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第二章

――バレンタインに彩られた街。だが誰もがバレンタインの夜を謳歌しているわけではない。
 幸福の陰には、不幸が存在する。光が生じると影も生じる。それが世界の理という物だ。
――とある男がいた。その男は街の所々に見えるカップルを避けるようにして、気付いたら人気の無い道を歩いていた。
「リア充死ね」と呪詛を吐きつつ男が歩いていると、ぽつんと立つ少女の姿があった。
「ねえ、リア充になりたいの?」
 突如、少女が話しかけてくる。自分に言われたと気付かず、男は辺りを見渡す。
「ねえ、リア充になりたいの?」
「あ、ああ……」
 男が頷くと、少女は包みを差し出してきた。
「あげるの」
 そう言って押し付けるよう包みを男に渡すと、少女は走って去っていく。
 なんだろう、と思い包みを開けると、中に入っていたのはチョコレート。
 一瞬、何が起きたのか男は理解できなかった。しかし、時間の経過に伴い自分の身に起きた出来事を脳が理解すると、男は叫んだ。

「我が世の春が来たあああああああああああ!」

 男がチョコレートに齧りつく。瞬間、その場は爆心地となった。

「これであの人もリア充になれたの」
 その光景を離れて見ていた少女――斎藤 ハツネ(さいとう・はつね)が呟いた。
「でも、誰も褒めてくれないの」
 そして寂しそうに呟いた、時であった。
「貴女が模倣犯か」
 ゆらり、と夜の闇から伝道師が現れた。
「今の一部始終を見させて頂きました。何ゆえ、この愛の日に人を爆破するのです?」
「キミに言われたくないと思うんだけど」
 アゾートがツッコむが何の事かな、と伝道師は華麗にスルー。少しその態度にアゾートはイラっとした。
「……お兄さん、『愛の伝道師』さん?」
 首を傾げつつ、ハツネが呟く。
「……お兄さん?」
「どうしたの?」
 一瞬、伝道師が眉を顰めたように感じたアゾートが問いかける。
「いえ、何でもありません……確かに、私は『愛の伝道師』ですが?」
 その言葉に、ハツネが目を見開いた。
「お願いなの! 伝道師さんの弟子にして欲しいの!」
「「……はい?」」
 今度はアゾートと伝道師が、首を傾げた。

「ふむ、成程……そう言う事ですか」
 ハツネの話を聞き終えた伝道師が頷く。
――『愛』を知りたい、とハツネは言った。
 ハツネは感情として『嬉しい』や『大好き』、『幸せ』という物は理解しているつもりである。しかしよく耳にする『愛』という物に関してはイマイチ解らない。
 その『愛』を知ることができれば、もっと誰かに褒めてもらえる。そんな風に彼女は考えたそうなのだ。
「伝道師さんの弟子になれば、それがわかると思うの。お願いなの!」
 ハツネが頭を下げる。
「いいですかえっと……ハツネさん?」
 伝道師はハツネに目線を合わせるようにしゃがむと、優しく肩に手を置いた。
「私は弟子を取るようなことはしていません。それに、私と一緒にいなくても貴女は既に『愛』を知っている筈です」
「私が、愛を?」
 伝道師が頷く。
「貴女に大事な人……そうですね、褒められて嬉しい人、一緒にいたい人は居ますか?」
「……えっと、お母さん……なの。抱きしめてくれたり、頭撫でてくれたりして、一緒にいて嬉しいの」
「そのお母さん、ですか? その人の事は好きですか?」
「うん、大好き」
「その感情が、貴女にとっての愛という物なのではないでしょうか?」
「……そうなの?」
「ええ」
 ハツネに伝道師がゆっくりと頷いた。
「……よく、わかんないの」
「まあ、皆すべて理解することなどできません。ただわかることは、今貴女がすることはそのチョコを誰彼かまわず配る事ではありません。その大好き、という感情を伝える事でしょう」
「……わかったの!」
 ハツネは頷くと、駆けだした。恐らくその『お母さん』の下へ。
「……意外」
 ぽつりと、アゾートが呟いた。
「何がです?」
「いや、なんか普通に対応するんだなって。てっきりすぐあの……RPG? を撃つんじゃないかと思ってた」
「……あの、私をなんだと思ってるんですか?」
「変態かテロリスト」
「泣きますよ?」
「けど、なんで弟子に取らなかったの?」
「……私も伝道師を名乗っていますが、まだまだ未熟です。全てを教えられません。そんな私が弟子など取れるわけがありません」
「……へえ、結構考えてるんだ」
「それに正直一発キャラの可能性が高い私が弟子をとってもどうしようもないんですよね」
「その一言で全部台無しだよ!」
「まあまあ……ところで、何やら明るくなってきましたね?」
「……そう言えば」
 アゾートが辺りを見回すと、街の通りの方がやけに明るい。
「ふむ、ちょっと行ってみましょうか」
 そう言って通りに出た瞬間、光がアゾートと伝道師を包んだ。

「裏通りから出てきた少女を確保!」
「今指名手配犯も出てきたぞ!」
「変態テロリストめ! おとなしく縛につけぃ!」

 通りにあったのはライトとそれを構えた警察達であった。

「どうですか、現状は?」
 現場から離れた司令室を備えたトラック内部。モニターを眺めている警官に鉄心が話しかける。
「今犯人が出てきたところです。拡大しましょう」
 警官が操作すると、モニターは人物を捉えて拡大された。そこに映っているのは、トレンチコートにハートが描かれた全頭マスクを被った伝道師だった。
「……トレンチコートの怪しい……確かに、変態のようですね」
 モニターを覗き込み、鉄心が呟く。
「……トレンチコート」
 ティーが何か思うところがあるように呟く。
「……変態」
「何が言いたいのかな?」
「い、いいえ!? 何でもありませんよ!? と、ところで避難はどうなりました!?」
 ティーが慌てて誤魔化すように言う。
「現在この通り周辺は封鎖しました。一般人へ被害は及ばないでしょう」
「そうですか」
 安心したようにティーが息を吐く。
「このまま取り押さえるんですか?」
「ええ。何、こちらは相当数を揃えましたから。すぐに捕まえ――」
 警官の言葉が止まる。伝道師が、銃を取り出したのだ。
「アイツ、攻撃してくるつもりか!?」
 鉄心が身を乗り出してモニターを見る。
「馬鹿な、この数で勝ち目など……」
無い、と警官が呟こうとした時だった。
 
『私に変態テロリストなどと汚名を着せようとしている点数稼ぎに勤しむ悲しきワーカホリック共! その愛無き身に愛を叩きこんでやりましょう!』

 伝道師の叫び声が、スピーカーを通してトラック内に響く。そして続いて聞こえてくる銃声、爆発音、何かが砕ける音、ぐちゃりとつぶれるような音、そして悲鳴。
「ば、馬鹿な……全滅、だと!?」
 あっという間に、伝道師を取り囲んでいた警官たちは全て倒されてしまっていた。
「う、嘘……」
 その光景にティーが信じられない、とように呟く。
「……不味い、こっちに来るぞ!」
 モニター内の伝道師が歩き出す。方向は、このトラックの方へだ。
「し、心配いりません。このトラックは防弾で――」
「ふんッ!」
「したけど、力技には無力でした!」
 伝道師が扉を引っぺがし、中へと入ってくる。
「ふむ、ここが指令室ですか……愛の更生といきますか」
 そう言うと、伝道師がRPGを構える。同時に、鉄心とティーが身構えた。
「……む?」
 だが、伝道師は何かを目にしたかと思うと、ゆっくりとRPGを下ろした。
「……何故撃たない?」
「愛ある場を爆破できません。感謝するんですね、その子に」
 そう言うと、伝道師はトラックから降りて去っていく。
「……その子?」
 鉄心とティーが、伝道師の見た先に視線をやる。
「……くぅ……すぅ……」
そこには、愛らしい表情で眠るイコナが居た。
「……助かったようだな、どうやら」
 張りつめた緊張の糸が切れたように、大きく鉄心が溜息を吐いた。
「ええ、イコナちゃんのおかげですね」
 そう言うと、ティーが眠るイコナの頭をそっとなでる。
「……大した沈没船だよ、ホント」
 呆れたように鉄心が呟くと、涎を垂らしつつイコナがにへら、と笑う。どうやら相当いい夢を見ているようであった。
「わらひにまかへればなんでもおけれすの〜……」
 相当、都合のいい夢を見ているようであった。

「……さて、ハツネは頑張ってるかね」
 外の空気を吸いに、高級ホテルから外出した斎藤 時尾(さいとう・ときお)が、一人先に街へと飛び出したハツネの事を思い呟く。
「大丈夫かのぉあの子は?」
 天神山 保名(てんじんやま・やすな)が呟くと、くくっと時尾が笑う。
「大丈夫、あの子は誰よりもいい子さね」
 その言葉に、保名がむっとした表情になる。
「何か含んだ言葉じゃのぉ……?」
「いや、葛葉もいい子さね。でも、うちの子が一番さね」
「聞き捨てならんのぉ? 確かにハツネもいい子じゃが、うちの子も聡いいい子じゃぞ?」
 そう言うと、保名が笑みを浮かべた。目は全然笑っていない。
「ほぉ……?」
「やるか……?」
 お互いの胸を突出し、笑っていない目でにらみ合う。第何次かもう数えるのも面倒になるほど行われた親バカ戦争がここで開幕されようとしていた。
「はあ、またか……ん?」
 溜息を吐きつつ天神山 葛葉(てんじんやま・くずは)がとある物を目にした。それは電気店の店頭に置かれたモニター、そしてその前に立つエッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)紫月 唯斗(しづき・ゆいと)だった。
「……おい、『愛の伝道師』ってお前の事だろ?」
 唯斗が言うとアザトースが黙って頷く。
 二人が見ているモニターに流れているのはニュース映像――『愛の伝道師』についての速報であった。
「しかし、やっている事は見過ごせませんね」
 静かにアザトースが呟く。
「どうする?」
「決まっています。同じ名を掲げる者として間違いを正しに行きます」
「……ま、確かに野放しにはできないな……ん?」
 その時、唯斗が自分達をじっと見る葛葉に気付いた。
「どうしました……おや、貴女は?」
 アザトースも気付いた、瞬間だった。
「えいッ!」
「「むぐっ!?」」
葛葉が【本命チョコ】を唯斗とアザトースの口にねじ込んだ。
「か、勘違いしないでよね! お兄さんたちの事なんてなんとも思ってないんだからぁー!」
 そう言うと、葛葉は顔を真っ赤にして走っていった。
「……なんなんだ、一体?」
「さあ……?」
 唯斗とアザトースが、チョコを咥えたまま顔を見合わせた。
「ほら見るがいい! あのツンデレっぷり! 可愛いったらないだろう!?」
「葛葉が可愛いのは認めるがうちの子の可愛さにはかなわないさね! 今頃街で愛振りまいているさね!」
 親バカ戦争はまだ終わる気配は無かった。尤も『うちの子が一番可愛いんじゃゴルァ!』と言い合うだけの不毛な戦争がそう簡単に終わるわけないのだが。