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【カナン再生記】巡りゆく過去~黒と白の心・外伝~

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【カナン再生記】巡りゆく過去~黒と白の心・外伝~

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第2章 そこにあったはずのもの 2

 かつて――シャムスとエンヘドゥはよく玉弾きで遊んでいた。それはなんの変哲もないガラス玉を使ったものであり、ピンと弾いた玉がある一定の形になることを目指してお互いに弾き合うというものだった。
 たとえばそれは「羊」であったり「鳥」であったり「馬」であったり……とにかく、二人はお互いに暇を見つけてはよくそうして遊んでいたものだった。
 だから、というわけではないが――
「あれ、アリーセさん、なにしてるんですか?」
「えと……ちょっと気になったんで」
 蓮見 朱里(はすみ・しゅり)に話しかけられながら、一条 アリーセ(いちじょう・ありーせ)は目の前のとある壁に、何かをなぞるようにして石を動かしていた。
 その部屋は、地下に保管庫があるとすれば、ロベルダが知る限り最も近しい場所であろうとされる倉庫であった。すでに朽ち果てたそこでは、非常用の布類はすでに虫に食われつくしており、そこら中に壊れた木材などが乱雑に捨て置かれていた。
 そんな中で、アリーセが見つけたのはどことなく不思議な雰囲気を感じさせる壁であった。いや、正確にはそれは違和感とでも言うべきだろうか。壁として扱うにしては、石タイル同士の間隔が普通より若干離れすぎているような気がしたのだ。
 他の皆が別の場所を探している中で、アリーセは黙々とそこに座り込んである仮説を実証しようとしていた。
「ねえ、ロベルダさん」
「はい、なんでしょう?」
「二人がやってた遊びに出てくる形って……「羊」に「馬」に「鳥」に……あとは何かあるんでしたっけ?」
「そうですねぇ……」
「なにか、特殊なのってないんですか? ……こう、生き物じゃないみたいな」
 かつての記憶を思い起こそうと唸っていたロベルダは、やがて何かを思い出したようだった。
「そういえば、生き物でないのであれば、「門」というものもありましたね」
「門……?」
 子供の遊びでそのような形が出てくるのもまた珍しいことだ。それに……単語的には物が合っている気もする。
 アリーセは、ロベルダからその形を聞くと、先ほどまで散々なぞっていた石タイルの隙間を尖った小石で再びなぞり始めた。今度は、その「門」の形を描くように、だ。
 すると――
「わ……」
 ある意味、ものの見事にと言うべきか。
 アリーセの目の前で、それまで壁であったものが一気に轟音を鳴らして開き始めた。ばっくりと大口を開けるように分かれた壁の向こうにあったのは、地下へと通じる薄暗い階段であった。

「……ロベルダさん」
「はい、なんでしょうか?」
 どこか、少しばかりためらうようにロベルダに声をかけたのは、八日市 あうら(ようかいち・あうら)だった。年齢よりも幼く見える子供のような彼女の丸い瞳には、戸惑いの色も見えた。
 ロベルダたちの歩むのはアリーセが発見した地下通路であった。階段をおりた先は長く続く洞窟のような道となっており、持ち込んできたランプの明かりをもとに少しずつ進んでいた。そんな折のあうらの質問は、おそらくこの薄暗さによる静けさを少しでも紛らわそうとしていたものなのかもしれなかった。
「ロベルダさんは……シャムスさんが女性の方だって、知ってたんだよね?」
「…………」
 ロベルダはしばらく黙り込んでしまった。
 やがて、申し訳なさそうに口を開く。
「……はい、承知しておりました。皆様をだますような形になってしまい、申し訳ありません」
「う、ううんっ! 別に、それは気にしてないんだ」
 ロベルダがあまりにも丁寧に頭を垂れて、あうらは慌てて首を振った。
「内緒だったのはちょっと寂しいけど、女の子だからって友達なのは変わらないし……むしろ、嬉しいかな」
 ほほえましく笑うあうら。
 しかし、やがてその顔は少し哀しげな暗さを帯びた。
「でも……シャムスさんだけじゃなくて……早くエンヘドゥさんともお話してみたいよ」
 エンヘドゥは……今となっては白騎士として敵の味方となっているという話だ。素直な願いを告げながらも、いつもは明るく元気な彼女の表情が浮かないのは、きっとそのせいなのだろう。
 そんなロベルダとあうらとの会話に、アイン・ブラウ(あいん・ぶらう)が静かな声を発した。
「そうだな……早く、二人が共に歩むようになり……彼女とも話せるようになることを願いたいものだ」
「アイン……」
 己の体内の記憶機能に会話を収めながら話す自分のパートナーを見つめて、朱里が心配そうな声を漏らした。彼女の見つめるアインの顔は、とても悲痛そうだった。
 そして、アインの言葉に対して同意の声を返したのはフレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛い)だった。
「うん……そうだよね。姉妹がすれ違ってるなんて……哀しいもん」
 彼女は俯くようにしてそう言っていた。しかし、やがて何かを思い返す顔でロベルダたちに呟く。
「私も……兄さんがいるからよく分かるんだ」
「フリッカ……」
 パートナーのルイーザ・レイシュタイン(るいーざ・れいしゅたいん)が傍らで見守る中で、フレデリカはかつて共に歩んできた兄のことを思い出していた。
「昔……兄さんのね……大切なものを壊しちゃったことがあったんだ。恋人にもらったっていってたプレゼントでね……そのとき私、どこかで兄さんがその恋人さんに奪われていなくなっちゃうんじゃないかって思っちゃって……それで、つい」
 彼女にとって、兄は自分の全てにも近しい存在であった。
 いつも自分のことを見ていてくれた兄がいなくなってしまうような気がしたとき、その恋人を憎らしいとさえ思った。しかしそれは――ただの嫉妬に過ぎなかったのかもしれない。
「でも……壊しちゃったことを謝ったとき、兄さんは笑って許してくれたの」
 フレデリカは続けた。その表情は、自分の守る大切なものを見つめる決意のあるものだった。
「家族って……兄弟や姉妹って……かけがえのないものだと思う。だから、きっと……その絆はシャムスさんやエンヘドゥさんにだって……」
 フレデリカの話を、ロベルダは黙って聞き入っていた。
 そんな中で、誰にも聞こえない声でぽつりとルイーザが囁く声を漏らす。唯一それに耳を傾けられたのは、普段から会話というものに神経を鋭くしているロベルダのみだった。
「あれ壊したの、フリッカだったんですか……セディも一言言ってくれれば」
 セディ――それが誰を表す言葉なのか、どことなく意味は理解できる気がした。しかし、ロベルダは努めて冷静を装い、何も言うことはなかった。
 ルイーザの表情は、憂いと郷愁とが混じりあった何ともいえぬものになっていた。
「…………いえ、セディらしいですね」
 薄く微笑まれたのは、きっといつかのことを思い出したからに違いなかった。それは、まるでロベルダがこの城にやって来たとき、ニヌア家で仕えてきた思い出を巡ったかのように。
 そして――
「あれ? ルイ姉どうしたの? 泣いてるの……?」
「え? な、泣いてなんかいないですよ? 泣いてなんか……」
 そう言いつくろいながら頬に手をやると、そこには雨上がりの雫にも似たものが流れていた。慌ててそれをぬぐうと、彼女はもとの優しい笑みを作った。薄暗かったのが幸いしたのか、フリッカはよく見えなかったようで何事かと首をかしげていた。
 記憶は――時に残酷だ。無情に、そして非情に……失ったものを忘れさせてくれはしない。ただそれでも、ルイーザはフリッカを見守り、優しく笑うしかなかった。
 フレデリカの話に聞き入っていた中で、ロベルダに話しかけたのは朱里であった。
「ロベルダさん……シャムスさんたち姉妹は……ここで、どんなことをしてたんですか?」
 それはきっと、フリッカと兄の兄弟と、シャムスたちを重ね合わせていたのだろう。そしてそれ以上に、朱里にはどうしても心に引っかかることがあった。
「エンヘドゥさんは……自分が両親に愛されていないと言っていました。でもそれは……」
 娘を愛さぬ親などいるはずがない。
 少なくとも朱里は、そう思っていた。エンヘドゥの中にある感情、そしてシャムスの生きてきた男としての軌跡――それは彼女たちを縛りつける鎖のように思えて仕方なかった。
 朱里たちに向けて、ロベルダが口を開いた。
「シャムス様とエンヘドゥ様……お二人はとても仲の良い双子の姉妹でした」
 ロベルダが続けるそれを、今度はフレデリカたちが聞き入る番であった。
「常に二人はともに行動し、幼い頃は一人でいるところなどそうそう見たことはありません。玉弾きの遊びにお花摘み……思えば、あのときは何も考えることなく、素直に子供としての幸せを過ごされていたのかもしれません。泣き虫だったエンヘドゥ様をいつも守ってくれた兄のような存在もまた、シャムス様でした。確かいつか……エンヘドゥ様が野山で獣に襲われたときでしょうか。シャムス様は身体を張って彼女を守り、怪我のせいでしばらく寝入ってしまったことがあります。私は、そのとき常々思ったものです……彼女たちの中には、シグラッド様の育てる絆が、すくすくと育っているのだと」
 懐かしむ顔で語るロベルダのそれは、朱里たちの頭の中に情景を思い描かせた。
「そんなことが……」
 美しい姉妹の姿に思わず微笑む朱里たち。しかしやがて、ロベルダの表情は硬くなった。
「ですが……いつしかシャムス様は自分の事を「オレ」と言い出すようになりました」
 それが何を意味しているのかは、誰しもに明らかだった。
「我がニヌアにおいて、血統は何よりも重視される領主としての資格なのです。特に男児であることは欠けてはならぬ要素の一つ。シャムス様は男として育てられ、エンヘドゥ様はそのまま女性として育てられることになりました」
 領主一族としてこれまで生きてきたニヌア家にとって、それは致し方ない判断だったのだろう。だがそれは……同時にエンヘドゥの心を闇に捕えるものになったのかもしれない。
「エンヘドゥ様にとっては、期待を込められて育てられるシャムス様が眩しいものに映ったのかもしれません。だからあるいは……立派な淑女となることが彼女にとっては課せられたものだったのかもしれません。私の知る限り――エンヘドゥ様がこれまで“わがまま”を言ったことは一度もないのです」
 思いは交錯するものだ。
 交錯しあうその中で、エンヘドゥが何を思ったのか。それは彼女自身にしか分からない。
 だが――契約者たちはそれでも、彼女を思うことだけは出来た。
「『弱さ』は……必ず誰しも持ってます」
 つたなく唇を動かしたのは、朱里であった。言葉を探して、彼女はどうにか自分の思いを伝えようとしていた。
「でも、その弱さを……私たちは恥じる必要はなくて……だって私たちは、一人じゃないんですから」
 細々とした声ながらも、そこには彼女の信じる思いが満ちていた。そんな朱里の声に、重ねて声が繋がる。
「人間は……限られた生き物だ」
 アインは呟いた。まるで、自分にさえも言い聞かすように。
「朱里の言う通り……弱さはきっと誰にでもある。しかし、互いに守りたい、支えたいと願う心こそが……その弱さを乗り越える力をきっとくれるはずだ」
 『弱さ』。
 ロベルダは、その言葉を心の中で反芻していた。思えば――自分の周りにいた者たちは、皆、強くあろうとしていたような気がした。
 すると、ロベルダの心を見通したように飄々とヴェル・ガーディアナ(う゛ぇる・がーでぃあな)が声をかけてきた。
「なあ、ロベルダさんよ」
「はい……?」
「ま、その、なんだ……」
 パートナーであるあうらがきょとんとしたように見守っていた中で、ヴェルはぼりぼりと頭を掻いてかける言葉を探していた。
「その……シャムスたちはよく頑張っていると思うぞ」
 さらに、ヴェルは続けた。
「なんか……あいつはあんたが心配すればするほど、自分を追いつめてしまいそうだ……大事な人にはいいところをみせたいだろう? きっと、あいつは……」
 それ以上、ヴェルは告げることをなかった。
 気恥ずかしそうに再び頭を掻いて離れていった彼の背中を、ロベルダは見送った。あうらがなにやら尋ねているように思えるが、きっと彼ははぐらかしているに違いなさそうだ。
 ずっと、心配し続けてきた。
 彼女を主として従事してきてからこの数年。どこか、まだ子供を見ているかのような気分も残ったままで、シグラッドの残した宝物が傷つかないように見守ってきたつもりだ。
 しかし――それはあるいは、彼女の『弱さ』を隠してしまう結果になっていたのかもしれなかった。
 ロベルダは契約者たちを振り返った。
 こんなにもいまは、彼女を思う人がいる。新しい風は吹いている。もしかすればその風こそが、彼女たちを救うものになるのかもしれなかった。