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2/高級ホテルにて

 この光景を見れば誰だってなるほど、ニルヴァーナはやはりまだ、開拓の途上なのだな、と納得できるだろう。
「まだまだ、発展の途中。満天の夜景とはいかない……か」
 ニルヴァーナ・グランドプリンスの最上階にある、展望レストランに隣接したラウンジ。身に着けたスーツの両腕を組みながら、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)は眼下に広がる眺望を、壁一面の窓ガラスから立ったまま、見下ろしている。
 食事までの時間を静かにひとり、そこに過ごしている。
 いや。いたのだが。

「……あれ。ルカさん、スーツなんだ?」
「耀助。──それに」

 この企画の案内者、といったところの仁科 耀助(にしな・ようすけ)に連れられた、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)のペア。それぞれ皆、正装をしている。

「なんだ、せっかくの招待なのに。ちょっとくらい、ドレスで着飾ったりしてもいいんじゃないのかい?」
 その、耀助とエースとがしげしげと、ルカルカの服装を上から下まで眺めている。
 給仕がやってきて、それぞれに飲み物を訊ねていく。メシエが柔らかい物腰で、注文を済ませる。
 それを見つつ、ルカルカも手の中のグラスを軽く呷る。
「持ってきてないのよ。それにあんまりドレスって得意じゃない。似合うかどうかもわからないし、ね」
「そうか? そんなことはないと思うけど」
 無理無理。苦笑いとともに首を左右に振る。そうしているうちに、飲み物をトレーに載せて、給仕が戻ってくる。
「どうだった? プールのほうは」
「うん、まあ上々、かな。高級を謳ってるなら一応及第点はあげていいんじゃないかな」

 しっかり温水も完備してあったし、内装も悪くない。
 エースの言に、ルカルカは少し考える素振りを見せる。

「そう。お風呂も、まずまずだったわ。シティホテルとしてなら、十分すぎるくらいだと思う」
 あとは実際にオープンしてみてからの料金設定と、プラン次第でしょうね。
 乾杯。軽くグラス同士を四人、打ち合わせる。
「ただまあ、スタッフの対応はまだちらほら不慣れな感がある、かな」
「やっぱり? こっちも同意見だ」
 どちらにせよ──様子見といったところ。
 と、食事の準備ができたと、給仕が四人を呼びにくる。そうそう、こうやって会話の腰を折るあたりがまだ、改善の余地ありの接客であるということ。
「エース」
「?」
 なにやら、耀助がエースを呼び止める。さ、行こう。メシエに背中を押されて、一方ルカルカは給仕の案内についていく。

「あれ? ふたりは?」
「ちょっとだけ」

 ちょっとだけ、何よ?

「まあまあ、ひと足先に席で待っていようじゃあないか。窓から夜景でも眺めながらね」
 結局、それに流されていく。
 事情の呑み込めないまま、そういえば彼らにはいつ渡そうか、と部屋に置いてきたお土産の、バレンタインチョコのことを思い出す。
 まあ、どうせ全員このホテルに泊まるのだ。チェックアウトまでに渡せれば、それでいいか。





「そんな、拗ねないでよ」

 その、すぐ下の階にある大浴場──いくつもの岩風呂や露天風呂が組み合わさった広い広い、浴場だ──に、セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)はいた。
 他に誰もいない、その大浴場。その中心の岩風呂に、両膝を抱えて顔の半分くらいまでを沈めて、ぶくぶくと泡を立ててしょげ返っているパートナーを呆れがちに、バスタオル一枚のセレアナは見下ろしている。
「いいのよ……どーせ、あたしなんてシャンバラいち不幸な美少女なんだから……慰めなんていらないわ……」
 二十一歳にもなって自分のことを美少女って言うのもどうだろう。いじけるセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の様子に、どうしたものかとセレアナは額を押さえる。
 まったくもって、良くも悪くもノリで生きているというか。

 最初のサイコロで、このホテルの目を出した時のはしゃぎっぷりからすればもはや、見る影もないくらい落ち込んでいる。
 どうにか宥めすかして、調理の手伝いだけは最低限、ルール通りにやらせたものの。せっかくの旅行の間じゅう、このテンションでいられるというのも困る。

「ねえ、セレン」

 爪先から、温泉にセレアナもまた入っていく。

「ごはんのことなんだけど」
「……知ってる。カップ麺なんでしょ。えー責めるならどーぞどーぞ、悪いのはあたしですよ、サイコロで食えない目出しちゃったあたしのせいですよ」
「やけっぱちにならないの」
 彼女と、背中合わせ。慰めつつ、セレアナは腰を下ろす。天井の、鍾乳洞を模しているかのようなごつごつした表面を見上げて。
「ね。ひと足先に厨房から追い出しちゃったの、怒ってる?」
「別に、そんなことはないけれど」
 偏にそれは、セレンフィリティの超絶的な料理下手ゆえに。サイコロのせいだとか、そういうのではない。あとは──今にも手をつけてしまいそうに羨ましそうな眼つきで、彼女が完成していく料理をまじまじと見つめていたということもある。
 くさくさした気持でいるよりは、温泉にでも浸かってきたほうがいい。そう思って、セレアナが彼女を先に行かせた。
「そっか、よかった。あのね、実は厨房でひとつ、収穫があってね」
 そのまま、セレアナは厨房を手伝い続けた。その結果を、セレアナは得た。
 カップ麺だって、ふたりで食べるなら別に悪くはないけれど。それよりもきっと、ずっとずっと素敵なこと。

 フルコースの料理とまではいかないまでも──ね。

「気持ちいいわね、このお風呂。広くって、静かで」
「……うん」
 さて、いつそれを伝えようか。
 背中と背中をくっつけあって、セレアナは考えていた。
 凹んでいる彼女への、福音を。少しばかり温泉で癒されているはずの彼女を更に引き上げる、言葉のタイミングを、量っていた。


 そして、彼女たちの浸かる温泉の下。足元どころか、床すら抜けた遥か下層にて。


 もう一組、おあずけを喰らっているペアが、いた。
「……それは、何?」
 少女の目の前には、テントがある。
 よりにもよって、その向こう側に高層のホテルが聳え立っているにもかかわらず、だ。
 ここをキャンプ地とする、といわんばかりに彼女の足元に備え付けられたそれは、テント以外のなにものでもなかった。
 なんで、よりによって、それがあるの? ジト目を向ける荀 灌(じゅん・かん)が、パートナーに対しそう思うのも至極当然、無理なからぬことであったといっていい。

「テント!! テントです!!」

 いや、だからそれはわかってるってば。どこにそんな要素があるのかわからない、誇らしげに胸を張ってこちらにドヤ顔を向ける芦原 郁乃(あはら・いくの)の様子に、灌は頭を抱えたくなってくる。
「お姉ちゃん……意味がわからないですよ……?」
 と、いうか。責任、感じてます? そりゃあこっちから積極的に責めるつもりは毛頭ないけれども。少しは自分がサイコロ振って出した目について、なにか思うところとか、ないんでしょうか?
「説明。してもらえますか……?」
 こめかみに微かな頭痛を覚えながら、灌はそれでも郁乃の言葉に対し聞く姿勢を見せる。
 一方の郁乃はといえば、変わらず胸を張って、能天気な表情で夜空の下、テントの隣に仁王立ちを続けている。
 って。しっかり撮影スタッフまで連れてきてるし。
「だから。ここまできちゃったらとことんやるべきかなって」
「……何を?」
 ばんばん。テントを叩く。腹の立つくらい、大袈裟に。
「いっそ食えないのなら!! どーせならテントに泊まろう!! そのほうがきっとおいしいし!!」

 ね! サムズアップをする郁乃。
 ね! じゃない。絶句する灌。なんと、対照的な。

「きっとこれはこれで楽しいって!! ふたりっきりのテントツアー!!」
「……か」
「へっ?」
 絶句して。そして──灌の感情は、限界を突破する。お姉ちゃん、と慕う彼女のあまりの能天気さに。

「お姉ちゃんの……馬鹿……っ」

 もう言葉がそれ以外、見つからない。その感情に、灌はがっくりと膝をついてその場に脱力した。

 ほんとに、バカ。