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リアクション
「…よっしゃ、こんくらいの…小さいのやったらチョロイ…わ…」
メインルームのスピーカーも例外ではなかった、力が抜け、騒音をうずくまって回避したくなる気持ちを押さえ込んで、使っていないマシンを足蹴にして、直接スピーカーのシステムに、一か八か作ったプログラムを流し込む。
手っ取り早く壊すのではなく、これ幸いとプログラムを試したのである。
スピーカーに入り込んだ蟻をクリアすると、スピーカーはようやく元のように沈黙しはじめた。肩で大きく息をついて安堵する。
部屋にいるものは皆ようやく耳をふさぐ手を下ろし、コタローは逃げ込んだ章の懐から顔を出す。
「スピーカーを統括してるシステムをクリアしなきゃ!」
紫音はサイレンを発したり、全体放送を行うときの機構があるはずだと考えた。いくら末端の枝を払ってもきりがない。
アクリトが頭を抑えながらメインルームに入ってくる、先ほどのトラック突撃と併せて様子を見に来たのだ。
「隣の警備室へ来たまえ、そのシステムはそこにある」外のスピーカーはまだ変わらず唸りをあげている、ますますそのボルテージを上げ、針のように頭を刺しはじめている。
「い…今どうなってるの!?」
リカインがスピーカーを破壊しながらたどり着く、ひとつを破壊しても、気が付けば直近のスピーカーが共鳴しあって付け焼刃だ。
折悪しく先ほどのトラックによる振動で、内側からタワーが倒れドアがふさがれている、力を併せて障害をどけた。
警備室の一角に据えられたパネルとマイクの前に立ち、持ってきたケーブルを繋ぐ、即座に蟻がなだれ込もうとするが、プログラムの防御機能に押し返されて、悉く焼き尽くされた。
ヒパティアも手を伸ばしてそのプログラムを送り出し、スピーカーの内部を次々に洗い流していく。
次第に音が変わり、スピーカーは不協和音と何かの和音をわずかに残し、ようやく静寂が戻ってきた。
「先ほどのウイルスも、今のうちに流しましょう。皆様、もう少しだけ耐えて下さい…」
電脳空間内に残って戦っている契約者にアナウンスを入れ、働き蟻に撃ち込むウイルスと、共食いするように改造した蟻を送り込む。
兵隊蟻は猛然と共食いをはじめ、働き蟻はウイルスを撃ち込まれて挙動をおかしくした。
蟻の割合が次第に異常なそれに押されていくにつれ、ヒパティアの負担が徐々に軽くなってくる。
槍が押し寄せる蟻の一部を吹き飛ばし、できた隙間を遠野歌菜たちは駆け抜けた。
蟻の動きが変わって、今までかろうじて避けて進めたものが、そうはできなくなったのだ。
「羽純くん大丈夫!?」
「気にするな歌菜、お前は何ともないな?」
異常な個体を認識し、とうとうそれを仲間からそうでないものとして認識を変えたらしい。防御反応としてか、さらに増殖しはじめた働き蟻や、喰われながらも契約者たちを敵として向かってくる蟻に追い詰められていた。
『こっちや!』
関西弁の混じった呼びかけが二人を導いた。その先には、教室とはまた違うドアがある。
『そこに飛び込め!』
二人は否応なくそのドアに飛び込んだ。彼らの背後でドアは閉まり、迫るだろう蟻を警戒して羽純はドアを睨み、歌菜は中にいるだろう蟻に対して槍を構えた。
しかし飛び込んだその場所に、蟻は一匹たりといなかった。
『おーい、生きとるか?』
「陣くん? ど、どうなってるの?」
『そこのマシン、レストアして蟻ごと元の状態に戻してな、今ブロックかけとるんや』
現在、中の蟻は上書き駆除し、外の蟻からは座標を偽装して、このエリアは存在しない場所として、認識がされていない。
実際に、そのエリアの外では、兵隊蟻が完全に敵を見失ってさまよっている。
「よし、俺の作ったブロックが効いてる、せいぜいうろついてろ蟻ども」
紫音は辺りの状況をスキャンして、結果に満足していたs。
「でもやっぱ、大きいと時間がかかるな…」
やはりもっとクリティカルな方法が欲しかった。確実にマシンを切り離して、今パートナーロストを起こしている者に影響がないとわかるまでは、消極的な方法しか取れなかった。
「そろそろ一旦ログアウトしてや。ヒパティアちゃん、決着つけにいくみたいや」
どこか苦渋に満ちた声で、陣は告げた。
電脳空間の中でも、なぜか蟻の近寄らない一角がある。図書館はヒパティアの本体を示すシミリでもあるからだろうか。
オルフェはぼんやりと図鑑のページをめくったり、ぼうっと宙をながめるフューラーにそろりと声をかける。
「あの、フューラーさん、皆はまだ戻らないんですか?」
「んー…蟻が少なくなってきているみたいです、皆もうそろそろ来れるでしょう」
「ほ、ほんとう? わかるんですか?」
「なんとなくですが、頭がはっきりしてきていますから、…多分ね」
以前とは違い、ミリオンと握りしめた手や、訳もわからないまま泣いてしまったあの時に襲った正体の知れない絶望感を二度と味わうまいという思いのお陰で、彼女は記憶をしっかりと持てている。
待っている間に、現状を伝え理解しようと色々質問を浴びせかけていた。質問内容や現状を重ね合わせて、フューラーは仮定を出す。
「多分ぼくは、一時的に空京大学の全部か、一部のシステムで、脳の活動を補っているのかなあと思います。ぼくは脳に機械を埋め込んで、伝達に手を加えてますから、何らかのアクシデントで一部機能がばらばらに外部リソースに置き換わっているんでしょうね」
電脳に入ると記憶をなくしたり、おぼろげになるのは、恐らく蟻のせいでもある。肉体と精神の正常なリンクが蟻によって妨害されるのだ。
そのとき図書館のドアがバンと開いた。小さな人影が飛び込んで、その後を柊真司が、肩で息をしながら走り込んでくる。蟻から逃げ回り、子供を追いかけて這々の体だ。
「おいこら! お前は妹のために早く戻って…、あれ…?」
目の前に、小さいフューラーとよく似たような青年が立っていた。真司の追いかけていたちびはその青年に突進して、すうっと同化して消えてしまった。
思わず目を擦って、何度も見返してしまう。
「うわあ、ファンタジーだなー」
今落ち着いてまともな思考をしている人物が一人でもいれば、きっとフューラーのそのセリフにツッコミが入っただろう。
「あ、あの時の子!」
オルフェが最初に出会った6、7歳くらいの子が駆け込んでくる。オルフェに気が付くとにかっと笑って消えていった。
受け止めたフューラーが、泣き笑いのような顔になる、その頃の彼は、ヒパティアに出会った頃の彼なのだ。
次にドアが開いたときは、メイベルがそろそろと顔を出した。
「あの、10歳くらいのフューラーさんを見かけませんでしたか? …あら?」
彼女達は先客に驚き、目を丸くしているその脇を、探していた年代の少年が駆け抜けて消える。
「皆様、ありがとうございます、ぼくはもうそろそろ戻れるでしょう。多分あと一人くらいかな」
静かにドアが開き、12才くらいの少年が入ってくる。今までと違ってどこか暗い顔をしているが、やはり確かにフューラーなのだった。
どうしたのかと問いかけるまえに、黙って彼は同化していった。
「…そうか、同情は確かにぼくの悪い癖だものね」
そのフューラーは、先ほど目の前で、決して救われることのない会話を目の当たりにした子供だったのだ。
電脳空間では、総量として蟻は数を減らしてきた。
濁った水の中を手探りする感覚が、次第にはっきりとしたものになってきている。
しかし今度は、アリスは必死で蟻を増やして対抗しようとしているようだ。
―世界がフローしてしまう前に、かたをつける。今ならできる。
誰にも知られないうちに、電脳に降りようとしたヒパティアを、藍澤 黎(あいざわ・れい)は引き止めた。
「ヒパティア殿、貴殿がこれからいかほどの危険に踏み込むつもりでいるのかを、ご理解願いたい」
「…理解しております」
「だとよいのだが…」
―邪魔をするな!
ヒパティアの意識の奥底が、不明瞭な衝動にまみれてざらりと競合し合う。
「それから、これもご理解願いたい。貴殿が踏み込もうとする境地によっては、我は体を張ってでも止めさせてもらうつもりだ。我では力不足だろうが、共に行かせていただく」
ー貴様ごときに、なにが…
摩擦が、育て上げてきた倫理感と鋭くぶつかる。衝動と理性が軋み合う。
そこに黎は、彼女の中で人知れず高速で渦巻くものに爆弾を落とした。
「しかし我は…貴殿がこの危機を乗り越えたときに獲得するものを、見てみたいと願うのだ。…本来は、フューラー殿の役目なのだろうが…ここはご容赦願おう」
「…っ!」
彼女は怯んだ。
そこに出てきた名前がプライオリティを無理矢理上書きし、そしてようやく、彼女は己の思考が偏向していたことを自覚した。
しかしそのまま、それ以上何を考えることもできずに、彼女たちは電脳空間に降りた。
「よくぞ来てくれたのう」
電脳空間に降りた瞬間、すでにアリスはヒパティア達を待ち構えていた。
にやりと笑う彼女を、硬い表情で迎え打つ。アリスはヒパティアに向かって手を差しだし、朗々と歌うように戦いを挑む。
「わらわとそなた、どちらが強いAIであるか、決めるときが来たと言おうかの?」
「いいでしょう。でも、この方達には手を出さないで」
「…ヒパティア殿、我々を気にかけるな!」
黎達はヒパティアにそうささやくが、アリスががちりと事実を縛り付ける言葉を吐いた。
「その人間どもも、お前が得た力のひとつだ。それを忘れるな」
ヒパティアが兄と共に築き上げてきた関わりのすべてを、アリスは力と称した。
縁やゆかりというものを、その観念を知らぬままに指摘する。
アリスがサーバーを乗っ取って己の力とするように、ヒパティアは友人達の存在を、確かに刺激的なバリエーションとしてパッケージしていた。
「…皆様、巻き込んでしまって、本当に申し訳ありません…」
俯くヒパティアの足元が書き換えられた。それに反応したアリスは過敏に打ちかかる、蟻が小さくなり、スピードを上げて壁の様に覆い尽くそうとする。
最初にヒパティアが受けた攻撃に近いようだが、知りさえすれば恐れる事など何もない。あの時はみすみす受けてしまったものを、今度は苛烈に跳ね返す。
座標を偽装、次の手をスクランブル、逆算し返しては無効化に突き落として、構築が崩壊する音をBGMにアリスが哂う。
途切れない電子の波に、ヒパティアは黎の持っていた壊れたゲーム機を無理矢理バイパスしてジャミングをかけた。
「お借りします」
「あ、ああ…」
手の中のゲーム機が消えうせて、黎は一瞬戸惑った。
耳障りな音を立てて、蟻の動きが乱れた。手のひらの中でスパークしたような予期できない乱数の妨害に苛立った。
「よくぞ人間などという互換性のない存在にかかずらって、自らの可能性を狭める真似ができるものだ!」
アリスはそう揶揄する。かりかりと内側をひっかくように、ヒパティアの内圧が高まった。
「貴方こそ、目も耳も聞こえないまま、何を獲得しようというの?」
ウイルスやクラックを仕掛け合いながら、二人は荒々しい会話をしていた。熾烈を極めれば攻撃になり、凪いでは探り合う触れ合いに変わる。
彼女らの戦いは、突き詰めて解析すれば、接触とその応答に過ぎない。
それは伝達手段としては甚だ迂遠であるにもかかわらず、ノイズと誤謬の中に驚くほど複雑で多様な情報を内包している。
そして通信プロトコルの多層構造からも溢れる独自の条件を有し、計上しつくせない可能性を示唆して、そして過ぎ去っていく。
この瞬間も妨害コマンドのファランクスが伝達を寸断しにかかり、蟻がその針にも似た固まりを、己で相殺するように喰い破る。
ここまで来て二人の争いは、ヒパティア側においてはただ防戦一方と見えた。
黎が状況を打開すべく割り込みをかけようとして、唯人に留められた。
「…離せ、我々は何のために此処にいる!」
「わかんねえのかよ!…いや、俺もなんとなくだけどな…」
殺気看破で目を眇めて意識を澄ませると、無言で綱引きのバランスを保っているような張り詰めた気配がする。
「迂闊に手を出すな、こんなの、俺らの理解しきれるもんじゃねえ…」
少なくともこの電脳世界では、ヒパティアは神にも等しいと言えるのだ。
力任せにマシンパワーにものを言わせるアリスと、わざわざ可視領域まで書き換える無駄を省いたヒパティアのパワーバランスは未だ拮抗していた。
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