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【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回)

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【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回)
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■第40章 バァル

 バスタードソードを構え、突き込んでくるバァルをセテカは避けようとしなかった。
「どいてくれ」
 むしろ、庇おうとする佑一を押しのけ、前に出ようとする。
「駄目です! バァルさんには、エリヤくんもセテカさんも……どちちが欠けても駄目なんです。あなたが死ねば、バァルさんは永遠に救われない!」
「分かっている。ただ、これが一番てっとり早いんだ」
 セテカは佑一を横に突き飛ばす。
 次の瞬間、無防備なセテカをバァルの剣が串刺しにした。
「セテカ!!」
「セテカさん!!」
 鎧の継ぎ目から入り、セテカの体を深々と貫いた長剣を見て、全員が叫声を上げる。
 バァルの踏み込みはセテカを貫いただけに終わらず、そのまま、彼を背後の柱へ縫いつけた。
 剣を伝って垂れる親友の血が、みるみるうちにバァルを染めていく…。
「バァルさん、やめて! お願いだから早く抜いて!!」
 剣を握り締めたままのバァルの腕に、ミシェルがしがみついた。
 閉じていたセテカの目が開かれ、凍りついたかのようなバァルのこわばった顔を見下ろす。セテカを見上げるバァルの目に、先ほどのような殺意はかけらもない。
 セテカのねらい通りに。
 これは、バァルの頭を冷まさせることをねらっての、計算された行為だったのだ。
「……遅いぞ、バァル…。間に合わないかと、思って……ひやひやした…」
「――なぜこんなことをした…! どうしてわたしを裏切った!? おまえは反乱軍を指揮してモンスターの脅威から人々を解放する、そういう計画だったはずだ!」
 少しずつ、バァルの顔からこわばりが解け、冴え冴えとした瞳に感情が戻り始める。
 ああ、以前のバァルだ――セテカは頭の隅で、そんなふうに考えた。
「……そんなのは……何の解決にもならないと、おまえ……にも、分かっていたはずだ。ネルガルがいる限り……カナンの崩壊は止まらない…。
 現実から、目をそむけるな、バァル! どうしたってエリヤは死ぬんだ! おまえは……それを……乗り越えなければ、ならない…」
 パッと口から血塵が舞い、バァルの顔を染めた。
 セテカの血が。
「バァルさん、来て! エリヤくんが呼んでいます!」
 エリヤの名に反応して、のろのろとバァルがそちらを向いた。
 だらりと剣から手を放し、床に寝かされたエリヤの横に膝をつく。
「エリヤ…」
 愕然とつぶやくバァルの声に反応して、エリヤの目がゆっくり開いた。
 熱にうるんだ青灰色の瞳はうっすらと白く濁り、視点が定まっていない。
「兄さん……どこ…?」
「ここにいるとも!」
 彼を求めて持ち上がった右手をバァルの両手が握り締める。小さな指先が、そっとバァルの頬に触れた。
 何も見えていないのだ。
 緋雨は口元を押さえて声を殺し、顔をそむけた。
「ここ、お城じゃないよね…。東カナンじゃない…。
 兄さん……ぼくね、なんとなく分かってた…。すぐ、胸が苦しくなって……咳が止まらなくて……息がつらくて…。熱も、なかなか下がらないし…。
 なんとなく、分かってたんだ……今度、胸が痛くなったら……そのときは、助からないかもしれないって…」
 エリヤの両目から涙があふれた。
「ぼく……兄さんの、重荷に、なってた…? ぼくのせい? 昨日も、その前も……ずっと、ずっと、兄さん、なんだかすごくつらそうな顔、してた…。
 ぼくのせいだったの…? ぼくが、こんなだから…? 兄さん……ごめんね…」
「ばかな! おまえに何の責がある!? あるとすればわたしだ! こうなるまでおまえのことに気づけなかった、わたしの責任だ!」
 そこに美羽、ベアトリーチェ、コハク、リカインが駆け込んできた。
「大変だよ!! ネルガルが帰ってきちゃった! 上空いっぱいにワイバーン隊もいる! 今、リネンたちが食い止めてくれてるけど、あんまり時間は稼げなさそう!」
 切れた息を整える間も惜しみ、一気にそこまで叫んで、はた、と場の空気がおかしいことにようやく気づいた。
「あ、あれ…?」
 エリヤくん床に寝てるし。バァルはひざまずいているし、それをみんなで囲ってるし。
 セテカは全身血まみれだし…。
「えーと」
 これってどういう状況?
「……セテカ君!!」
 佑一や孝明によって助け下ろされ、ミシェルのレーベン・ヴィーゲ――慈悲のフラワシ――による治療を受けているセテカの姿を見て、リカインはあわわてそちらに駆け寄った。
 ふさがりつつはあるものの、いまだ腹部には大穴があいている。そして傍らには、彼がつけていた紫紺の鎧と並んで血だらけのバスタードソード。
 これに貫かれたのは訊かなくても分かる。
 リカインは、キッとセテカをにらみつけた。
「無茶しないって約束したでしょ!!」
 怒鳴っていても、彼を心配する思いにあふれた声だった。
 誠実な彼女。
 しかし彼女と同じようになるには自分はあまりにすれすぎているのだと、どう言えばいい?
 痛みと疲労感でぼんやりした頭で、セテカはなんとか口端を上げて笑みをつくった。
「すまない」


「バァル、これはすべてうぬの策略か…!!」
 憤激に震える声が通路中に響き渡った。
 その声を聞いて、さっとイナンナはレンのマントの後ろに隠れる。
 ついにネルガルが現れたのだ。
「なんということだ…」
 ネルガルは唸った。
 東カナンの服装をしたコントラクターたちがいて、彼らの後ろには、破壊と死が途切れなく続いている。
 自分の神殿内で起きたその光景に、さしものネルガルも従容としてはいられないようだった。
「よもや、うぬが余を裏切るとは…!」
 その声に含まれた殺意に敏感に反応することで、ようやく彼らの方も金縛りが解けたようにはっとわれに返る。ざっと音を立て、レン以外全員がバァルとエリヤの前に盾となって並んだ。そして、ネルガルが何か仕掛けたならすぐに反応できるよう防御体制をとる。
 当然のように自分たちを庇い立つ彼らの背を、バァルは不思議な思いで順に見た。
 その視界に、柱に背をもたせかけたままのセテカが入る。傷は癒されたものの、失った血や体力はまだ回復しきれていないらしく、整わない息のまま座っている。
 今ならまだ、とり返しはついた。
 予定通り、セテカの首を落とし、反逆者として差し出すのだ。
 東西シャンバラ人たちは見捨てる。どうなろうと感知しない。東カナンは北カナンの忠実な属国であり、この件に自分は一切関与していないとネルガルに示す。

 そうしないと、エリヤは助からない。

 バァルは、力の入らない足でよろよろと立ち上がった。まるで夢の中を歩いているようだ。奇妙なほど現実感がない。
 セテカに歩み寄り、横に投げ出されたままの自分のバスタードソードを拾う。
 その一部始終を、セテカはただ見ていた。何も口にせず、剣を取る邪魔もしない。
 じっと座って息を整えている彼を、バァルは見下ろした。
 セテカ…………もう1人の自分。
 きっと何をしても、彼は逆らわない。たとえ首を切り落とされても、彼は声ひとつあげない。そして、そんなバァルを憎むこともしない。取り返しのつかない悪夢に自ら堕ちる彼を、哀れむことはあっても。
 彼を殺し、その首をネルガルに差し出す――――そんなこと、できるわけがない! 彼の血にまみれた今でさえ、この手がいまわしいのに。

「ネルガル殿、お願いです! どうかエリヤに再石化を施してください…!!」

 バァルはネルガルの前に両手をつき、頭を下げた。
 尊厳などとうに捨てていた。
 いまさら守るものなど何もなかった。
「そうしていただけるのであれば、お咎めはすべてわたしが!! この剣で首を刎ねていただいて構いません! 処刑でも何でも、甘んじてお受けいたします!!」
「バァル! 駄目だ!!」
「バァルさん!!」
「――捨てる命に価値があると思うのか、うぬは」
 ネルガルは心火に冷たく燃えた目で、冷ややかにバァルを見下ろした。
「自身が惜しまぬ命など、一片の価値もない。そのようなものなどいらぬわ!」死刑宣告に等しい、無慈悲な言葉が容赦なくバァルを打ちすえる。「再石化はせぬ。そやつを連れて、ここから出て行け。それが余の信頼を裏切った罰と思い知るがいい」
 叩き出せ、と後ろの神官戦士たちに命じ、きびすを返す。
 バァルはぶるぶる震える手をギュッと握り締め、やおら剣を掴み、立ち上がった。
「待て、ネルガル!! 父や母のように、弟までもわたしから奪おうというのか!」
「なにを言っておる? うぬの両親のことなど知らぬわ」
「なんだと!! 忘れたとでも言うつもりか!」
 眉をひそめるネルガルに詰め寄ろうとしたバァルの前に、神官戦士たちが立ちふさがった。
 ハルバードの切っ先が二の腕を裂き、胸を突き、頬を傷つける。
「駄目だ、バァル! やめろ!!」
 燃え上がった怒りと、そしてそれをはるかに凌駕する絶望から、今のバァルにはネルガルしか見えていない。なおも追いすがろうとした彼を、ダリルが掴み止めた。
「ほかの者はいかがいたしましょう?」
 ネルガルが戻り、圧倒的優位に立ったことにどこか得意げな、歌うような声で神官は訊く。
「殺せ。首を塩漬けにしてシャンバラへ送り届けてやれ」
「ははっ」
 頭を下げる神官たちに見送られ、ネルガルは通路の向こうに去って行った。
 追えるものなら追いたいが、周囲を幾重にもハルバードを突きつける神官戦士たちに囲まれてしまっている。徐々にせばまる包囲網に、エリヤを抱いたバァルを中心に立つコントラクターたちの体が裂かれ始めた。
 神官戦士たちが彼らをなぶり殺しにしようとしているのはあきらかだった。一気に首を刎ねたり、腹を切り裂いたりして殺すつもりはさらさらないらしい。そうされても仕方ないほど、彼らもまた殺しすぎた。
「美羽さん、コハクくん、あとはお願いしますね」
 絶体絶命の緊迫した状況で、しんと静まり返った中、ベアトリーチェのすずしやかな声がした。
「ベア!?」
 突き出された己の命を奪いかねない鋼の刃たちを前に、おそれも見せず踏み出す彼女に何か警戒すべきものを感じた神官戦士たちが後ろへ退く。
 やがてベアトリーチェは天から降る何かを受け止めるように両手を前へ広げ、目を閉じると、ゆっくりとてのひらを返した。
 目がくらむほど強い白光が彼女の身の内から放たれた。
 それは、使用者の全魔力を一瞬で解放し、周囲の敵全てを撃ち滅ぼす攻撃魔法パラダイス・ロスト。何人も照覧あれ! これこそわが身を犠牲にして他を救う、偉大なる最強の攻撃魔法である。この聖なる光刃に触れて、屈しない敵は存在しない。
 神官も神官戦士も、だれ1人例外なくばたばたと倒れていき、やがて通路に立つのは彼らのみとなった。
「ベアトリーチェ!」
 身に余る強大な魔法術を行使するには、その反動を受ける覚悟がいる。光が消えていくにつれて後ろに傾いでいったベアトリーチェの体を、コハクが受け止めた。
「コハク、ベア大丈夫!?」
「……うん。息はしてる」
 コハクはオリヴィエ博士改造ゴーレムにベアトリーチェを任せると、自身は裂天牙を構えた。
「みんな、行こう!」



 体力の余っているコハク、美羽を先頭に、彼らは出口を目指して走った。
 通路を出れば、そこにはまた神官戦士たちがいる。彼らがチェインスマイトやランスバレストを繰り出す前に、バーストダッシュで彼らの間合いまで走り込んだコハクの裂天牙が、ひと薙ぎで彼らを打ち倒した。
「てーーーいっ!!」
 エリヤを抱いたバァルに横から近寄る者あれば、美羽がレガースで蹴り飛ばす。同じく、復調しきれていないセテカを狙う者あれば、リカインが容赦なく疾風突きを打ち込んだ。

「バァルさん、よかった! 急いで!」
 ついに拝殿を抜けて外に走り出たバァルを切が、アルバトロスから手を伸ばして引っ張りあげる。
「セテカ君、こっち!!」
 狐樹廊にアルバトロスを持ってこさせ、リカインもまたセテカとともに乗り込んだ。イナンナは来たときと同じ、美羽のヴォルケーノだ。
「しっかり掴まって!」
 彼らが席につくのも見届けず、2台のアルバトロスはフルスロットルで神官戦士たちの手の届かない空域まで上昇した。
「遅くなってごめんなさい。それと、思ったより時間が稼げなくて」
 飛空艇を横につけたシャーロットが心からの謝罪をする。
「いや、助かったよ。きみたちが無事でよかった」
 一時は制空権の確保は諦めるしかない状態だったが、空中戦に長けたフレデリカやヴァル、カイたちが到着したおかげで、かなり劣勢は跳ね返されていた。
「よし、全員乗り込んだな!? メイベルたちの攻撃に合わせて全員己の最大攻撃魔法を前方に撃ち込め! 道が開いたら一気に中央突破をかける!」
 ペガサス“ナハトグランツ”に騎乗したフェイミィが先頭から号令をかける。
「やってくれ、メイベル!!」
「はいですぅ」
 メイベルの合図で、フィリッパ、セシリア、シャーロットが火術、雷術、氷術をいっせいに撃ち、混合魔法とする。それに全員がファイアストームなどの魔法を合わせ、さらに巨大な混合魔法弾として前方に広がるワイバーン隊にぶつけた。
「ぎゃあああぁぁぁぁあぁっ!!」
 逃げ遅れたドラゴンライダーたちの悲鳴を飲み込んで、他に類を見ない、すさまじい威力の混合魔法が走り抜ける。その直撃を受けて逃げのびた者はなく、人も、ワイバーンも、一片のかけらも残さず蒸発した。
「行くぞ! 全員遅れるな!!」
「おう!!」
 一丸となって漆黒の神殿上空を離脱していく飛空艇やワイルドペガサス、レッサーワイバーンその他もろもろの集団。
 そのただなかで。
 バァルの腕の中、エリヤが声にならない声でつぶやいた。

「兄さん……兄さんには、自分の思う通りに、生きてほしい…。お願いだから…。ぼくのせいで、立ち止まったり、間違えたり、してほしくないんだ…」
 そして、幸せになって…。


*       *       *


 北カナン漆黒の神殿より戻って1カ月後。
 城のバルコニーに立ち、砂の降る東カナンを見渡して、東カナン領主バァル・ハダドは打倒ネルガルの宣言を行った。
 中庭を埋め尽くすだけに終わらず、城の外までもあふれた兵士の猛々しい声がアガデ中に響き渡る。
 それを見下ろすバァルの傍らには、セテカ・タイフォンの姿があった。