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【神劇の旋律】其の音色、変ハ長調

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【神劇の旋律】其の音色、変ハ長調

リアクション

 テーブルについてるテラー、クロウディア、パーシヴァルの元に笑顔でやってきたウォウル。彼女たちが座る席と対峙する形で、彼は椅子を引いてそれに腰かけた。
「お待たせしました。商談、でしたっけね」
「左様。にしても、良かったのか? 何やら向こうの方で」
「わかりませんが、大丈夫でしょう。彼等、僕の見る限りでは随分と教養と理解がおありだ。子供の我儘宛らな言葉で以て、僕を幻滅させるだけのそれはないと踏んでます。それにより――」
 机の上に乗せた両腕。肘で手をつき、随分と悪そうな顔のまま、にやりと笑っている彼は、クロウディア一人に目を向け、言葉を放つ。
「商談、ですよねぇ」
「……何か不都合が?」
「いえ? 別に何がある訳でもありませんよ? 商談、商談。ふんふん」
「どうでもいい。まずは単刀直入に返事を頂こうか」
「ええ。勿論。答えは『YES』ですよ。ただし、こちらの条件も呑んでいただけたのであれば、ですが」
「……がぅがげぅ! がぅ! ぐぎぃ!」
「『話が違うぞ。こちらは護衛も引き受ける』だそうです」
「ぐぅぅ……! ぎゃげぅ!ごががぎぃ!」
「『それではまだ駄目なのか』と」
 テラーの通訳の様になっているパーシヴァルの言葉を聞き、ウォウルは以前にやついた笑顔のままで三人の述べるのだ。
「それはそちらの提示した条件でしょう? 僕には全く関係ないし、僕は全く望んでいない。それは押し売りも良い所ですよ。だからこそ、交渉をするんです」
「がぅ………」
「確かにそれはそうだ! 我輩も一本取られたな」
 悔しそうに口を紡ぐテラーに対し、クロウディアが心から愉快そうに笑う。
「ならばそちらの申し出を聞こうか?」
「勿論ですとも。それでは商談成立です」
 そう言うと、ウォウルは近くにあった白紙を取ると、それを机の上に置き、両脇に下げているナイフで自ら指に傷をつけ、同じく近くにあったペンを手にして軸に血をしみこませた。
「今契約書を書きます。ご一読いただいて、確認ください」
「ふん。すまんな、手間をかける。本来ならばこちらがそう言う書面を作る必要があっただろうに」
「良いんですよ、こういうのはね。やれる誰かがやればいいんです。そう言った意味では形式など、会ってない様な物だ」
 すらすらとそれを書き終えた彼は、紙を返して反転させると、三人の前に提示した。
「金額にして10G。それでいいでしょう。但し、記載した条件が全て満たされれば、の話ですが」
 ウォウルの言葉を聞きながら、三人が紙の上に並ぶ、真紅の舞をまじまじと見やった。
「『今回の犯人は二人、我々よりも早い段階で捕縛したら――』か。ほう、それはそれで面白いが……」
「げがぅ! ぐぎゃぎゃ、げぅが!」
「わかりません。あの――」
 テラーが何やら疑問を持ったのだろう。パーシヴァルが返事を返すと、ウォウルの方を向いて尋ねた。
「ああ。僕の名はウォウルです。ウォウル・クラウン。何かまた縁がありましたら、その名でお呼びください。それで? ご質問は?」
「はい。つかぬ事を尋ねますが、貴殿らの総勢は何人でしょう。我々よりも多いですか?」
「勿論多いですよ?」
「ぎゃげぅ! がぁ!」
「『不公平だ!』と……」
「不公平な事はないでしょう? 貴女方が欲している物は、それだけ値打ちのある物だ。それを欲している皆さんは、同じだけの難易度の物を用意してますからね。だからそれは不当ではなく、不公平でもなく、勿論不条理足り得ない。それだけですよ」
「……よかろう。ただし、此処に一筆してある事は双方合意の上だ。後々泣き面を見るなよ? 若造」
「ええ。約束は、守りますよ」
 クロウディアが悪そうな笑顔を浮かべ、立ち上がる。
「行こうか。さっそくこの条件を達成する為に」
「がぅ!」
「あ、待ってくださいよ!」
 三人が早々に立ち上がり、踵を返して扉へと向かう。
「どうぞ、頑張ってくださいね」
 やはりニヤニヤした笑顔で三人を見送るウォウルも、立ち上がってハデス達の元へと戻るのだ。
「どうですか? ちゃんと僕の読み通りになりましたか?」
「……っ!」
 慌てて顔を上げたハデスと十六凪。どうやら完全に勝負は決まっていたらしい。
「なるほど、そこですか。で、どうしますか? ハデスさん」
「どうもこうもあるか! クソ……あと一息だと思ったのに……!」
 盤面は、ウォウル側、黒の王(キング)が孤立している。何も考えずに見れば、それはもうどうしようもないくらいの敗退だった。負け戦だ。が、しかし、そこで手詰まり。
「……ハデス様」
「何故だ……何故此処まで来て身動きが取れなくなる……」
 そう。盤面にキングだけが残ったとしても、即ちそれが勝ちには直結しないのが、チェス。特殊なルールがある中の一つ。この勝敗を表せば、それはたったのこれだけに還元される。

 『1/2 - 1/2』

 即ち、スティールメイト。

勝利に向かう存在の前、見えない影として立ちはだかる壁。強引な引き分け。
「もう一度……もう一度やれば」
「ハデス様。やめましょう……これはもう、我々ではどうしようもない」
 十六凪が立ち上がり、手にしていたビショップをウォウルに手渡した。
「……恐ろしいお人だ。貴方は」
「そうでもないですよ。勝利できなかった。しかし、負けてもいない。最初の約束通り、ハープは譲りません。僕に勝ったら、が条件ですよね?」
「いや! もう一度やれば必ず!」
「行きましょう、ハデス様」
「何故だ!」
「……ハデス様は健闘されました。されましたがしかし、この場合は彼がおかしかっただけです」
「……何が言いたい」
「いえ。何も」
 と、ハデスを出入り口へと促す十六凪。
「……ふん、では今日のところはこれで潔く引いてやろう……しかし次こそは必ず!」
「ええ。今度は何もかけず、のんびり楽しみましょう。貴方とは随分と楽しめそうな気がしますから」
 ウォウルは手を振り、彼等を見送る。見送って、チェス盤を眺めた。
「ギリギリ、でしたね。本当に」
 驚きが見えない様にしては居るが、彼の本当に驚いていたらしい。
「何の気なく、全く考えてなかった手。此処にもし、ビショップが居たら……」
 十六凪に手渡されたビショップを置くと、その形はしっかりとチェックメイトのそれ。
「荒削りですが、実に面白い……今度はお茶でもしながら、ゆっくり楽しめる日を願うとしようかな。ねぇ、ハデスさん」
 ため息をついてから、彼はハデスの座っていた席へと腰を降ろすのだ。



     ◆

 扉の前、どうやら此処までたどり着いた彼女たちが、その扉をゆっくりと押し開けた。
「遂に目的の……」
 トレーネが言いかけて部屋に足を踏み入れると、ある一点を見つめたままに固まった。
「ちょっと姉さん? 早く入ってくれると助かるんだけど」
 シェリエが次いで、動きを止めているトレーネの脇を抜けて部屋に入る。
「ようこそ。気に入っていただいてます? この催し物は」
 両手を広げ、そう言い切るはウォウルその人。
「……貴方がその、ウォウルさんとやら、ですわね」
「如何にも」
「あちゃ……見つかっちゃったかぁ……」
 シェリエが頭を抱えて言った。
「予告までは良いですが、下の様に『見つからずに』と言うのは多分、無理ですよ。こちらはコントラクターさんたちがいますからねぇ」
「盗む人間がコントラクターでも、ですか?」
 アルティツァが笑いながらに言うと、ウォウルは笑顔で頷いた。
「何ともまあ嬉しい事に、かなりの方が僕たちに協力してくれていますからね。それこそ、その監視網を逃げ切る、と言う事は出来ませんよ。それに――少人数で来ればばれないでしょうが、こういう局面には頗る弱い。例えば総力戦だ。それはもう、脆弱過ぎて話にならない。如何に手練れのコントラクターさんたちであったところで、同じだけの実力差を持ったコントラクターさんたちに囲まれれば、そこ勝機はありません。姿を隠す術があれば、同時にそれを看破する術もある。一瞬が命取りなのに、その一瞬すらもなければそれは、恐らく意味をなしません」
「……あいつ、頭おかしいんじゃねぇぎゃ? 言ってる事が今いちわからんぎゃ、わしにゃあ」
「いや、恐らく正論だ。私としても、それはきつい物があると、今なら思える。何せ此処まで防衛線が敷かれているとは思ってもみなかった。一般の学生が持てるだけの防衛網ではないからな」
 邦彦の言葉の隣、シェリエが心配そうにトレーネへと声を掛ける。
「トレーネ姉さん……!」
「良いわ。交渉してみましょう」
 ウォウルに聞こえない様に、小さな声で言葉を交えた後、トレーネが一歩前へと踏みでる。
「初めまして、ですわね。わたくし、トレーネ、と申します」
「これはどうも」
「早速なのですが、それをわたくしたちに譲っていただくことは出来ないかしら?」
「無理ですね」
「何故?」
「何故でしょう。意味はないかもしれません」
「ちょっと待ちなさいよ! こっちには意味があるのよ!? それを意味がないからって、あんたの我儘に付き合うだけ、暇でもなければ無意味でもない!」
 トレーネとウォウルのやり取りに割って入ったのは、パフューム。
「それは貴女方の都合でしょう?」
「でも、事情は確かにあるみたいなんだ」
 託が応援に割って入った。
「そうですか。でもだからと言って、持ち主になんの相談もなく、何の商談もなく、何の示談もないままに、勝手にそれを持って行くのは、それは列記とした犯罪行為だ。それがまかり通る程に、世の中は甘くはないはずですがね」
「そりゃあそうだねぇ」
 肩を竦め、託が引き下がった。どうやら次の言葉を探しているらしい。
「実はそれ、ワタシたちのお父さんの物なの。それで、それを集めてるのよ。要り用なの」
 シェリエが次いでウォウルへと向かう。
「そうですか。それは美談だ。美しい。ですが、それもまた、僕の持ち物を得るだけの理由たる事はないし、理由には出来ない」
「じゃあ聞くけど、商談を持ちかけたらそれに応じるのかしら?」
「いえ? 応じる気はありません。僕は生憎、お金には困っておりませんので」
 へらへらと、笑う。
「じゃあ武力行使しか、ないよね。この部屋、あんたしかいないじゃん。って事は、あたしたちが束になれば、そんなもの簡単に手に入るよ。無事じゃあ済まないかもしれない。此処は大人しくあたしたちにそれを渡せば――」
「おや? 気付いてませんか? 扉の前。随分と前からいましたけどねぇ」
 ウォウルが指を指すと、彼女たちが入ってきた扉が開き、其処からラナロックたちが現れる。彼女たちは既に、包囲されている形になっていた、と、そういう事である。
「うわぁ……ズルいなぁ……」
「ズルくはないですよ? いかさまではないです。これは正攻法で、僕の苦手な立ち回りだ。残念ですが、それでも貴女たちはもう既に、勝ちを持てない」
「最終的にハープを手に入れれば、それで勝よ」
「そうですね。まあそうなりますね。ですが果たしてこの防衛網から、この大きさの物を持って無事に脱出できるとお思いですか?」
「できなくはありませんわ?」
 トレーネが不敵に笑い、そして身構える。が、それもそこで終わり。停止する。彼女は動かない訳ではなく、動けなく、なる。
「残念だけど、動かないでよね。全く、あたしらの事なんだと思ってるかな。ウォウルは」
「文句は言わない約束でしょ」
「全くだ。俺たちはこの暴挙を止める為に来たんですから。それ言いっこなしですよ」
 トレーネに突きつけられている武器の先。
セレンフィリティ、セレアナ、唯斗が彼女の動きを完全に止めていた。動けば無傷では済まないと、そう言わんと手にする凶器を突きつけながらに。
「………」
「そんな怖い顔、なさらずに。折角の美人が台無しですよ?」
「ウォウル……あんた発言が完全に悪役」
「いやいや。彼、この状況じゃあ結構悪役だからね? そして私たちもそれに準ずる。はぁ……確かに困ってるらしいとは聞いてたけど、なんかこういうの違う気がするわ」
 セレンフィリティとセレアナが互いにため息をつきながら、しかし一向に構えを解くことをせず、佇むだけ。
「そろそろ夜も明けます。僕たちだってみんながみんな、明日がある。明日があって、日常の生活があるんですよ。残念ですが。誠に残念ですが。まあ、楽しめはしたので、後悔やらはありませんけどね。っていう事で、そろそろ観念してください」
「まあ落ち着こうか」
 ウォウルの言葉を遮って、彼等、彼女等の前に現れたのはルファンと顕景。
「どうせならば、もう少し話をしてからでもよかろうよ。我々が出張った意味も欲しいところだし」
「そうだよね。やっぱり僕たちとしてもさ。この状態のちゃんと収束させたいっていのはあるから、ただ終わらせるのは違う気がするよ」
 顕景の言葉に継いで、ラナロックたちの脇から現れたのは北都たち。
「まずさっき、お父さんがどうとか、って言っていたけど、それって?」
「………」
 誰にともなく向けられた質問に、トレーネ、シェリエ、パフュームが口を閉ざした。
「黙っていた所ではじまるまいよ。言ってみるといい。それを聞くだけは聞いてあげよう。聞くだけ、話すだけならば何が発生する事もない」
「それは、断るわ。残念だけど」
 暫くの沈黙があった。沈黙があって、返答があった。シェリエの返答。そしてその言葉でパフュームとシェリエ、ネルと夜鷹が一斉に動きを見せ、トレーネの身動きを封じているセレンフィリティとセレアナ、唯斗を突き飛ばす。
「あたしたちね! 絶対にそれを手に入れなきゃいけないんだよ! だから此処で、配送ですかと引き下がれるほどの物は持ってきてない!」
 彼女たちが一斉に武器を構えたタイミングで、扉に立っていたラナロックたちが全員で武器を手に、トレーネ達を包囲し始める。連携などと言う言葉が似合わない程、全員が全員で迅速に取り囲み、武器を構えて対峙する。
「困りましたね、四面楚歌……どころの騒ぎじゃない…」
「全面包囲されて四面楚歌は、流石に甘すぎるよね」
「真人、託、そんな事言ってる場合じゃないよ!」
「何やなんや! ちょっとちゃめっけだして武器出したっただけやん! 随分と自分等大人な対応やないんちゃうの!?」
 軽口を叩きながらに構えを取り、包囲されている状況に警戒している彼等。
「理由はどうあれ、悪い事なんだから諦めて、ちゃんと話し合いで解決しなきゃ駄目だよっ!」
「そうですよ。ウォウル先輩も、ラナ先輩もお話をすればきっと事情を分かってくださいますよ!」
 美羽とベアトリーチェが懸命に彼女たちに呼びかけるが、しかしどうやら少なくとも三人は――トレーネ、シェリエ、パフュームの三人は頑として構えを解くことはない。
「なぁ、ウォウル殿。この状況は、些か不味いのではなかろうか……と、わしは思うが」
「関係ないだろう? 因果応報というやつだよ。それに私は戦わんぞ。面倒だし、止めに行くならルファン、君が行くといい」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
 ルファンの危惧も、顕景の言葉も。ある一点で変化する。この状態そのものが、変異する。
「ウォウルさん。強引に止めちゃってもいいんだよねぇ?」
「俺は初めからそのつもりだがな。まあ、再三言ってるが、止まる止まらないは、知らんがよ」
「これだけの人数が居ればほぼ止まるとは思いますけどね。北都や私たちが止めるべきは、寧ろラナさんたちじゃないです?」
 北都の言葉も、ソーマの意気込みも、リオンの心配も。やはり彼の登場で、全ては変異する。変化する。停止し、至って幕引きだ。
「行きますわよ、シェリエ、パフューム」
「ええ! 怪我をしてでも、あのハープは……お父さんのハープはワタシたちが!」
「ちゃんと返してもらうんだからねっ!」
 パフュームが言い終わり、膠着状態が動き出す。それは戦闘行為であり、それは危険な状況であり、そしてそれは何とも狂気の沙汰であった。全員が全員で入り乱れての大乱戦だし、皆が皆、寸前のところで全てを交わす。
味方の攻撃も、敵の攻撃も、その全てを寸前で躱しながらのこの状況。戦々恐々たる存在は其処には不在であり、心配していた一同を始め、ある数名を除いては、一歩間違えば命を落とすそれだった。が、しかし。

 それであったのは認めるが、だとしてもしかし。




 彼は随分と余裕で以て。

 彼はあまりに滑稽な物を持って。

 その混沌が中を通過する。

 焦っている様子はない。驚いている様子もない。別段脅える事もなく、別段殺意を抱くでもなく、至って平然と。極まって平静を。
いつしかウォウルの隣に立っていた綾瀬と、変わらず近くにいた顕影が、戦闘に参加せず、終始この状況を見ていた三人が、追わずくすりと笑ってしまう程に。彼はどこまでも普通で以て、その戦場を歩き続ける。最小の動きで降りかかる危機を全て回避し、すり抜け、通り抜け、歩き続けてその三人の元へと向かっているのだ。

 そして一言――やはり終始、間の抜けた様な言葉を、呟いた。


「なあ、おでん食う?」

 日比谷 皐月(ひびや・さつき)   その人。