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【八 岩と煙】

 超巨大マジュンガトルスの攻撃から逃れた遭難者達は、ふた手に分かれて襲撃現場を離れる格好になってしまった。
 そのうちの一団は、いつの間にか鬱蒼と茂っていた樹々が途切れ、無味乾燥な岩場ばかりが広がる山岳地帯の麓にまで足を延ばしてしまっていた。
 大型飛行船の墜落現場に戻ろうにも、どこをどう走ってきたのか誰ひとり覚えていない為、赤っぽい岩ばかりが転がる荒地を、ただ彷徨うしかなかった。
「それにしても……さっきまでのジャングルが異様に密集していたせいか、随分開けたところのように見えてしまいますね」
 新入生達の幾つかのグループを率いる形になってしまっていた赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)が、余りの環境の変化に、戸惑いを隠せない様子で誰に語りかけるともなく、ひとり小さく呟いた。
 ジャングルの中はとにかく樹々の密度が高く、陽光はほとんど差し込まない日中の闇という様相を呈していたのだが、この岩場はまるで逆である。強烈な陽射しが容赦無く降り注ぎ、この気温の高さだけでも、相当に体力を消耗させる危険地帯として、彼らの前に立ちはだかっていた。
「あまり、ここに長居するのは得策ではないかも知れませんね……」
 霜月は斜面を幾らか登ってから、下方に視線を這わせた。
 見ると、新入生や飛行船の乗組員といった大勢の非力なひとびとが、斜面のそこかしこで蹲っていたり、或いは棒立ちになるなどして、疲労困憊の色を濃厚に示している。
 その時、霜月の頭上に大きな黒い影が舞った。レッサーワイバーンのであった。
 遭難者達はその姿を見て、一瞬恐慌に駆られかけたが、斜面に着陸した櫟が霜月の前で大人しげに振る舞うのを見て、何とかパニックは避けられた。
 霜月は、今回のオリエンテーリングに櫟を連れて一般参加していた。最初はただ大型飛行船の脇を滑空するだけで所在無さげにしていた櫟だったが、飛行船墜落という危難にあっては、櫟の存在が今では大きな意味を持つようになっていた。
「何ですか……えっ、怪物?」
 櫟が咥えてきた潅木の幹と心を通わせ、周辺の状況を聞き出そうとした霜月だったが、早くも新たな敵の出現に、表情を硬くした。
 超巨大マジュンガトルス程ではないが、それなりの体躯を誇る怪物が、すぐ近くに居るのだという。
 その時、どこかから甲高い咆哮が山風に乗って霜月達の居る斜面を一瞬で吹き抜けていった。
 霜月は少し前に、一部のコントラクター達が先行してこの斜面の向こうを調査してくるといって離脱したのを思い出した。
「和輝達、大丈夫かしら……?」
 スノー・クライム(すのー・くらいむ)が、不安げな表情で霜月の傍らまで斜面を登ってきた。彼女はパートナーに頼まれてこの場に残っていたのであるが、あの不吉な咆哮を聞いてしまっては、居ても立ってもいられなくなってしまっていた。
「大丈夫、だとは思うのですが……先行させるには、数が少な過ぎたかも知れません」
 彼らの身に、何か起きたのではないか――霜月のその予感は、不幸にも的中していた。

 地鳴りが、間欠的に響いている。
 この鳴動の仕方は、火山活動に見られる大地の震動によく似ている――少なくとも夢野 久(ゆめの・ひさし)はそう考えた。
 見渡す限り、赤茶けた岩場ばかりが広がる無機質な斜面の一角で、久は悠然と佇んでいた。彼の足元からは、灰色の煙が条となって天に伸び、蒼空のキャンパスに墨で一筆書きしたかのような、鮮やかな狼煙が垂直に立ち昇っている。
 ラストホープを駆る明子に、自身の所在地を知らせる為の措置だったのだが、それにしても大胆不敵といわざるを得ない。
 下手をすれば、ガーデン内を徘徊する怪物達に、自身の居場所を教えるようなものなのだ。だが久は、危険を承知で尚、狼煙をあげる決断を下していた。
 精神の交信によって、明子がラストホープを飛ばしていることを知った久は、高速で飛行するラストホープから視覚で位置を捕捉出来る手段としては、狼煙こそが最適であると考えたのである。
「どんな按配ですか?」
 同行していた佐野 和輝(さの・かずき)が斜面の上方から、不安定な足元を気にする仕草を見せながら、ゆっくりと近づいてきた。
 当初は、久が単独で遭難者グループから離れて狼煙を上げるという計画だったのだが、ひとりでは余りにも危険過ぎるということで、和輝が同行を申し出てきたのである。
 久としても断固として拒否するだけの理由が無かったから、和輝の同伴に対しては何もいわなかった。
「まだ、伏見からの反応は無い。だが、あいつのことだ。何とか見つけ出してくれるだろう」
「そうですか……まぁ、信じるしかないでしょうね」
 和輝とて、イコン操縦士としての資格を持っている。グレイゴーストという立派なイコンも所持しているのだから、立場が違えばあんな化け物共に追い回されることもなかったのだが、流石に今回ばかりはどうしようもない。
 何となくやるせない気分で立ち昇る狼煙の黒い条を眺めていると、アニス・パラス(あにす・ぱらす)ルナ・クリスタリア(るな・くりすたりあ)が、随分嬉しそうな様子で斜面の別方向から駆け戻ってきた。
「和輝〜、やったよ〜! この退屈なとこから抜けられそうな道が、あっちの尾根の向こうにあったよ〜!」
 何とかこの岩場の斜面から離脱するルートが無いかと、和輝がアニスとルナに脱出経路を探らせていたのであるが、それが早くも見つかったらしい。
「ここからぁ、少しばかり遠かったんですけどぉ、歩いていけない距離ではありませんでしたよぉ。皆さんを呼んできましょぉかぁ?」
 ルナがいささか間延びした声で、笑みを交えて提案するも、和輝は一瞬考え込んだ。
 もう少し近くに脱出ルートがあれば、そちらに移動するのもひとつの手だとは思っていたが、あまりこの位置から離れ過ぎるのも問題であった。
 折角この狼煙を救援部隊が発見したとしても、肝心の遭難者達が遠くに居たのでは、余計な手間と時間を食ってしまう――和輝は、そのタイムラグ間に敵の襲撃があった場合の危険性を、何よりも危惧していた。
 矢張りここは、移動はやめておこう。
 和輝がルナに答えようとしたその時、不意にどこかから、獰猛な獣の咆哮が鳴り響き、岩だらけの山肌を僅かに響かせた。

 一瞬聞き間違いかとも思ったが、久が渋い表情で、雄叫びが連鎖する尾根の向こうに鋭い視線を飛ばす。
「地鳴り……じゃねぇな。ラプトルや、あの馬鹿でかい化け物とも違う……新手か」
 久の分析は、的を射ていた。
 直後、ティラノサウルスを思わせる二足歩行の巨獣が、尾根の向こう側とこちら側を遮る岩塊の陰から、姿を現した。体高はおよそ5メートル。
 しかしティラノサウルスとは、決定的な相違点が見られる。歯であった。
 今、久達の前に現れた巨獣の唇から覘く鋭い歯列は、杭状の太い牙ではなく、薄い刃物状である。
 後で知ったことだが、この怪物はナノティラヌスタイプの魔働生物兵器であった。
 従来、ナノティラヌスはティラノサウルスの幼体と考えられいたのだが、歯の形状が異なることで、違う種であると結論づけられたという経緯がある。
 ティラノサウルスを除く他の全ての肉食恐竜の歯は、薄い刃物のような形状をしているのだが、ティラノサウルスだけは別格で、太い杭のような形をしている。一部の古生物学者の間では、その形状からバナナトゥースとも呼ばれているらしい。
 この太い歯は、ティラノサウルスが獲物を骨ごと噛み砕いてたことを示しており、これに対して他の肉食恐竜達は、獲物の肉を切り裂いていたことを証明するものであった。
 だがいずれにせよ、相手が鋭い歯を持つ怪物である以上、掴まればただ、食われるのみである。
 恐らくは、明子よりも先に狼煙を見つけられたのだろう。久自身、諸刃の剣であることは重々承知していたつもりだが、こうも早く、負の面が現出してしまうと、苦笑する以外に無い。
 そんな久の面に、気合に満ちた闘志が滲み出た。
「来な、化け物……俺ぁ結構、丈夫だぜ」
 龍鱗化を駆使して防御力を高めた久。どうやら彼は、目の前の化け物相手に一戦交える覚悟らしい。
 更に別の方角からも、同じような咆哮が響いた。敵は、一体だけではなかったようである。こちらに対しては和輝が魔銃を二丁拳銃の形で両手に構え、僅かに腰を落として迎撃態勢に入った。
「アニス、ルナ……ここは、やるしかなさそうだ。気合入れるように」
 恐ろしく冷静な声ではあったが、これから和輝が挑もうとしているのは、如何にコントラクターとはいえ、無謀の域に近い戦いである。
 アニスにしろルナにしろ、当然和輝をサポートするつもりではあったが、正直なところ、勝てる見込みは微塵にも無かった。
 そんなふたりの危機感を察知した和輝は、口元に僅かながらも不敵な笑みを浮かべた。
「違いますよ。これは勝つ為ではなく、死なない為の戦い」
 防御に徹せよ。
 和輝の指示は、至ってシンプルであった。