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オランピアと愛の迷宮都市

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オランピアと愛の迷宮都市

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 カツン、カツン……
 仲間達が転がり落ちて、消えてしまった階段を、エリザベータはゆっくりと降りた。
 視線は階段の下の灯の中からこちらを見上げている機晶姫に、じっと据えられている。
 その表情は硬く感情は読みとれなかったが、エリザベータには何故か、彼女が今にも泣き出しそうに見えていた。
 ……コツン。
 彼女の前に立ち、足を止める。
「私はエリザベータ・ブリュメール。あなたの名は?」
 静かに問うと、彼女は驚いたように軽く目を見開き、エリザベータを見つめ返した。
 それから、ゆっくり答えた。
「……オランピア」
 細く澄んだ、小鳥のような声だった。



4

「……さて」
 ダリルがつぶやいて、ノートPCから顔を上げた。同じく自分のノートPCで記録の解読作業をしていたルカルカが振り返った。
「修理できたの?」
 弾んだ声を上げるルカルカに、ダリルが呆れたように答える。
「無茶を言うな、この都市が崩壊したほどの障害だぞ」
「……でも、直せるんでしょ?」
 当然のようにルカルカが聞くと、ダリルは肩をすくめてモニターに目をやった。
「基本システム以外遮断して修復した。パワーを供給すれば再起動する筈だ」
「ほら、やっぱり。さすがダリル!」
 ルカルカが無邪気な声を上げたが、ダリルは僅かに顔を曇らせている。
「しかし、システムを管理する機晶姫が失われている」
「オランピア、ね。でも、海たちが追ってるのがオランピアだとしたら、連れ戻せるかも」
「正常に動作してるなら、無理にコクピットに接続する必要はない。問題は、おそらく機晶姫が暴走状態だということだ」
 ダリルは腕を組み、形のいい顎に手を当てて考え込む。
「……破壊されているならまだ対処もできるが……いや、むしろ海たちが破壊してくれれば……」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 ルカルカが声を上げて、非難するようにダリルを睨みつけた。
「オランピアを殺すなんて、そういうの、ダメだからね!」
 軽くため息をついて、ダリルはルカルカを見た。
 彼女の言い分を「理解」はできる。さっきからお互いの使う言葉が微妙にすれ違っていることも「認識」している。
 しかし、ダリルにとって機晶姫オランピアは、このシステムの故障した部品に過ぎない。
 それが全体を害する可能性があるなら、排除を考えるのは当然のことだった。
「システムとオランピアは魔力で直結している。このままシステムを再起動すれば、狂った機晶姫にパワーを供給することになる。最悪の場合……失踪した人々に致命的な危害が加えられる可能性も……」
「……繋がってるのね?」
 ふいにルカルカがそう言って考え込んだ。
「どうした」
 何か無茶なことを考えているのではないか……という嫌な予感がして、ダリルが声をかける。
 ルカルカは答えず、考えをまとめるように薄く目を細めた。
「それなら、システムを再起動すれば、ここからオランピアにコンタクトできる、っていうことじゃない?」
 ますます、嫌な予感が強まる。
 ……それとも、これは期待だろうか?
 矛盾した感情に戸惑いながら、ダリルは答えた。
「無論、コンタクトは可能だ。だが、オランピアが応えるとは……」
「ルカルカが、呼びかけるよ」
 きっぱりと言い切るルカルカのこの結論をどこかで予想していた自分に、ダリルは心の中で苦笑する。
「オランピアを治してあげて、ダリル。ルカルカが、きっと呼び戻すから」




「……オランピア」
 彼女が、ただここに紛れ込んだだけの者ではないことは、エリザベータには、すぐにわかった。
 セフィーたちが消えた時に発生した魔力の残り香が、彼女を中心に渦をつくっている。それは魔術師ではない彼女にでもはっきりと感じられるほど強いものだ。
「オランピア……ここで、何を?」
 静かだが僅かに詰問を思わせる問いを無視して、オランピアは言った。
「アナタも、ひとり?」
「……質問に答えてください。ここで、何をしているのです?」
「あなたも、探しているの?」
 エリザベータの言葉が耳に入っていないように、オランピアはまた聞いた。意味を掴みかねたエリザベータが眉を顰めると、さらに言った。
「いとしいひと、を」
 エリザベータは、思わずふっと苦笑をこぼした。厳しい表情が僅かに緩む。
「あの方は、ここにはおられません」
 オランピアは小さく首を傾げる。何かを思案するような僅かな間の後、歌うように言った。
「いいえ、ここには、何でもある……アナタが、それを愛するなら」
 オランピアの腕がふわりと上がった。
 咄嗟に身構えたエリザベータの眼前で、オランピアは手を広げる。
 その掌に魔力が集中するのと、その空間が不自然に歪むのを見たのは同時だった。
 何かを召喚している……そう感じて身を引きかけたエリザベータは、次の瞬間、それが何なのかに気がついた。
 ここにいる筈のない、人。
 人の形を取ろうとしていた「それ」が、不明瞭な声を発する。それは、エリザベータ……と呼んだように聞こえた。
「……貴様」
 瞬間、彼女の澄んだ緑の瞳が、怒りに燃え上がった。
「……愚弄するかッ!」
 幻を弾き飛ばして、エリザベータは地面を蹴った。伸ばした左手でオランピアの喉元を掴み、そのまま叩き付けるように地面に引き倒す。
 何の抵抗もなく倒れたオランピアの瞳が、不思議そうにエリザベータの瞳を捉えた。しかし、その姿は一瞬の感触を残して消え失せる。
「どうしたの、怒っているの?」
 背後から、オランピアの細い声がこきえた。
「……人々を惑わしているのは、貴方なのですね」
 エリザベータは冷たく燃え上がる瞳で地面を睨みつけたまま、ゆっくりと立ち上がった。
 おそらくこの空間を作った彼女は、自由に自分の座標を指定できるのだろう。力であれを止めるとしたら……一撃で破壊するしかあるまい。
 しかし、言葉で説得できる道があるのなら。
「オランピア?」
 返事はない。
 エリザベータはゆっくりとオランピアを振り返った。
 怒りの炎を鎮めるように、深く息をつく。そして、ぼんやりとこちらを見て立っているオランピアに、優しく言った。
「……悪戯もたいがいになさい。こんな空間に閉じ込めて、紛い物の愛を弄ぶなど……悪趣味ですよ」
「アナタたちは、おかしい」
 オランピアが口を開いた。
 戸惑いと悲しみの入り交じった瞳が、エリザベータを見つめていた。
「みな、それを求めて……ここに来る。ワタシのつくるしあわせな幻を、求めて。みな、喜び、満足して帰って行った」
 幻を追うように、オランピアの視線が空に彷徨った。それから、そっと目を伏せる。
「なのに、アナタは幻を拒絶する……紛い物と、茶番と呼んで否定する……それは、愛ではない、と」
 エリザベータは剣の柄に手を掛けた。
 オランピアが壊れているのだとしたら、或いはこのまま暴走するかもしれない。
「世界を作っても、アナタたちは幸福ではない……きっと、だから”彼”はここにいない……」
 もう、それはエリザベータに対する言葉ではなくなっていた。オランピアの瞳が見開かれ、昂った感情のままに叫んだ。
「彼に会いたい、彼、に……!」
「……オランピア!」
 これ以上我を忘れて激昂すれば、この空間に悪い影響を及ぼすかもしれない。
 もう、仕方がないのだろうか。
 絶望的な決心をしようとしていたエリザベータの意識の端を、別の気配が翳めた。

「あのう、少々伺いたいのですが……」

 ふいに聞こえた遠慮がちな声に、二人が同時に顔を向けた。
 二人の視線を受けたことに戸惑ったのか、暗がりから声をかけた彩里秘色は、ちょっと口をつぐんだ。
 それから二人を顔交互に見て、困ったように頭をかく。
「いえ、その……声をお掛けしたのは、神殿に行く方法をご存じないか、伺いたかったのですが」
 そして、オランピアの方で視線を止めて、その瞳をじっと見つめた。
「お二人のお話を漏れ聞いて、知りたくなったことがあります。伺ってもよろしいですか?」
 また、ずいぶん礼儀の正しい少年だと、エリザベータは小さく笑みを浮かべた。しかも、彼女が状況によってはオランピアを破壊するつもりで意識を張りつめていることに、ちゃんと気づいていながら……あえてそれを切って見せたのだ。
 ……面白い。
 エリザベータはわずかに緊張を解き、秘色にこの場を預けることに決めた。
「ありがとうございます」
 エリザベータの意図を汲み取った秘色が、小さく礼を言う。
 そして、オランピアに向かって、聞いた。
「……愛というのは、それほど大切なものなのですか?」