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【カナン再生記】巡りゆく過去~黒と白の心・外伝~

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【カナン再生記】巡りゆく過去~黒と白の心・外伝~

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第2章 そこにあったはずのもの 1

 城のエントランスで、ヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)は静かに佇んでいた。
 中央に構えられる階段から見上げた肖像画には、この城の主であった先代領主シグラッド・ニヌアが描かれていた。彼は椅子に座る妻であろう女性の傍らで、気難しそうな顔をしている。対して女性の表情はたおやかであり、互いの性格を物語っているかのようであった。
 幸せそうだ。
 薄暗く朽ち果てたこの城において、その顔はどこか儚いものを感じさせる。このとき、二人はこうまでもヤンジュスが荒れ果ててしまうことを想像できたのだろうか。……考えても、今は分からぬことだが。
 ヴァルは頭を振り、そして、肖像画から自分の横にいるアイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)に目を移した。
 分からぬといえば、この娘もまたよく掴みきれぬ機晶姫だった。まるで、同じ絵の中に描かれたもののような表情と瞳。感情の色を伺わせぬ彼女は、じっと石像のように動かず肖像画を見つめ続けている。
 砦の奪還作戦に加わっていた榊 朝斗(さかき・あさと)のパートナーという話であったが、どことなく危なっかしい雰囲気が垣間見えるのは気のせいだろうか。それは腫れ物に触るような……幼子に接するときの感覚に似ていた。
 あまりに見つめすぎていたせいだろう。瞬き一つしていなかったアイビスが突然くいと顔を向けた。
「……何か?」
「いや……これをどう思うかと思ってな」
 突然動いたのを見たせいでわずかに目を見開いてしまったが、ヴァルは落ち着いて彼女に問いかけた。
 アイビスは少し間を空けて問いを返した。
「これ……とは、この肖像画のことでしょうか?」
「ああ」
「上手いです。色使いも丁寧で、立体感があります」
「いや、そうではなくてだな……」
 迷うことなく意図と違うことを答えたアイビスにヴァルは慌てて口を開いたが、はたと、彼は口を閉ざした。
 ……そうか。機晶姫か。
「何か?」
「……なんでもない。それより、この絵の先代領主は随分と若いようだな」
 ヴァルは茶を濁すように話題を変えた。すると――
「その絵は、シグラッド様が領主になり、そう時を経ていない頃の肖像画ですので」
 彼に声を返したのは、アイビスではなく後ろから聞こえてきた老人の声だった。
「ロベルダ……それに、キリカに真口とカレイジャスもか」
「ヴァルの姿が見えないなんて珍しいですからね。探しましたよ」
「カレイジャスではなく、シャナトと読んでくれてかまわないよ」
 ヴァルのパートナーであるとキリカ・キリルク(きりか・きりるく)、そしてカレイジャス アフェクシャナト(かれいじゃす・あふぇくしゃなと)はそう言って二人に笑いかけた。同じく微笑んでいた真口 悠希(まぐち・ゆき)は、ヴァルの横まで来ると同じく肖像画を見上げて感嘆の声を漏らした。
「これが……先代領主のシグラッド様なんですね」
 温和な表情をしているロベルダも、懐かしそうに肖像画を見上げる。
「もう、30年近くも前ですね……」
「そうか……そんなに経っているのか」
 ヴァルは妙に納得してしまった。確かに、それほど経っていれば肖像画が若く見えても仕方あるまい。
「なあ、ロベルダよ」
「なんでしょう?」
「おまえは……なぜこの領主についていこうと決めたのだ?」
 ヴァルの質問に、ロベルダは一瞬だけ戸惑うような間を置いた。だがやがて、柔らかく笑い始めた。
「ふふ……そのような質問をされる方も珍しいですね。やはり、それは帝王としての気概なのですか?」
「もちろんだ」
 ヴァルは不敵に笑って答えた。しかし、言葉はそれで終わることなく続けられた。
「だが……自分の興味もある」
 今度は、どこか子供じみた雰囲気を感じさせる笑みだった。帝王を自ら名乗る男のそれは、どこかかつてのシグラッドにも似ている気がした。だからだろうか。
 自然と、ロベルダの口は開いていた。
「……元々、私は執事などやっている家系でもなく、ただの一般兵でした」
「兵だと?」
 今のロベルダからは想像もつかない過去に、思わずヴァルだけではなくその場にいた皆が目を見開いた。
「まだ“漆黒の翼”が発足されていない頃、私はニヌアの地を守るべく守備兵として戦う一介の戦士だったのです。戦士の役目には誇りをもって臨んでいました。その頃はまだ平和と言えるような南カナンでしたが、それでもたまにはぐれてきた魔物たちと戦いになることはありました。そのような猛威から民を守ることが、私の誇りだったのです」
 過去を懐かしむロベルダの表情は遠くを見ていた。まるで、ありありとその光景が浮かんでいるようであった。
「しかしあるとき、強力な魔物がニヌアの地を襲いました。もともと平和の多いカナンの地で、それほど実力があるとは言えぬ我々にとっては、それは不測の事態だったのです。もちろん、勝てるはずもないでしょう。ニヌアの全兵が果敢に立ち向かいましたが、それでも……厳しい状況でした」
 光景が浮かぶということはある意味で非情なのかもしれない。ロベルダはそのときの様子を思い返して言葉を少し詰まらせた。そこに、アイビスが続きを促す。
「それで……?」
 気づけば、人形のような顔をしていたアイビスにも、「興味」というものだけは浮かんでいるようだった。
「そのとき、ニヌアで領主になられたばかりのシグラッド様も兵に加わっていたのです。絶望に打ち震え、もはや動くことすら諦め始めていた私にあの方はこう言ったのです。……『ロベルダ、顔をあげろ』と。わずかに苛立ったのを覚えています。こっちの気持ちも知らないで勝手なことを言うなとばかりに、血がのぼった私は領主様に向かって言い返していたのです。『ふざけるな』と。『こんな連中を相手にどうしろと言うんだ』と。今思えば、それだけでも罰せられそうなものですが……あの方はこう言ったのです。『怖いか?』と…………ゆっくりと頷いた私に、続けて言ったのは『ならば我を信じろと』という言葉でした」
 ロベルダはいつしか涙をこらえるように唇を震わせていた。ヴァルが、穏やかに言葉を繰り返した。
「我を……信じろ」
「『怖ければ私に続けばいい。泣きたければ私に鬱憤を吐くといい。私はお前を見捨てぬ。お前が我を信じて戦うというのならば……私はお前の生も死も、この身に受け止めてやる』」
 ロベルダはそして過去を思い返す旅から戻り、静かに再びあの柔和な笑みを浮かべた。
「そうして、シグラッド様に率いられたニヌア軍は魔物を追い払うことが出来ました。あれがシグラッド様の軍略による勝利なのか、あるいは兵たちの士気の高みによるものなのかは分かりません。しかし……あのとき私は、この方のために、この方の傍で生きてゆきたいと思ったのです」
 ロベルダの話はそこで終わった。
 言葉を繋いだのは、帝王と領主の違いはあれど、同じ人を紡ぐ生き方を目指す男だった。
「良き、君主だったのだな」
「そう言っていただけると幸いです……もうあの方はいらっしゃいませんが、かの意志を継いだシャムス様、そしてエンヘドゥ様がいらっしゃいます」
 いまはこの場にいない現在の領主と双子の妹のことを思いながら、ロベルダは言った。
 しばらくロベルダの話を深く聞き入っていた悠希は、そんなロベルダに問いかけた。
「あの……ロベルダさん」
「はい?」
「先代様は……その、シャムス様たちに対してはいかがだったのでしょうか? この肖像画には、シャムス様たちは描かれていらっしゃいませんが……」
 先代の話を聞いたからこそ、悠希はどこかシャムスたちのことが気になってしまった。それほどまでに素晴らしき領主の娘たちが……いまは共に歩むことがなく生きているというのが、どこかやるせない気持ちを起こさせてしまう。
「この肖像画が描かれたのは、シャムス様が生まれるよりももっと前でしたので……しかし、城にはともに描かれているものもきっと残っているはずですよ」
「そうなんですか……」
「シグラッド様は、本当にシャムス様たち姉妹を大切に思っていらっしゃいました。ふふ……二人が生まれたときなどは、四六時中寝室から離れないほどの溺愛っぷりで、私もついつい呆れてしまっていたことがあります」
 そのときのことを思い出して、ロベルダはくすくすと笑った。悠希も、自然と光景が思い浮かぶようで微笑んでしまう。
「何より、シグラッド様は人と人との絆を大切にされる方でした。幼い頃のシャムス様が、エンヘドゥ様と一緒に遊ぶという約束を忘れて街に遊びに行ってしまわれたときも、ひどく叱られたものです」
 家族らしいエピソードだ。
 悠希は、あのシャムスがどこかすねた表情で怒られている姿を想像して、思わずくすりと笑った。しかし、それゆえに――今のシャムスのことを思い出して、心がひどく哀しくなってきた。
「先代様は……理知的ながらも人の心も大切にされた方だったのですね」
 だからこそ……ロベルダはきっと彼に仕えていたのだろう。
「ボクも……歩さまや百合園や皆の心を大切にしていきたいと思っていて……けど……その気持ちばかり先行して、相手に押し付ける感じと申しますか……すれ違って上手くいかない時もあって……」
 ロベルダに話す彼のそれは、心の奥に沈むどうしようもない苦しみを吐き出すようだった。
「気持ちだけじゃなくて……理知的に考える事も大切にしていかないと……ですね」
 自嘲するように苦く笑う悠希。
 ロベルダは、そんな彼に孫に笑いかけるような微笑を返した。
「それは、確かに大切かもしれません……ですが」
 俯いていた顔を持ち上げた彼に、ロベルダは言葉を紡ぐ。
「悠希さんらしさがなくなってしまったら、それはきっと哀しいことです。立ち止まることも、苦しむことも、すれ違うこともあるでしょう。でも……だからといって貴方の気持ちに嘘をつく必要はないはずです」
「気持ちに……?」
「生きるということは確かに理知的で、合理的で、穏やかにある考え方が必要かもしれません。しかし、その中に嘘をついては、貴方というものが無くなってしまいますよ」
 自分というものは、どこにあるのだろう。
 それは素直な心なのだろうか。それとも、他人の中にある自分なのだろうか。
 でもきっと――嘘は虚像の自分しか生み出さない。少なくとも、ロベルダはそんな悠希になってほしくはないと思っていた。
 まるで何かを思い起こすような顔をして、悠希はゆっくりと言葉を返した。
「……ありがとうございます」
 自分がどう生きるかは、あとは自分で決めることだ。執事は、それを穏やかな目で見守ることしかできないのだから。
「だけど……シャムス様達姉妹には、すれ違ったままでいて欲しくない……ですね」
「……そうですね」
 そして執事は自分の役目に戻るのだ。
 それは、己が主として支える君主のこと。悠希も、ヴァルも、それを大切に思っている。すれ違ったままの二人の絆が、取り戻されることを。
 悠希とロベルダの会話を聞いていたカレイジャスは、どこか言いようのないうずきに捉われていた。それは、言葉としては理解できる何かであることは、彼女自身分かっていた。
 だから――彼女はどことなく自分と似ているようなアイビスに声をかけていた。
「なあ、アイビス」
「はい」
「君は、“心”が分かるかい?」
「……いいえ」
 返事に一瞬の間があったことに気づいてはいたが、カレイジャスはそれを告げることはなかった。
「私もよく分からない」
「…………」
「だけど……何かをしたいとは思えるんだ」
 アイビスはカレイジャスを見てしばらく黙っていたが、やがて顔を背けると言った。
「それは、きっと良いことです」
「……これは心なのかな?」
「分かりません」
 返事を返してそのまま、アイビスは一足先にその場を去っていった。その背中には寂しさがあるような気もしたが……所詮は、気のせいに過ぎないのかもしれない。
 カレイジャスたちもその場を立ち去ろうとしたそのとき、彼女たちのもとにやって来たのはいかにも子供じみた獣人の子だった。
「シグノーじゃないですか」
「へへっ、みんなこんなところにいたッスか! 探したッスよ!」
 キリカに答えた同じくヴァルのパートナーであるシグノー イグゼーベン(しぐのー・いぐぜーべん)は、そう言って駆け寄ってきた。と――そのとき、皆の視線が彼ではなく彼の後ろにいる少女に注がれた。
「あれ……シグノー、その娘は?」
「あ、なんか迷子になってたみたいで連れてきたッス! 相方とはぐれたらしくって、まったく、ひどいこともあるもんッス!」
 シグノーが紹介したその娘は、自らをニゲル・ヘレボルス(にげる・へれぼるす)と名乗った。
「えへへっ、な〜んか、ボク迷子になっちゃったんだ〜。みんなに会えて本当に心強いなっ!」
 少年のような口調で、シグノーとそう大差のないいかにも子供といった印象を与えてくる。無論、体型も少女のそれだが、なまじ胸が大きいだけに妙な色気を持っていた。
「みんな、この娘も連れて行っていいッスよね! 迷子を放っておくなんて、かわいそうッス!」
「……ええ、そうですね」
 ロベルダは微笑んで快諾した。
 そうして先頭を歩き始めたシグノーとニゲルの後ろをついていきながら、わずかにしか聞こえないささやかな声で彼はヴァルとキリカに言った。
「彼女から目を離さないように、お願いします」
「……任された」
「了解です」
 二人は頷いた。
 なぜだろう。ただの少しだけ色気のあるイタズラな少女のように見えるのだが――どこかそこに悪意にも似たものが感じられる。
 気のせいであればいいのだが。ロベルダはそう願うように思った。