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電子の国のアリスたち(後編)-ハートレス・クイーン

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電子の国のアリスたち(後編)-ハートレス・クイーン

リアクション

 アクリト学長の見守る中、ヒパティアが立体映像で現われて、集まったメンバーに挨拶をした。
「これより私が電脳空間へあなた方をお連れします。時間経過によって確率的に安全の確保がしにくくなります、一定時間のちログアウトさせていただきます」
 もう何度目かのログイン光景だが、彼女はいつも同じように皆に挨拶をし、毎回変わる顔ぶれを見据え、注意事項を伝える。
 その時いた面子の中に、前回のログインで中に降りていて、特に怪我や疲れがないと言い張って再び参加しているものがいた。
 アクリトがそれに気づき制止した。
「君は前回も参加していなかったか、十分な休息をとっていないと見做すぞ」
「申し訳ありません、貴方は三度目ですね、前回のログインより時間がさほど経っていませんので、今回はご遠慮願います」
 大丈夫だと反論されるが、ヒパティアは譲らなかった。いつものゲームならともかく、下手をすれば命の危険に陥る此度のログインに、万が一は許されない。これ以上の不安要素は増やせないのだ。
 ヘッドセットを渡され、繋がるケーブルが邪魔にならないよう、かき集めた椅子やソファーなどに寝転がる。
 目を閉じれば、すうっと落ち込むような感覚の次に、気づけば電脳の空京大学の中にいた。
 まるで高層ビルのエレベーターを最上階から一気に降りてきた感覚だ。ゲームではないので、いつもの生真面目なアナウンスも存在しない。
 大学内に足を踏み入れ、とたんに出くわす蟻の群れに、皆は身構えた。

「こ、この鳥肌は気のせいだ、そんなことは言ってられん、心頭滅却すれば!」
 エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は虫が嫌いだ、しかし本当にそんなことを言ってもいられない。
「はぁっ!」
 ドラゴンアーツを駆使して、蟻をひたすら攻撃する、拳で吹っ飛ばした蟻が、予想した場所までいかずに首を傾げる。
「思ったよりも手ごたえが薄いな、ヒパティアの力が及び切らないのだろうか」
 疾風の覇気を装備した両手を眺める、そう考えるとほんの少し感覚が遠いような気もしてくるのだった。
 ますます、ヒパティアのさらされた危うい状況に危機感をつのらせた。
「何を余所見していますか!」
 ガートルード・ハーレック(がーとるーど・はーれっく)の一喝と共に妖刀金色夜叉がそばを掠め、エヴァルトに迫った兵隊蟻を叩き切る。
「す、すまん」
「いえ…」
 ガートルードは内心歯噛みしていた。
 以前、ヒパティアと共に羊退治をしたことがある。蟻の処分を、あれと同じようにできないかと考えていた。
 大学で事件に巻き込まれ、詳細を得てまず考えたことはその時の羊のことだった。
 しかしそれは、当のヒパティアに相談してみて、くじかれた。
「あの時のデータは、私の中では貴方と強く関連づけられています、それを呼ぶことは可能かつ容易ですが、いかんせんステージは完全に私の自由にはなりません。正直に言いますと、余裕がないのです」
 有効かもしれないけれど、ただ負担を増やすだけかもしれない、ガートルードは二の足を踏む己自身が悔しかった。
 彼女の助けになりたかったのに、足を引っ張ってしまっては意味がない。
 彼女自身が直接電脳の空京に降りてこられないのは、そうするには蟻が多すぎて、自身のデータ量と相俟って身動きが取れなくなるからだった。
「きゃあ!」
 不意に蟻に足をひっかけられ、転倒させられた。刃を鋭い顎で噛み止められ、体勢が悪く味方もすぐに駆けつけられない、その間に蟻が群がろうとし…
「…っ!?」
 バチッ!と空気を張り裂くような音が響き、蟻が吹き飛んだ。慌てて体勢を立て直すガートルードにヒパティアの声が届いて、彼女が危うい所を守ってくれたのだと悟る。
 その隙に斎藤 邦彦(さいとう・くにひこ)が破壊工作で爆発物を仕掛ける。ガートルードたちを廊下の角に引き込んで、さらに押し寄せようとする蟻を爆風で吹き飛ばした。
 近くの教室に飛び込んで、幸い数匹だけだった蟻を一瞬で片付け、彼らは一息をついた。
 エヴァルトが、危うい所だったガートルードを気遣った、先ほど助けられたのに、今度は助けられなかったからだ。
「大丈夫か?」
「大事ありません、…気をつけます」
 邦彦はそろそろヒパティアに引き戻される頃合だろうか、と時計を見た。思ったより遥かに時間が過ぎていない。
「…? 体感と実際の時間がずれているのか、もっと時間が経っていると思ったのに」
 しかし彼は、休めたとたんずっしりとのしかかる疲労に閉口した。
「ほんと、えらいことになってるなあ…」
 彼は仕事から戻ってきて、大学の惨状を知ったのだ。疲れて帰ってきたのだが、この状態ではおちおち休んでもいられない。
 目の前で一人、資格なしとして面子がはずされてしまったのを見て、なんとか学長やヒパティアとかいう子に眠気を悟られないように、電脳空間へ行く面子に混ざりこんだ。何もしないうちに後回しにされたくはない。幸いその場は誰も彼がパートナーと共に仕事から帰ってきたばかりという情報を知らなかったので、彼らの様子にまでは気づかなかったようだ。
 今の内に、電脳空間に入る前に手に入れたデータを共有しようと口を開く。
「なあ、とりあえず聞いた話なんだが、敵のAIさんとやらの情報はどんなもんだ? なにやら攻撃をくらった時、長い付き合いのパートナーがいるとよりひどい事になるとか聞いたんだが」
「私たちも、貴方と同じくらいの知識しかありません、確か擬似的なパートナーロストに陥るのだと言われていましたね」
「俺も、実際に喰らったわけではないから、それしか言えない。『ロミオ・エラー』と呼んでいたらしいが、何故ロミオだろうな」
「ああ、『仮死状態を死と勘違いしてしまったロミオの過ち』だと思う。昔そういうタイトルの本があったんだ」
 そう答えながら、とりあえず何もしないよりはましだろう、と思って分かれて戦うことを選択したパートナーを、邦彦は思い起こす。
 パートナーロストに近いものなら、もしかして分かれたことに意味はなかったかもしれないが、どうだろうか。
「まだ戻らなきゃならん時間には間がある、もう少し暴れていこう」
 彼らは立ち上がり、いつのまにか教室内に現れていた蟻に武器を向けた。

 その頃、邦彦のパートナーのネル・マイヤーズ(ねる・まいやーず)は、叩いても叩いても終わらない蟻の群れに辟易していた。
 波のように襲い来る蟻に次第に追い詰められ、軽身功でひらりと壁を蹴って体勢を立て直す。
「ねえ、大本叩かないと、ゾンビみたいにいくらでも出てくるのがお約束の気がするんだけど…」
「そういうのは、オレは頭いい友人に任せると決めてるんですよ」
 リュース・ティアーレ(りゅーす・てぃあーれ)は、友人達が何か対策を立てているなら、それが成されるまで誰にも邪魔はさせないと決めていた、もちろんフューラーを護衛している真にまでもし危機が及ぼうものなら、ぶち切れてしまうだろう。
 リュースは押し寄せる兵隊蟻にスキルを試してみる、ヒプノシスが効けばもうけものなのだが…
「…効いているのか、わかりませんね」
 効いたかもしれないが、それを乗り越えて兵隊蟻は次から次へとやってくるからだ。
 ルカルカ・ルー(るかるか・るー)も、片っ端から教室のドアを開け、先手を打って室内の蟻をエンドゲームで吹き飛ばす。
「ここにもいないね…」
 ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)がその痕跡を探るが、いまだ接触のない存在にパターンの採取すらできていない。
「痕跡ごと吹き飛ばしているんじゃあるまいな…」
「あ…あはは…」
「とりあえず皆、異常はないか? 何か忘れているとかそういうことは」
 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が携帯を耳に当てながら声をあげた。そのように約束していたメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)からの定期連絡である。
『下手に蟻と接触すると記憶をなくしたり、やるべきことを見失ったりすることはあるようだからね。君たちの目的は忘れていないだろうね?』
「ええと、ルカたちは人探ししにきたんだよね」
「俺は敵の正体も見極めたいがな」
「オレは、とりあえず蟻を倒しに来ました、皆に危険が及ばないようにね」
「大丈夫そうだよ、メシエ」
 エースがそう答えるが、ネルがふと、自分のパートナーの不在に首をかしげた。
「あれ、邦彦はどこいっちゃったんだっけ、めんどくさがりだから留守番?」
 それを聞いて、メシエは大いに呆れた。
『早速君たちは重要なことを忘れているようだ。ネル、君は敵のロミオ・エラー対策として、パートナーと別行動することを選択している』
「そ…そうだった! いけない…」
『ルカ、君は誰を探しているのかな?』
「あ、あれ?! ええっと黒髪の…って聞いたけど…」
「ふ…フューラーさんだよ!」
『エース、君ならもっと詳しい特徴が予想できるだろう』
「…色黒で、瞳の色は青だ!」
 ダリルとリュースは黙ってペンを取り出し、どうにかなるかはわからないが、腕や手の甲にメモをつけ始めた。
 ダリルは先ほどまで『何故、誰の』痕跡を探ろうとしていたのか抜け落ちたままだったし、身内意識の強いリュースでさえ、いくたりかの友人のことを忘れていたことに気が付いたのだ。これには少なからぬショックを受けていた。
『君たちはもうログインして時間が経ちすぎている。だからだろうね』
 だが、一度戻ってくるべきだというメシエの言葉には、皆が首を横に振った。
 せめて痕跡の一つでも見つけられなければ、次に繋ぐことはできない。