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ロマンティックにゃほど遠い

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ロマンティックにゃほど遠い

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第3章


 ――どさり。


 中庭の草を押さえつける柔らかな音がして、匿名 某は結崎 綾耶を抑えつけることにようやく成功した。
 某に噛みつこうと暴れる綾耶の両手首を掴み、足を押さえるために自分の足で押さえつけ、自分の下に組み敷いた。


 まあ、その結果どう見ても某が綾耶を押し倒しているという構図になったわけだが。


「あ、ゴメン綾耶! だいじょう――」
 ぶ。と某の思考が止まった。

 暴れたせいで黒いツインテールが崩れ、髪が一筋、頬にかかっていた。
 いつしか服も乱れてはだけ、幼くも健康的な肌がちらりとのぞいている。
 茶色の瞳には大粒の涙を溜め、某を真っ直ぐに射抜く。
 その唇が、ふるふると震えた。
「――どうして」

「え」

「私は某さんの首をかぷかぷしたいだけなのに……どうしてダメなんですかぁ……」
 ようやく綾耶の身体から力が抜けた。溜めた涙が一筋、横に流れる。


 ――ドクン、と某の血液が一気に逆流した気がした。心臓が高鳴る。顔面が熱い。

 綾耶の首筋が、やけに艶かしく見える。やがて、吸い込まれるように某の唇は綾耶の首筋に吸い込まれ――


「そ〜れ〜が〜し〜」


 その時、地獄の底から響くような声がした。
 もう一人のパートナー、フェイ・カーライズ(ふぇい・かーらいど)だ。
 いつの間にか中庭に来ていたフェイが鬼の形相でこちらを睨んでいる。
 その姿に我に帰った某は、改めて自分の姿を認識した。

 自分は額に汗を滲ませながら綾耶を押し倒しているわけで――
 綾耶は半泣き状態で衣服を乱れさせて自分の下に組み敷かれているわけで――
 冷静に見ると自分が【個人の特定できないペドフィリア】という称号を得られるかもしれないくらいの姿なわけで――
 ――裁判長、ここは死刑でどうっすか。

「判決! 死刑!!」
 フェイの判決は早かった。曙光銃エルドリッジを片手に1丁ずつ抜き、封印解凍!!
「早っ! 判決早ぁっ!! ま、待ってフェイ、話をしようじゃないか!!!」

 だが、フェイの耳にその叫びは届かなかった。

「――控訴を棄却する。一番いい断末魔を上げろぉ!!」

 某の横ッ腹を蹴り飛ばして綾耶から引き離したフェイは、さらにクロスファイアで某を吹き飛ばす。
「あばばばばば!!!」
 光の属性でキラキラと輝きながら、某は昇天した。


「かぷかぷ、おいしいですぅ〜」
 気絶した某の首筋に満足そうに噛みつく綾耶。
「ちょっと、綾耶……」
 その綾耶を止めようとした時、フェイにもガスの効果が現れたのだろう、綾耶の結ばれた黒髪がとてもおいしそうに見えてきた。

「ちょっと噛ませてね、はむはむ〜」
 フェイは綾耶の髪の先端を噛み、幸せそうな表情を浮かべるのだった。


                              ☆


「まったく、ガスのせいとは言え、どいつもこいつも……」
 思わず呟いたのは風森 巽(かぜもり・たつみ)だ。
 事態の早期解決を望む彼は、とりあえず放送を流した人物を探すのが先決と、行動を開始していた。
「とはいえ、いつまでも放送室には残っていないだろうし……」
 そう考えた彼は、とりあえず職員室を訪れて放送室の使用状況などを調べていたのだ。

「――やはりそうだ、放送室の鍵がないよ」
 巽の求めに応じた男性教師は、放送室の鍵がなくなっていることを告げる。
 話によると、放送室を初めとする部活関連の鍵の管理はそこまで厳密なものではなく申告は必要だが、混乱に乗じて黙って持って行くことは確かに不可能ではないという。
「すると、やはり誰かが持って行った、ということですか?」
「間違いないと思う。普段は目につくところに置いてあるが、例の事態が始まって30分くらいであればみんな対処に追われていたからね」
「そうですか――ところで、一斉に全校放送をできる場所というのは放送室以外には?」
「……いや。全校一斉の放送となると放送室以外では無理だ」
「そうですか……」
 では、次を当るかと職員室を後にしようとする巽。
 その後ろ姿に教師が声をかけた。

「……ところで風森君」
「……分かってます。大丈夫ですから」

「はむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむ」

「いやでも、君、その背中の」
「仕方ないんです。止めると泣くんです」

「はむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむ」

 教師が言っているのは巽の背中に張り付いて必死に耳を噛む少女のことだ。
 その少女とは、巽のパートナーであるティア・ユースティ(てぃあ・ゆーすてぃ)
 いち早く薬品ガスに感染した彼女は、手近な巽にのしかかって心ゆくまで巽の耳を甘噛み中なのだ。

 当然、えらくくすぐったいワケだが、そこは精神力で耐えて犯人探しに奔走する巽だった。
「心頭滅却! 心頭滅却!」

「はむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむ」

 ボク、タツミがこんなに美味しいなんて知らなかったよ、とティアは感想を述べたが、その言葉はとても聞き取れなかった。


                              ☆


「……」
 さっきから久世 沙幸(くぜ・さゆき)はずっともじもじしていた。
 廊下を並んで歩くパートナーの藍玉 美海(あいだま・みうみ)はその様子をニヤニヤと眺めている。

「ね、ねーさまぁ……あの……」
「あらぁ? どうしたのかしら沙幸さん?」
「い、いえ……」
 顔を紅潮させてうつむく沙幸の表情を愉しむ美海。沙幸が例のガスに感染しているのは明らかだが、本人的には抵抗したいのだと分かり、その状況を楽しむことにしたのだ。

 実際、普段から美海は沙幸にスキンシップと称して抱きついたり触ったりのセクハラ三昧、このうえ自分から噛みつこうものなら何をされようものか火を見るよりも明らかだ。
 沙幸は肩を震わせて美海に噛みつきたいという衝動に耐えているが、その様子がかえって美海を悦に入らせていることにまだ気付いていない。

「ね、ねーさま。とりあえずダイエット研究会に向かおうよ、本当に解毒薬を作ってるかどうか確かめないと……」
「ええ、よろしくってよ沙幸さん」

 キリっとした表情で前を見つめる沙幸だが、その心の中は一つの事象で埋め尽くされていた。
 ああ、それにしたってまったくもってこんなにも――


 噛みたい。
 かみたいかみたいかみたい。美海ねーさまの露出した胸に抱きついて頬ずりして顔をうずめてその素肌を噛んでかぷかぷしたい!!

 もじもじと歩いて極力美海と目を合わせない沙幸と、その様子をたっぷりと楽しむ美海であった。


 そこに現れたのが閃崎 静麻(せんざき・しずま)とパートナーのクァイトス・サンダーボルト(くぁいとす・さんだーぼると)。ちなみにクァイトスは機晶姫であり、その姿はまるでロボットそのものだ。

「よぅ、奇遇だな」
 挨拶をする静麻、沙幸と美海とは元々知り合いだ。沙幸の症状は美海に対してのものなので、静麻には影響がない。

「あ、静麻。静麻もダイエット研究会に行くの?」
 やや顔を紅潮させつも、沙幸は声を返す。
「ああ。いくら噛んでも結局何も食ってないんだし、考えようによっちゃダイエットに最適だわな。前から噂もあったことだし、ダイエット研究会……長くて呼びにくいな、ダイ研に行こうと思ってな」

 その略称は初めて聞いた。

「そうですわね、わたくしと沙幸さんも向かおうと思っておりましたの」
 と、美海も相槌を打つと、沙幸が前方から歩いて来る知り合いに気付いた。
 樹月 刀真(きづき・とうま)と、そのパートナーの二人、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)玉藻 前(たまもの・まえ)だ。

 見ると、玉藻が月夜の背中から抱きついて月夜の頬や耳に噛みついてる。ガスの症状が出ていることは明らかだ。
「ね、ねえ……玉ちゃん。みんな見てるから、その……噛むのを抑えて……あ、ううん……」
 玉藻はといえば、月夜の頬の味わいと時折月夜が漏らす可愛らしい声に大満足だ。
「ううむ……とは言え刀真は噛ませてくれぬし……それに月夜の頬はとても美味だぞ?」
「いや……そういう問題じゃ……あっ」

「あー、あれは重傷だなあ」
 と、他人事にように静麻は呟いた。沙幸はその玉藻の様子を眺めていると自分も美海に噛みつきたくなってしまうので、刀真の方に話しかけることにした。

「刀真! 刀真も犯人探し!?」
 刀真もこちらに気付いたのだろう、小走りで沙幸の方へと向かってくる。
「やあ沙幸! こんにちは!!」


 そして挨拶代わりにかぷりと噛まれる沙幸の頬。


「え?」
「はい?」
「おりょ?」

 誰もが一瞬何が起こったのか分からなかった。
 接近したかと思うと沙幸に噛みついた刀真、一見するとそうは見えなかったが、人知れずクールに感染していたのだ。

「わたくしの沙幸さんに何をなさるんですのー!!」
「え? いやこれは違ってあちゃちゃちゃ!!!」
 最初に反応したのは美海だ、怒りに任せて放った凍てつく炎が刀真のお尻を焼く。

「ちょっと、刀真! 何してるのよ!!」
「うわたたたたた!!!」
 さらにゴム弾を装填したマシンピストルで月夜が刀真を乱射する。

 焼かれて撃たれた刀真は自覚していなかった自分の症状に戸惑いながら、静麻に助けを求める。
「し、静麻、助けて――」

 と言いつつ静麻に噛みついた。

 ガリ、という音がして刀真の歯が欠ける。
「かってぇー! 静麻、お前機晶姫だったのか!?」
 ふと見ると、噛みついたのはクァイトスだった。静麻が咄嗟にクァイトスで刀真をガードしたのだ。
「冗談じゃない、噛まれてたまるものか」
 と、クァイトスの後ろから顔を出す静麻。

「静麻にまで!? この見境なし!!」
「あいててててて!!!」
 さらに炸裂する月夜のゴム弾!!

 玉藻に抱きつかれたまま、月夜は逃げ出す刀真の背中を打ちながら追いかける。
 沙幸は刀真から解放されたのはいいが、噛みつかれたショックでもう限界に来ていた。

「ね……ねーさまぁ……」
 潤んだ瞳で美海を見つめて身体をすり寄せていく。
「あらあら、沙幸さんどうしたんですの?」
 と、しらじらしく沙幸を抱きとめる美海。
 ぽふ、と美海の胸元に顔を埋める沙幸。そこはこの世のものとは思えないほど柔らかく、いい香りがした。

「あら、沙幸さんったら……あ……」
 胸元に顔を埋めた沙幸が、その柔肌に歯を立てた。それはあくまで甘く、痛くはない。
「ねーさま、私がんばったよ……でも、もう……」
 いいのですよ、と美海が沙幸の頭を撫でると、もう止まらなかった。
「……いただきまぁす……」
 もはや一切の躊躇もなく美海を噛み始める沙幸、美海はそのまま沙幸を抱えて空いている教室に誘い込んで行く。


「――それでは皆様、ごきげんよう」


 ぴしゃりと教室のドアが閉まり、中からは沙幸と美海のあられもない声が聞こえてくるが、今さらそれに頓着できる余裕のある者はこの場にはいなかった。


                              ☆


「どおりゃあああぁぁぁっつ!!!」
 気合一閃、放送室のドアを蹴り開けたのは如月 佑也(きさらぎ・ゆうや)だ。顔を白いマスクで隠しているのは別に人相を隠したいからではない。

 単純に風邪を引いているのだ。

 何故、その風邪引きさんが放送室のドアを蹴り開けるという暴挙に出ているのかというと、これには理由がある。
 どうやらガスの感染は免れた彼だが、元より風邪気味なこともあってこれはもう早々に早退するしかない、と許可を取りに職員室に来ていたところだった。
 だが放送の内容を吟味すると、とても無視できない部分があることに気付いたのである。

 佑也には恋人がいる。
 その恋人も蒼空学園生で、今もこの学内に入るはずなのである。
 自分で言うのもなんだが美しい美少女で、その大きな胸もキレイな黒髪も男子羨望の的に違いないのだ。


 この状況下で彼女が誰にも狙われていない筈がない!!


 彼女も腕に覚えがあるし、そうそう被害に合うとも思えないが、一刻も早く解毒薬が必要な状況には違いない。
 そう思うと、風邪で早退などしていられる筈もなかった。
 熱にうかされながらも、とりあえずは放送室が怪しいとやってきたのである。

「どこだぁっ! 犯人はどこだあっ!?」
 ドアを蹴り開けると、中には一組の男女がいた。
 風森 巽とティア・ユースティだ。
 佑也は巽の胸倉を掴み、締め上げる。恋人の貞操がかかっているのだ、事を穏便に済ませるなんて無理な話というものだ。
「お前が犯人か! さあ解毒薬を出せ! 今すぐに!!」

「ちょっと待ってください! 我は犯人ではありません!!」
 巽は弁解する。勢い良く掴みかかったつもりの佑也だが風邪で思うように力が出ていない、そもそも放送室に鍵はかかっていなかった。

「はむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむ」

「我も犯人を探しに来たんです。何か遺留品があるかと思ったのですが……」
「な、何かあったのか、頼む、何でもいいから教えてくれ!!」
 焦る佑也だが、巽は首を横に振った。
「いや、残念だが誰もいなかったし、遺留品もありませんでした。やはりダイエット研究会に向かうべきでしょうか……」
 その言葉を聞いて、一足飛びに飛び出してしまう佑也。

「よぉし、ダイエット研究会だな! 待ってろよ解毒薬!!!」
 勇んで走り出す佑也だが、その足はまともに動いていない。そもそもダイエット研究会がどこにあるか知っているのか。

「……大丈夫か、あの人」
「はむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむはむ」
 その場で呆然とする巽と、いつまでも巽の耳を噛むティアだった。


 佑也が外に出て、廊下を走っていると向こうからも走ってくる人物がいる。
 友人である樹月 刀真だ。

「と、刀真くんじゃないか……」
 もはや熱でフラフラな佑也、見ると刀真もあちこちに焦げ跡がり、一目で満身創痍だ。
「や、やあ佑也」


 そして挨拶ついでにかぷりと噛まれる佑也の頬。


「でぇっ! 刀真くんも感染してるのかっ!?」
 そこに、後ろから追いついてきた月夜のゴム弾が炸裂する!!

「佑也にまで噛みついてるの!? このヘンタイ!!」
「いたいいたいいたいいたい!!!」
 そのまま、逃げまわる刀真を追いかけて行ってしまった月夜と玉藻だった。

「……大丈夫かな、刀真くん」
 と、それを見送る佑也だが、その世界がすでに真横になっている。
「あれ?」
 気付くと、うつぶせに床に倒れている佑也。
 もともと風邪で熱があるというのに、無理をしすぎたので体が限界を超えたのだ。


 むしろお前が大丈夫か。


 ――そのまま、速やかなブラックアウトを迎える佑也の意識だった。