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水宝玉は深海へ溶ける

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水宝玉は深海へ溶ける
水宝玉は深海へ溶ける 水宝玉は深海へ溶ける

リアクション

 高峰雫澄は温和で争いを嫌い人を傷つける事を良しとしない青年だ。
 しかしながら大事な人達を守る為ならば此処一番で力を振るう覚悟と信念を持っている。
 何時しか本人の与り知らぬ所で増えていた彼を心密かに慕う少女達が、そんな彼の人柄を証明していた。
 端的に言えばこの青年は『感じの良い奴』なのだろう。
 しかしそんな彼の、歪んだ目から見れば腹立たしい程の正義感は今、密かに燃え上がっていた。
「(ジゼルさんが兵器って……何でそうなるんだ!
 彼女は優しい子だ……。彼女の事を知ってたらそんな風には……!)」
 『守りたい』思いが原動力のこの雫澄の大切な人間達の中で、『守りたい』と、そのまんま素直な感情を向ける相手
 ――ジゼルが行方不明になり原因を掴みかけてきた頃から、
雫澄の頭の中は巡り回りぐるぐると混乱している。
 原因の一つはこれだ。
「(アレクさんが隊長だって? 何で……ジゼルさんを守ろうとしていたじゃないか!)」と。
 時間にすればほんの一分にも満たない間だが、
あの空京に幻影の鬼が出現した日、確かに雫澄とアレクはジゼルを守る為に共闘したのだ。そのはずなのだ。
 では何故守るべき相手を殺すと言うのか。
 雫澄にはさっぱり理解出来ない。
「アレクさん!
 君は……何でこんな事をしてるんだ!
 今すぐやめてくれ!
 君は彼女の事を守ろうとしてたんじゃないのか!!」
 思いの丈を愚直にぶつけて、雫澄は戦いの場に飛び込んで行く。
 とある事件の折に目覚めたその能力は、片刃の長剣となって雫澄の手の中へ生まれて来た。
 得体のしれないその武器の出現に、アレクは己の大太刀を雫澄のそれに搗ち合わせず、目潰しの光で撹乱し間合いを取る。
 答えが帰って来ないのを知って、雫澄は覚悟を決めた。

「君には君の理由があるかも知れないけど、僕にも――

 僕たちにも理由があるんだ!」
 理論では説明の付かないそれを人は超理の波動と適当に呼称するが、あれはそいつだろうと断定し、
アレクは真正面から飛びかかる。
 雫澄もまた、それを受けた。
 上段と下段からの鍔競り合いの中、雫澄は叫んでいた。
「彼女は大切な人だ……友達なんだ……!
 戦う理由なんて、それで十分だ!!」
 何処かで聞いた様な台詞を吐いて、雫澄は長剣になっていたその青白い波動を爆発させる。
 それは巨大な刃の形を取り、アレクの身体をそのまま薙ぎ払うように動いた。
 アレクはそれに気づいて舌打ちと共に大臀筋とハムストリングに加速をかけ、
がら空きだった雫澄の左へ向かってすり抜けようと走り出す。

 が、その刹那――
 アレクの右側に回り込んだ雫澄の波動は急速に収縮しハルバードの形を取っていた。
「そこだ!」
 瞬間的に視界から消えたそれに、アレクは対応出来なかった。

 『見えなかった』のだ。

 アレクの右が極端な弱視である事を雫澄は知っていた。
 アレク自身から聞かされていたからだ。
 だからそれを狙う事は一度貰ったアレクの好意を撥ね付けるのと同義で、
人間として卑怯だと言われるような事をしていると承知している。
 それでも狙わざるを得なかったのは、
あの日感じた歴然たる力の差の所為か、それともジゼルを守ろうとする必死の思いからなのだろうか。
 雫澄の得物の中央にある突き刺す為の刃は確実な手応えを感じ、アレクの太腿から血が噴き出す。
 剥き出しに食いしばった歯と壮絶な迄に剥かれた目に睨みつけられ、雫澄の繊細な心は逆に自分が刺されたように痛んだ。

 一瞬の思い迷う心は虚を付かれ、正面から飛んで来た手を見過ごしてしまった。

 アレクは左手で雫澄のパーカーの襟首を掴むと、刀を柄を手にしたまま雫澄の顔面に真正面殴り掛かった。

 この拳を馬鹿正直に当てる攻撃は素人には向いていない。
 特別に鍛えていければ自分の方もダメージを喰らうからだ。
 体術は軍式の近接格闘術をメインにしていたアレクも鍛えていたのはもっと分かり易い確実な仕留め方だったので、
物を持ったままの右手に全力を込めた彼の手首がどうなったか至近距離で音を聞けばそれは瞭然たるものだったが、敢えて正面をきって殴ったのだ。
 何故そうしたのか問われても
「殴りたかったから」
 と、それしか言えない勢いだった。

 だが殴られた雫澄の方もまた然りだった。
 両手にあった波動はとうの昔に消えている。
 相手と同じく真正面から殴り掛かった手を避けられ、
雫澄は代わりに自分よりも幾らか上にある顔面に向かって不格好でも頭突き喰らわせた。
 だがアレクは雫澄の襟首を掴んだまま倒れず、速攻で下から掌で雫澄の顎をかち上げる。
 そうして相手が脳を揺らしている間に、自らの腕を巻く様に左へ持ってくると、その肘を雫澄の首へ向かって体重ごと落とした。
 アレクが軍人である父親から教わった格闘のルールは唯一つ、
『一度戦い始めたら最後迄やれ。どんな方法でもいい。殺すまで責任を持て』。
 そんな訳で武器では無く肉体を行使していたアレクは、剥き出しの習性が生むとても自然な流れで雫澄を殺そうとした。

「アレクやめろ!」
 間一髪その場に現れたエースの放った忠実なる黒い薔薇がアレクの殺人を邪魔をしたお陰で、
既に意識の無い雫澄へ止めは刺されなかったが。

「行きます!」
 宣言しアレクに向かって階段を駆け下りて行くエオリアの背中に、エースは頓狂な言葉を掛ける。

「殺さないで手加減するんだ」と。
「(手加減なんて、こっちが凄く強い時しか使えない手じゃないですか)」
 言葉の代わりに飛んで来た無言の抗議に、エースは小さく微笑んだ後、すっと真面目な顔なってパートナーへ言った。

「じゃないとジゼルが泣く」



「何なんスかコレ……どういう事なんスか!!」
 駆け下りたホールで行われていた戦いに、『もんのすごーくムカついていた』相手の見知らぬ姿に、
キアラ・アルジェントはそう口から零した。

 ある者は説得され、またある者は戦意を喪失し、『組織』の隊士達は全てホールへ戻ってきていた。

 そこでは彼らが隊長と慕う男が数限りない傷を負いながら、
己の血で作った赤い水溜まりの中で彼を止めようとする契約者達と戦っている。
 孤軍奮闘と言う美辞麗句では流す事が出来ない殺気迫る何かに、キアラは震えを抑えて叫ぶ。
「Signore! 幾らなんでもやり過ぎっス! もうやめるっスよ!!」
 こちらを一瞥した、とキアラが思った時、動けなくなる程の強い視線が飛んでくる。
 それは『こっちへ来るな』とも『邪魔をするな』とも取れた。

「……こわれた……」
 偶然から壊してしまった玩具を前に茫然とするように、トゥリンは呟く。
 それはアレクへ絶対の信頼を寄せていたトゥリンにとって、
一緒にそこまで降りて来た桐ヶ谷と東の服を両手で掴んでいないと、倒れそうな衝撃だった。

 神崎とハデスらを伴って降りて来たトーヴァは、
状況を遠くから見ている男を見つけその胸ぐらを掴んで掌を高く振り上げた。
 だが、その掌が男の頬を張り付ける事無く、代わりにトーヴァは彼の名を叩き付ける様に叫んだ。
「リュシアン・オートゥイユ!!」
 そう自分の名前を呼ばれても、リュシアンは惚けたような笑っている様な顔でいる。
「アタシはアンタの事を『知ってた』!
 でもそれが間違った想いからきてる訳じゃねーって信じて止めなかった!
 でも今アタシは後悔している!!
 アタシはアタシを殴りたいし、アンタの事も殴りたい! どういうつもりだ!!」
 両手で胸ぐらを掴んだまま前後に振られ、リュシアンはやっと控えめに口を開けた。
「……だって……。むかつくじゃないですか。
 あのねトーヴァ。アレクの孤独に寄り添えるのはパートナーである僕だけだった……はずなんです。
 唯一の、一人であったはずなんです。
 彼の敬愛するお爺様と同じ顔でも、どれだけ彼を理解していてもそれでもアレクが僕を避けるのは、
僕が彼が忌み嫌う兵器の一つだからだとそう思っていたのに、じゃあ何故――」
 リュシアンは階段の上へ姿を表した少女へ向かって己の恨みを当てる様に指をさした。
「何故あの女なんです!?
 妹と同じ顔で、非力な『女の子』で、
 でも僕と同じ……いえそれ以上にタチの悪い兵器であるはずなのに――
なのにあんなに想ってもらえるなんて許せないじゃないですか!!」
 涙も流さず吐き出された呪詛の言葉に、トーヴァは怒りに震えていた両手を力無く放した。
「…………もう勝手にしろッ……!!」
 今ここでリュシアンを責めても、殴っても、彼女の密かな相棒は此処へ戻って来ない。
 全ては終わった事で手の尽くしようがない。どうしようもないのだとトーヴァは分かっていた。