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黒の商人と徒花の呪い

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黒の商人と徒花の呪い

リアクション

 却説。
 アマンダが廃屋の前で泣き崩れる、その少し前。
 白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)とそのパートナー達は、黒の商人に接触するべく、ヴァイシャリーの街を捜索していた。
「ま、一度協力したくらいで奴らが信用する訳もねぇか」
 竜造のパートナーである松岡 徹雄(まつおか・てつお)の、一度出来た縁は大切に、という方針の下、今回も商人の肩を持とうと思っていたのだが。
 もしかしたらあちらから接触があるかも、と思わないでも無かったが、どうやら今回はおよびでないらしい。
 一度協力したとは言え、連絡手段も分からない。最初から捨て駒にされていたと言うことか。
 まあ、悪人なんてそんなものだ。それならばこちらから出向くまで。
「黒の商人と名乗るすばらしく善行働く奇怪な輩は! どこに居るのでしょうねぇっ! 是非本人様に会ってぇ、観察ぅううしてみたいっ!」
 気味の悪い口調でまくし立てているゼブル・ナウレィージ(ぜぶる・なうれぃーじ)も、本人なりに黒の商人に会いたがっているようで、捜索して居るつもりなのだろう。
「先に、例の呪いを掛けているという術者を探すのが得策と思ったんだけどねぇ。なかなか思うようにはいかないね」
 一行唯一の女性、アユナ・レッケス(あゆな・れっけす)と共に聞き込みを行っていた徹雄はしかし、やれやれと肩を竦めながら戻ってきた。
「黒の商人さんに……トモちゃんのこと、聞こうと……思ったんですけど……」
 怪しい黒い男の目撃情報は無いでは無かったが、あちらでちらり、こちらでちらり目撃されては、すぐに姿をくらましている様で、その足取りはようとして掴めない。
「おや……おぬしら」
 と、そこへ見覚えのある顔が通りすがった。
 辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)――以前の事件の折に、竜造達と同じように、黒の商人に荷担した人間だ。
「おぬしらも、あの男を捜して居るのか」
「も、って事は、てめえもか?」
「ああ、そうじゃ。護衛の契約を結んだはずなんだがのぅ……連絡が来んのじゃ」
「ハッ、あーんまあいつらの言うことは信じねえ方が良さそうだぜぇ? 『私たちを守りたい、その願い叶えましょう――では代償を』とか言い出しかねねえ」
 冗談交じりの竜造の言葉に、刹那はむぅ、と唸る。
「確かに、前回の仕事の報酬もまだじゃのう……まあ、前回は成功したとは言えぬかもしれぬが」
 契約破棄されたんじゃねえの、とにやにや笑う竜造に鋭い目線を向けてから、刹那はフイと踵を返すとどこかへと消えた。
「今回は、俺たちの出番はなしかねえ」
 ちっ、とつまらなそうに吐き捨てて、竜造は引き上げだ引き上げだ、とパートナー達を促す。
 全員それぞれの理由で黒の商人と接触したがっていただけに不服そうではあったが、四人だけで商人の足取りを追うには、少々無理があった。
 竜造たちは不機嫌そうな足取りで、ヴァイシャリーの街へと消えていった。

■■■

 アルフレドが無事帰還し、ジェシカの容態が落ち着いたということを聞いたアマンダは、その場で安堵に崩れた。
 はらはらと落ちる涙はまだ止まらないけれど、それはもう、悲嘆や後悔の雫ではない。
「呪いを、やめさせないと」
 キッと決意の表情で顔を上げた先には、先ほど彼女が走り込もうとして居た廃屋。
 その中に術者が居るのだということは、想像に難くない。
 しかし。
「やめて下さい、はいそうですか、って訳にはいかねえだろ」
「でも、私がけじめを着けなくちゃ。二人の前で、ちゃんと謝れるように」
「そのためには身の安全が第一。死んじまったら謝れねえ。援軍を呼んでくるんだな……全員この場所を血眼で探してンだ、教えてやれば飛んでくるだろ」
「……分かりました」
 アマンダは今すぐ飛び出していきたいのをぐっとこらえ、踵を返す。

 走り去っていったアマンダとドクターを物陰から見送って、ひとつの影がひっそりと廃屋へ入っていった。
 毒島 大佐(ぶすじま・たいさ)アルテミシア・ワームウッド(あるてみしあ・わーむうっど)のふたりだ。魔鎧であるアルテミシアを大佐が纏い、さらに光学迷彩でその姿を景色に溶かし、息を潜めて、中の様子を伺う。
 半ば朽ちかけたその廃屋は、外見は普通の寂れた家だったが、中は既に壁なども取り払われ、だだっ広い地面が露出して居た。
 その中では、三人の男達が円を囲むようにして立って居た。その足下を見ると、なにやら複雑な幾何学模様が描かれた上に、蝋燭、香草などが置かれている。さらに、室内にはおんおんと不吉な声が満ちている。いかにもだ。
 男達は誰も、黒いコートを身につけ、つばの広い帽子を深々と被っている。
 もし一度でも彼女たちが、過去に彼らの姿を見たことがあったなら、一目でそれが黒の商人だと気づいただろう。
 しかしあいにく大佐達は黒の商人に対する情報を持って居なかった。ただ、聞いている話からおそらくは黒の商人だろうと踏み、慎重に様子を見守る。
 ただの男達であれば迷わず、有無を言わさず力ずくで確保するところなのだが。
「ほら、やっぱりアマンダが犯人だった」
 女の勘は当たるのよ、とアルテミシアは得意げに、しかし男達に気づかれないよう小声で囁く。
 捜査のかなり初期の段階で、アマンダが怪しい! と決めつけたアルテミシアの意見で、二人はここまでずっと、光学迷彩で姿を隠してアマンダの後を付けていた。
 結論から言えば、その判断は正しかったことになる。
 さてどう仕掛けるか、大佐が息を詰めてチャンスをうかがっていると。
「やーやー旦那、お久しぶりィ」
 朗々とした声が、廃屋に響いた。
 突然の声に、男達は呪詛の声を止めてそちらを見る。
 入り口に、この世の不幸を一身に背負ったような男――ゲドー・ジャドウ(げどー・じゃどう)が立って居た。
 ほう、と男の一人が目を細めた。
「よく、見つけましたね」
「ずーっとアマンダちゃんの影に入ってからな。おかげで情報もたっぷり集まったぜ」
 けらけらと笑うゲドーに、商人の一人はほう、と感嘆の声を漏らす。
「それで、ご用件は?」
「決まってんだろ、この間叶えて貰い損ねた願いを叶えて貰いに来たのよォ」
 さあ、と言わんばかりに両の手を広げてみせるゲドーに、商人はにたにたと底の知れない笑みを浮かべる。
「俺様の願いを叶えろ! 俺様を幸せにしろ!」
「どんなことをしても――と、いう様子ですね」
「当たり前だろぉ! 幸せになれるなら他の奴らなんて知ったこっちゃねぇよ、好きにしろ!」
 まさに外道。
 一点のくもりも、ためらいもなく言い放ったゲドーの言葉に、商人はふぅ、とため息をつき、肩を竦めた。
「いけません、それは、実にいけない」
 芝居がかった調子で大げさに言うと、商人は大きく首を横に振る。
 何だと、とゲドーが激高するが、商人は意に介する様子さえ見せない。
「欲望だけは、合格なのですがね……エゴイズムの充足と、それに伴う絶望――それは必要条件です」
「何よくわかんねぇ事を言ってんだ? 要するに俺の願いは叶えられねーんだな?」
「残念ながら。貴方には絶望が足りないようだ」
 お引き取りを、と言う商人に、ゲドーはくっくっくと喉の奥を鳴らした。
「よぉくわかったぜぇ……俺の願いを叶えてくれねぇなら、他の奴の願いを叶える存在なんて邪魔なだけだ!」
 ばさぁと纏ったローブの裾を翻し、ゲドーはその全身から闇黒を迸らせた。
 その中に取り込んだ者の精神を見る間に蝕んでいく闇は、みるみる空間を埋め尽くす。(身を潜めていた大佐達は、巻き込まれないよう慌てて避難した)
 相手の視界と戦意を奪ったところで、サンダーブラストを放とうと構える。が。
 がつん、と突然視界が揺れ、脳みそを揺さぶられるような衝撃が走った。
「ふふ……無意味、ですよ」
 クスクスと笑う商人の足下には、ひとたまりも無く昏倒したゲドーが横たわっている。
 暗闇の所為で何が起こったのか、詳細は見ることが出来なかったが、大佐とアルテミシアの背に冷たいものが走る。
「さて、そろそろ出ていらしたら如何ですか、お嬢さん達」
 先ほどゲドーに応対した男が、ぴたり、と二人が潜んでいる空間に視線を定める。
 見えて居ないはずなのに、視線が合った。大佐の息が止まる。
「チッ……」
 仕方が無い、こうなれば先手必勝だ。大佐は自分のフラワシ、ソリッド・フレイムを先行させて、物陰から身を躍らせる。
 大佐のフラワシが、轟、と唸る炎をまき散らす。が、まるでフラワシ達が見えて居るかのように、商人たちはスッと身をかわし、大佐に迫る。
 まじかよ、と口の中で呟きながらも、何とか勝機を見つけようと真空波で牽制を仕掛ける。
 しかしこれもすべて避けられてしまい、見る間に商人達との距離が縮まる。
 フラワシを操って立て続けに炎を蒔かせるが、なにしろ最高レベルの契約者でも一対一の正攻法では歯が立たない相手だ。それが複数居ては、為す術が無い。
「くそ……撤退するぞ」
 歯が立たないと悟った大佐は、懐からインフィニティ印の信号団を取り出して、商人達に向かって投げつける。
 フラワシまで見透かしている様子の彼らが、果たして光学的な視野を持って居るのかは甚だ疑問だったが、しかし放たれた強烈な閃光に、男達は顔を覆う。
 今だ、と大佐はアルテミシアの鎧化を解除した。そして、先にアルテミシアだけを逃がす。
 いざというときはそうするという打ち合わせはしてある。アルテミシアは振り返らずに駆け出すと、廃屋を飛び出すなりトビの名を冠した空飛ぶ箒に乗って、アマンダが呼んできているであろう、契約者達を探して空を駆ける。
 残された大佐の方は、ソリッド・フレイムに命じて一層の大暴れをさせる。この際だ、疫病も振りまいてしまえ。
 先ほどまでは巻き込まれるのを防ぐために加減して放っていた焔も、手加減なしで放たせる。
 疫病の方はどれほど効果があるのかいまいち不明だが、しかし炎の方は効果抜群だ。さしもの商人達も、火に巻かれて身動きが取れなくなっている。
 とどめを刺すには至らないだろうが、足止めには充分。それに、これだけ派手に炎を放てば遠目からも目立つだろう。
 大佐は念には念を、実践的錯覚を用いて自らの正確な位置をくらましながら、廃屋を飛び出した。
 と、ほぼ同時、廃屋まわりにアルテミシアに案内された契約者達と、アマンダが駆けつけた。
 飛び出してきた大佐と入れ違うように、数人の契約者が廃屋へと飛び込んでいく。
「後は任せておいて!」
 先陣を切るのは騎沙良 詩穂(きさら・しほ)だ。そのすぐ後に御凪 真人(みなぎ・まこと)エッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)、そして白木 恭也(しらき・きょうや)が最後にひっそりと入っていく。
 廃屋の中は、先ほど大佐のフラワシが放った焔であちこちが煤けている。その中で三人の男達が、不気味に微笑んでいた。
「おやおや、しつこい方々だ」
「今回は直接的に動いていないと思ったら、こういうことでしたか」
 真人が、足下に残る呪術の残骸を見て呟いた。
「自分たちで呪いまで掛けるなんて、親切なことね」
「お褒めにあずかり光栄です。万全のアフターフォローを自負しておりますよ」
 商人はにやにやと口元を歪めながら、どこまで本音なのだか分からない口調でいうと、恭しく一礼してみせる。
「ロイヤルガードとして、人の弱みに付け込む行為と違法契約商法は許せません! 今度こそ逮捕します!」

 戦いの火蓋を切ったのは詩穂だった。
 ホークアイで視力を高め、一度手を合わせたときの経験をもとに、相手の行動を予測しながら突っ込んでいく。
 その隣では、真人とエッツェルもそれぞれ商人に向かって走り出している。
 が、商人達は誰もが余裕とも取れる笑みを浮かべて、構えようともしない。
「逮捕、とは面白いことを仰る。我々は何一つ、法を犯すような事はしていない」
「ジェシカちゃんを呪い殺そうとしておいてぬけぬけと!」
 詩穂の手から、ナラカの蜘蛛糸が放たれる。糸はしゅるしゅると音を立て、商人の手足を絡め取ろうと伸びてく。
 しかし商人は器用にその投擲を交わすと、たん、と地面を蹴って詩穂の懐へと飛び込んでくる。が、それは織り込み済みだ。
 詩穂の手がスッと前方に伸びる。拳を作って中空にそれを置くと、そこへ商人が自ら突っ込んでくる格好になる。
 カウンターが決まった、と思った次の瞬間、商人の姿がかき消える。なっ、と詩穂が目を見開く。
 空間を渡った――そうとしか表現出来ない動きで、商人は詩穂の横に姿を現した。
 振り向こうとする詩穂の横っ面を、ぱん、と静かな動きで張る。
 たったそれだけで、詩穂は吹き飛ばされ、壁に激突する。なんとか受け身は間に合ったが、したたかに背を打った。
 それでも何とか立ち上がり、再び商人達に向かっていく。

 真人もまた、同時に黒の商人のひとりと切り結んでいる。
「他者の願いを叶えることを代償に、あなたがたは何を望むのでしょう?」
 穏やかな真人の問いかけに、商人はしかし薄い笑みを浮かべたまま真人との距離を縮めようとする。
 シーアルジストである真人は、接近戦では不利。落ち着いて後ろに飛んで距離を取る。
「答えないつもりですか」
 やむを得ない、と真人はアウィケンナの宝笏を構えてサンダーブラストを放つ。
 本当ならばサンダーブラストでの牽制から、フェニックス、もしくはサンダーバードを召還して一気に追い詰めたいところだが、いかんせん室内では狭くて呼べない。
 真人は歴戦の魔術とサンダーブラストを柱に、距離を取りながら少しずつ追い詰めていく。

 はあっ、と気合いを込めると、エッツェルの全身から這い寄る混沌――無貌の神の力の一端とされる、闇が彼の体に纏い付く。
 それを放出するようにして商人にたたきつける。
 しかし、それ自体に攻撃力があるはずの闇を体に受けても、商人は至って涼しい顔をして居る。
 何、とエッツェルの表情に焦りが浮かぶ。その一瞬が命取り、商人の鮮やかな回し蹴りがエッツェルを襲う。
 それを間一髪、正面から喰らうことは避けたものの、バランスを崩したエッツェルは攻撃の手を止めることを余儀なくされる。
 クソッ、と吐き捨て、改めて呼吸を整える。龍鱗化、肉体の完成、痛みを知らぬ我が躯――肉体そのものの能力を高めるスキルは充分に揃っている。
 混沌の力も、放出して使っても効果が無いようだが、自らの力を高める、本来の用途で使えば効果は期待できる。
 ひゅっと鋭く息を吐くと、再び地面を蹴る。
 今度は落ち着いて肉弾戦を挑む。すると予想外に、商人は正面からエッツェルを迎え撃つ。
 完成された体術同士の、すさまじいぶつかり合いが続く。

 その、横で。
 恭也は一人、そーっと動いていた。
 目的は、部屋の隅の机に置かれた、ぱっと見呪術の道具にも見える、それ。
 商人達が大事にしているという、水晶で出来た髑髏だった。
「やっぱり、気になりますからね」
 これの正体さえ分かれば、黒の商人の目的など、もっとはっきり分かるだろう。
 幸い今ならば、三人の商人たちはそれぞれの相手と切り結んでいる。ばれないように回収出来るだろう。
 恭也だって契約者、戦闘が出来ないわけでは無いが、どうひいき目に見積もっても、今極限の戦いを繰り広げている目の前の六人の中に割り込める実力は、あるとは言えない。
 頂くものを頂いて、さっさと退散するのみ――
 と、髑髏へ手を伸ばした、瞬間。
 ぶわっと目の前の視界が歪み、突然空中から黒の商人の一人が姿を現した。
 うええ、と叫ぶと、今し方まで相対していたのだろう真人が慌ててサンダーブラストを放つ。
 しかしそれを労無く避けて、商人は水晶髑髏を手に取るとスッと身を引く。
「コレは、人間ごときが触れて良いものではない」
 今までの丁寧な口調の甘い声とは打って変わって、厳しく低い声が響く。
「よほど大事なものなんですね?」
「教えてやる義理などない」
「そうですか……」
 戦闘に加わるつもりも無い恭也は、降参です、のポーズをとっておとなしく引き下がった。
 まずは、あの髑髏が重要なものだと分かっただけでも、収穫だ。
「ふん……」
 恭也がおとなしく、隅で小さくなったのを見て、商人は口の端を歪める。
「……引き上げましょう。どうせ依頼人も、欲望を失ってしまったようだ」
 髑髏を大事そうに抱えながら、その商人が視線を入り口に遣って呟く。その視線の先に立っていたのは。
「アマンダちゃん、危ないから下がって!」
「いいえ、私が決着を付けなければならないんです。私は――」
 アマンダは数歩、部屋の中へと足を踏み入れると、大きく息を吸って、そして商人達をぴたりと見据えた。

「私は、この契約を破棄しますっ!」
 
 その、一方的な通告には、もしかしたら何も意味など無かったのかもしれない。
 しかしそれでも、アマンダは満足そうだった。初めて――自分の本当の気持ちを、口に出せたような気がして。
「やれやれ、契約破棄とは困った依頼主だ。しかし――今回は、こちらの負けにして上げましょう」
 一人がそう言うと、残り二人の男達も、戦闘して居た相手と途端に距離を取る。
 このままでは逃げられる、と思った詩穂はすかさず飛びかかり、最後の力を振り絞って右ストレートの一撃を繰り出した。
 それは、詩穂との激戦の末に消耗していた商人の頬を綺麗に捕らえる。
 確かな手応えがあった。しかし。
 ふっと男の姿が霧散する。
「おっと――」
 髑髏を持つ商人が、少し意外そうな声を上げる。
 しかしすぐに、引きましょう、と呟いて姿を消した。

 残されたのはアマンダと、四人の契約者と――床で焦げている、ゲドーだけだった。