リアクション
* * * バルバトスが魔力の塊を撃ち込むたび、居城のどこかが崩れる音がしていた。その音や振動は、離れた街の一角から眺めているロノウェの元まで届いてくる。 今、彼女の中には自軍勝利の高揚などひとかけらもなかった。うつろとさえ言えるような、妙な静寂に包まれた頭の中でぼんやりと、こんなことは早く終わればいいのに、と考える。 「なんて醜い光景か。そうは思いませんか?」 ふと、背後からそんな言葉がした。 そちらを向くと、見覚えのある青年――高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)がいる。 玄秀は、ロノウェが自分に気付いたことを確認してからゆっくりと歩を進めた。すぐ後ろで足を止め、ロノウェが見ていた光景を一緒に見る。 「この襲撃には、大義も名誉もありません。バルバトスの暴走に同調するのがあなたの望む道ですか? 自軍の非を糊塗し、人間という種の資質に転嫁して非を見逃すのは卑劣です。 あえて言わせていただきますが、人間のためにではなく魔族の誇りを守るために、軍を引くべきです」 はたしてどんな返答が返るか。様子を見るように間をとる。しかしその言葉にも、ロノウェは何の反応も見せなかった。 一切感じることを拒否しているかのような無表情で、居城を攻撃するバルバトスをただ見ている。 どこか冷徹にすら見える横顔……けれど眼鏡の奥、暗く陰った瞳は、彼女の内面の葛藤を表しているかのように今ではすっかり濁ってしまっていた。 「バルバトスにはバルバトスの戦い方がある。同様に、あなたにはあなたの戦い方が。1つの勝利のために、自分の誇りを地に落とすのはおろかです。もう二度と取り返しはつかず、泥にまみれた誇りは、腐っていくしかなない」 「……なぜそんなことを? 講和は流れたのよ、人間。あなたたちに対する私の気持ちも変わっていない。東カナン陥落まであと少し。もうどうにもならないわ。いくら懐柔しようとしても無駄よ」 「そんなだいそれたことは考えてもいません。5000年以上に渡るあなたの考えが、今僕に何か言われたからといってすぐに変わるとは到底思えませんから。 交渉決裂は仕方ない。それは、必ずしもあなたのせいではない。交渉したら必ずまとまらなければならないというきまりはどこにもないんですから。ですが、あの会を通してあなたという人が少しだけ、僕には見えてきたような気がします。あなたは人間を憎んでいるんじゃない、もちろんそれも大きいでしょうが、一番の根底にあるのは失望だと」 「そんなこと……」 「ないですか?」 「貴公の領地ロンウェルは、ザナドゥで最も人間の街に似ている。そうしているのは何のためか」 それまで玄秀の足下に手をつき、聞きに徹していた悪魔式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)が、初めて口を開いた。 魔神であるロノウェをうやまうそぶりも見せないその傲慢なもの言いに、ぴくりとロノウェが反応する。 「人を憎悪していると口にしながら、人を理解しようとしている。憎んでいるのであれば必要のない配慮だ。本当に憎いのであれば、あのバルバトスのように、ただ殺せばいい」 「無礼だぞ、広目天王」 ロノウェから剣呑とした空気が広目天王に向かい始めたのを敏感に察知して、玄秀があわてて叱声を放つ。 「謝罪しろ」 「――は。ご無礼を働き申し訳ありません」 広目天王は玄秀を唯一の主としている。そのため謝罪も彼に命じられたから口にしたにすぎず、全くかたちばかりのものだったが、ロノウェは鷹揚に頷いて受け入れ、それ以上とがめようとはしなかった。 「僕からも謝罪させていただきます。パートナーが無礼な口ききをしてしまい、申し訳ありませんでした。 ですが、彼の言った内容については謝罪しません。僕もそう思うからです。 あなたも、本当は分かっているんでしょう? 信頼できるかどうかは種族の差異などではなく、個人の資質にすぎないということを」 「……そうね。けれど、その資質というものを私は人間から見出せたことがないわ。人間は、いつだって忘れて裏切るのよ。そして、その裏切りすらも都合よく忘れてしまう」 「そして魔族には誇りもなく、歓迎した相手すら騙し討ちする種族である。そう知らしめることがあなたの望みですか」 ロノウェの目に苦痛が走る。しかしそれは、暗く沈んだ目に差した光でもあった。 「今夜の出来事は、ほどなく世界中に知れ渡る。小さな子どもまで、この卑劣な戦いを知る。だれが行ったかなど関係ない、魔族とはそういう種族であると、だれもが認識するでしょう。人間に限らず、地上の種族は魔族をそういう存在と認識することになる。地上の種族は決して心から魔族を受け入れない。なぜなら、魔族は信用に値しない種族だから。 それとも、地上の種族がどう思おうが関係ないですか?」 ようやくロノウェが見せた反応に、玄秀はたたみかける。自尊心を蹴りつける。 再び無反応というカーテンの裏側へ逃げ込むのは許さないと、前へ回り込み、しっかり視線を合わせた。 「もう一度言わせていただきます。あなたは魔族の誇りを守るために、軍を引くべきです。 今ならまだ間に合います。しかし今を逃せば、もう取り返しはつかない」 * * * 「やめろ!! 降りてこい、バルバトス!!」 「そぉれっ」 振られた槍の先に生まれた魔力の塊が、またも城に向かって撃ち込まれた。 「……くそっ!!」 城に向けて走り出そうとしたバァルの足先すれすれの地面を魔弾がえぐりとる。 「いいからバァルちゃんはそこで見てなさいな〜。あなたの宝物がぎっしりつまった宝石箱を、今私が壊してあげてるんだから〜」 鼻歌まじりにクルクルとタクトのように回転させる槍。バァルの目の前で城を壊すことを、バルバトスは見るからに楽しんでいた。 ガンランスをあえて使わないのは、破壊力が大きすぎるためか。波が砂の城をさらっていくように、バルバトスの撃ち込む魔力の塊は少しずつに城をえぐり取り、壊していく。 ここまで来ながら、ただ目の前で城が崩壊するのを見ているしかできないとは。 「やめろ! もう、やめてくれ……」 うなだれ、こぶしを震わせるバァルの口から悲痛なつぶやきがもれた。 「バァル……」 切はその肩に伸ばした手を、触れる前に引き戻す。 何もできないのはバァルだけではない。ここにいる者たちのだれにも、もはや打てる手立てはなかった。街を抜け、ロノウェ軍を突っ切るのが精いっぱい。ロノウェ軍を突破することに魔法力はすべて使い果たしてしまった。もしも背後のロノウェ軍が突撃をしかけてきたなら、自分の身を守れるかどうかすらあやしい。今のところ、囲むだけでそうしようとする様子は見せていないが……。 奥歯を噛み締め、だれもが宙のバルバトスをにらみ据える。 「ふふっ」 向けられた憎悪すら心地よい風と言わんばかりに目を細めて、バルバトスは足下の彼らを見返した。くつくつ笑いながら、見せつけるように槍の穂先で力を溜める。そうして放った魔力の塊は、今までで一番巨大なものだった。 「よせーっ!!」 思わず手を伸ばした先。 バルバトスの標的とされた、ただ1つ残った塔の先端に、そのとき何者かが降り立った。その者が放った魔力の塊が、すぐ先でバルバトスの魔力の塊とぶつかり合い、相殺する。 爆風になびく三つ編み、エメラルドグリーンの服。毅然と顔を上げ、まっすぐ上空のバルバトスを見返しているその者は、まぎれもなく魔神ロノウェだった。 驚きに目を瞠ったバルバトスの前、ロノウェは城を取り囲んでいる自軍を見下ろし、命じる。 「全軍撤退せよ」 「ロノウェちゃん!?」 「したいのなら止めないわ。私にその権利はないから。でもロノウェ軍は手を引かせてもらう。あとはあなたとバルバトス軍だけですればいい」 感情の起伏というものがない、淡々とした声で告げる。しかしそこには疑いようもなく、何を言っても無駄だとバルバトスに悟らせるだけの、迷いを払しょくした強さがあった。 バルバトスと視線を合わせ、彼女の意を間違いなく理解したのを確認して、次にロノウェはバァルを見下ろす。 「領主バァル、あなたの婚約者アナトは私が預かっているわ。返してほしければ、今度はあなたがザナドゥへ降りてくることね」 再戦を誓う言葉。 一番近いクリフォトの樹から粛々と撤退していく自軍の兵たちの様子を確認してからロノウェは跳躍し、バァルたちの視界から消えた。 「んもう。とんだ興ざめね〜」 バルバトスは憤慨し、空中でじれたように石突を打つようなしぐさをすると、軍に撤退の指示を出し、自身は結界を抜けて南へと飛び去って行った。 * * * 「待ってください!」 外壁にまだ残っているクリフォトの樹へ向かうロノウェを、玄秀が呼び止めた。彼は懇願した。自分をザナドゥへ連れて行ってほしいと。 「……あなたには借りがあるわ、人間」 「玄秀です」 「玄秀。いいわ、ついていらっしゃい。でも、何も保障はしないわよ」 「かまいません!」 ついにザナドゥへ行けるのだ。 ロノウェから許可が得られたことに意気込んで、玄秀は彼女の元へ駆け出す。 そんな彼に、ティアン・メイ(てぃあん・めい)が声を上げた。 「待って! どうして、シュウ!? どうしてザナドゥなんかへ……」 ゆるゆると首を振る。すっかり蒼白した面。驚愕に見開かれた目、胸元で握りしめられた震える両手。こんなことは信じられないと、彼女の全身が言っていた。 現実を受け止められないでいる彼女に、クッと玄秀のあごが引かれる。 「ティア。きみがザナドゥや魔族を嫌っているのは知っている。無理強いはしたくないんだ。本当に。だからきみはこちらに残って」 「あなたが危険なのよ! だから心配してるんじゃない!」 違うだろう。 玄秀はその言葉を飲み込み、ただ、どのようにもとれるあいまいな笑みを浮かべる。 玄秀は知っていた。彼女が受け止められる範囲も、その限界も。彼女のことは好きだけれど、そこに幻想は抱いていない。 彼女には、どうしても理解できない自分がいることを、どうしたら分かってもらえるだろう? 理解しなくてもいいんだということを。 ふらりと広目天王がその姿を現し、玄秀の横につく。 「心配は無用。我が君には我がついている」 初めて目にした悪魔。彼が玄秀のパートナーであることを悟り、ティアンは驚愕した。 「うそ!? なんで悪魔なんかとシュウが契約を……」 「――行こう、広目天王」 背を向け、立ち去ろうとしたとき。 「待って! だめよ、行かせない……!!」 力づくでも止めようとティアンが前に回り込んだ。 「人々のために敵対するのも、説得するのもいい。でも、これ以上ザナドゥや魔族にかかわってはいけないわ! あなたのためにならない!」 両肩をとり、これだけは分かってもらおうと切実に訴える。 決然とした目で自分を見つめる彼女を、玄秀は静かに見返した。 「それでも僕は行くよ。はっきり言わせてもらうけど、ティア、きみがどう思うかなんて、これには関係ないんだ」 その言葉が彼女に与える衝撃を少しでもやわらげようとするように、ぽんぽんと手を叩く。ぱたりとティアンの手が肩からはずれた。 「大分遅れてしまった。急ごう」 小さくなったロノウェの背中に、駆け出そうとする玄秀。 ついにティアンの心が折れた。 「……ねぇ……待ってよ……。私、もうわからないよ。シュウ……」 萎えた足でがくりと地に膝をつく。 「お願い。私を…………一人にしないで……。どこへだってついて行くから……」 小刻みに震える己の体を抱き締め、涙をこぼす。 玄秀はどこかあわれむ目で彼女を見下ろすと、広目天王に合図を送った。 |
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