがかかっているのを見つけた静麻は、そちらに歩み寄った。
「あ、そこは――」
 と、ダイエット研究会の男が声を上げた。
「ん? 何か怪しいものでも隠してるのか?」
 これはいきなり当りか? と静麻は期待を込めてカーテンをめくった。

「――何だ、これ?」
 静麻はさっきと同じ台詞をそのまんま声に出した。
 そこにあったのは、化学室にもそぐわない、いわゆる美少女フィギュアと同人誌のコレクションだった。
 薬品棚の一番上の棚がそれらの趣味の品で占領され、もうしわけ程度にカーテンで隠されている。
 説明しろとばかりに静麻が男を振り返ると、男は何故か照れたような笑いを浮かべていた。

「いやあ……大事なコレクションなので……部屋に置いておけなくって……」

「ふ……ふうん……」
 静麻は見てはいけないものを見てしまったような気になって、そっとカーテンを閉めた。

 一方、静麻のパートナーのクァイトスは、入り口で不審者が来ないかと見張りつつもその様子を観察している。
 そこで、クァイトスは考えていた。

 もしガスの原因となった薬品が見つかったら、速やかに焼却処分しなくてはならない。
 だがここは室内だ、室内の人間に悪影響がないような方法を検討しなくてはならない。
 ところで先ほどガスに感染したようで、その影響で思考システムが一部ダウンしている事実を確認。
 そして静麻が何か良くないものを見つけたようだ、即座に焼却しよう。

 ジャキン、と何かの駆動音がして振り返ると、クァイトスに装備された四つの六連ミサイルポッドが今にも発射されそうになっている。

「え?」
 何が起こっているのかは分からない、分からないがあのミサイルは間違いなく発射されるだろう。おそらく一秒後。

「危ない!!」
 エースは咄嗟に加夜を庇って床に伏せた。エオリアもそれに倣って伏せる。
 クァイトスの目標のすぐ近くにいた静麻の反応だけが遅かった。

「――あばだだがばだあだだだ!!!」
 クァイトスの全弾掃射を受けて、男子生徒の大事なフィギュアごと焼却処分される静麻。クァイトスはそのままシステムがダウンしてしまったのか、その場で動かなくなってしまった。

「――こいつら、何しに来たんだ」
 大事なコレクションが一部を残して焼却されたダイエット研究会の男子生徒と、黒コゲのなった静麻を交互に眺めて、エースは深いため息をつくのだった。


                              ☆


「――少し顔色が悪いようじゃが……大丈夫か?」
 と、織田 信長(おだ・のぶなが)東峰院 香奈(とうほういん・かな)に話しかけた。二人はいずれも桜葉 忍(さくらば・しのぶ)のパートナーだ。
 忍もその言葉に、香奈の様子を見る。
「……本当だ。もし気分が悪いんだったら、遠慮なく言ってくれ」
 剣の花嫁である香奈から受け取った2mほどもある大きな片刃の光条兵器を構え、忍は廊下を進む。
 彼もまた犯人逮捕に乗り出した一人であるが、先ほど『独身貴族評議会』の襲撃を撃退したところだった。

「うん、ありがとう信長さん、それにしーちゃん。私は大丈夫だから……頑張って解決しよ」
 実は、香奈はすでにガスに感染している。
 少しでも気を抜くと、忍の事を眼で追ってしまう。
 いつも自らの分身である光条兵器を握るその指を、どうしても噛みたいと思ってしまうのだ。

 だが、忍を噛むということは、この状況下においては自分の気持ちを告白していると同義。胸の内に忍に対する想いを抱えてはいるものの、このような形でそれを知られたくはない香奈は、押し寄せる禁断症状の波にひたすら耐えるしかなかった。
 襲ってきた評議会のメンバーは大した戦力ではなかったので、あの様子であれば忍一人で十分だろうが、事件解決まで香奈の神経が耐えられるかというと、また別問題である。

「よし、ダイエット研究会に着いたぞ」
 忍の声に我に返る香奈。いつの間にか目的地に着いていたようだ。
 入り口にクァイトスが煙を吹きながら立っている。何があったのかは分からないが室内は焦げ臭く、雑然としていた。

「何じゃ、この有様は……」
 断りもなしに化学室に入った信長、中にいたエースや加夜が顔を上げる。静麻は邪魔なので部屋の隅に放置されていた。
 ふと、信長は鼻をひくひくさせた。部屋に酒の匂いのようなものが漂っていた。
「んむ……この香りは……?」
 先ほどクァイトスが発射したミサイルでいくつかの薬品が割れ、その中には純度の高いアルコールもあったようだ。

 信長は酒に弱い、極端な下戸だ。


「うわははははは!」


 信長は、突然その場にいた男子生徒の頭頂部に噛みついた。
「うわあっ!? 何をするんですかっ!?」
 どうやら空気中のアルコールで酔っ払った上に、今頃ガスに感染した効果が出たらしい。信長は顔を真っ赤にして次々と標的を変えて噛みついていく。

 その姿は、まさに戦国の獅子!!


「がおーっ!!!」


「の、信長っ!?」
 忍はパートナーの豹変ぶりに驚いたが、すぐに空気中のアルコールの匂いに気付いた。
「お、おい落ち着けって! 窓、窓開けてくれ! 酔いが醒めれば落ち着くはずだから……!!」
 急いで室内にいた加夜に窓を開けてもらうと、信長を取り抑えようとする。

 だが。

 どさりという音を聞いて、忍は振り返った。
「――香奈っ!!」
 音がした方を見ると、部屋の入り口にへたり込むように香奈が倒れている。
 一瞬、信長のことも犯人のことも忘れて忍は香奈に駆け寄った。
「どうしたっ! おい、香奈! 香奈ぁっ!!」

 誰かに襲われた形跡はない、特に外傷もない。だが、肩ではぁはぁと息をして額に脂汗を浮かべる香奈の様子はただごとでないことが分かる。
 ガスの影響で忍に噛みつきたいと思いながらも、禁断症状に耐えて我慢していた香奈。他の生徒達のように多少騒いだりし暴れたりして発散していればまだ良かったのだが、それすらも我慢していたために、精神的な限界が来てしまったのだ。

 こうなっては忍も犯人探しどころではない。

「熱がある……のか?」
 忍は香奈を抱きかかえ、室内の様子を見る。
 いつの間にか信長の姿はない。アルコールに酔って正体をなくした信長は、次の獲物を求めて隠形の術で姿を隠してしまったのだ。こうなった相手を見つけることは至難の業。
 忍は、やむなく信長を室内に残して走り出した。まずは香奈を安全なところに保護しないといけない。

「香奈……香奈……っ!」
 走りながらも、懸命にパートナーの名を懸命に呼びかける忍。
 忍もまた、香奈に対して一定の好意を抱いてはいたが、それが恋愛感情なのかは本人にも分かっていなかった。特にそういう感情に対しては奥手なのだ。


 とりあえず安全に病人を確保できる場所――保健室へと急ぐ忍であった。